(5)

 気まずい沈黙を破って、父が「上がる前に、線香上げてけ」と言った。この家には仏壇があるのだが、それは玄関から居間に至る途中の、かつての祖母の部屋に置かれている。

 なんとなく玄関先で佇んでいた私は、やはり所在なげに立ったままでいた父に促されて、仏間に入った。

 仏壇に向かって座り、父から火を借りて線香に火を付け、形だけ拝んだ。私は、こういう時の作法については全く疎いし、父も、煩く言う方ではない。一応拝んでおけばそれでよい、ということなのだろう。そういえば、菩提寺はどこで宗派はどこなのか、といったことも、私は知らない。正直、お寺がどうとかそういうことは長男たる兄の担当だと思って、詳しく知ろうともしていなかったのだ。まさか、その兄が墓守などできそうにない状態に陥るとは思ってもみなかった。


 ひとつだけ立てられている遺影は、父方の祖母のものだ。そこに写るしわしわの老婆は、歳を取り過ぎているせいか、父と似ているのかどうかもよくわからない。

 祖母は、確か私が大学に通っていた頃に亡くなったのだったか。真冬だったこともあって、電話で訃報を伝えてきた父は「葬式には無理して来なくてもいいぞ」と言ったが、まさかそういうわけにもいかず、葬儀にはきちんと出た。その時は吹雪のせいで飛行機がなかなか着陸できず、羽田に引き返すか、それとも新千歳に着陸するか、というぎりぎりのところで空港上空に晴れ間が出て事なきを得た。その経験によって、私がますます飛行機嫌いになったことは言うまでもない。


 私が物心付いた頃には既にこの家には父と兄、祖母しかおらず、私たちきょうだいは祖母に育てられた。母のことについては、幼い頃、父に尋ねたことがあったが、「お前を置いて出て行った」と無表情に言われ、きっとこれは、詳しく訊かない方がよいことなのだろう、となんとなく悟った。たとえば他に好きな男ができたから家族を捨てた、といった、語るに語れない事情があるのかもしれない。10代の頃は「お母さんはどんな気持ちで私達を置いて行ったのかな」などと思いを巡らせることもあったが、今ではすっかり割り切ってしまっている。なんせ、物心ついた時にはいなかったのだから、最初からいなかったようなもので、恋しく思うような対象でもなかった。


 兄は、母が出て行った時には3歳か4歳になっていたはずだから、もしかしたら、母がいなくなったことが心の傷になっているかもしれない。母に抱かれた記憶も、母がある日いなくなった記憶も、残っているのだとしたら、私のように割り切ってしまうことはできないはずだ。10年近くも引きこもり続けている兄の在り方を肯定する気にはなれないが、そういった何かしらのトラウマのようなものが影響してのことだとしたら、責めるのも酷というものだろう、とも思う。


 居間に入ると、煙草の臭いが充満していた。父は昔から、起きている間はずっと吸っているほどの大変なヘビースモーカーだったが、それは今も変わらないらしい。親しい間柄の親娘おやこだったならば、「もう歳なんだから煙草は控えたら?」などと、進言するものなのかもしれない。そんなことすらしようとも思わないほど、父に対する感情は余所余所しい。父を嫌いというわけではないが、どこか一線を引いて接している自覚ははっきりとある。それは、父はもっぱら家と職場を往復するばかりで、構ってもらった記憶などほとんどないからかもしれない。父が働かなければ成り立たない生活だったのだとわかっているから、構ってもらえなかった恨みも別にない。しかし、父に「働いて養ってもらったこと」について感謝も別にしていない辺り、構ってくれなかった父と同じくらい、私だって冷たいのかもしれない。


 絨毯が敷かれた床に座り、座卓を囲んで、お互い無言のまま父が淹れたお茶を啜った。間が持たないので、「ちょっと読ませて」と断って、座卓の隅に置かれた新聞を手に取って、眺めた。父が1度立った気配がして、顔を上げると饅頭を持って戻ってくるところだった。

 「これ食うか」と言うので、私は和菓子が好きではないのだが、ここは有難く受け取ってもそもそと食べた後、いよいよ沈黙が苦しくなってきたので、話し掛けた。

 「ねぇ。新幹線通って、やっぱり盛り上がってる?」

 「まぁなぁ。しかし函館市内まで来てるわけじゃねぇから、不評らしいな」

 「うーんまぁ、構造上、どうしようもなかったんだろうけどねぇ。ていうか、あの、駅の名前、どうにかならなかったのかと思うね。新函館北斗って」

 「あぁあれな。北斗の市長がゴネたんだわ。誰が中心になって新幹線誘致したと思ってるのかって、函館こっちも言い返したんだがな」

 父の口調は忌々しげだ。そもそも北斗とかカッコ付けてるけどあそこは大野でねえか、などと、相手方の地名にまでケチを付け始めているので、その点に関しては聞き流すことにした。それをいうなら、平成の大合併で市域が広がった現函館市の一部は、もとは椴法華とどほっけ村だったところだ。余所のことを悪し様に言えるような状況ではない。


 父は60歳まで市役所に務めており、それなりも出世もした。私にはよくわからなかったが市議会関連の業務にかかわることもあれば、当時の市長と話すこともあったようだ。そういう経歴の父だから、現役を引退した今も、地域の事情には明るい。北海道新幹線誘致の経緯など、それこそ裏事情も含めて知っているだろう。


 それに父は大層頭が切れる。子供の頃は、それこそ何度も、本当はもっといい学校にも行けたんだけど、それでも北大に行ったんだよ、などという自慢話を祖母から聞かされもした。

 それを言われると、学力が足りなくて北大に行けなかった私は肩身が狭い。北海道でちょっと勉強のできる子がみんな憧れて、とりあえず目指そうとするのが北海道大学、通称北大だが、私は目指すことすらできなかった。代わりに、全国区ではそれなりに名が知られた東京の大学には合格し、卒業もしたのだが、「私は北大に行けなかった」という事実は、今でも心の中にしこりのように残っている。

 父と同じく北大を出た兄は、一体どれほどの期間社会人としてまともに過ごせていたのかは定かではないが、今やどこに出しても恥ずかしい引きこもりだ。それを思えば、別に「北大を出たから偉い」などということはない、と自分に言い聞かせて溜飲を下げなければならない程度には、私の学歴コンプレックスは根深い。だからこそ兄の現状を、私はきっと少なからず「ざまぁみろ」と思っているのだ。


 重ね重ね、私は冷たい。





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