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 そうして15分ほど市電に揺られた後、宝来町の停留所で降りた。ここから護国神社坂を5分ほど登ると実家があるのだ。この坂は幅広で、坂の上の方には護国神社の赤い鳥居や、函館山が見える。なかなか眺めのよい坂ではあるのだが、函館山への玄関口にもなっている坂だけあって勾配がなかなかきつくて、この歳になって、しかも運動不足の身で上るのは少しつらい。子供の頃は、登下校のために毎日のように上り下りしたものだが。だから私は、少し前かがみになって早足で坂道を歩いた。


 実家の玄関の前に立ち、予告しておいたのだからどうせ玄関の鍵は開いているのだろうと予想は付いていたが、それでもいきなり開けるのは躊躇われて、一応チャイムを鳴らした後、引き戸を開けて玄関に入った。

 無言で出てきた父は、すっかり髪が白くなり、また一段と老け込んだように見える。私が産まれた頃、父はもう40歳近かったというから、もうとっくに70歳を過ぎている。今のところ、病気をしたといった話は聞かないが、いつか看護や介護のために呼び戻される覚悟は、多少なりともしておかなくてはならないのかもしれない。なんせ、兄は全く頼りにならないのだから。



 「これ、お土産。私の地元のじゃないけど」と、新幹線に乗る前に適当に買った東京銘菓を渡した。

 「お前はどこに住んでるんだったかな。あぁ、千葉か」

 「うん。何年か前に赤潮でものすごい臭くなった。さっきの駅前、その時と同じような臭いがしたよ。ちょっとびっくりした」

 先ほどもした話を蒸し返すと、父は「そんなに臭うかなぁ」と訝しげにした。「俺にはよくわからん」

 「お父さん、駅前まではよく行くの?」

 「あぁ。棒二ぼうにの本屋とかな」

 父は昔から本が好きだった。軽いものから専門書まで、面白そうだと思ったものはとりあえずなんでも手に取り、買ってくる性分らしく、明らかに畑違いの植物学や医学に関する本も、父が買ってくるものの中には含まれていたものだった。

歳を取った今でも、何かと書店を覗きに行くのだろう。ガラケーすら持たない父は当然、パソコンも持っていない。だからネット通販とも無縁で、本を買いたければ実店舗に行くしかないのだ。

 本や書店のことは、少なくとも、「駅前がやたらと磯臭いんだけど」といった話よりは。共通の話題としてよさそうに思われたので、話を続けることにした。

 「あそこの本屋さんって品揃えとかどうなの。あ、明日にでもちょっと覗きに行ってみようかな」

尋ねると父は顔をしかめた。「あんまりよくないぞ。もうあそこくらいしか大きな本屋がねぇからしょうがねぇんだ。千葉はやっぱり大きな本屋が多いのか?」

 「うん、まぁね」

 短く答えた。父も、そうか、と短く答えて、そこで会話は途切れた。


 実家を離れて20年近くも経ってしまうと、やはり会話をスムーズに続けるのが難しい、と感じる。世代も住む場所も何もかも違う、「親子」というだけの共通項しかない間柄では、まず、会話の糸口を見付けるのも一苦労だし、やっと始められた会話も、こうしてすぐに途切れて2人して黙ってしまう。父も私もとりたてて話好きな方ではないから、尚更だった。気詰まりなことこの上ない。

 そういえば子供の頃から、テレビアニメで見るような家族団欒だんらんとは無縁の家だった。ああして何が面白いのかよくわからない話をしながらお茶を飲んで、何を面白いのかよくわからないところで笑うというのは、理解しがたい描写だ。「家族団欒がない」というのは私の家が特殊だったからなのか、それとも、テレビアニメの家族団欒の方が作りごとで、あんなふうな会話がある家は現実には存在しないのか。友人付き合いもいまいち希薄で、「余所の家」というものを知らないから、私には判断が難しい。「ウチにはああいうのないな」とは思っていたが、寂しい、でも羨ましい、でもなく、ただ、そういうものなのだろう、と思っていた。


 絵空事めいた家族団欒がなかったのは別に構わないが、私が子供の頃から、この家の中にはなんとも陰気な雰囲気が漂っていて、ひどく居心地が悪かった。今だって、この家は陰気な上に余所余所しくて、実家のはずなのに一向に、帰ってきた気がしない。私は、この感じが嫌だから、帰省しても実家には泊まらないし長居もしないと決めている。



 この町もこの家も、私にとっては居心地が悪いのだ。昔も、今も、多分、これからも。






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