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結局、ほとんど眠れないまま朝になってしまった。勿論眠いが、部屋にとどまってベッドに横になったとしても、きっと寝られないような気がして、私は浴室で髪と顔を洗い、身支度を調えて1階のレストランまで降りた。食事を終えたら部屋に戻るつもりだから、持ち物は最小限だ。
函館市内のホテルではここ最近、朝食バイキングに力を入れる動きが出ているらしいということはネットニュースなどを通して知っていたが、それにしても思いの外豪勢なものが用意されていた。これって採算採れるのかな、と、回らない頭で下世話なことを考える。観光客とおぼしき客達がはしゃぎながら、これでもかと具材を載せた海鮮丼をセルフでつくっているのを尻目に、私は、クロワッサンと焼き魚、カットオレンジだけを取って席についた。もともと朝からたくさん食べられる方ではないのだが、今朝はいつにもまして食欲がなかった。
食後のコーヒーを飲みながら、ふと思い立ってスマホを手に取り、「函館駅 構内 像」でネット検索をしてみた。父が「神様」だとか言っていた、あの巨大な、イカのような生き物の像について、何か情報がないかと思ったのだ。
わかったのは、あの像は「芳醇の海の神」とものだということ、函館市出身のなんとかいう彫刻家の作品であること、そして、材質は黒大理石だということくらいだった。確かに「神」と題された像ではあるのだが、芸術作品の名前というのは得てしてわかりにくいもので、「神」と名付けられているからといって「神」そのものの像だとも限らない。本当はイカを模しただけのものだが、直截に「イカ」と名乗らせてしまうと恰好が付かないと判断した、と解釈することもできる。
そんなことをぐだぐだと考えてみたりしたが、所詮眠い頭では、結局のところ、だから何なのか、結論が出ることはなかった。
どうせ急いで行くあてはない。
なんとなくぼんやりテレビを眺めながら時間を潰してから、改めて1階まで降りて正面入口から外に出た。今日もやはり、強烈な磯臭さが漂ってくる。この臭いを、行きかう人々の誰も訝しく思っていないふうなのが不思議だった。この辺りの住人であれば、毎日同じ臭いを嗅いでいるうちに鼻が慣れて何も感じなくなる、ということはもしかしたらあるのかもしれないが、観光で訪れた人は、この臭いがおかしいとは思わないのだろうか。
観光の王道である、ベイエリアを登る坂道を辿ると、「津波ハザードマップ」と題された大きな地図が建っているのに気付いた。5年前のあの大震災で、函館のベイエリアにも津波が押し寄せたのだったな、と私は当時のニュースを思い出した。ベイエリアを含む函館の市街地は、もとは島だった函館山と陸地とが繋がる
私は立ち止まり、塗り分けされたハザードマップを見た。起こりうる最大の津波を想定して作られたものだと但し書きが書かれたその地図によると、私が今いる地点は4m以上浸水する可能性があるようだ。ベイエリア地域は軒並み2mから3m以上の浸水が予想されるようで、地図は「4m以上の浸水」を示す黄色と、「1mから3mの浸水」を示す青の濃淡に彩られている。実際、地震から津波までどれほどの猶予があるか定かではないが、ハザードマップに広がる色彩の濃さと範囲を見る限りでは、この辺一帯には逃げ場がないように思える。津波が発生したらもう、あきらめろということかもしれない。
しかし、ハザードマップが彩られているのは宝来町や末広町辺りまでだ。どうやら、起こりうる最大の津波であったとしても、それが函館山の方まで登ってくることはないようだ。まぁ、当たり前の話ではある。函館山は平たいが、標高は300mを超えるのだ。それこそ隕石でも落ちてこない限り、山まで波が押し寄せるような事態にはならないだろう。
――ということは、もし津波を起こすような地震があったとして、お父さん達はウチにいれば助かるんだな、と私は想像した。上り坂がきつくて大変だとばかり思っていたが、山の麓というのは少なくともこの町では、かなり安全な場所といえるのだろう。熊が棲んでいるような山であれば別の意味の危険が伴うところだが、あの山にまさか熊がいるはずはない。だから大丈夫。安全だ。
随分坂を登り、私は元町に立ち並ぶ教会をゆっくりと見て回った。カトリック元町教会、聖ヨハネ教会、そしてハリストス正教会。私が一番好きなのはハリストス正教会だ。天に向かってすっと伸びる聖堂が、凛として美しいと思う。私が通り掛かった時、ちょうど鐘の音が聞こえてきた。ちょうどいいタイミングで通り掛かったおかげで聴くことができた、ささやかな幸運が嬉しい。
この一帯には宗教施設が多い。ここにある3つの教会の他に、大きなお寺もいくつかある。墓参りというものを何故かしない家だからよくわからないのだが、そのうちのどこかに、私の父方の家のお墓があったように思う。
こうして教会とお寺がいくつも並んで建っているのは、明治時代にいろいろな人がいろいろなところから渡ってきて、宣教だとかなんだとか、それぞれの目的で教会なりお寺なりを建てたからだ、私はざっくりとそう理解している。こんなにいろいろな宗教の施設が入ってきている土地に、他に「神様」が入ってくる余地があるものだろうか、と私はまた昨日聞いた話を思い出す。そもそも、イカが神様だなんて、そんな話聞いたことないし。
見上げると、函館山は霧にけぶって、その山頂は隠れていた。
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