職場と住居
メガネを外したサチの説明によれば神は一日一時間程度しか仕事をしないらしい。
一日というのはあくまで天界内で下界は仕事の時間中しか時間が進まないとのこと。
もうこの説明だけで頭が混乱しそうになってきてる。
そもそも神は下界の事象を把握して処理しなくてはいけないので一時間程度の情報でも相当な量になる。
「今は信者が少ないのでそうでもないのですけどね」
自虐的な顔をしながらサチが溜息をついてたのが印象深い。
つまり神が見える事象は信者の周囲に依存しているという事で、今は見える範囲も狭い。
そうなるといずれは許容できなくなる程忙しくなるのだろうか。
いや、今は目の前の信者不足のほうが問題だな。
「そんなわけで基本は一日一時間が仕事の時間です」
「それ以外俺はなにすりゃいいんだ?」
「何でもいいです、一日一時間仕事をしていただければ」
「何でもっていわれても俺元人間だぞ」
「そうですね」
「神って寝たり飯食ったりできるのか?」
「勿論できます。基本は人間と同じ生活が可能だと思ってください」
おぉ、思ったよりいいぞ、神様生活。
だが同時に疑問も浮かぶ。
「なあ、このだだっ広い何もない空間で俺生活すんのか?」
そう、ここは半透明の白い床と宇宙のような光の点々があるだけの空間。
作業に集中するという意味ではいい空間かもしれないが、生活全てをここでやるとなると気が滅入る。
そういえば何かで宇宙空間はかなり暇と書いてあったのを読んだ気がするが、こういう事か。
「それについてなのですが、前の神様は常にここにおられたので前例がありません」
サチも困った様子で答える。
生活が可能。あくまで可能か不可能かの問いでは可能ではあるが、必要か不必要かで問えば不必要なのか神ってのは。
「ぬぅ、俺はやだぞ、こんな何も無いところに延々と居るのは」
成り行きで神となっても元人間だからな俺は。
生活に潤いがなければたちまち腐ってしまうぞ。
「そうですね・・・。わかりました、ひとまず我々の生活空間に参りましょうか。手をこちらに」
少し考えてからサチはこっちに握手するように手を伸ばす。
「ん、こうか」
「はい、では離さないようにしてください」
握手するとサチのすべすべした手が握り返してくる。
俺がサチの手の感触をぼんやり堪能してる間にサチは目を閉じて何かを念じた。
するとサチの体の輪郭を沿うように白い光の膜が発せられ、サチの手からその光が俺にも伝わり二人が光の膜に包まれる。
「転移!」
サチが目を見開いた瞬間、高いところから急に落ちる時のような魂の抜ける感覚に包まれた。
気付くと見慣れない風景の中に手を繋いだサチと居た。
上は空と言える青い空間。
足元には草と土の感触がある。
見回すと木は無いが心地よい風とそれに揺れる新緑の草原が一面に広がっている。
「少々座標がずれました。飛びますのでこのまましっかり掴まっててください」
辺りを見回してた俺をよそにサチは背中の羽を広げて浮く。
「え、おい、ちょっと!?」
しっかりと握られた手が次第に上に引っ張られて行き、そのまま足が浮く。
慣れない感覚に俺は両手でサチの手を握る。
それに気付いたサチは同じように両手で俺の手を握ってくれる。多少安心感に包まれる。
「飛びながら説明しますが、ここが我々天使、上位天使の生活空間になります」
さっき足元にあった草が既にただの黄緑色程度にしか見えない高さに上がるとサチは羽を大きく動かして今度は横に移動を開始し始める。
「へー・・・」
草原に降り立った時のように辺りを見回す。
見回してると気付くことがある。
「なんだあれ、島みたいなのが浮いてるように見えるんだけど」
遠くに上が緑で覆われた水のない島らしきものが点々とみえる。
「そうです、ここは幾つもの浮遊島で形成されています」
サチがそういい終わると同じ頃に下の風景が緑から白に、草から雲に変わる。
下を見渡すと一面に雲海があり、その雲海に触れない程度の高さに点々と浮遊島があって、更に真上は光り輝く太陽が確認できる。
目を凝らすと遠くで同じように飛んでる天使が見える。
なるほど、ここが天使の生活空間か。
天使は羽が生えてるから特に地面が繋がってなくても支障がないんだな。
「見えてきました」
サチの言葉に色々思案してたのをやめて視線を正面に戻すと小さな浮遊島に白い壁と赤い屋根の家が見えてくる。
家の前には小さな菜園のような畑があり、生活を感じさせる雰囲気を醸し出している。
目的地の上空に到達するとそのままゆっくりと下がっていき、足に地面の感触が戻る。
「はぁ、地面は落ち着く」
ずっと宙に吊り下げられてたのから解放されほっと一息。
「お疲れ様でした、ここが私の家になります」
「へー、なかなかいい家だな」
遠くから見ても綺麗な家だと思っていたが、近くで見ると手入れが行き届いているのがわかる。
「ひとまず中へ」
入り口の扉に向かうサチの後を追うとサチの羽が小さくなり、背中に収まる大きさ程度になったらそのまますっと消える。
天使の羽は出し入れ出来るのか、便利だな。
「どうぞ」
「お邪魔します」
扉を開けて招き入れるサチに続いて家に入る。
つい癖で放った言葉にサチが笑うのを堪えたのは見逃してない。
おのれ、覚えてろよ。
薄暗かった部屋の中が人の気配を感じると同時に明るくなり中が見渡せるようになる。
「殺風景だな」
見渡せてしまったと言うべきか、物が限りなく少ない。
あるのはベッドとキッチンと椅子とテーブルだけ。
前の世界の感覚でいえば引越し前の家に泊まりに来た時のような物の少なさ。
「そうでしょうか」
気にも留めずサチはキッチンへ向かう。
何をするのかとじっと観察してたら部屋が殺風景な理由がわかってきた。
サチは何もない空間に手を突き出すと、空間が歪んで腕の一部が消える。
腕を引くとティーセットボックスを掴んだ腕が出てきて空間の歪みが消える。
恐らく別の空間に小物類が保管してあって、必要時にああやって取り出せるから部屋の中は大きい常設物だけになるのだろう。
「そんなところに立っていないで座ってください」
「あぁ、うん」
手際良く用意した茶を盆に載せてテーブルに持って行くのでサチの対面側に移動して座る。
「色々知りたいことは山ほどあるが、とりあえず当面の生活をどうするかだな」
差し出されたカップに口をつけながら言う。
うん、美味いな。
何処と無く緑茶を髣髴とさせる味が心を落ち着かせてくれる。
「それなのですが」
サチの視線があちこちに泳ぐ。
「ソウが嫌でなければ、ここで生活するというのはどうかなと」
サチにしては珍しく恐る恐るという感じで聞いて来る。
うーん、ギャップが可愛い。
そうじゃなくてだな。
「うーん、俺としては願ったり叶ったりだが、いいのか?俺元人間の男だぞ?野蛮だぞ?」
自分としては野蛮って程ではないとは思ってるが完璧紳士で居られる程でもない。
つまりはこんな据え膳みたいな状態であれば我慢は出来ないという事。
「ソウなら問題ありません」
「問題ないってお前・・・」
「あぁ、悪い意味ではなく、信用しているという意味です」
「そんな会って時間も経ってない奴を信用するとか」
「大丈夫です、私は私の人相判断を信じていますので」
「そ、そうか」
自信満々に言われてしまっては納得するしかないな。
しかしそうか、俺を神にする提案とかの判断はそういうところから来てるのか。
まてよ、ということはあの爺さんは人相的にダメだって事か、哀れな。
「そういうことなら世話になるかな」
「はい、これからよろしくお願いします、ソウ」
「あぁ、よろしくな」
翌朝。
昨晩は色々あった。
まず晩飯が質素だった。
出されたのがお茶と数粒の丸薬のようなもの。
味は苦いとかではなかったものの、前の世界での食事を考えるとがっかりすぎる。
聞けば天使の食事は基本こんなものらしく、物好きが料理をする程度らしい。
庭の菜園もその物好きの知り合いが貧相な暮らしを見かねて作っていったとか。
うん、俺も同じ事考えるな、きっと。
次に風呂。
悪い方の予想通り無かった。
無いというよりこれも必要性の無さで、念じれば綺麗になるらしい。
実際サチにやってもらったが、肌とかツヤツヤになった。
便利だけど、やっぱり風呂に入りたい気持ちは消えない。
最後に就寝。
ベッドが一つしかなかったから床で寝ようと思ったら止められた。
押し問答はしたものの結局一緒に寝る事に。
うん、まさか俺自身もここまで我慢が出来ない奴とは思わなかった。
一応サチには再三確認は取ったが。
「問題ありません」
これの一点張りだったので理性は投げ捨てることにした。
その後いつ寝たかは覚えてない。
今はサチに起こされて質素すぎる朝飯を食べた後、お茶を頂いているところ。
ちなみに起こしに来たサチはちょっとモジモジしてて愛らしかったが、俺の生暖かい眼差しに気付いたらすぐにいつもの顔に戻ってしまった。うかつ。
「さて、今日から本格的に仕事開始か。頑張らないとな」
「はい、よろしくお願いします」
本心はもう少しゆっくりしたいし、もっと今の生活スタイルを良くしたくも思う。
だが神となったからには一応神らしいこともしなくてはな。
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