強襲(4)

「はあ……はあ……」


 他に誰もいない通路の中を、息を上げて一人の少年が走る。背中に背負った大剣グラムが左右に揺れて、そのたびに留め具とぶつかりガチャリガチャリという金属音が足音と同じタイミングで響く。


「俺は……! 俺は……!」


 悔しさと焦り。それらが彼の脚を先へ先へと突き動かしていく。通路の窓からは遠くに海が見えている。昼日中の陽光は少しずつ傾いてきていた。

 ソラの心模様と相対するかのような絶景を脇に流し、彼はようやく立ち止まる。


「……ここ、か?」


 ソラは呟いた。

 彼が今いるのは先の通路を真っ直ぐに進んだ場所。唐突に廊下が途切れており、外に出てしまった。遠くに海を臨む丘には緑色の草地が広がっており、廊下の先の直線上には大きな建物が存在していた。

 潮風と日光に晒されたその建物は巨大なドーム状の形をしている。石造りではあるものの、外壁は黒い塗料で塗りつぶされており、異様な雰囲気。ソラは怖気づきそうになるものの、ここまで彼を突き動かしてきた焦燥感に追い立てられるようにして、入り口と思しき扉へ近づいていく。


「倒すんだ……。それで、終わりだ……」


 ソラは背中のグラムを手に取る。見た目とは裏腹に、彼は妙なまでの軽さを感じる。ノールを殺して奪い取った魔法の武器。強度の割には嘘のように軽い武器。ソラは冷たく硬い感触を覚えながら、その武器を肩に担いだ。恐る恐るドームの扉を開く。静かに。ゆっくりと。

 中に入ると、薄暗さにソラは目を細めた。しかし、全くの暗闇ではない。光源を追うと、ドーム中央の天井に天窓が存在している。その天窓から溢れるようにして光が漏れているのだ。

 次にソラはあたりを見回した。建物はどうやら平坦なようで、特段目立ったものは存在していない。


 ――中央に存在している舞台のような円形の台座と、その中心で佇む黒い鎧の男を除いて。


「……ラルガ……!」


 ソラは聞こえないように細心の注意を払いながらも、我慢できずに口の中でつぶやく。

 倒すべき敵は、そこにいた。黒い鎧。腰には日本刀。距離に加え薄暗さも相まって、ソラの位置からではそのぐらいしか確認できない。


 一体、何をやっている――。


 ソラが抱いたその疑問は、彼がとある事に気づいたせいでさらに深くなる。

 ラルガの立っている台座は石でできている。そしてそこには幾何学的な模様――円形の複雑な図形――が刻みつけられていた。ソラが目を凝らすと、ラルガの立っている所を中心とし、円を描くようにして等間隔にいくつもの石が置かれていた。

 石は黒く、鏡のような独特の光沢を持っている。ソラはラルガに近づこうと足を踏み出した。


「……来い……! 目覚めろ……! 『胚珠』よ……!」


 突然響くラルガの重たい声。同時に、黒い石と床の紋がくすんだ黒い光――もしくは、周囲の光を吸収するかのような黒い靄――を放ちはじめた。ソラは驚いて飛び退く。


「この反応、魔法陣か……!」


 黒い石から出てきた黒色の魔力が床の紋を通りラルガの元へ集まってゆく。収束する先はラルガの手のひら。宝石のようなものを持っている。


 このままだと、よくない事が起こる――。


 漠然とそんな恐怖を感じたソラはラルガに狙いを定めて魔力を引き出した。ソラの魔力は手のひらに集まり、勢いよく放たれる。


「律儀に待つかよ!」


 光の弾丸。その形容に相応しいスピードで金色の弾はラルガの後頭部へ迫る。


「少し、遅かったな」


 広間に通る、重い一言。

 ラルガの指に嵌められた指輪が黒い輝きを放つ。彼の手のひらが光の弾丸に向けて掲げられる。空間が歪み、ソラの放った光の弾丸は直角に曲がり、ドームの天井を貫いて天へと昇ってゆく。


「駄目か……! なら、直接だ!」


 ソラは全身に魔力を流し込む。魔法で身体能力を上げ、走り出した。走りながら二、三度続けて光の弾丸を放つが、全て先程と同じくラルガによって頭上へと曲げられてしまう。ドームの天井に空いた穴から漏れ出た光が広間をより明るく照らす。

 ラルガは手のひらに持っていた何らかの結晶を懐へしまい、腰の日本刀を抜いた。


「……『所持者』か」


「戦争は止めさせて貰う!」


「やってみろ」


「ぐっ……! ……何だ……?」


 ラルガがソラに手をかざすと、ソラは突然地面に膝をついた。転んだわけではない。魔法が切れて力尽きたわけでもない。


「体が、重っ……!」


 ソラが原因不明の症状に困惑する隙に、ラルガはソラに近づいていく。常に手のひらはソラへとかざされ続けている。


「『金の首飾り』……! ……なるほど。どうやら命拾いしたのはこちらだったか……。俺の『勘』は鈍っていないようだな」


「何を、ごちゃごちゃと……!」


 両腕も地面について、しかし頭だけはラルガの方を向けるソラ。


「お前は、俺が、倒す……!」


 ラルガはそれを見下ろしながら日本刀の切っ先をソラの顎先へと持っていく。


「執念だな。……問おう。何故、貴様はここにいる?」


「お前が戦争をして、死ぬからだ……! 人が、沢山……!」


「このまま何もしなくても、人は大勢死ぬ。弱者から順に死んでいく。それは見逃すのか?」


「ぐ……! 何を言ってやがる……! 人が死ぬのは……お前が戦争を起こすからだろうがあああ!」


 ソラはひざまずいたまま叫び、無理矢理片手を上げてラルガへ向ける。またたく間に金色の光が集まっていき、彼の手から光の弾丸が放たれた。しかし、この魔法も天へと逸らされて当たる事はない。だが、直後にソラの体は軽くなり、自由に動けるようになる。


「動く……! ……食らえっ!」


 ソラはグラムを思い切り振った。ラルガは冷静に日本刀の鞘で受け止める。鞘はグラムの重量に軋みつつも、しっかりと衝撃を受け切った。


「中々重いが、甘いな」


 ラルガの右手の日本刀が煌めいた。刀身に浮かぶ独特の曇り、美しい紋。どうやら玉鋼以外の金属も混ぜてあるようで、普通の日本刀とは輝き方が違う。


「貴様の役目はここまでだ。退場するがいい。若すぎる『強欲』よ」


 日本刀が掲げられた。天井から漏れる日光に照らされて、銀色の三日月が虚空に浮かんだ。



 海に面した館の一室。一人の男が佇んでいる。男は金の刺繍が入った上等な服を身にまとっている。オールバックにしている髪には所々に白髪が混じっており、彼の年齢を感じさせる。その部屋の扉がゆっくりと開き、二人の人間が入っていく。

 窓の外では海鳥が舞っている。それを窓辺から眺めている男は、その二人の侵入者が誰なのか気づいていたのかもしれない。だとしたらそれは、『縁』が為せるものなのか。

 闘技大会に浮かれる湖の町の路地裏で見せた表情のままで――三人を見下していたあの時の目のままで――彼は振り返った。


「折角、逃がしてやったというのに」


 振り返った先、閉まるドアの前で二人の侵入者は立つ。

 ひとりは黒髪の小柄な少女、ミア。短刀の柄に手を置いて彼女の父親である男を見つめる。もうひとりは金髪の長身男性、エレック。険しい表情で、すぐにでも腰の剣を抜いて斬りかかりそうだ。


「俺たちがここに来た理由、わかってるよな……サターン!」


 エレックは溜まった怒りのボルテージをぶつけるように名を呼ぶ。一方の窓辺の男、サターンはとぼけたような眼をして首をかしげた。


「ふむ。私に心当たりは見つからないな」


「ハッ……! 良く言うぜ! 人の道を外れたことをしていることくらい、わかってんだろ! ここにウォレスが居ないのも……あんたに愛想を尽かしたんだろうな!」


「エレック。……落ち着いて」


 感情的になるエレックを制したのはミアの声だった。彼女は一歩前へ進み、サターンの元へと近づく。エレックは不満そうに「でも」と反論しようとするがミアの視線に圧されて口を閉ざし、いつの間にか腰の剣に伸びていた手を引っ込めた。戦いに慣れているはずの一人の青年を落ち着けさせた年端もいかぬ少女のその圧力は、親から受け継がれたものなのか。

 短刀の柄に手を触れたままのミアと泰然としたサターン。親子が対峙する。


「……なぜ、こんな所に」


 問いかけるミアを、サターンは絶対零度の冷たい瞳で眺める。


「簡単な事。ラルガへ資金を提供したのは私だ。後援者として彼の近くにいるのは当然だろう?」


「なぜ、そんな事を……」


 サターンの目が伏せられた。一瞬、絶対零度が温度を持つ。彼を見つめていたミアにも気付けなかったであろう。それほどの刹那の後にサターンは視線を虚空へ向けた後、言った。


「壊すためだ。この国を」


「じゃあ、そのために、持ち出したんだね。……宝具『グレイプニル』を」


 ミアの言葉にサターンは視線を彼女へと戻した。そして、右腕を胸の高さまで上げて、左手で袖を引いてみせる。

 現れたのは右の手首に巻き付いている銀色の紐。幾重にも巻かれており腕輪の様相を呈している。しかし異様なのはその紐が美しく輝いているからではない。青みの混じった銀色の光が滔々と溢れだしているからだ。


「死を恐れずに、目的のためだけに戦う兵士。手強かったであろう? ……しかし、良く気づけたものだな」


 銀の紐グレイプニルをにらみ、エレックは我慢できずに口を開く。


「やっぱりか。おかしいと思っていたんだ。俺たちはここに来るまでに何度かあんたらの兵士と戦った。……崖を下りての奇襲、少ない兵力での正面衝突、特攻とでも言うべき襲撃……。普通はどこかで逃げ出す弱兵が居てもおかしくない。それなのに、一人として逃げ出すものが居なかった。……そっくりだったんだよ」


 エレックは抑えきれぬ激情の発露とばかりに腰の長剣をゆっくりと抜く。


「あんたが服従の魔法をかけていたときの、ミアに」


「そうか。名推理だな、ケイロスの小僧」


 サターンは刃物を抜いているエレックに身じろぎすることもせず、悠々とした様子で拍手をしてみせる。重々しい空気で満たされていた部屋の中に、虚しく拍手の音が響く。

 それを遮るように、ミアが口を挟んだ。


「それは、人を狂わせる魔法だ。壊さないといけない。二度と、ボクみたいな人間を作っちゃいけない」


「ならばどうする? 私を殺して奪い取るか? お前にそれができるのか? ……父を殺すことが」


 サターンの挑発にミアはたじろぐ。もう誰も殺さない――。それは彼女の誓いであった。それでも、ミアは腰の短剣に手をかける。


「ボクの償いは、ボクのような人間を二度と生み出さないことだ。そのためなら……」


 しかし、刃を抜こうとした柄をエレックが押さえる。彼はサターンから目を離さずに剣の切っ先を真っ直ぐに彼へと向ける。


「やらなくていい。ここからは俺がやる。一人で抱え込むな」


 エレックは諭す。だが、ミアはただ首を横に振り、エレックの手をどけた。


「エレック、やらせて。……ボクはここに来ることを決めてから、こうするって覚悟してた。ここを越えなきゃ、ボクはずっと哀れな殺人鬼のままだ」


「……ミア……!」


「ボクは、もう、立ち止まりたくない」


 自らを奮い立たせるように彼女は言って短剣を抜く。凛として構える姿を見てエレックは説得を諦める。それ程に、彼女の覚悟はエレックに伝わっていた。


「……危ないと思ったら勝手に手を出すからな。……それに、例えここを越えなくたって、ミアは哀れな殺人鬼なんかじゃない。俺がいる。わかってるよな?」


「……うん。ありがとう。……そうだね。ボクは一人じゃない」


 エレックに感謝の言葉を述べて、彼女は一つ息を吐く。表情は、鋭く。


「……グレイプニル、壊させてもらう!」

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