動機ってなんだろう?

茶の間で、ぼくと園原さんは液晶越しの世界を見ていた。

和室に不釣り合いな薄型テレビの前で、ぼくらは隣り合わせに座っている。

祖父は仕事で家を空けており、祖母はお昼の買い物から帰ってこない。

リモコンを操作して何度かチャンネルを切り替えてニュース番組をつけると、「中三女子生徒による殺人事件」というテーマでコメンテーターが園原創の事件について語っていた。

なんとなく音量を小さめにして、ぼくは画面を見つめる。

アナウンサーが原稿を読み上げた。ニュースの続報だ。


新たに判明したことは、二つあった。

一つは、亡くなった被害者男性は泥酔状態の時にバッドで殴られたということ。

もう一つは、被害者男性は重要参考人として行方を追っている中学生の親族だということ。

園原さんは曲げた膝と裏腿をぺたんと畳につけて、いわゆるアヒル座りをしている。

だらんと垂らされるほっそりした腕が滅多打ちにする為に使われたことなど、忘れてしまいそうだ。

至って気安く、ぼくは彼女に話しかけてみる。

「親族って、園原さんのお兄ちゃんとか?」

「ちがうよ。母方の従兄弟なの」

「前から計画してたの?」


「ううん。……でも、ずっと、殺したいとは思ってた。ずっとずっとずっとずっと、ずぅーーと、アレが死んでしまえば良いって、ずっと考えてた」

園原さんは真っ直ぐに画面を見て、決して目を逸らさない。

彼女の悧巧そうに引き締まった横顔はどこまでも凪いでいる。

「あのさ、園原さんは」

「わたしが殺した理由、話すね。わたしね、ずっと割れ物なの、ひび割れた食器。五年前にアレがキュウリを膣に突っ込んだ。わたしは人間じゃない。死んだ方が良い。隠し通さなきゃいけないって思った。お母さんもお父さんも、本当は男の子が良かったんだって、わたしは知ってたから。娘じゃなくて、息子が良かったの。ずっとね。でもさ、アレが結婚するって聞いて、わたしの前に現れたから、ダメだった。どうしても耐えられなかったの。わたしにあんな恐ろしいことをしたのに、ねえ、だって。わたしはずっと、あの日から、ずっと死んでしまいたかったんだよ」


捲し立てるように話す彼女は、涙なんて一滴も零れてないのに泣いてるみたいだった。

悲痛に満ちた声。

このとき、ぼくはこの世に神様なんていないんじゃないかと思った。

たしかに、殺人は悪いことだ。

人殺しは絶対悪で、罰されるべき大罪である。

神様でもないのに他人の命を弄ぶなんて許されない。当たり前のことだ。

でも、なら、強姦だって犯罪だ。

殺人を犯した彼女は罪を償わされる。

しかし、一人の少女の人生を滅茶苦茶にした加害者は罰されなかった。

彼女に一生消えない傷をつけたくせに、男は素知らぬ顔ですべてを無かったことにしようとしたのだ。


そんなの、あんまりじゃないか。

男は自分だけが幸せになろうとした。

彼女を不幸のどん底に突き落としたくせに、自分は幸福を享受しようとしたのだ。

それを許せないことは、罪なのだろうか。

「わたしは、本当に神戸さんが好きだよ。今まで出会った人達の中で、一番のヒーローなんだ」

「そう、かな……そうでもないよ。ぼくは園原さんに嘘を吐いた。ぼくの親は、交通事故で死んでない。自殺なんだ。園原さんに声をかけた理由もそれなんだよ。ぼくのお母さんが帰って来なくなった日と同じ目をしていた。だから、引き止めた」


目線の先に、女性タレントの笑顔が映り込む。

いつの間にかニュースの話題は移り変わっていた。

園原さんは顎を傾けて、チラリとぼくを見返す。

黒目がちの瞳は、誰もいない部屋の冬の空に向かって開いた窓のようだ。

なんとなくテレビを消して、それからしばらくぼくらは取るに足らない話をした。

内容は主に好きなアニメの話だったけど、話題なんてなんでも良かったのだ。

きっと、彼女はずっと誰かに自分の話を聞いて欲しかったのだろう。


園原さんはぼくの肩に寄りかかって、コテりと頭を乗せる。

「神戸さん、わたしの髪切ってくれない?」

「なんて?」

え、今のそういう流れ?

思わず素で聞き返してしまう。

園原さんは腰を覆う長髪に指先をさし込み、手櫛で整える。

無感動な瞳で、さらりと揺れる髪を梳かしていた。

「気持ちを切り替えるなら、見た目から入るのが良いかなって。願掛けだよ」

「ぼく、他人の髪なんて切ったことないぜ」

「変になっても良いよ。神戸さんに切ってもらうことに意味があるの」

「どれくらい切るの?」


園原さんは鎖骨あたりに垂直の手をトントン当てて、上目遣いでぼくを見る。

長い睫毛が、白磁の頬に薄青い影を咲かせていた。

「これくらい?」

「めっちゃバッサリいくな!?どうなっても責任は取れないが……」

「いいよ。切って」

園原さんは甘えるように笑みを浮かべる。

美少女の願いは四の五の言わずに叶える、これ常識。

しかし、お豆腐屋さんを営んでいるだけの一般家庭にカットクロスや散髪用ハサミなんて本格的な道具は存在しない。


古い新聞紙と赤い櫛とレモン色の工作用ハサミを用意して、園原さんの背後に座り込む。

灰色の新聞紙を広げて、畳の上に敷いた。

園原さんの髪を櫛で何度も撫で付けて、真っ直ぐに梳かしてから、左手の人差し指と中指で挟み込む。

茶色混じりの黒髪は、馬の尻尾みたいだった。

右手に持ったハサミを空でチャキチャキ鳴らして、快適な動作を確認する。

そして、園原さんの堂々とした背中を見て、少しだけ怖気そうになった。

「本当に、良いのか?」

「うん。お願いします」

「……おっけー」


髪を切るという行為には信頼関係が不可欠だ。

少なくともぼくはそう考えている。

信頼は個人の人格じゃなく、技術でも良い。

だから、床屋や美容院というものが商売として成立する。

誰でも出来ることじゃないから、金銭を発生させることが可能なのだ。

信用や信頼を得る為には努力が必要で、努力とはすなわち過程だと思う。

ぼくがハサミを往復させる度に、髪の毛がパラパラと新聞紙の上に落ちていく。


彼女の過去を、ぼくが切り落としてあげられたら良かったのに。

要らない部分だけ切り離して、ゴミ箱に捨てられたら良かった。

もう遅いんだけど。全部が終わってしまった後だって、分かってるけど。

ぼくは無力で何も出来ない、それでもさ。

髪の毛が付着した後ろ姿は、どこにでもいる普通の女の子だったよ。

「わたしね。明日、自首しようと思うんだ」

朝の挨拶をするように芯の通った声。

お母さんの面影は、もう見えなかった。

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