(8)

 フロントには少しだけ例の磯臭さが漂っていたが、さすがにこの7階の部屋の中までは、臭いは上がってこないようだ。私は少し空腹感を覚えて起き上がり、父がパックに詰めてくれた寿司を取り出した。ウニやアワビ、トロなどに混ざってイカの寿司も入っていて、イカが神様だとかいう話を思い出す。そんなことあるかな、だって神様をこうして捌いて食べたり、普通はしないのではないか。

 結局イカの寿司には手を付ける気になれず、残すことにした。そもそも父が持たせてくれた量が多いのだ。これは明日の朝食べられなかったら、勿体無いが捨てるしかないだろう。この上更に饅頭など、到底入りそうにない。寿司よりは日持ちするだろうし、このまま持って帰るか、帰りの新幹線の中でおやつとして食べることにしよう、と決めた。


 私はしばらく休んだ後、風呂に入ることにした。

 バスタブに浸かり、長時間の移動で凝ってしまった足腰の筋肉あたりを揉みながら、私は物思いに耽った。

 私は確かに、この春開業した北海道新幹線に乗りたくて今回の帰省を決めたが、同時に、兄と対峙する覚悟もしていた。6年前の兄はもっと険のある、近寄りがたい雰囲気をまとっていて、恐ろしくて挨拶すらできなかった。だから今回も、同じように刺々しさを向けられるのではないかと考えていた。

 いざ会ってみると兄は思いの外温和だったが、予想外の変貌を遂げていた。あれならばまだしも、近寄りがたい雰囲気を発散させてくれていた方がよかったのに、と思う。


 子供の頃、兄との仲は悪くなかった。歳が上であること、長男であることなどを笠に着て威張るような兄ではなかったし、優しくされるからと付け上がって我儘を言う妹でもなかったのだ。チャンネル争いなどをすることがないではなかったが父に仲裁されてルールを作られたら2人とも従った。強いて言えば高校受験を控えた時期の兄はぴりぴりしていて怖かったが、祖母に「お兄ちゃんは大事な時期だから」と囁かれれば納得したし、私が中3の頃はやはりぴりぴりして、時には兄や祖母相手に当たり散らしたりしたのだから、お互い様ではある。いよいよ兄との本気の喧嘩が勃発しそうになると祖母が涙ぐみながら止めに入ってきて、そうなると気を削がれてなぁなぁで終わってしまった、という事情も大きい。


 私達兄妹がお互い大人になると、精神的にも物理的にも更に距離が離れたが、これからも付かず離れずでやって行くのだと、思っていた。

 それなのに。

 兄は引きこもってしまった上に、あんな、人間とは思えない姿になってしまった。私は、父がいなくなった後の兄の暮らしを考えなければならない覚悟はしていたが、兄があんなに人間離れしてしまう事態など、予想だにしていなかった。

 私は、どうすればよいのだろうか。


 ――悩んでいても仕方がない。

 私は、顔を手で拭って、湯から上がった。





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