思い出ってなんだろう?

ぼくらは午前四時に玄関の前にいた。

前日と同じように雲ひとつない上天気だ。

まるで昨日の続きみたいだな、と少し考えてちいさく笑う。

ぼくは見慣れたセーラー服姿でローファーを履き、トントンと踵を鳴らす。

園原さんには、ぼくの私服とスニーカーを貸すことにした。

別に返す必要は無いと言ったけど、園原さんは洗って返すつもりらしい。

律儀な彼女らしいな、と思う。

某夢の国の使者がプリントされたTシャツ、黒いジャンパーと紺のジーパンの園原さんは、肩につくくらいの長さになった髪の毛を指先にくるくる巻きつけていた。


「それにしてもサッパリしたなぁ。ロングも良かったけど、ショートも可愛いね」

「頭が軽くなった気がするー。小学生の頃からずっと伸ばしてたから、ちょっぴり変な感じ。なんだかドキドキしちゃうな」

「くぅー!堪んねえな!きみの笑顔は百億ボルトだよ!」

「へ?きみ死ね?」

「なんでもないよ!変なこと言ってごめんな!……ぼくってば、なんでキレてんだろ。童貞かよ……童貞だったわ。一旦落ち着こう」

「わたしは、神戸さんが初心でも気にしないよ。むしろ、すごくかわいいと思う」

軟派野郎のような台詞と共に向けられる純度100パーセントの微笑。

園原さんのはにかみ顔が太陽より眩しくてムスカ大佐になりそう。目がっ!目がぁぁぁ!


「愛花、お出かけするの?」

「うわっ!」

脳内で一人問答を繰り広げていたら、いつの間にか背後にいた祖母の存在に、驚いて声を上げた。

祖母は微かにニコッと微笑んで、腰のポケットに手を突っこみ、赤い財布を取り出す。

その少し剥げたがまぐちの口を開け、折りたたんだ紙幣を抜き取ると、血管の浮いたしわだらけの手を突き出した。

「二人で思い出を作ってらっしゃい。素敵な思い出があれば、どんなにしんどくても人間は生きていけるんだよ」

「やったぜ。さんきゅー!こんにちは諭吉さん!ひゅーう!」


「愛花」

「はいすいません。お金ありがとうございます。お釣りは?」

「いいわよぉ、そんなの。美味しい物でも食べて来なさいな」

「あいあいさー。朝ごはんだってまだだもんな、何食べよっかな!」

ぼくと祖母の会話の途中あたりで園原さんは、ほっと身体の力を抜いたように見えた。

安心したのか、がっかりしたのか、わからなかったが、とりあえずぼくらはもう少し長く一緒にいることになったようだ。

最寄り駅までの道のりは普段ならバスを使う。

一時は家から駅まで徒歩で行こうと試みたことがあるのだが、これは四十分近くかかった。


しかし、始発電車が動きはじめる時刻までは、まだしばらくある。

玄関を出て、歩きながら考えてみた。

一番近い映画館は最寄り駅から、二駅分離れている。

制服姿でも同級生に見つかることはないだろう。きっと、多分。

授業をさぼって、女の子と二人きりでいるなんて、普段のぼくからは考えられない。

嘘、ちょっと考えられる。

ぼくは午前の授業中に爆睡したことも、テストの白紙提出をしたこともある生徒なのだ。

品行方正の具現からは程遠い。

一日くらい学校をズル休みしても、おそらく、どうってことはない。


「どうしよっか。劇場版MURDERPLANETを見に行くのは決定事項だけど……朝はファストフードで良いとして、お昼に食べたい物ある?というか、始発まで暇だよな。なにする?公園でも行く?」

「……どうして公園?ブランコに二人乗りでもするの?」

「ぼくって鉄棒も強いぜ!」

ぐっと右手の親指を立てながら、溌剌とした声で答える。

だが、園原さんはほんの少しだけ、訝しげな表情になっていた。

「勝ち負けあったの?」

若い新緑の木々が包囲する子供達の遊園地区。小さな公園の景観を崩さないようにひっそり佇む三つの遊具。ブランコ、ジャングルジム、鉄棒。


自然と人工物の混じり合う箱庭。

今になってみると、随分と質素かもしれない。

ぼくの身長が今の半分くらいの頃は、公園の真ん中に大きな滑り台があったが、ある日を境に使用禁止の張り紙が貼られて、いつの間やら撤去されていたのだ。

園原さんは鉄棒の横のブランコに腰を下ろすと、膝に肘をついて真剣な目つきでぼくを眺めていた。

ぼくはスクールバッグを地面に置いて、鉄棒を両の手でしっかり掴むと、身体を折り曲げずに鉄棒を中心として大きく円を描くように回転する。

もしかすると、ぼくは世界一鉄棒の才能があるかなとすら思う。自画自賛。

「すごーい、上手だね」

「へっへっへっ」

小さく拍手をする園原さんは、読心術の使い手かもしれない。


ぼくの作画が昭和のアニメなら、鼻の下がでろーっと二倍くらいに伸びていただろう。危ない危ない。

「園原さんは逆上がり苦手?」

「うーん……どうだろう?苦手になるのかな。ちょっとだけ」

「それじゃあ、仕方ねえな。ブランコ後ろから押してあげようか?」

「あれっ、二人乗りはしないの?」

園原さんは心底驚いた様に何度も瞳を瞬かせた。

睫毛から光る粒子が出そうな美しさである。

「えっ、やっちゃう?マジで?天使という名の園原さんならまだしも、ぼくみたいなティラノが乗ったらブランコが壊れちゃうんじゃねーかな……そもそも足場の面積が足りない」


「神戸さん痩せてるし軽いから平気じゃない?」

「ブーメランだぞ。その言葉をそっくりそのまま返すぜ。ぼくは園原さんの五倍は重いよ」

「神戸さんはわたしの次にかわいいけど」

「く、口説くのやめて?謎理論だし、心臓に悪いから、ドキドキしちゃう。ぼくが恋しちゃう」

「恋してよ。一方通行はずるい……」

「やぁー!ブランコ乗ろう!隣だから実質二人乗りみたいなもん!ぼくがアルプス!ハイジになってやらー!」

鉄棒から両手を離して、ブランコに飛びつく。

きい、きい、と金属の擦れ合う規則正しい音。

足を伸ばして地面を蹴ると錆びた鉄のブランコが揺れて、ひんやりした風が頬を撫でた。


気を紛らわす為に首を伸ばして見上げた空は、さっきより青が濃くなっている。

段々と辺りから雀の声も騒がしくなった。

公園の入口に目を向けると、丁度ランニング中の見知らぬおじいさんが横切る。

ぼくは通り過ぎる姿を追いかけるように、視線を水平に流した。

園原さんの白い横顔をじっと見つめる。

滑らかな頬が、光を受けて一層白く見えた。

思い返してみると、早朝の時間を家族以外と過ごすのは初めてかもしれない。

連休前は話したことすら無かった彼女が、こんなにも近くにいる。

どうぞ幸福になってください、無責任にそんなことを考えた。

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