鉱山(3)

 巨大な扉に体重をかけると、不愉快に軋む音が鳴って動き始めた。錆びついていて重い扉ではあったが、つい最近誰かが開けた後なのかもしれない。扉は一度動き始めると、大した力は必要なく、徐々に扉の向こうの光景が現れる。

 扉の先にはだだっ広い空間が広がっていた。


「ふう……」


 空いた扉の隙間をくぐり抜けて足を踏み入れる。大きな部屋だ。パッと見では廃工場の一角のような印象を受けた。広さは高校の体育館の四倍から五倍はあるように感じる。


「……明るいな」


 これまでの坑道からの、一番の変化はその点だった。

 光源を追って俺は視線を上へ向ける。天井はなく、吹き抜けの空が広がっていた。成る程、ここで外とつながっていたから風が流れ込んでいたのかもしれない。

 良く晴れた青空だ。そういえば、ハリアを出てヒュルー山岳地帯に足を踏み入れてからは雲を見ることが少なかった。植物も少なかったし、雨の降らない地方なのだろうか。普通、山があるところには雨が降ろうものだけれど、大気が乾燥しているのかもしれないな。

 俺は空を見ていた顔を下げてきて気づく。明るさ以外にも変化がある。今さっきまで通ってきた坑道は剥き出しの土壁だったのが、この部屋ではところどころ鉄板で覆われていた。床は相変わらず剥き出しの土だが、明らかにこの部屋は今まで通ってきた坑道とは全く違う。

 そして、天からの光が届かない部屋の奥の闇から気配を感じた。そちらに目をやると、誰かが歩いてくる音が響いてきた。

 考えるまでもない。この部屋に入る前から感じていた威圧感に近い『何か』だ。……さあ、敵か、味方か。


「何だァ……てめェ」


 耳に届いたのは乱暴な言葉使い。成人男性の低い声。俺はグングニルと小刀を引き抜いて身構える。黒いローブの様な布で肩から下をすっぽりと覆った男が暗がりの中から現れてきた。


「あ、あんたは……!」


 男は明るみに出てきて、その姿を現す。二メートルに届きそうな巨躯。傷痕だらけの顔と、金髪。獲物を射、竦ませる目。……この世界の人たちよりも、堀の深い顔立ち。

 ……見覚えがあった。それもそのはずだ。俺がこの世界に来て、初めて人間相手に命の危険を感じた相手だからだ。


「……シュヘルの近くで、会ったよな」


 俺はグングニルの矛先を男のいる方向へ真っ直ぐに突きつける。しかし巨躯の男は少しも怯まずに答えた。


「おお……? ハッハア……。その、のっぺりとしたアジア人顔、覚えがあるぜ」


 男は黒いローブをはためかせて、その内から身の丈もあるような金棒を取り出した。


「何だと思ったら、……シュヘルへの地図を譲ってくれたお利口なジャパニーズか! おかげで助かったぜ、あの時はよォ」


 息を飲む。

 現れた男は、俺がソラたちと決別してシュヘルから逃げ出したすぐ後に、森の中で遭遇した男だ。あの時、俺は背後から刃物の切っ先のようなものを当てられて、言われるがままにシュヘルの場所が記されている地図を渡してしまった。

 黒衣の、金髪の、白人。

 そして、この世界で唯一俺のことを『ジャパニーズ』と呼んだ男だ。


「また、出会うなんてね……」


 俺は言いながら、考える。

 彼の存在は大きな手がかりになるかもしれない。なにせ彼は、十中八九、俺やソラたちと同じく元の世界からこのイカれた異世界に来てしまった人間だ。

 それにおそらくこの世界に来てから年季も入っている。この王国で有力な将軍――今でこそ裏切って反乱軍を率いているが――のラルガ・エイクの軍勢に入り込むほどにこの世界に染まっている人間だ。……少なくとも日本人では無いみたいだが、この際どこの国の人間だろうと構うまい。手がかりなんだ。


「……なあ、一旦、戦うのはやめないか。俺はあんたが言う通りの日本人だ。元々この世界の住人じゃない。少しくらい話ができると思う。……あんたも日本語を使えるくらいには、日本人のことも嫌いじゃないだろう……? どこの国の人間なんだ?」


 しかし、俺の言葉は巨躯の男には響かなかったようだ。彼は大声で笑ってから、その手に持つ金棒を地面に突き立てた。


「ハッハア! 『日本語を使える』か。……俺は日本語なんて話してねえよ! 俺が話してるのは万国共通言語の英語だ! ……まさかお前、この世界の人間が日本語を話してるとでも思ってるのか?」


「……は?」


 どういうことだ。彼の発言は日本語に聞こえる。それなのに彼は英語を話していると言っている。

 ……これまでの俺の旅だって、日本語に溢れていた。この世界で出会った人とは日本語で会話したし、闘技大会のエントリーシートも日本語で書いたし、イッソスの部屋では日本語で本も読んだ。

 ……いや、待て。……日本語で?


「お、もしかして今更気づいたのか?」


 耳障りな巨躯の男の言葉を脳から追い出しながら、努めて冷静になって考える。

 話している言葉やエントリーシートは一旦置いておこう。もしかしたらこの世界の言葉と日本語が奇跡的に似通っていたのかもしれない。


 でも、イッソスの部屋で見つけた日記はおかしい。


 イッソスが元の世界に存在していた時代は帝政ローマでほぼ間違いない。フルが精神世界で、過去の所有者の記憶だと言って見せてくれた景色はローマのコロッセウムそのものだったし、イッソスの部屋で見つけた彼の手記の内容にも彼がローマの剣闘士であることは記されていた。

 でも、だからこそ……だとすると、おかしいんだ。

 俺が読める日本語は第二次世界大戦後に確立したものだ。俺は頑張ってもせいぜい明治や大正以降の文章を読むことしか出来ない。それ以前の日本語の文章は古文や漢文という俺の苦手科目で習う内容である。

 だが、イッソスの生きていた時代は帝政ローマ。いや、仮に帝政ローマではなく、コロッセウムが使われていた期間だとしても……どれだけ遅く見積もっても精々八世紀までだ。その頃日本は平安時代。

 イッソスがとんでもない変わり者で、当時の日本語に堪能な外国人だったとしても、俺が読める言葉で手記を書ける道理はない。それに、目の前の男は英語で話していると言っている。

 そこまで考えてから、俺は首を振った。


 ……落ち着け、焦るな。惑わされるな。あくまでも俺の目的はそういった異世界の謎を探ることではない。元の世界に帰ることだ。


「どうも。言葉については気づかなかったよ。……あんたは、この世界に来てから長いのか?」


「そうだなァ。長いような気もするし、短かったような気もする。それでも精々十年くらいか。てめえはそうでもなさそうだな。ええと……」


 その鋭い視線を向けられて、俺はグングニルの矛先をおろした。


「輝。久喜、輝だ。日本の高校生で、この世界に来たのは数ヶ月前だ」


「若いねえ。俺はカイルだ。アメリカから来たんだが……と、今はそんなことどうでもいいな」


 カイルと名乗った男は黒いローブを脱ぎ捨てた。上半身はタンクトップ。下半身は着崩した迷彩柄の軍服。


「輝。この世界は良いぞ。力が全てだ。力さえあれば、奪うも犯すも殺すも自由」


 そして、彼は顔の全面に笑みを浮かべた。刺々しい威圧感を感じて背筋に冷たいものが走る。指先に震えを生じる。


「折角なんだ! てめえも楽しもうぜ! この世界を!」


 カイルは棍棒を片手に駆け出す。紛うことはない、……殺気だ! 俺はグングニルを持ち上げ、構え直した。

 話が通じる相手ではないと思った。それどころか、このまま突っ立っていれば殺されてしまう。……戦うしか無い!


「手がかりだと思ったのに……!」


 大きな歩幅で詰め寄ってくるカイル。彼は俺の目の前まで来ると、上段から真っ直ぐに棍棒を振り下ろしてくる。

 俺はグングニルを水平にしてそれを受け止める。


「ぐっ……おお!」


 重い。腕がイカれてしまいそうだ。

 水平にしていた槍を思い切り押し上げて棍棒を弾いた俺は、相手の棍棒の当たらない距離まで慌てて退いた。そして改めてグングニルを構え直す。

 驚くほどの馬鹿力だ。さっきの一撃を受け止めた腕がまだ軽く痺れている。


「逃げんなよ……楽しくないじゃねえか……。おらァ!」


 カイルが突進と共に棍棒を薙いでくる。受け止めて腕が更に痺れるのを避けたい俺は、後ろへ退いてそれをかわす。充分に余裕を持って避けたはずが、鼻先をかすめる棍棒。


「く……!」


 速い。あんな重そうな棍棒を持っているとは思えないほどの速さだ。


「……てめェ。槍持ってる割りに意外と速えェな。ちょこまかしやがる。それにその武器、ちょっと『良い武器』じゃねえのか?」


 カイルの問いかけには答えなかった。彼がその視線を俺の手のグングニルに向けていて、物欲しそうな顔をしていたからだ。

 先程カイルは『力さえあれば、奪うも犯すも殺すも自由』と言っていた。だから彼が今何を考えているのか、察しがついた。


「……略奪は、この世界で見つけた俺の趣味なんだよ」


 ふ、と不気味に笑い、再びカイルは突進と共に棍棒を振り下ろしてきた。俺もそれに対応して足を後ろへ逃していく。同じような攻撃に慣れてきたし、速いとはいっても、その速さはエレックやミアの攻撃には及ばない。……この分なら紙一重でかわして反撃できるかもしれない。


 そんなことを思ったその刹那、俺はカイルの表情を見て戦慄した。


「な……!」


 笑みというにはやりすぎなほど、顔を歪ませて愉悦を表現している。これは、戦いが楽しいだの、興奮しているだの、そういったものから来ているものじゃない。確実に獲物を仕留められると確信している顔。

 直感が叫ぶ。『この攻撃は紙一重じゃ避けられない』と。


「吹ぅき飛べ!」


 叫ぶカイル。彼の腕が水色の光を帯び始める。

 俺は心の内から訴えかけてくる恐怖に従って大げさに飛び退いた。そしてかわした直後。さっきまで俺のいた場所が……『爆発した』。

 肌を震わせる衝撃音に立ち上る土煙。坑道で遭遇した落盤と同じレベルの現象に血の気が引く。比喩ではない。爆発だ。


「……落盤じゃ、ないよな……」


 額の冷や汗を感じながら後ずさって更に距離を置いていく。


「……ハッハア! 大きく避けたのは良い判断だ!」


 爆心地から乱暴な笑い声が上がった。部屋にわずかに吹いている風が徐々に土煙を薄めていく。その中から、棍棒で地面を穿つカイルが現れた。

 俺は唾を飲み込む。


「何ビビってんだ? 楽しんでくれよ! 戦いを!」


 そう言ってカイルは地面にめり込んだ棍棒を引き抜き、肩に担ぎ直す。彼を中心として二メートル程の半径のクレーターが出来ていた。

 地面を砕いた! 確かに馬鹿力だとは思ったが、地面を穿って『爆発』させるなんて、普通の人間がたどり着ける境地ではない。それに、この一撃をカイルが放つ前に、彼の腕が光を纏っていた。

 彼も俺と同じく、元の世界からこの異世界にやってきた人間だ。だったら持っていてもおかしくない……『アクセサリー』を!

 カイルは棍棒を器用に回しながら高らかに笑う。


「ハッハア! てめェも持ってるんだろ。どんな魔法なんだ? 楽しませてくれよ!」


 俺は反射的に胸元に手をやろうとしてから止めた。わかってる。今の俺に魔法は使えない。頼りにできるのはグングニルと小刀だけだ。

 ……どうする。

 自然と額にシワを寄せてしまっているのを自分で感じながら、カイルをにらみつける。

 カイルの魔法はソラが使っていた『腕力の強化』の比ではない。回復魔法を使えない今、一度でも喰らえば即あの世行きだ。きっとかすっただけでも戦闘不能に追い込まれてしまうだろう。魔法無しで勝てるのか。生き残れるのか。


「ふうう……」


 頭の中に満ちていくネガティブな情報をため息とともに吐き出していく。

 焦るな。絶望するな。死にたくなければ足掻くしか無い。

 ……ポジティブな情報が無いわけじゃないんだ。攻撃速度はソラよりも遅い。魔法を使っていないミアやエレックよりも全然遅い。目で見て避けられるものだ。それに今の攻撃は乱発してこないはずだ。放ったとしても地面に向けてしか撃ってこないだろう。

 ここは鉱山だ。いたずらに衝撃を与え続けたら落盤が発生して生き埋めになることくらい、理解しているはず。

 後は……今の衝撃音。他にも鉱山に侵入している義勇軍の戦士は沢山いる。異変を感じ取って様子を見に来てくれるかもしれない。


 そして、何よりも、彼は『アクセサリー』の所有者――。


「覚悟を決めろよ、俺」


 ――元の世界に戻るための鍵は目の前にあるんだ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る