墜下(2)

 夜のハリアは、それでも活気づいていた。理由は深く考えなくてもわかる。義勇軍の凱旋だ。少なくともサターンの反乱以降、反乱軍はハリアを攻め立ててきてはいない。それだけでも街のものにとって、義勇軍の成果としては充分なのであろう。

 そこに加えて、義勇軍を編成する人間の素性もある。もともと存在していたハリア御三家の私兵団に加え、有志による義勇兵。その中には闘技大会の後も逗留していた戦士たちも含まれている。そんな屈強な兵が集まった義勇軍は、ハリアの中では英雄視されてもおかしくはない。

 だが、俺にとっては喜ばしいことだけではない。

 ゾニ曰く、俺にシュヘルの滅亡の原因を求めている人間も義勇軍に存在しているようだからだ。


「悪くないのに……どうして」


 震えが止まらない。今俺が進んでいるハリアの大通り。人通りも多く、中には兵士と思しき人間も多い。彼らの中に俺を悪意をもって狙う人間がいる。それだけで、充分以上の恐怖だ。

 人目が厭に気になる。いつかのミアも同じような気持ちだったのだろうか。……関係ない。俺はあいつらと、もう関係のない人間だ。


「くそ……!」


 大通りを往く人の群れ。すれ違う人の煩わしい声や視線が気になる。

 こんなところを歩いていられない。宿を探すべきか。街を出るべきか。……駄目だ。俺は今、何も持っていない。宿に泊まる金も、旅に出る準備を整える金もない。

 武器を売ろうか。そう思った瞬間に、ユリウスさんの言っていた言葉を思い出す。彼は腰の剣をメンテナンスに出していると話していた。戦時中の武器屋など、義勇兵やその関係者が集まる主要な場所の一つだ。

 ぐるぐるとまとまらない思考に耽っていると、衝撃。


「おっと」


 すれ違う若い男に肩をぶつけてしまった。ちらりと視線を向ける。相手は怒っている様子もなく「悪いな」と言った後、俺の背中に目をむける。


「槍……? ああ、もしかして。義勇兵か、あんた」


「違います!」


 俺はそう返してから、足早にその場を去った。

 そうだ。武器を持っていて、装備も汚れている。この情勢で旅をしていることも不自然だから旅人とも思われない。今の俺の格好は、兵士そのものだ。一刻の猶予もない。とりあえず、人の目につかない場所へ行こう。

 俺は脇道に目をやる。路地裏だ。ハリアの路地裏というと、サターン率いるダグラス家の縄張りであり、俺にとっても良い思い出のある場所ではない。だけど、背に腹は代えられない。


「どうして……こんな……俺は悪くないのに……」


 仕方なしに俺は脇道へと足を踏み入れていく。

 夜の路地裏は深い闇に包まれていた。昼間以上に明かりは乏しく、取ってつけたように時折焚かれている松明だけが光源。それですら、乱雑に置かれている木箱や麻袋、入り組んだ道によってところどころ途切れている。自分の身体すら溶け込んでいくような闇だ。

 乱雑に進んでいってから立ち止まり、俺は自らの手のひらを眺めた。おぼろげな輪郭。本当に闇に溶け込んでいるかのような……自分自身と闇との間に境目など無いような感覚を覚える。


「暗い」


 そう呟いたのだが声は出なかった。申し訳程度に空気が漏れ出る。

 この世界に来てから、今まで何度も自分の人生では味わえないような経験をしてきた。この暗闇の小路もその一つ。ミアを助けた時は、こういった場所に自分がいるのは場違いだ、と思っていたのに。


「進もう」


 あては、無いけれど。

 さらに細い道を分け入って行く。暗くなるほど、大通りの活気が遠くなるほど不思議な感覚を感じた。これは、……居心地の良さだ。

 理由は分かっている。暗い場所にいれば、闇の澱のようなものに紛れていれば、俺は深く考えないで済む。罪も、喪失も、鈍化していく。まるで他人事のように。

 自分が何処にいるかもわからなくなってきた頃、俺はゆっくりと地面に腰をおろした。

 座った拍子に服の内側に入っていた銀色のペンダントが表へ飛び出してくる。俺の平凡で陰鬱な意地の日々を奪っていった盗人だ。あの時、電車の中で老人に目をつけられなければ、この異常な世界に陥ることだってなかった。

 俺は『アクセサリー』を手に取り握りしめる。何処かからたどり着いた松明の僅かな光を受けて、安っぽい輝きを放っていた。


「おい」


 突然の声と共にわずかな光すらも遮られ、銀のペンダントは鈍色に曇る。


「何だ……?」


 言いながら見上げた先には鋭い目と巨駆を備えた男がいた。腰には剣。鞘には穴が空いている。こいつも兵士か。……いや、違うな。宴会帰りにしては酔っていないし、鎧兜の類を身に着けてもいない。どう考えても、元から路地裏にいるような手合いだ。


「高そうだな、そのペンダント。服も汚いが上等なものだ」


 ……ああ、そうか。闇の中にいるやつらが皆、俺と同じ様に考えてるわけがない。闇の中に居場所を求めるやつもいるだろうけど、闇から光に這い出ようとするやつだっているんだ。

 男は俺へ、ごつごつした大きな手を伸ばしてくる。


「さあ、身に付けてるもの全部寄越しな――」


 ――ぱしり、と。俺は反射的にその手を弾いていた。

 男の顔が醜く歪む。


「……どうやら、死にたいらしいな」


 彼は拳を振りかぶり、躊躇いも見せず打ちおろしてきた。俺は特に焦ることもなく、動きもしなかった。

 もういいや。どうにでもしてくれよ。


「あぐッ! ……は、はは」


 頬を衝撃が走り、じんと染み出すように痛みが広がる。せっかく暗闇に溶け出していた俺の身体の輪郭が、痛みによって再定義されていくのがわかる。痛みを感じるこの場所までは俺で、それより外側は、別。

 やっと、色々忘れられそうだったのに。それすらも叶わないだなんて、笑えてくる。


「何笑ってんだよ!」


 今度は鳩尾に相手の爪先が入り込んできた。吐き気が一瞬でこみあげてきて、俺は四つん這いで逃げ出そうと藻掻きながら、腹を抱えて路上に突っ伏せる。


「うげェ……」


 先程食べたばかりの肉や野菜が、酸い匂いとともに吐き出される。苦痛。恐怖。震え。

 周囲を見るが誰もいない。誰も助けてなどくれない。混濁した脳内で、不意に真理にたどり着く。

 そうだ。助けてくれる仲間など最初っから『いなかった』んだ。天見さんだの、一樹だの、エレックだの、ミアだの、都合のいい幻覚を見ていたに過ぎない。


「はは……」


 本当の仲間だったら、何も悪くない俺を見捨てる事なんて出来ないはずなんだから。

 全く、ずいぶん長い間滑稽な幻覚を見ていたようだ。良い笑い話だ。話す相手などいないけど。


「何だお前……。ケフェンでもやってんのか?」


 頭上から降ってくる言葉に憐みの色が混じる。見上げると、俺を見下ろす目。何度も見てきた見下ろす目。現実でも、異世界でも何処でだって見てきた、この、見下ろす目。


「嫌いだ……」


 その目が。


「大嫌いだ……」


 そんな目をされる自分の弱さが。そして。


「邪魔だ……!」


 そんな目をする、お前たちのような人間が。


「何ボソボソと言ってる……。さっさと持ってるものを寄越せ――」


「――うわあああ!」


 俺は相手の虚をついて奇声を上げ、立ち上がりながら前方へ走り出す。途中、口からは反吐を撒き、それでも走る。


「なッ! 逃がすか!」


 路地裏の突き当りまで来て、俺は背中のグングニルに手を伸ばしながら振り向いた。男は追ってきている。

 俺が武器を構えたのを見て、慌てて剣を抜く男。俺は立ち止まって、不安になるほどに軽いこの槍を握り、相手に向かって乱暴に振りぬいた。


「ぐっ、重……!」


 まるでプラスチックの棒を振り回すような速さでグングニルを振るう。男はボロ臭い剣を構えるが、俺の体感とは真逆に、とんでもない重量のある槍を叩き付けられて簡単に彼方へ飛んでいく。


「はは……。うう……うェ……」


 何処かで地面に転がった剣の金属音と、俺が吐瀉物を吐き捨てる水音がこだまする。

 俺は顔を上げて男を睨む。もう、彼は俺に対して『あの目』をしていない。

 上手くいった。俺の勝ちだ。全部武器のおかげだとしても生き残るのは俺だ。俺は強い。

 丸腰になって後ずさる屈強そうな男を槍で脅しながら壁際へと追い込む。やってみたいことがあるんだ。


「や、やめ……ぐうっ!」


 怯える相手へ思い切り蹴りを打ち込む。鳩尾だ。まだ俺の中でうまく言葉にできない気持ちがじわじわと湧いてくる。


「……ふふ」


「ぐあっ!」


 続けて顔面へ殴打。悲痛な叫びが耳に心地よい。グングニルは使わない。勝負はついた。ここから先は比べ合いじゃない。俺のためだけの時間だ。


「ははは」


 よほど顔への強打が効いたのか、男は両腕で顔を覆う。それなら狙う場所は『そっち』だ。


「たすっ、助けて……があっ!」


 もう一度鳩尾へ蹴りを入れた。どうだ。さっきの俺の気持ちが分かったか。男は腹を抱えて俺を見上げてくる。その目は恐怖に覆われていて、諦念すら感じられた。

 そうか。これは『敗者の目』。俺がずっとしてきた目。そして、それに相対する俺がしているのはきっと『強者の目』だ。相手を憐れみをもって見下す、あの目だ。

 笑みが止まらない。目の前で怯える男に対して愛着すら感じる。


「狂ってるぜ、お前……」


「お前だって、さっきまで狂ってたんだ! 実は皆、狂ってたんだよ!」



 夜が明けると俺は、場所を移動した。

 路地裏を無作為に進みながら、『あの目』を探し続ける。『あの目』をしている者が居れば、俺は容赦しない。打ち据えて、『敗者の目』に変わるまで殴る。その上で、食べ物を持っていれば略奪する。もう何日たったのだろう。そんな日々が続いた。

 今日も、そんな日々の一つだった。


「何なんだよ! テメェ! 急に武器抜いてきやがって! ちょっとからかっただけじゃねえか!」


 そんなことを叫んでいるのは黒いジャケットを着た男だった。見覚えがあるような気もしたが、どうでもいい。この男は俺が路地裏を歩いている時に、『退役軍人は哀れ』と言ってきたのだ。

 軍人でもないし、故に、退役というのも間違っている。だが、そこに関係はない。俺に対して『あの目』を向けたことが問題なのだ。


「そこらの雑魚と一緒にすんなよ……。俺は、裏の秩序を守る一員だ……!」


 黒ジャケットが腰の剣を抜いて構える。確かに彼の剣はよく研がれているようだったし、構えもしっかりしている。最初に戦った男とは質が違うようだ。それでも『あの目』をしていることに変わりはない。裏の秩序がどうだとかは知らないが、やはり、俺を見下している。


「てりゃあ!」


 一声とともに袈裟に斬りかかってくる。剣筋はきれいで、それ故に読める。今までの戦いで培ってきた『見切り』。相手が弱すぎるせいなのかはわからないが、どうやらこのタイミングで完全にモノにしたらしい。

 俺は武器を抜かずに剣を避けて、黒ジャケットの懐へ入る。彼が剣を握る右手を掴んだまま、首筋へ手首を当てる。


「かひゅ……!」


 まだ、右手を離さない。拳を握って腹部へ打撃。ガードが下りてきたら顔面へ掌底。顔を庇えば腹を打ち据える。延々とそれを繰り返し、黒ジャケットの顔から『あの目』が消えて、『敗者の目』になっていくのを待ち続ける。


「あ、う……えう」


 何十回か殴った頃だろうか。ようやく顔つきが変わってきた。

 最初に喉を潰したからか、まともに話せないのだろう。それでも、命乞いをしているのだろうことは分かった。すでに彼は失禁し、一応掴んでいた右手からも剣は落ちていた。


「はは……これで、俺の勝ちだ……。俺は優れている……。優れている俺は……正しい」


「お前! 何をしている!」


 声。そして複数人の足音。

 振り向くと今俺が降した黒ジャケットと同じ黒ジャケットを身にまとった若い男が三人こちらに向かってきていた。彼らは俺の目の前で伸びている男を目にすると、各々怒りを顔に浮かべて俺を睨む。

 意外なことに『あの目』をしているわけではない。ただ単に、敵意だけを向けてきている。


「三対一か……」


 俺は伸びている黒ジャケットの右手から手を話して、駆けつけた三人組に向き直る。彼らは剣、槍、斧を持っていた。

 無手では分が悪い。俺も背中のグングニルを右手に持ち、左手で黒ジャケットが落とした剣を拾った。

 三人組のうち、剣を持っている男が口を開く。


「最近、このあたりで暴れてる『路地裏の嗜虐者』ってのは、お前か」


「誰だ。それ……」


 聞いたこともない名前だ。誰かと勘違いしているのかもしれない。どうでもいいか。

 俺は拾った剣を槍投げの要領で三人組に向かって投げつける。それと同時に走り出す。投げつけた剣は槍使いが弾き落とした。その隙に剣使いの男の間合いまで接近する。


「おとなしくしろっ!」


 振り下ろされた剣。グングニルの柄を短く持ち、剣のように扱ってその斬撃を受け止める。その後ろから飛び出してくる斧使い。剣を受け止めながら体の軸をずらし、腕ごと狙ってきた一撃を躱す。多少無理のある姿勢になったが、かわしながら斧使いに蹴りを見舞うと、彼は路地裏の壁にぶつかってその場に崩れた。

 しかし、まだ終わりではない。遠間から、槍使いが俺を狙って刺突を繰り出してきていた。無理な姿勢から蹴りを放ったせいで避けるのは難しいだろう。グングニルも剣使いによって押さえつけられている。

 この三人組。個々はそれほどではないものの、連携の練度が高い。もし俺がグングニルのみを武器としていたら詰んでいただろう。だけど……。


「これで、止め……!」


「まだ……だ!」


 俺は左手で腰の小刀を抜く。そして槍の軌道を見切り、側面から撫でるように当てて刺突を逸らす。


「何っ!」


 剣使いが動揺する。その顔向けて、小刀で刺突を繰り出すと、剣使いは鍔迫り合いを止めて下がる。が、逃さない。俺はグングニルの柄を手の中で滑らせて、槍の間合いとし、剣使いの右腕を突く。


「く……!」


「獲った……!」


 剣使いが取り落した剣。俺は左手の小刀を手放して、剣を拾った。左手で扱うには重量があるが、問題はない。未だ遠間にいる槍使いへ投げつけるのが目的だからだ。


「また剣を……!」


 再度剣を投げつけられて、槍を引いて防御する槍使い。俺はまたも同時に駆け出して、グングニルを振りかぶった。


「でりゃあ!」


 剣を弾いた槍使いのその槍の柄を真横に切り落とす。これで、槍としての機能はもう無い。グングニルの重量と特性があればこその卑怯な戦い方だが、勝てばいい。

 そして、勝つためには、もうひとり――。


「――うおおおおお!」


 獅子の如く叫ぶ声に振り返る。斧使いが立ち直り、突進してきていた。俺は地面に爪先を立てて、それから蹴り上げる。石つぶてと砂が斧使いの目元にぶつかり、彼は目をつむった。彼の視界を奪った俺は横へと飛び退く。

 斧使いは目をつむったまま闇雲に斧を空振りし、その勢いを止められずに槍使いにぶつかった。


「は、はは……俺の勝ちだ」


 目の前には、死に体の三人組。対する俺は無傷。体力も有り余っている。

 俺は先程取り落した小刀を拾うと、腰の鞘に戻す。ここから先は、『敗者の目』を集めるための時間だ。殺傷能力の高い武器は仇となる。


「さあ、始めようか――」


「――『路地裏の嗜虐者』、お前だったんだな」


 また、後ろから声だ。今日は随分と人が集まってくる。

 振り返った俺は、声の主を見て目を凝らした。どうも、知り合いに顔が似ていたからだ。


「おい、あんたらは逃げろ。応援はいらない」


 声の主は、白鞘の長剣に手を触れながら言う。そういえば、俺が最初に倒した黒ジャケットが居ない。逃したのか……。

 三人組のうちの一人、まだ武器を持っている斧使いが叫ぶ。まだ目をこすっていることから、視界が戻っていないのだろう。


「今来たあんたは、誰だ! こいつは、『路地裏の嗜虐者』は強いぞ! 一人で何とかできるってのか!」


「できるさ。ああ、目が見えないんだな」


 白鞘の長剣の持ち主はそう言ってから、名乗りを上げる。


「俺の名は知っているだろう? ――『唯剣』のユリウスだ」

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