強襲(5)

 ミアは短刀を手にサターンとの間合いを詰めていく。その速度はかつて闘技大会にて輝と戦った時よりも速い。服従の魔法から開放されたとはいえ、彼女は訓練を怠っているわけではなかった。地道な努力は旅路でも続けられていた。


「ふ、ぐだぐだと……。……茶番だな」


 豪奢な装飾のついたレイピア。サターンによって引き抜かれた白刃は名剣の輝き。鞘滑りの速度を殺す事なく振るい、サターンは距離を詰めてきたミアへ突きつける。

 ミアはそれを難なく躱す。サターンも躱されることを予想しているのか、明らかな隙を見せてしまうような大振りはしない。

 ミアは隙を見せないサターンへ短刀を突き出し軽い牽制をする。だがサターンはその突きを最小限の身体の動きでかわしてしまう。そこにミアは微かな違和感を感じ取った。そしてその違和感の正体を探るために少しばかり勝負に出る。


「はあっ!」


 気合の一喝とともに踏み込んだミアの短刀がサターンへ迫る。しかしこれはフェイントであった。捉えられやすい大振りの一撃目はフェイクで、素早くシンプルで無駄のない動きの二撃目が確実に相手を斬りつける。常人が一目見てこの二段構えの攻撃を避けるのは――魔力で感覚を強化した闘技大会のときの輝ですらそうであったように――ほぼ不可能である。

 しかし――。


「甘い」


 ――サターンはそれを――。


「弱いままだな」


 ――あらかじめ何処にどのように攻撃されるのかが分かっていたかのような最小限の動きでいなし、逆にミアの脇腹へと鋭く蹴りを入れた。


「かはっ」


 ミアは蹴りを受けつつも持ち堪えて、サターンのレイピアが届かないところまで後ずさる。蹴られた衝撃が内臓にまで達したのか、彼女のその額に脂汗が滲み出てきた。

 脇を軽くおさえながらもミアは痛みをその表情には出さない。ポーカーフェイスのまま、彼女は先程から感じていた違和感の正体に気づいていた。

 今さっき彼女が放ったフェイント攻撃。素人でなくとも見分けるのは難しい。かつて輝やエレックまでもが餌食になったのだ。それを『あらかじめ何処にどのように攻撃されるのかが分かっていたかのよう』にサターンは避けた。つまり単純な能力の問題ではない。それを踏まえてミアは結論に至った。


「……ボクの技は全部、通じない。全部、『知ってる』んだね」


 サターンはその言葉を聞き、退屈そうにレイピアをおろした。


「お前の短剣術はダグラスに伝わる流派の模倣に過ぎない。知ってさえいれば、対処など容易いものだ」


 レイピアを構え直さずにサターンはミアへ近づく。ミアはすかさず反応して短刀で何十も切りつけるが、全て紙一重でよけられてしまう。否、攻撃する前には避けられてしまっている。

 激しい攻撃でミアの体力が一方的に削られていくのとは対称的に、サターンは息一つ乱さない。


「完全に極められていたら、対処法を知っていてもどうにもならなかっただろう。流派とはそういうものだ。一部例外はあるがな」


 サターンはエレックを一瞥して、またミアへ向き直った。


「お前には流派を極める力が無かった。だから負ける。だから所詮、服従の魔法の実験台でしかなかった。……無様だな」


 さらに近づいたサターン。彼の間合いに疲弊したミアが入ってしまう。サターンはレイピアの柄を握り直した。鋭い刃先が少女の首筋に狙いを定める――。


「――そこまでだっ!」


 対峙するミアとサターンの横から剣を抜いてエレックが割り込み、そのまま真横に剣を振り抜いた。サターンはそれを読んでいたかのようにレイピアで防ぐ。つばぜり合いの形となった。


「エレック……!」


「悪いなミア。でも、一人で戦うのはここまでだ」


 言いつつエレックはサターンのレイピアを力任せに押し出し、ミアから彼を遠ざける。そして、強い目で彼を睨みつけた。


「あんたの強さは、あんたの行いを認めるものじゃない。強かろうが弱かろうが、服従の魔法は間違っている!」


「それを止められぬ弱さに、正しさがあるとでも?」


 言葉においても一歩も退かないサターンを前にして、エレックは怒りに唇を戦慄かせる。


「……そうかい……」


 エレックは剣を下ろして、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。


「そんなに強さが好きなら、あんたを倒すための『とっておき』を見せてやるよ……!」


 エレックはポケットから黒い石を取り出す。鏡面の如く反射して輝く石……魔導石だ。そして、石を左手で握り込んで一歩下がり距離を取る。右手で剣を握り、その剣へ魔導石から抽出した魔力を込めていく。剣の周りには薄緑の光が漂い始め、時間とともに光はより濃くなっていく。


「喰らえ……!」


 エレックが気合を込めて剣を引いた。その時、サターンが動いた。彼は一瞬のうちに間合いを詰めてレイピアを素早く滑らせ、押さえつけるようにしてエレックの剣を止めた。


「なっ!」


 動揺するエレック。力任せに振り抜こうとするものの、振りかぶった状態で加速もついていない剣を動かすことは彼には出来なかった。そうして腕の動きを止めている間に、彼の剣を覆っていた薄緑の光はどんどんと空中に霧散していき、消えていってしまう。それを確認するとサターンはレイピアを引き、もう一度距離を取った。


「瞬時に莫大な魔力を剣に込め、振り抜いてその魔力で攻撃する『魔法剣』。ケイロス流の奥義だったな。貴様の曽祖父の代で途絶えた技だと思っていたが、魔導石で補うとは面白い工夫だ。良くぞ掘り起こして身につけた。発動すれば私にはどうする事も出来ないだろう。だが――」


 サターンは嘲笑を顔に浮かべる。


「――莫大な魔力を剣にとどまらせて居られるのはあくまで一瞬だ。押さえつけてしまえば、振り抜くことさえさせなければ防ぐことができる。……元々ケイロス流とは、ダグラス家を守る為の奴隷剣術だ。ダグラスの者ならばケイロス流を下すのは容易い。……そうだろう、デミアン」


 話を振られたミアはうつむく。エレックは敵前ながら振り返らずにはいられなかった。そして、彼女は、うつむいたまま、動かない。しかしその沈黙が肯定の証となってしまう。

 口を中途半端に開いたエレックは愕然とする。


「そん、な……。技どころか、奥義ですら……」


 声色は震えていて、顔には絶望が浮かぶ。自らが生涯をかけて磨き上げてきた力がすべて否定されてしまった。それは、一人の武人の心を折るには充分な衝撃であった。


「お前がケイロス流の使い手である限り、私には勝てん。無様だな、欠陥流派の使い手は」


 そう言い放ったサターンは、エレックの虚を突いて剣撃を放つ。茫然としていたエレックは防御反応が遅れ、ギリギリで剣を受けてしまい、体勢を崩して受け身をとる事すらままならず地に伏せる。

 もうこの場所には、ミアとサターンを遮るものは存在しない。


「さあ、デミアン。いい加減覚悟は出来ただろう?」


 サターンは細く美しいレイピアの先端をミアへと向ける。同時に、ミアは短刀をサターンへ投げつけた。サターンはそれを辛うじて避けるものの、刃は軽くかすめてしまい、彼の頬には一筋の赤い線がついた。

 上着の袖で傷口を拭い、サターンは冷徹な目つきでミアを見下ろす。


「今のは流派にはない、か……油断ならんな」


 不意打ちが失敗し、ミアは悔しそうにサターンを睨みつける。


「ふん。厭な目つきだ。一突きで終わりにしてやる」


 そして、サターンはレイピアを構えた。突き出される剣先を睨んでから目を瞑り、ミアは唇を噛む。もう、ここまでか――。


「――ミアっ! 諦めるなっ!」


「なんだとっ!」


 突然の叫び声。エレックは持っていた剣を捨ててサターンへ無茶苦茶な体当たりを仕掛けた。

 流派を捨て、剣を捨て、ただ原始的で闇雲な攻撃。だが、サターンには通じない。サターンは空いている手で向かってきたエレックを絶妙な角度で軽く払いのけ、重心をずらす。それだけでエレックの体当たりは外れ、彼の体は盛大に地に転がる。


「くく……自棄だな。……無様だ」


 エレックによって僅かにタイミングがずれたもののサターンは動じず、再びミアへレイピアの切っ先を向ける――。


「――あいつは……『少年』は諦めなかったんだろ!」


 サターンの言葉通り、無様に地面に横たわるエレックが叫ぶ。瞬間ミアは目を見開いた。脳裏にはおぼろげな記憶が浮かび始める。


 そう、それは闘技大会の舞台の上――。


 冷たい金属の銀色がひらめき、そこから遅れて、鮮やかな血の赤が石の床へと落ちていった。


「――こんな戦い方も、見た事ないよね?」


「ぐ……?」


 ミアは、サターンのレイピアを素手で掴んでいた。

 肉は切れているが、ミアはレイピアの突き出す動きに合わせて刃を掴んだので指は切り落とされていない。

 流石に痛むのか、辛そうな表情をしたままではあるが、ミアはレイピアから手を離さない。そのまま彼女はサターンの後方へ声を飛ばす。


「エレック!」


「わかってる!」


 返事を返したエレック。彼はミアが先ほど投げつけた短刀を拾い、動揺しているサターンの手首を切りつけた。上着の袖と一緒に銀色の紐が二、三本、はらりと床に落ちていく。そして紐から溢れ出ていた、青みがかった銀色の光も弱まり、終いには完全に消えてしまった。


「グレイプニルが……何ということを……!」


 声を震わせてサターンは嘆く。彼が衝撃でレイピアの柄を握る力を弱めた瞬間に、ミアがレイピアを奪い取る。


「……どこの流派にも無いはずだよ。こんな技」


 そう言ってミアは刃を握る血まみれの手を開いた。レイピアが金属特有の甲高い音を立てて床に落ちる。


「これは、ボクを止めてくれた人が、苦し紛れにやった事だから」


「……久喜、輝か」


 忌々しく呟くサターンにミアが無言で頷く。サターンはエレックに短刀を突きつけられながらも、まるで気にしてもいないとばかりに悪態をつき、それから憎々しげにミアを睨みつける。


「二対一で勝って、満足か」


 ミアは、首を横に振りながら少し笑った。


「三対一、かもね」


 そう言うミアにサターンは言い返す気力もなく、しかし再び見下したかのような不気味な笑みを浮かべる。


「ふ……。今回は私の負けだ……だが!」


 サターンは首に突きつけられている短刀を掴む。突然の事に驚いたエレックは簡単に短刀を奪われてしまった。


「しまった……!」


「まだ、止まれぬのだ……!」


 サターンは吐き捨てる様に言って短刀をエレックへ投げつける。咄嗟にかわしたエレックだったが、サターンはその隙に窓辺まで退く。


「まだ……まだだ。私は国を壊すまで、退かぬ!」


 彼は一喝すると同時に、窓から外へと飛び出す。慌てて窓に駆け寄り、外を覗き込むミアだったが、眼下に広がるのは急峻な崖と海のみ。高さも五メートルはくだらない。

 普通であれば死は免れないだろう。しかし、ミアにもエレックにも、彼がここで死ぬことは無いだろうという確信めいた直感があった。

 エレックはミアと並んで窓から下を覗き込んで拳をサッシに叩きつけた。


「逃した……!」


「でも、グレイプニルは壊した」


 ミアは出血の止まらない手を握りながら噛みしめるようにつぶやく。


「これできっと、もうボクのような人間は生まれない」


 彼女は視線を波間から隣にいるエレックへと移す。そして、微笑んだ。


「ありがとう、エレック」


「……ああ。俺たちがここでやることはもう終わりだ。お疲れさん、ミア」


 ミアはエレックに深くうなずいた。窓から海鳥の鳴く声がして彼女は再び窓の外へと視線を戻し、空を見上げる。海鳥が低空を舞う中で、その更に向こうの高い空にも一際大きな鳥影が見えている。空を舞う竜のようにもみえるその羽撃く影を眺め、ミアは思う。

 ヒュルーで同じような羽撃く影を見たときに、ふと思い出してしまったあの人のことを。


「ねえ。ボクは、少しだけ進んだよ」

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