(6)

 父はテレビをつけ、ニュース専門チャンネルを眺めながら立て続けに煙草を吸っている。大事件が起こっていないということだろう、ひたすら同じいくつかのニュースばかりが繰り返し、流されている。こんなもの、ずっと見てどうしようというのだろう、さっきから同じことしか言ってないのに。

 そんなふうに考えながら、私は私で、スマホを手に取ってSNSを巡回したり、ゲームをしたりと、無為に時間を過ごす。

 私達の間に、会話はない。今に始まったことではないとはいえ、気詰まりではある。自室があるのならばいっそそこに引っ込んで、好きなように過ごしたいところだが、あいにく、私が実家を離れるまで使っていた部屋は、本棚から溢れた父の蔵書をしまい込むために使われてしまっている。実家を離れた子供の部屋は、そんなふうに扱われるものと相場は決まっている。とすると、兄が今引きこもっている部屋は、いつ空けたのだろう。兄が転がり込んで来た時か。それとも、もともと、兄の部屋には本を詰め込んだりはしていなかったのか。まぁ、よくタイミングよく引きこもれる部屋が空いていたものだ、とは思うが、私には関係ない話だ。少なくとも今は、関係ない話であってもらわなくては困る。


 ニュースの繰り返しに、地震速報が割って入った。

 千葉県南部で震度4、千葉県北東部と北西部で震度3、だそうだ。

 「あ、千葉で地震だ」

 声を漏らした私に、父が答えた。

 「震度4だと。千葉は地震が多いな。――怖くないか」

 「うんまぁ、最初は怖かったけど、今はもう慣れたよ。このくらいの地震は結構多いからね」

 実際、千葉県はちょくちょく、今しがた起こった程度の地震が発生する土地柄で、いちいち驚かないようになっている。


 そうか、と納得したように呟いた父は、そういえば、と前置いて「お前、仕事は順調か」と訊いてきた。私は、まぁね、と濁した。今の職場では契約社員として働いているが、それでももう3年目だ。安定していると、言って言えなくもない。嘘は、言っていない。


 世代的に就職氷河期ど真ん中にあたる私は、文系女子である上に自己アピール下手な性分が災いして、新卒での就職活動には大苦戦した。やはりというか正社員として社会人生活をスタートさせることはできず、派遣社員として1年働いたのを皮切りに、非正規雇用の職場を数えきれないほど渡り歩いて、今に至る。 

 父は私が就職活動に失敗したこと、その後も正社員になる機会に恵まれていないことを知っているが、それでも「努力が足りないのではないか」だの「選り好みしなければ正社員の口はあるのではないか」だのといった、説教めいたことを言ってくることはない。年齢の割に、今時の労働情勢についての理解はあるということなのだろうが、煙たいことを言われないのは正直、有難い。


 それでも、この話題が長引いてしまったら、と思うと少し嫌なので、あからさますぎるかとも思ったが、大きく話題を変えることにした。

 「そういえばさ。函館駅の構内になんかやたら大きなイカの像が建ってたんだけど、あれ、一体何? ていうか、そもそもあれ、イカで合ってる? 私、チラっとしか見てないし、前衛芸術的ななんかなのか、ちょっと変わった形をしていたような気がするんだけれども」


ごく軽い話題のつもりだったのだが、父は私の方をまっすぐに見据え、思いの外真剣な顔で答えた。


 「アレはな、神様だ」


 「かみさま? イカが? 何それ」

 「アレは、イカではねぇんだ。神様だ」

 あれはイカの像で合っているのか、と訊いたつもりが、「神様」だと言い切られてしまった。なんだか話が噛み合っていない上に、意味がわからない。あれのどこが「神様」だというのか。

 だから「かみさま、ねぇ」とだけ答えた。


 大学で所属していたサークルの先輩に、民間伝承が好きだという人がいて、その先輩から、地域によってはクジラを神様として祀ったりするのだと聞いたことがある。供養や感謝のために鯨塚というものを建てたり、クジラを恵比寿様の仮の姿とみなして何かをするのだとか、なんとか。――何をどうこじつけたのかは定かではないが、やたらとイカを持ち出したがるここ函館では、クジラではなくイカを神様として祀ることにしたのかもしれない。

 それにしてもイカが「かみさま」とはこれ如何に、と駄洒落みたいなことをぼんやり考えていると、家の奥、兄の部屋の方からがたりと物音が聞こえた。気付けば、時刻はもう夕方6時を回っている。きっと空腹を覚えて、部屋から出てくるのだろう。私は身構えた。


 ややあってのそりと居間に入ってきた兄は、私のはす向かいに座った。目を伏せているが、気配でそうとわかった。

 「和美、来てたのか」

 平坦な声で話し掛けてきた兄に「うん、久しぶり」と答えながら顔を上げた私は兄を一目見て悲鳴を上げかけ、手で口を覆った。そこにいたのは、見知った兄ではなかった。いや、これは――人間ですらない。

 やけに離れたふたつの目。低く広い鼻。突き出した口。そしててらてらと濡れて光り、鱗のような模様がところどころに見える、妙に青白い皮膚。それは、半魚人というものがこの世に存在するのであればこういう姿なのであろうと思われる、すさまじい異相だった。





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