第2話 狐人の容疑者

  雨具をしっかり着込んだロイドとシルビアは、早速容疑者のローズを探しに出発する。嵐によってまだ午前中だというのに陽の嵐の到来によって光はさえぎられ、夜のように暗くなっていた。雨が屋根と石畳を打ち、ゴウゴウと風が唸りを上げる。人々は慌てて祭りの屋台の骨組みに雨よけのゴムで裏打ちした布をかけたり、倉庫に退避させるなどしてそれぞれ嵐への対応を始めるのだった。その人混みをかき分ける様に進みながら、シルビアはロイドに話しかける。


「探すとはいっても、こうも人が多いと……。あたし達人探しとかそんなに得意じゃないし、ちょっと不利じゃなーい? 片っ端から兵士さんとか、騎士さんとかに話聞くしかないのかな……」


 視界いっぱいに広がる人混みの量にげんなりした様子でロイドの顔を覗き込む。

黒い水晶玉の様な顔に浮かぶ瞳はシルビアに視線を送りながら答える。


「多分、私達は戦闘要員位の認識で依頼されたと思う。けどこの状況だと遭遇戦か、捕獲の現場を押さえるしかなくなる。ここは一つ賭けに出てみないか?」


「賭け?」


 ロイドの笑顔に、シルビアは嫌な予感を感じ、顔をしかめた。


◆◆◆ ◆◆◆


「今、地上おもての通りは祭りの資材で死角は多いけど、準備の進行によって増減する。人の出入りも激しく、土地勘が無いなら長居には向かない。と、いう事は……」


 ザブザブ……。

暗がりの中、水をかき分ける様に歩みを進めながらロイドは小声で説明を続ける。ロイドの頭にはまった冠の宝玉から伸びた光の角が周囲をぼんやりと照らしていた。


地上おもてに痕跡をちょいちょい残して撹乱しつつ、どこかに潜伏する……と」


「だからって、何も下水道こんなとこに一点賭けしなくても良くない?! また汚れちゃう……しかも臭い……!」


「そこは我慢してほしいかな……。下水ここに賭けたのは、嵐で増水しつつある今、危険な下水は探索から外れる。そこを追っ手を撒くのに使う可能性が大きいと踏んだからだね」


「あー、成る程ー。でもどうやって探すの? 流石にしらみ潰しという訳にもいかないし、音とか動きを探るにしても、下水管理用の人形ゴーレムが引っ掛かりそうじゃない?」


 聴覚を鋭くする強化薬ブーストポーションの小瓶をポケットから取り出し揺すって見せるシルビア。撹拌する様にちゃぽちゃぽと音を立てるが、周囲の水の流れる音や反響音にかき消される。確かに、音を聞き分けるにはここは少々


下水ここは暗くて視界が悪く、臭いから鼻も利かない上に足場も悪い。同行者が暗視持ちだとしても、ターゲットは狐人だから視界を確保するには魔法を使うだろう。魔力マナ反応を見れば行けると思う。人形ゴーレムは基本炉心から魔力が供給されるけど、普通の魔法を使うと周囲の魔力マナを使うからね」


魔力マナが薄い所が当たり、って訳ね」


 小瓶をポケットに収めながらシルビアが答える。魔力マナの濃度は、人形ゴーレムのロイドが、妖精のシルビアは感覚で捕らえる事が可能だった。お互い一長一短だが、それ故に上手い具合にお互いの死角をカバーし合う事が出来るのだ。そうして、集中して探索を続けていると、魔力マナが薄い部分が移動しているのを捉える。確認する為、一旦ロイドは額の光を消す。慎重に前進すると、灯りランタンの魔法をかけたであろう木の板切れが浮いていた。


「動くな……。動いたらコイツを殺す」


 板に意識が持っていかれた直後、ロイドの背後から男の声が響いてきた。ロイドはゆっくりと首だけ動かし横に向け、背後を横目で確認する。タレ目でややくたびれた様相の黒髪、無精髭の語人かたらいびとの男が、暗い紫色のマントに身を包んで立っていた。見るからに堅気かたぎではない雰囲気をしている。その手にはナイフが握られ、羽交い締めしたシルビアの首元に突きつけていた。恐らく男は木の板の灯りを囮に、くぼみでやり過ごし、後ろに回ったのだろう。


「……どうやら当たり、かな?」


 ロイドの額の雷光が灯り、目を細めて男を睨み付けた。


「ロ、ロイドぉ……」


「なーに、俺達をこのまま見なかった事にしてくれりゃーいいだけの話さ。そしたらコイツはすぐに解放してやる……」


 グイッとシルビアを締め上げながらナイフの刃を近づける。その光景を見た直後、ロイドの額の二本の雷は怒り狂った様にバチバチと火花をあげた。


「おい! 動くなっつってんだろ!」


「悪いね。コイツはで勝手に動くんだ。今消すから、シルビアを傷つけないでくれ……」


 ふっとロイドの頭部の光の束が消えると、男の後ろのくぼみから狐人が現れた。赤と白の毛皮に、右目の下に泣き黒子。手配書の人相書きに瓜二つである。


「ちょ、ちょっと! ジョン!! 何も人質なんて取らなくても……!」


「お嬢は黙ってな! こんな狭い所で冒険者と鉢合わせした以上、無事に脱出するにはこれ位は許容して貰わにゃ困りやすぜ」


「しかし!これは人道にもとりますわ……!」


 二人が言い合いを始めた頃、ロイドは水路の水位が上がる速度が徐々に上がってきている事に気づいた。


「なぁ……」



「おい! 俺が動くなと言っているのが分からねぇのか……!」


 警告を発しようとしたロイド言葉を男はさえぎる。その直後、


ゴゴゴ……。


何かが作動する音と共に、水の流れる速度と量が急激に増す。水門を作動させ、本格的に放水路へと水を逃がし始めたのだ。そして、運がない事に、ここがその逃がすメインの水路であった。水の流れる音が徐々に大きくなってくる。


「いや、もう間に合わない……!」


 そうロイドが告げた所で限界が訪れる。


「うぉあ!?」


「きゃああぁ!?」


 急激に深さが七十センチ程の水深になったタイミングで、狐人きつねびとの女と語人かたりびとの男が遂にバランスを崩し、シルビアと共に流されてしまう。

一般的な成人男性男性でも、水深が七十センチ以上の水流では歩行する事は困難になるという。一気に水かさが増した事、流れが背面から向かっていた事もあり、耐えられなかったのだ。


「ロイドぉ!」


 シルビアが必死に手を伸ばす。


「シルビアッ!!」


 伸ばしたその手を素早く掴むと、魔力マナを込めロイドは急激に事でしっかりと踏みとどまる。体勢を整えると、今度は魔力マナの量を減らしと、ロイドは浮き袋の様に水に浮く。シルビアはしっかりとロイドに捕まって水の流れに乗り先に流された二人を追うのだった。


◆◆◆ ◆◆◆


 かなりの距離を流された先には大きな空洞があった。空洞の中央には浮島の様な構造物があり、何かの遺跡である様に見て取れた。


「いつつ、死ぬかと思ったぜ……お嬢、無事か?」


「な、なんとか……」


 建物の残骸ざんがいに泳ぎ着いたジョンと呼ばれた男とお嬢と呼ばれていた女は、お互いの無事を確認し合う。不意に流され結構な高さから落ちたものの、魔法で強化したのか二人は軽傷で済んだ様子であった。


「はい、二人とも手を上げてねー。特に男の人。変な動きを取ったらその瞬間黒焦げになるからそのつもりでよろしくね……」


 二人ははっとして、声の方向に向き直る。そこにはクロスボウを構えたシルビアと、雷光を伴ったロイドの姿があった。ロイドの頭にたなびく雷光が怒りに呼応する様に、激しい炸裂音と火花を放ちながら大きく揺れている。その右腕には既に稲妻の杭が装填され、いつでもスパークバンカーが放てる状態だ。相対する二人はそれがどの様な規模の魔法であるかは分からなかったが、放たれたなら警告通り黒焦げになる事を二人は確信した。


「……ちっ」


「それじゃ、捕縛させて貰うよ、ローズ・グレイス」


「ま、待ってくださいな! どの様な容疑だというのですか!!」


「殺人、窃盗、詐欺、煽動、他余罪多数と聞いている」


「んな!?」


「はは、お嬢、結構な箔がついたじゃあないか……」


「笑い事ではありませんわ! わたくし、決してその様な事はしていませんわ! お願いです、話を聞いて下さい!」


 そう言い終えた所で、周囲に異様な雰囲気が漂った。生臭い臭気を伴い、這いずる様な湿った物音が迫ってくる。

フシュルル……。

二メートル四方の立方体の角を落とし、イボだらけにした様なシルエットのそれは、限界まで膨れたカエルであった。紺色の体表はヌラヌラとした体液が皮膚を覆っており、ロイドのたてがみの光を反射して不気味に光るそれは、緩慢かんまんな動きで姿を現した。その数なんと七体。


大蝦蟇おおがま!? 嘘ッ、囲まれてる!!」


「何だこの魔物はっ!?」


「湿地の主の大蝦蟇おおがまだよ、オオガマ! 正面には立たないで! 丸呑みされちゃうよ!!」


 ジョンはシルビアの忠告を聞き、ジョンと呼ばれていた男は素早く弓矢を背嚢はいのうから取り出すと、素早く矢を連続でかける。吸い込まれる様に矢は大蝦蟇おおがまに当たったが、矢の切っ先は光る粘液に阻まれたのか体表を滑る様にれてしまう。


「クソ! 油か?! さっぱり刃が立たない!! おい!  お前!! さっさとその雷で黒焦げにしてやれ!!」


「使ってもいいが、辺りが水びたしのままで使うとお前たちも感電する! 水辺からなるべく離れろ! 援護する!」


「離れればいいのね!? 行くわよジョン!! そこの貴女あなたも高台に登るわよ!!」


 建物の残骸の折り重なった高台へ向かう為に、薄く張った水面を駆けだした。

四人は大蝦蟇おおがまの包囲網を隙間を抜けだそうとするが、バシャバシャと足音を立てて進む四人の振動を感知したのか視点の定まらなかった大蝦蟇おおがま達は一斉にロイド達を捕捉する。それまでののそのそとした動きが嘘の様に、大蝦蟇おおがまは一斉に飛び掛かった。


「おいでなすった!」


 背後に迫るジョンは少しでも時間を稼ぎたいと考え、魔法の巻物スクロール背嚢はいのうから取り出し魔力マナを流し込む。すると赤色の光が電子回路の様な紋様を浮かび上がらると、巻物スクロールは光となって消える。隆起した筋肉に任せて空中前転で二メートル飛び上がり、後ろを向いた一瞬で矢を三つ同時にる。狙うは油で覆われていない目だ。狙いは完璧に決まり、三体の大蝦蟇おおがまは痛みにゲェゲェとのたうち回る。

 右脇から回り込んできた大蝦蟇おおがまが飛び掛かるが、すかさずロイドが割り込み、えぐり込む様に拳を放つ。轟音とすさまじい衝撃が放たれるが、柔軟な皮と脂肪に阻まれ、破壊するには至らなかったものの、ボールの様に彼方へと吹き飛んでいった。

 同時に左からも二体現れる。これにシルビアとローズも応戦する。ローズは刺突剣レイピアを地面に突き立て、小さな声で呪文を呟く。


「地の精霊よ、我が魔力マナをもって礫とならん! 流礫ストーンフラッシュ!!」


 すると、小さな石礫いしつぶてが高速で大蝦蟇おおがま殺到さっとうした。

石礫いしつぶてひるんだ。直後、ロイドが飛び蹴りをたたき込み、吹き飛ばす。もう一匹にはシルビアはポケットから小さなフラスコを取りだし、ふたを外して投擲する。

矢に比べると格段に遅いそれに反応した大蝦蟇おおがまは舌を高速で延ばし絡めとると、そのまま口の中へと収めてしまう。直後、ヴェアーヴェアーと苦しそうに口を開いて舌をさすりだすと、そのまま靴下を裏返す様に胃を外に出し前足でしごき始める。一瞬呆気あっけにとられた一行だったが、すぐ気を取り直して駆けだす。


「何アレ……」


「薬の原料の吐竜草とりゅうそうせんじた薬液。スッゴイ苦いの」


「うへぇ」


 そんなやり取りをしていると、最後の一匹が自身の油を活用したドリフトしながら滑り込んで来ると、左側面からシルビアに舌を絡ませた。


「きゃあ!?」


「シルビア!?」


 殿しんがりについていたロイドは、慌てて跳躍するが間に合わない。

すさまじい勢いで舌が縮み、口腔こうくうに引き寄せられる、その刹那せつな

ローズの刺突剣レイピアが閃き、舌を切り落とす。


「わぷっ!?」


勢いが削がれ、その場につんのめるシルビアにローズは素早く引っ張り起こす。

その直後、ロイドのドロップキックが決まり大蝦蟇おおがまは壁面に叩きつけられる。

流石に衝撃を殺しきれなかったのか、内臓、骨格ともに衝撃でぐしゃぐしゃになり絶命した。


「やったか?!」


 先行していたジョンが高台から声を上げる。直後、周囲に水音が響き、吹き飛んだ個体を含め更に数体の大蝦蟇おおがまが現れた。


「く、まだいるのか!」


「もう少しで高台よ! 急いで!」


 ローズがシルビアの手を引きながら高台へと急ぐ。

殺到する大蝦蟇おおがまにジョンの矢とロイドの拳が叩き込まれるが、対処できる大蝦蟇おおがまの数より集まる数が勝っており、ロイド達は完全に押されていた。

ローズとシルビアは慌てて瓦礫の山を登り、ジョンの元へ合流する。


「ロイド! 登りきったわ!! 防御するから一拍ちょうだい!」


「了解! スパーク……バンカーッ!!」


 シルビアは懐から巻物スクロールを取り出し使用し、ロイドは一拍を置いてから裂帛れっぱくの気合でスパークバンカーを放つ。ロイドの魔力炉マナドライヴのが唸りを上げ、地下空間が引き裂かれるかと思う程の轟音と共に水面を雷撃が駆け巡った。その熱量は周囲の水分を一気に蒸発させ、水蒸気爆発を発生させた。シルビアの魔法で爆発を防ぎ切ったが、直撃を受けた大蝦蟇おおがまは壊滅したのだった。


◆◆◆ ◆◆◆


 手早く大蝦蟇おおがまの死体の一部を回収すると、ロイド達は遺跡のある放水路から脱出を図った。幸い大蝦蟇おおがまの追撃は無かった。遺跡を放水路として沈めた際の作業用通路を見つけた一行は、ひとまず安全を確保するまで休戦協定を結び、地上へと向かった。

 暫く曲がりくねった通路を行き来した後、長い階段を経て街の防壁の隅から地上に出る事が出来た。入口は丁寧に煉瓦れんが漆喰しっくい封鎖ふうさされていた為ロイドが無理やりブチ破る羽目になったが、街の外れだったのと、雨音にかき消されて誰もその事に気づくものはいなかった。雨は相変わらず降っているが、風は弱まっている。


「……とりあえず、無事に脱出できたね……。そしたらローズ、詳しく話を聞かせてくれないか?」


「え? ロイド、その人詐欺とか扇動容疑せんどうようぎがあるし、騙されたり言いくるめられたりしない?」


「うーん、確かに嘘をつかれるかもしれないけど、こちらの迎撃にし、シルビアを助けてくれたんだ。シルビアを人質に取ったのはおじさんの独断みたいだし、話を聞く位はしてもいいかな、って……」


「グレイス家の者として当然の事をしたまでですわ」


 おほほ、とローズは屈託くったくなく笑ったが、話が進まないと思ったのか、ジョンが小さく咳払いをして話を促した。


「わたくしの名はローズ・グレイス。こちらは父の知人で、わたくしの後見人のジョン・ドゥです。」


「……ジョン・ドゥだ」


 ローズは背を正して胸を張って名乗り、ジョンは壁にもたれかかりながら気だるそうに名乗った。


「わたくしはここから遥か北のプロキシから来ました。父のジョージ・グレイスの死後、暫くして突然借金が発覚し、領地を差し押さえられたのです。仕方なく立身の為冒険者として旅に出たのですが……」


「つい、この間から急に指名手配の依頼で追っ手をかけられてな、苦労してこのウラルまで逃げ込んだんだ。しかし、追っ手が迫ってきていたので、撒くのに下水に入り込んだんだがお前たちと鉢合わせした、という訳だ……」


「うん? それじゃあ、特に誰も殺してない訳?」


「冒険者として適切な範囲で自衛の為に野盗を何人か殺しはしましたが、グレース家の名誉に誓って冒険者や一般人は殺してませんし、窃盗もしておりません!」


「追われる前は俺だって冒険者以上の事はしてないぜ。追われてからは、鍵とか食料は多少がね?」


 ロイドは首を傾げた。


「ならば何故追われているんだろう……。領地を奪ったのが計略だったとして、ローズが放逐された時点で目的は達成している筈……」


「……とか?」


 シルビアがぽつりとつぶやく。

その指摘を聞いたローズは、暫く逡巡しゅんじゅんした後、意を決した様に静かに話し始めた。


「……実は旅に出たのは父の遺言もあっての事でした」


 そういうと、ローズは首飾り用の革紐を引き上げ、首元から赤色の宝石のはまった指輪を取り出し、てのひらの肉球の上に置いて見せた。


「父は自分の死後、この指輪を錬金術師であるワイズマン伯爵へ内密に届ける様に遺書を残していたのです。恐らくはこれが原因でしょう……」


「「ワイズマン伯爵?!」」


「え? 何かご存じなのですか!!」


 ワイズマン伯爵の名に反応したロイドにローズが詰め寄った。


「ワイズマン伯爵は……私の父親製作者です」

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