(9)

 私は、市電に揺られている。乗客は地元民と観光客が入り混じり、観光客の方がやや多いくらいだが、両者は簡単に見分けが付く。勿論、持っている荷物や服装で、会話のイントネーションなどからも違いはわかるが、何よりも、表情が全然違うのだ。地元の人間は陰気で、澱んだ雰囲気を漂わせているが、観光客達はとにかく明るく、よく笑う。 

 いや、それだけではなく。

 ここの住人はみな、似たような顔をしているのだ。兄さんのような、魚のような。

 ――そうだ。どうして今まで気が付かなかったのだろう。函館の住人は、みな、あんな顔をしていたではないか。


 そうだ。――私だって。



 場面が切り替わる。


 海辺だ。華やかなベイエリアではない。それでは住吉漁港とか穴間あなま海岸とか、そちらの方か。自身も父も車を持たず、専ら市電の沿線だけを行動範囲としてきた私には、どちらも、馴染みのない場所だが、いずれにせよ、辺鄙へんぴな海辺である。おそらく夜なのだろう、辺りは真っ暗だ。

 沖合に、大きな生き物が浮かび上がっているのが見える。あれは、何だ。吸盤の付いた長い腕のようなものがゆらゆらと蠢いているが。そして、こちら側の岸には魚のような顔をした人々――函館市民の集団。彼らは声を揃えて、何か言っているのだが、何と言っているのかわからない。

 ふと横を見ると、そこにはいつの間にか兄がいて、他の住人達と同じように、無表情とも真剣とも付かない表情で、ぱくぱくと口を動かしていた。



 また場面が切り替わる。今度は家の中だろうか。私と父が対峙している。


 父が私を見据えて言う。

  「お前は、まだか。まだ変わらないのか」

   まだ、海に還りたくはならないか」   

   ――還るって、だから、何。それより。

     お父さん、お父さんはどうして魚のような顔ではないの。

 

  「俺はお前達と違って、化け物の血は入ってねぇんだ。だからだ」

   ――化け物、って。お父さん。それは、ひどくない? 

     私も兄さんもお母さんも、人間だよ。お父さんと同じ。 


  「違う」

  父の冷たい声が残酷に響く。お前達と一緒にするな、と。




 私は、はっと目を覚ました。少しうとうとした後で覚醒した時特有の、ぼんやりとして、ここがいつ、どこなのかわからない、ふわふわとした気持ちがする。

 枕元のスマホで時間を確かめる。午前3時過ぎだった。確か、風呂から上がった後、髪も満足に乾かさずにベッドに横たわった。おそらく、そのまま寝てしまったのだろう。

 私はくしゃみをひとつした。ホテル備え付けの寝間着は薄いし、空調を入れていない室内は冷えていた。髪は、一応乾いているようだが。6月になってもまだ、こちらの夜は冷え込むのだ。私は枕元のあかりだけをつけ、それを頼りにリモコンを探し当て、エアコンのスイッチを入れた。髪は、朝もう1度洗いたないな。しっかり乾かさないで寝たから、多分このままでは臭ってしまう。


 それにしても、と、私は冴えてきた頭で思い出す。

 どうやら、途切れ途切れに夢を見ていたようだ。

 ――魚のような顔をした住人が、暗い海岸で触手を持つ巨大な何かを見ていて。

 ――父は恐ろしいほど冷酷に、私達を化け物と呼んだ。

 昼間の体験がそのまま投影されたということが、解釈を加えるまでもなくわかる、おかしな夢だった。


 ――本当に、おかしな夢、だろうか。


 私は思い出す。今度は夢ではなく、函館に来てから見聞きした現実を。

 市電で乗り合わせた人は、どんな顔をしていたか。さすがに、兄ほどの異相の持ち主はいなかったにしても、確かに、彼らはどことなく魚に似てはいなかったか。

 ――そうだ。どうして今まで気付かなかったのだろう。函館の住人の多くは、程度の差こそあれ、みな、同じような顔をしているということに。それが当たり前すぎて、気付かなかったのだろうか。


 私も――そうなのか?


 ベッドから降り、今度は部屋中の電灯を全部つけ、部屋の入口近くにある姿見の前に立った。

 鏡の中の私の顔もまた、魚に似ていた。 


 どうして今まで、気付かなかったのだろう。



 化け物、と呼んだ父の顔が頭をよぎる。

 そうだ、父は魚のような顔などしていない。とすると、私の母は魚の顔をした化け物で、兄と私はその血を継いでいるからやはり化け物だ、と、そういうことか。

 父は人だが、私は違う。だから、父は私に対してよそよそしかったのだろうか。

 疑い始めればすぐに、そうに違いないという気がしてくる。

 なんだかとても、悲しかった。

 








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