墜下(3)

 今日は厚い雲が空を覆っていて、まだ日中だというのに薄暗い。ただでさえ灰色がかっている路地裏は更に暗い。そんなこの場所で白鞘の長剣は目立ち、怪しく浮き上がっている。その長剣の柄に手を触れている短髪の青年……ユリウスさんは普段どおりの無機質な表情で立ち尽くす。


「『路地裏の嗜虐者』。お前だったら嫌だと、思っていたんだがな」


 俺は返事をせず。押し黙る。すると背後で足音。首だけ振り向いて確認すると、さっき俺が倒した三人組が不確かな足取りでよろよろと逃げ出し始めていた。彼らを追うことを考えたが、武器に手を触れているユリウスさんに背中を見せる愚はありえない。

 まだ彼らから『敗者の目』を集められてはいないが、逃がすしかない。


「……邪魔、してくれたな」


 俺もユリウスさんに倣って左手を小刀の柄に置く。すぐに対処できるように、だ。

 対するユリウスさんは左手を腹の前に持ってくると、その手のひらに視線を落とした。


「義勇軍がハリアに戻った頃から、路地裏で無茶苦茶に暴れまわっている人間が現れたと聞いた。おかげで路地裏の治安は悪くなっているみたいだ」


「元から悪かったさ。その誰かとやらが暴れる前から、俺は何もしてないのにこの路地裏で追い剥ぎにあった」


「そうだな。そうかも知れない。……表で生きてきた俺はあまり、ハリアの裏のことに詳しくはない。それでも、裏の人間の一部が耐えかねて表に逃げ込んでくるくらいには、より悪くなったんだろう」


 ユリウスさんは左手を握って拳を作り、俺に向けて視線を上げた。


「輝。お前は何をやっているんだ。いい加減に、こんなことは止めろ」


「嫌だ」


 俺は即答する。

 どうやらこの路地裏は、俺にとって、そう悪い場所ではないらしい。『敗者の目』を集めることで、俺の中に欠けている感覚を……優越感を着実に身につけることが出来ている。

 路地裏で最初に追い剥ぎの男を痛めつけて、優越感を得てから分かった。俺の人生に――この世界に来る前も含めて――ずっと存在しなかったこの感覚は、それでいて、ずっと欲しかった感覚なのだと。必要なんだ。大切なんだ。今更、手放すことなんて出来はしない。

 逃げようか。しかし、それは俺が集めた『敗者の目』の否定だ。俺はここで、例え自分らしくあるわけではないとしても、優越感のために戦う。負けを恐れて逃げてしまえばまた敗者に逆戻りだ。

 それに、俺はこの路地裏で強くなった。魔法も無しで三人の人間を相手に戦うことができるようにもなった。そこに加えてグングニルという武器もある。確かにユリウスさんは強いが、全く敵わないとは思えない。……やはり、逃げるという選択肢はない。

 あの『ユリウスさん』を倒す。それができれば、手に入れられる『敗者の目』の価値は今までよりも遥かに大きなものに違いない。そうと決まれば……。

 俺は小刀の柄から左手を離す。そして、屈んで路地裏の地面に触れる。


「俺はこの場所で戦って、色んなことが分かったんだ」


「……分かった? 何が分かったって言うんだ」


 俺が小刀から手を離したからなのか、ユリウスさんの右手も剣から離れている。それを一瞥し、俺は地面に落ちている小石を掴んで立ち上がる。そして、ユリウスさんに向かって鋭く投げてから走り出す。


「それを今から教えてやるよ!」


「いきなりか……」


 ユリウスさんは首をかしげて俺が投げた石を避けると、素早く剣を抜く。


「ちょうど良い。いつかお前とは、試合をしようと約束していたな。今が、その時だ」


 薄暗い路地裏で輝く白刃。しかし、俺はその切っ先に目を奪われてしまわないように、あくまでもユリウスさんの腕や身体に注意を向ける。

 彼の近くまで駆け寄ると、俺はグングニルの柄の端の方を持ち、槍の間合いで突きを放つ。ユリウスさんは軽く避けて踏み出そうとしてくるが、俺は武器をすぐに引いてその踏み足を払うように槍で薙ぐ。


「おっと……」


 ユリウスさんは素早く脚を引いて避けた。しかし、踏み込まれてはいないので間合いはまだ槍のものだ。剣の届く距離ではない。


「やりにくいだろ。剣では槍の間合いを詰められない。これもこの路地裏で戦ってきて、分かったことだ」


「詰められない、か」


 ユリウスさんはまだ無機質な表情。余裕があるように見える。これでは『敗者の目』に程遠い。もっと仕掛けていくべきか。

 俺はグングニルで突きを撃つ。ユリウスさんは変わらず体捌きで避けていたが、何度も放つ突きをかわした後、その長剣で槍を横から受け止めた。そして、グングニルの柄に這わせるようにして剣で押さえつけながら一気に距離を詰めてくる。


「……かかった」


 俺は後ろに下がるのではなく、むしろユリウスさんに向かっていく。そして、左手で小刀を抜き放つと同時に肩口へ向けて突き出した。


「く……」


 ユリウスさんは驚異的な瞬発力で後ろ飛びに跳ねる。だが、手応えがないわけではない。彼の右肩上部を軽く突くことは出来た。傷口からは滲むように赤い血が流れ出す。

 残念ながら深い傷はつけられなかった。精々が薄皮程度だろう。それでも……。


「通った」


 俺の攻撃は、しっかりユリウスさんに届いている。やはり彼は無敵ではないんだ。彼もまた、ただの人間でしかない。

 ユリウスさんは傷口を気にもせずに、剣を構えて俺を見据えた。


「そうだったな。お前は小刀も使うんだ」


「教えてもらったので」


 俺は右手にグングニル、左手に小刀を持ち、変則二刀流として構え直す。最初にこの変速二刀流をしたのもハリアだった。あれから色々なことがあって、ヒュルーに向かうまで訓練も繰り返した。

 そうして積み上げてきた基礎や経験が、再び訪れたこのハリアの路地裏で実を結んだ。妙な因果のようなものを感じつつ、それでもこれもまた運命なのだと思う。


 勝てる。俺は勝つ。俺は優れているんだ。優れている俺は、正しいんだ。


「他にも分かったことがあるんだ」


 俺はグングニルの切っ先をゆらゆらと揺らしながら、初めて笑みをこぼした。


「目立つ武器は相手の目を奪う。この武器に気を取られた人間には、小刀が見えないんだよ! ……その白い長剣も、同じなんだろ! 目立つ長剣で気を惹いて、肝心の腕や身体の動きから注意をそらしているんだ! 強さには理由がある! それが分かったからには、俺は負けない!」


 今や俺は、負け続ける人間じゃない。ちゃんと勝つことができる人間だ! 正しさを証明できる人間だ!

 だけど、俺が説明してあげたというのにユリウスさんは何も動じない。それどころか、無機質な表情で小さなため息をつく始末だ。


「御高説はお終いか? お前は暴走している。止まり方がわからなくなっているんだ」


 彼は目を細め、左手の手のひらを上に向けて、人差し指を二回折り曲げて『来い』と示す。


「目を覚ますきっかけは俺が作る。まだ、持ってるんだろう? 全力で来てみろ」


 侮蔑だ。ユリウスさんは俺が見つけた答えを否定している。それを受け入れられるほど、俺は今心が広くない。


「暴走している……? 違う! 俺は……。俺は間違っていないことを、俺が悪くないことを示すために……! 良いよ! 全力で行ってやる!」


 俺はグングニルで再度突きを放ちながら前へと踏み出す。ユリウスさんは半身になってそれを避ける。俺は踏み出した勢いのまま小刀で斬りつける。もちろんそれも避けられるが、俺は小刀で攻撃するのと同時にグングニルの柄を手の中で滑らせて短く持ち替え、剣のようにして三撃目を打ち付ける。


「はあっ!」


 ユリウスさんは無言で長剣を構えて受け止める。まだ、だ。まだ俺は止まらない。


「この……!」


 ユリウスさんの剣をグングニルで押さえつけながら上体と腰を回すように動かして、右足に力を伝え、鋭く回し蹴りを撃つ。確かな手応え。


「どうだ……。……!」


 俺の蹴り足を見ると、捉えたのはユリウスさんの胴体ではなく、ユリウスさんがガードとして上げた左腕だった。


「どうした? こんなもんか?」


 彼の持つ長剣が動く。力が強い。片手では抑えきれない。俺は即座に脚を戻し、グングニルを引いて後ろへ下がる。

 追いかけるようにしてユリウスさんの反撃。俺は軌道を見切ると、小刀で受けて、力の向きを逸らすようにして流す。直後にグングニルで薙ぎ払い。しかし、ユリウスさんは飛び退いてしまい、距離ができる。


「うおおお!」


 俺は姿勢を低くして、槍を前方に構えて駆け出した。今まで何度も使ってきた突進攻撃だ。走り出すと視界が狭くなり、槍の穂先とユリウスさんのみに集中していく。


「良い圧力だ」


 未だ余裕綽々のユリウスさんは、意趣返しのように長剣の峰で槍を受けると、俺の突進の力の向きに逆らわないように受け流してくる。勢い余ってすれ違った俺は脚で地面を踏みしめて振り返る。その勢いを使って小刀で薙ぎ払い。


「まだだ!」


 だが、それも受け止められてしまう。


「くそ……!」


 追い打ちとしてのグングニルが出そうになり、しかし俺は留める。ユリウスさんは二手三手打ち込んでも平気で対処してくる。だとすれば、同じことをしても駄目だ。

 俺は爪先を地面に引っ掛けて、砂をユリウスさんの顔めがけて巻き上げた。

 目に入って視界が奪えればそれで良し。例えそれが叶わないとしても、砂が目に入るのを避けるために目は閉じるはず――。


「……ぐ」


 ――ユリウスさんは眉間に皺を寄せて目を閉じている。ここだ! ここで決める!


「喰らえ!」


 俺は右手のグングニルを思い切り突き出す。しかし手応えは無く、逆に、槍を突き出した俺の右手首に感触。

 右手首を、掴まれた……!


「これで、全力は終わりか?」


 舞った砂が落ち、ユリウスさんが目を開く。変わらない無機質な表情と、剣のごとく鋭い視線。

 俺は「離せ!」と叫び、振り払った。ユリウスさんはあっけなく手を離し、それから俺が打ち付けていた小刀を弾いてゆっくりと正眼に構える。


「く……」


 尻込みしてしまう。ただ構えているだけなのに呼吸が浅くなってしまいそうな重たい圧力。これを剣気とでもいうのだろうか。


「終わりなら、こちらも行くぞ」


 彼の剣は正眼から上段へ。軌道は見える。俺はグングニルを剣のように持って、横向きに構えた。遅れて、予想通りの剣筋を通って白い長剣が打ち下ろされる。


「う……!」


 何とか受けた。しかし、あまりにも重たい一撃に右腕がしびれてしまう。嘘みたいな膂力だ。魔法で身体強化をしていたソラの一撃に匹敵するような、無茶苦茶な衝撃。

 ユリウスさんは振り下ろした剣の刃を返す。切り上げがくる!

 グングニルを横に構えたまま、左手の小刀の柄でグングニルの峰を抑え、上から潰すようにユリウスさんの切り上げを迎え撃つ。そして、衝撃。


「こ、の……!」


 両腕でも耐え難い衝撃。でも、辟易しているわけにはいかない。次が来る。

 ユリウスさんはすでに、切り上げた剣をまた返し、今度は横薙ぎの予備動作に入っていた。

 慌てて俺は槍を縦に構え直して受ける。ついに右腕は感覚が麻痺し、軽いはずのグングニルを取り落しそうになる。


「次だな」


 ユリウスさんの剣は止まらない。横薙ぎを終えて、今度は逆胴気味に突いてくるつもりだろう。


「くそが……!」


 俺が見切ったとおり。そのとおりの攻撃が来た。やっとの思いでそれを防いだ槍は、俺の意思とは関係なく、右腕から落ちる。もう、右腕に力が入らない。

 ……守っていたら勝てない……! 流れを変えないと……!

 俺はまだ無事な左手の小刀を振って牽制する。だがユリウスさんは紙一重でそれを避けると、また上段に剣を構えた。


「躱してみせろ」


 打ち下ろし、切り上げ、横薙ぎ、突き。先程と大差ない軌道。俺は必死にその軌道とタイミングを見切って、身体の動きだけで避けていく。しかし、疲労で脚は追いつかなくなっていき、徐々に剣閃が俺の近くへ迫っていく。


「ひっ、うあっ」


 一度剣を振るわれるたびに一センチずつ詰まっていく距離は、五度目の横薙ぎのときには、俺の首筋に届く軌跡を予想させた。


「うわあああああ!」


 俺の叫び声が路地裏に響く。覆しようのない死が迫る。

 ユリウスさんの振るう白い長剣は、彼の表情と同じく、無機質な煌めきを放っていた。

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