第二楽章

「聞いたことないなあ」


 金城は頭を掻きながら、そう答える。


「音楽室の怖い話って言ったってなあ。そりゃあ、どこにでもありそうなオカルト話なら噂として残ってるだろうけど。音楽家の肖像画が喋ったとか、夜中に楽器が勝手に鳴り出したとか。でも、今の音楽室じゃあな……」


 北校舎三階の音楽室には、一年ほど前に改修工事の手が加わっていた。


 古臭い部屋の内装は一新され、四方に巨大なスピーカーが備え付けられた、幾分スタイリッシュな部屋へと変貌を遂げていた。その代わり、肖像画だの無造作に置かれた楽器だのは、工事の過程の中でさっぱりと失われてしまっていた。


「ゴシップ好きのお前が知らないんじゃ、分からんだろうな」


 修一はふうと長く息を吐いた。


 南沢優が自分に話したのは、馬鹿馬鹿しい噂話だ――そのこと自体には修一は何の疑いも持っていなかった。けれど、彼女の話した話が脳裏に突き刺さって、もやもやとした気分にさせ続けているのも確かだった。


 南沢優と出会った翌日、修一は昨日の出来事を金城に話した。金城はこの手の馬鹿馬鹿しい話も馬鹿にせず聞いてくれる寛容な男なのだ。しかし、学校一の情報通として名を馳せている彼でさえ、優の語ったお話は初めて聞いたようだった。


「うーん。もしかしたら、部室のノートになら書いてあるかもしれない。あそこには、新聞部員が代々継承してきた、この学校のネタが収められている」


「いや、別にそんなに本気になって聞いているわけじゃないんだけど」


「いやいやいや。こういうことにこそ本気にならないとイカンよ、若者は。それに、自分の知らないネタがあるなんて、新聞部としては多少癪なわけだね」


 金城は少し興奮気味にそう言うと、放課後に修一を新聞部の部室に連れていくことを約束した。修一は彼に話を振ったことに若干の後悔を覚えながらも、頷いた。金城の物好きな性格と探求心の強さは、他のクラスの生徒にも知られている程度には強烈だった。そして、噂話が好きな高校生たちからは彼の存在は強く歓迎されていた。


 五限目のチャイムが鳴ると、隣のクラスから金城がすっ飛んできて、修一の手を引っ張った。そして、謎の資料で棚という棚が埋め尽くされた資料室兼新聞部の部室へと招き入れた。


 金城は棚の奥から古いノートを数冊引っ張ってくると、ノートに刻まれた文字をいつになく真剣に眺め始めた。紙の色からして、随分古いノートだと修一は推測した。青色の表紙には「恐怖系!」と大きく黒マジックで書かれている。


 金城は無言で淡々と、まるで修一の存在を忘れてしまったかのように作業を続けた。けれど傍目に見ていても、その作業は芳しい成果を上げていないのは確かだった。ページを捲るたびに、金城の眉が段々と歪んでいくのが修一には見えた。そして、彼が勝手にやっていることとはいえ、変な話を振ったせいで友人の手を煩わせていることに一抹の罪悪感を覚え始めた。


「何を探しているの? 面白い顔をして」


 と、一人の女子生徒が部室に入ってきて金城に声を掛けた。


「おや、須波先輩。こんにちは。実はね、こいつが音楽室にまつわる恐ろしい話ってのに興味があるらしくて……」


 金城は修一の方を指さしてそう言った。確かに自分が切っ掛けであるのは事実だったのだけれども、修一は何だか少しだけ気恥ずかしくなって、僅かに頬を赤くした。


「……誰から聞いたの、その話」


 ところが、須波先輩の反応は意外なものだった。笑うでもなく嘲るでもなく、妙に真剣な表情で金城の方を見ている。


「え、何か僕、変なことでも言いましたか?」


 金城は目をぱちぱちさせて尋ね返す。須波はツカツカと歩いてきて、金城がノートを広げている長机の前で仁王立ちの恰好を取った。


「逆に聞きたいんだけど。……どこからあの話を? 音楽室の怪談の話でしょう? 最近文芸部で見つかったっていう」


「……詳しく聞かせてもらえませんか?」


修一がそう尋ねると、須波はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、何やら画面を操作し始めた。


「……なんでも、文芸部の部室を大掃除していたら、古い文集みたいなものが見つかったんだって。大抵のページは白紙だったんだけど、一頁だけ恐ろしい詩のような文章が書かれていたって……」


 須波はわざとらしい抑揚をつけて喋りながら、スマートフォンで撮影した一枚の写真を二人に見せた。そこにはベージュ色をした見開きのページに、大きな赤い文字が刻まれていた。


   最後の音楽


 六月の終わり。


 それは夏の終わり。


 放課後の音楽室には、彼女の影。


 最後の音楽を終えた彼女を、真っ白な手が連れ去っていくだろう。


 どこに行ったのかは、誰も知らない。


 大人たちはきっと嘘を言うだろう。


 彼女は遠くに引っ越したのだと。


「気取ったポエムにしか見えない」


 画面を一頻り眺め終えた金城は、ふん、と鼻息を鳴らして言った。


「これが、噂話? 誰かが書いた時代遅れの悪戯じゃないの」


「別に、私だって真に受けてるわけじゃないけど」


須波は手をひらひらさせながら苦笑する。


「でも、あの子はちょっと……」


「あの子?」


 金城と修一は、ほぼ同時に声を上げた。須波は壁に寄りかかって腕を組み、渋い表情を浮かべた。


「ええ。南沢優ちゃん。彼女も文芸部のメンバーなんだけどね……」


 その名前は知っている――確かに、あの音楽室の彼女が名乗った名前だ。修一は須波の方にズイっと顔を寄せて、


「南沢優さんが、何か?」


と食い気味に尋ねる。須波は若干目を伏せながら、言葉を続ける。


「文芸部の中であの子だけ……なんというか、妙に影響されているらしくって。その文章を読んで以来、取り付かれたように音楽室に執心しているらしいの。ちょっと変だから、來未から相談交じりに話を聞いたんだけど」


 なるほど、と修一は心の中で手を打った。


「その南沢さんという人と音楽室で会ったんです。まあ、偶然だったんですが。それで、その時に噂話のことを聞いたんです。一人でピアノを弾いていると、どこかに連れていかれてしまうとかなんとか」


「……その噂話を知っててピアノを弾いているってことは」


金城も腕を組んで、首を傾げる。


「それじゃあ、なにか。その南沢って人は、この噂の真偽を確かめようとしてるってわけなのかな」


「そうかも」


 須波は呆れたように息を吐き、そう言った。確かに、そんなことを言っていた気がする。もしその話が本当なら、是非とも体験してみたい――修一の頭の中に、南沢優の甘ったるい声が再び反響を始めた。


「ょっと面白そうじゃないか」


 金城はふいっと立ち上がり、修一の方を見た。彼の瞳には、明らかに好奇の輝きがチラついている。


「六月の終わりといえば、丁度明日じゃないか。明日の放課後、何かが起こるのかも」


「何かって?」


「……消えてしまうんじゃないか? どこかに連れていかれて……」


 下らない、と修一は思った。けれども自分の考えとは別に、背筋に冷たい感覚が走ったのも事実だった。

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