路地裏の嗜虐者

 ハリアという街の中心には湖が存在している。その湖のほとりに、石造りの建物があった。建物の中央には円形の広場があり、テントを張って大勢の戦士たちが休息をとっている。その広場の周囲を囲むような形で存在しているのは観客席と、その中の控室。

 ハリア闘技大会でも使われたこの『闘技場』とでも言うべき建物の一室に、数人が詰めかけていた。


「それでは、軍議を始める」


 部屋の中央に置かれている円卓を囲って着座する人たち。議長と思しき青年の名はマーカス。その両脇に控えるようにしてエリスとユリウスも座っており、更に義勇軍の将官たちが続く。

 彼らはラルガの反乱を鎮めるべく集まった義勇軍だ。ヒュルーでの攻防を受け、一度ハリアまで引き返してきた彼らは、ラルガの存在する本拠地ヤマトまで再度出征するための準備を整えていた。


「次の方針についてだが……」


 マーカスが話を切り出す。二十代とは思えないほどの落ち着きで歴戦の戦士たちを前に口を開いた彼だったが、一人の男が割り込む。


「方針も何も、一刻も早く軍備を整えて出撃するべきだ」


 口を挟んだ男の名前はユリウス。『唯剣』という称号を持つ彼は、その何恥じぬほどの、剣のごとき鋭い目つきでマーカスへ視線をやった。


「ハリアに残った皆があらかじめ準備をしてくれていたおかげで、補給のための物資はすでに揃ってる。捕虜も牢へつなぎ終わったし、傷病者の代わりになる新たな義勇兵も集まってきてる。すぐにでも出るべきだ。……兵站も、問題ないんだろう、エリス」


 ユリウスはエリスへと話を振った。エリスはマーカスの顔色を伺いながらおずおずとうなずく。


「確かに、ヒュルーへ向かうための兵站整備は充分……。でも、部隊を二つに分けるとしたら、もう少し時間が欲しくて……」


「……二つ?」


 ユリウスは首をかしげる。するとマーカスが割って入ってきた。


「ここからは俺が話す。……俺は今、ヒュルーを経由してヤマトを狙う部隊とは別の隊の編成を考えているんだ」


「どうしてだ? 俺たちの目的は打倒ラルガだ。何故分ける必要がある?」


 ユリウスは率直に疑問を投げかける。マーカスは卓に手を置き、人差し指でコツンコツンと叩いて音を立てる。


「ハリアの北に拠点を築く。そのための部隊が必要だ」


「北……? ヤマトやヒュルーのある西じゃないのか? 北には王都しかないぞ」


 止まないユリウスの問いに、マーカスが卓を叩く指の動きが止まる。彼は表情に陰りを見せてから、重々しく答えた。


「……王都の防衛のためだ」


「王都の防衛? ……そんなもの、必要あるのか?」


 マーカスに倣うように、ユリウスの言葉にも重みが表れる。わかりやすく不服を示すような声色に、マーカスは小さなため息を一つついて口を閉ざした。

 重苦しい雰囲気が漂い始め、部屋の中の時間が緩慢に流れる。すると、同席していた将官のうち一人がわざとらしく咳払いを行い、視線を自らに集めた。


「『唯剣』様。必要ですよ。拠点は」


 歳はユリウスやマーカスとそう変わらないだろう青年。彼がマーカスの家に仕える私兵団の団長であることはユリウスも知っていた。故に、ユリウスは彼が紡ぐ次の言葉を険しい顔で待った。

 団長の青年は大げさにため息をついてみせた。損な役回りだ、とでも言わんばかりの気怠げな表情。


「ハリアを抜かれたときに、万が一にも王都までラルガの兵を届かせないために必要になります。王を守るのは臣下である我らの努めでしょう」


 教科書の音読のように放たれた言葉に反応し、ユリウスは思わず席を立つ。乱暴に押し退けられた木製の椅子が床に倒れ、乾いた音をこだまさせる。


「馬鹿な! 俺たちはハリアを守るために立ち上がった義勇軍だ! 王都の防衛まで面倒見る必要はない! 全軍をハリアのために尽くすべきだ!」


「ユリウス」


 激情に浮かされたユリウスと対象的なマーカスの冷徹な声が響く。彼は座ったまま、上体をユリウスの方へと向けた。


「聞いてくれ。ここで王国側に恩を売っておけば、いざというときに後ろ盾を得ることができる。援軍だって、もう少し融通してもらえるかもしれないんだ」


 努めて冷静に語りかけるマーカスを目の当たりにし、ユリウスは信じられないものを見たとばかりの唖然とした表情を作る。


「……マーカス」


 彼は力なく呼びかける。そして、それから我に返ったかのように円卓に着く『仲間』たちの目を見渡す。

 ユリウスは拳を握ると、酷く悲しそうに目を細めてから踵を返した。


「分かった。俺に政治はわからない。好きにしてくれ。あくまで……俺は義勇兵だ。……ハリアの敵を斬るだけだ」


 言い捨てて、彼は部屋の出口へ向かって歩き出す。


「ユーくん!」


 背後から追いかけるように聞こえてきたエリスの声にも振り返らず、ユリウスは扉に手をかけ、立ち止まった。


「……悪いな、エリス。ちょっと外に出る。気にしないで進めてくれ」



 闘技場の控室が並んでいる石造りの廊下。面している部屋のうち、一つの扉が開き、中から物々しい雰囲気の男が次々と出てくる。最後に出てきたマーカスの姿を見つけて、彼は声をかけた。


「マーカス」


 声をかけられたマーカスは振り向く。声の主はユリウス。彼は腕を組んだまま、廊下の壁に寄りかかっていた。会議を抜け出してからずっとこの姿勢で待っていたのだろう。

 先程決裂して衝突したばかりとはいえ、流石のマーカスも無下にすることは出来ずに返事を返す。


「……ユリウス。さっきは済まなかったな。でも、必要なことなんだ」


「……その話は、とりあえずいい」


 ユリウスはマーカスへと近づいていく。彼はマーカスの真正面に立つと、短く刈り上げた自らの後頭部を掻きながら視線を逸らす。


「それより、輝の居場所を知らないか?」


「彼か……。いや、わからないな。王都へ向かったんじゃないか? 元の世界に戻る方法を探しているんだろう?」


 軋轢を生んだ話題とは別の話だと理解し、マーカスは幾ばくか表情を緩ませる。だが、向かい合うユリウスの方は堅い顔のままだった。


「そうだと良いが……。あいつ、立ち上がる力を失っているように見えた。だから俺も少し、協力しようと思ったんだよ。『おかげで』しばらく暇だしな」


「皮肉は止めてくれ。で、『協力』っていうのは、何だ?」


「ああ。あいつの持っていた『魔法の装飾品』は、『銀の首飾り』だった。だったら、『島』の遺跡も手がかりになるんじゃないかって、思ってな」


 ユリウスは意味ありげに自らの左手の甲に触れる。黒い革の手袋が擦れて、ぎちりと軋む。対するマーカスは緩めた顔に厳しさを取り戻し、眉を吊り上げた。


「『封印』を解くつもりか?」


「……そのつもりだ」


「何を考えている」


「俺たちには過ぎた偶像だろ、この『紋章』は。……返すべきだ」


 言いながらユリウスは左手の手袋を半分脱ぐ。手の甲に現れたるは、墨で彫られた円型の図形。

 張り詰める空気。マーカスも自らの左手の甲をかばうように掴む。


「……ユリウス、俺の考えに気づいているだろう」


「さあ。……大義を忘れて、王国に取り入って地位を高めようなんてこと、考えたこともないからな」


「お前は分かっていない。今のハリアは所詮王都の傀儡だ。いつ見捨てられてもおかしくない。だから、ハリアを王都と並ぶ強い街にする必要がある。……そのためには古く貴い血筋とその証明が必要なんだよ!」


 声を荒げたマーカス。先程の部屋の中でのやり取りとは反対に、ユリウスは落ち着き払いながらも、再び自らの左手の紋章を撫でる。


「『わかりやすい証明』、か。まさに『偶像』そのものだ。……俺たちの先祖様は、そんなことのためにこれを受け継いできたと思っているのか?」


「あるものは使う。それだけのことだ!」


 にらみ合うマーカスとユリウス。交錯する彼らの視線は、しかし皮肉にも、彼らの考えは交わりもせず平行線なのだと示す。

 そうして数秒、マーカスが先に目を逸らしてため息をついた。彼は「……まあ、いい」と呟いてから、再びユリウスに視線を投げかける。


「彼は今、何処にいるのかもわからない。それに、仮に『島』の遺跡まで連れて行ったとして、『封印』が解けるかどうかはまた別の話だ」


「俺は、あいつなら解けると思うがな」


「話はそれだけか? 俺の目的を知るために『友人』をダシにするなんて、お前も悪くなったな」


「『あるものは使う』んだろ」


 意趣返しとしてマーカスの言葉を引用してみせるユリウスだったが、マーカスは気にも留めずに彼を一瞥して背を向け、歩き出す。

 一人分の足音の中で揺れる背中を眺めていたユリウスは、いま彼に何を呼びかけようが響かないことを直感的に悟り、両の拳を力強く握る。


「どうしてこんなに、変わっちまったんだよ……マーカス」



 晴天だ。乱反射を繰り返す湖のほとりにハリアの競技場がある。闘技場は義勇軍の一時的な拠点本部となっていて、人数的なことだけを言及するのであれば、闘技大会時以上の賑わいを見せていた。

 入脱隊志願者の手続きや、物資の補給、次の作戦の説明と簡単な演説。そして休息。

 ユリウスは興味など微塵も無い演説から逃げるようにそそくさと闘技場から抜け出した。その短い髪をかきあげながら、長剣を手に街をふらつきはじめる。

 屋台で腹を満たし、流す様にしてあちこちの通りを回っていく。道中、ハリアの市民から受ける熱い歓迎をかわしつつ、彼が最後にたどり着いたのは、鉄を叩く音が響き続ける一軒の鍛冶屋だった。


「おっちゃん、いるか?」


 鉄の焼ける独特の匂いが立ち込める店先から低い声で呼びかけるユリウス。返事の代わりに鉄の叩かれる音が止み、店の奥から厳しい顔つきの中年男性が現れる。


「あ……? 随分と早いお出ましだな、ユリウス」


 中年男性の名はガルム。このハリアという街でも指折りの名工として数えられている職人だ。彼が「演説はどうしたんだよ大将」と軽口を叩くと、ユリウスは「趣味じゃない」とだけ返した。


「おっちゃん。俺の剣の手入れは終わったか?」


 ユリウスが催促すると、ガルムはかったるそうに首の骨を鳴らしてから店の棚に置いてある白鞘の長剣を取り出した。ユリウスの目の前まで持ってくると、彼はゆっくりと剣を引き、刀身を顕にさせていく。

 白鞘からは、やはり白い刀身が現れる。一つの傷も曇りもない、美しい刃。ガルムは見下ろしながら「完璧だろう」と自慢げに笑う。ユリウスは「いつも通りの仕上がりだな」と返してから、「助かった」とお礼を言った。

 彼はガルムから白い長剣を受け取ってから、それまで腰に身につけていた剣を外して差し出す。


「代わりに借りてたこれ、返す」


 ガルムは「あいよ」とユリウスの手から剣をひったくり、それから刀身を抜いて中を確かめる。それから、驚いた様子でユリウスを見た。


「おいおい……あの『唯剣』様ともあろう者が、一度も使ってねえじゃねえか」


「街の中で剣を振り回すほど、危険人物のつもりは無い」


「良く言うぜ……。剣を抜くほどの敵が居ないんだろう? 街には」


「まあ……。……それも、ある」


 苦々しい顔で、図星を突かれたユリウスは渋々認める。するとガルムは返却された剣を鞘に収めてから身を乗り出した。


「それじゃあ、そんなお前さんにオススメの噂話でも教えてやろうか。『路地裏の嗜虐者』と、言うんだがな」


「『路地裏の嗜虐者』? 大袈裟な渾名だな」


 噂話の類に懐疑的なユリウスは興味なさげに訊き返した。だが、ガルムは自信ありげに頷く。


「そうだ。大層な名前だよな。近頃ハリアの路地裏で、裏稼業の人間や退役軍人を相手に無茶苦茶に『跳ね回っている』奴がいるって話だ」


「……そんなの、いつもの事だろ。路地裏では」


 ユリウスは返した。路地裏が表とは違うルールで動いているのはこの町の出身にとっては常識であった。彼はうんざりとした様子で欠伸を噛み殺した。


「第一『裏』のことだろ? ダグラス家は何を……と、いや。そうか……そういうことか」


 武力や資金を持ったダグラス家がハリアの裏社会を牛耳っていることもこの町で長く生きていればわかる事であった。ダグラス家は代々ハリアの貴族としてケイロス家を引き連れて裏の統治を行っていた。しかし。


「ああ。今のハリアには、裏をまとめられる人間が居ない」


 ユリウスの思考を代弁するようにガルムは神妙な顔をする。


「確か、ウォレスだったか。ダグラス家の勢力の残党が何とか裏に秩序をもたらそうとしているが、あちこちガタがきてる。その歪みが『路地裏の嗜虐者』を生み出してしまったのかもな」


「……そいつは、『路地裏の嗜虐者』とやらはいつから現れたんだ」


 詳しい話を聞こうと掘り下げるユリウス。ガルムは顎をさすりながらバツの悪そうな様子で話し始めた。


「……ちょうど、お前らが帰ってきたあたりだよ」


「なるほど、な。……あまり、良い状況じゃないな」


「ああ。退役軍人の線が強い。それに、街の変化は『底』から始まる。戦争で忙しいかもしれんが、少しは街に目を向けたほうが良いかもな」


 ガルムは皮肉のごとく言った。その言葉を受けたユリウスは渋い表情で黙り込む。それを見てからガルムは「悪かった」と頭を左右に振った。


「……義勇軍の英雄である『唯剣』様に言うべきことじゃなかったか」


「やめてくれ、おっちゃん。……俺は変わらない。『ただの』ユリウスだよ」


 先程受け取った白鞘の長剣を腰に納め、ユリウスは眉間に皺を寄せる。


「……で、『路地裏の嗜虐者』は……。噂といっても、本当はある程度確証はあるんだろ? 情報をくれないか?」


 ユリウスがそう訊くことはわかっていたとばかりにガルムは苦笑する。


「食いつくと思ったよ。お前さんにはいい暇つぶしだろう? 探してみるか、『路地裏の嗜虐者』」


「やるよ。身体も鈍っちまうからな。それに、このまま放置して路地裏が荒れたら……他の都市の『より危ない』ならず者が住み着く。それはハリアの一市民として、避けるべきことだ」


 ガルムは腕を組み、噛みしめるように鼻の奥で笑う。


「つくづく、人の上に立つのが向いていない人間だな。お前さんは」


「それで良い。人の上になんざ、立つ必要は無いんだよ」


 ともすれば馬鹿にされたかのような笑い方だというのに、ユリウスは満更でもない表情で応える。

 しかし、同時に彼は思う。これから探そうとしている『路地裏の嗜虐者』。その正体が、彼の心のなかに巣食う不安に的中しないことを。

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