鉱山(4)
「おーい、無視(シカト)かー。てめェの魔法はどんなだって聞いてんだがよ!」
身の丈二メートルに届く巨体で棍棒を大きく回しているカイル。彼はしびれを切らしたように怒鳴ってから、棍棒を片手で持って肩に担ぎあげる。
「それとも手の内を晒すのが怖いか? じゃあこっちからもう一つ見せてやるよ! 『氷の刃』を!」
彼は空いている手のひらを俺に向けてきた。その手が徐々に青白い光を纏い始める。
魔法。手のひら。光――。
「――これは……!」
嫌な予感がして、俺はカイルの手のひらの向いている方向から外れるように横へと飛び退いた。瞬間、俺の横を何かが掠めて通りすぎる。
「うぐ」
無様に倒れ込みつつも、受け身をとって直ぐに立ち上がる。カイルに注意を払いながら、先程掠めたものが何だったのかを確認するために振り返る。
「ガラス……いや、氷か!」
部屋の金属製の壁。そこに二十センチぐらいの大きさの、透明の『氷の刃』――大きな氷柱(つらら)――が刺さっていた。
「ハッハア!」
再び響くカイルの笑い声。俺は視線を彼に戻す。
「こっちの技は見せたぞ、ジャパニーズ。てめェの番だ」
「くそ。遠間も、か」
異様な威力の近距離攻撃に加えて、遠距離からでも鉄板を貫けるような『氷の刃』を持っている。他には何があるんだ。いや、何を持っているにせよ、俺の取れる戦法に変わりはない。俺に遠距離で戦うすべがない以上、『いつもどおり』の一つだけ。
……近づくしかないってことだ。
「う、おおおおお!」
グングニルの切っ先をカイルに向けながら俺は走り出した。だが、覚悟の突進のような捨て身のものではない。ある程度身体を起こし、視界を確保。何があっても対応できるように警戒しながらの突進だ。
カイルが嬉しそうに笑みを浮かべて、棍棒を構える。
「おっ。やる気になったか!」
彼はどっしりと待ち構えながらも、俺に向けて『氷の刃』を一つ撃ち出そうとしてくる。俺は彼の手のひらの動きを見て、突進していたその足の歩幅を短く調節し、左右へ細かくステップを刻む。
「ちょこまかと! まるで猿だな!」
フェイントを入れた俺の動きで、手のひらの狙いが定まらないカイル。彼の放つ『氷の刃』は俺を捉えきれずに外れていく。かろうじて回避した俺は一息に距離を詰めた。そして息を止めて、歯を食いしばる。
仕留める!
グングニルの柄を手の中で滑らせて短く持ち、まずは首筋を狙って一突き。
「ハッ……」
片足を引いて半身になったカイルに簡単に避けられる。問題ない。こっちはブラフだ。本命は――。
「届け……!」
――左手の小刀で追いかけて袈裟斬り!
「ハア!」
カイルは棍棒を横に構えて受ける。鍔迫り合いに持っていかれたら力のない俺は不利だ。
「く……まだ!」
直ぐに空振ったグングニルを引きつけるようにしてカイルの足元を斬り払った。命中し、向こう脛を切り裂いたと思ったのも束の間、硬い手応えと金属音。刃が進まない。……仕込み鉄板か!
「惜しかったなァ」
カイルが不敵に笑い、棍棒を引いて突きの予備動作。その手に、青白い光。『爆発』と形容したあの無茶苦茶な一撃が、来る!
恐怖で目を瞑りかけて、それを気持ちで無理やり開く。閉じるな。よく見ろ。その一撃よりもっともっと速い一撃を、俺は知っている。
「うわあああああ!」
「頭吹っ飛べ!」
額めがけて棍棒が突き出される。首を左に倒すだけじゃ避けきれない。とっさにグングニルで地面を突き、その反動で体ごと左へ。
棍棒が、俺の右耳の一部を擦って通り過ぎる。空を切る棍棒の衝撃波のようなバツリという音がして、右耳を鋭い痛みが襲う。
「ぐ、おおおおお!」
「ハ……避け……!」
地面に突き刺してしまったグングニルは動かせない。俺は痛みに叫びながら左手の小刀を振るい、無我夢中で斬り上げる。
右手で棍棒を突き出した格好のカイルの右脇から、赤い血がほとばしる。
「ちいいっ! 猿があああああ!」
カイルの絶叫。だが、今度は俺の脇腹を強い衝撃と痛みが走った。
「ぐえっ」
地面を二度も三度も転がって、部屋の壁に叩きつけられる。
蹴られた! 鉄板を脛に仕込んでの蹴りだ!
「か、ひゅ……!」
目が回る。痛い。痛みが邪魔で呼吸が上手く出来ない。
「くうう」
意識が遠くなりかけて、頬の内側を噛む。口をパクパクと動かし、強引に呼吸をする。目の前が白黒していたが、敵の姿を探して痛みを堪える。
どこだ! カイルはどこにいる!
「はあ……! ふう……!」
徐々に息を吸えるようになってきて、視界が明瞭になっていく。部屋の中央でカイルが膝を折って跪き、棍棒を放って右脇を左手で抑えていた。
「ぐ……ハッハア、やるな、ジャパニーズ……」
俺は立ち上がって武器を構えようとするが、眩暈の時のような地面が定かではない感覚のせいで立ち上がる事ができない。壁にもたれ掛かって座る形で何とか身を起こす。痛みに慣れて、呼吸ができるようになって、少しずつ思考がクリアになってくる。
身体が思うように動かない。全身痛いのは確かだが、特に酷いのは左側の脇腹と右耳。左側の脇腹は蹴られた時に肋骨が折れているかもしれない。そして右耳は裂けているか、悪ければ一部吹っ飛んでいるだろう。頬を伝って顎から滴り落ちてくる血液がそのしるしだ。
でも、何よりの違和感は……右側の音が聞こえないことだった。カイルの棍棒による『突き』は空振りだったが、その衝撃波で鼓膜が破れてしまった可能性が高そうだ。
「はあ……はあ……」
だが、カイルも重症だったのか、部屋の中央で相変わらずうずくまって動きを止めている。どうかそのまま、動かないでいてくれ。
「ハッ、ハア……。楽しくなってきたじゃねえか」
カイルの左手から青白い光があふれる。まさか、回復魔法を持っているのか。
だが、俺の予想が外れたことはすぐに分かった。青白い光が収まると、カイルの右脇が凍りついていたからだ。回復魔法ではない。傷口を凍らせて力尽くで止血をしたんだ。
カイルが回復魔法を持っていなかったのは幸いだが、状況は良くない。あの傷口を抱えて『爆発』を行ってくることは無いかもしれないが、『氷の刃』は放てるはず。
カイルの視線が俺に向けられる。歪んだ愉悦を内包しているのが容易に分かる。
「せっかくの玩具だ……。まだまだ終わるんじゃねえぞ……!」
「この、戦狂いが……」
全身怠いが抵抗しなければ死ぬ。戦うための武器を持っていないことに気がついて俺は辺りを見回す。この部屋の隅まで蹴り飛ばされていく途中で手放してしまったに違いない。案の定、小刀が転がっているのを直ぐに見つけることが出来た。俺の座っている場所から五メートルほどの距離だ。
欲を言えばグングニルを見つけられたほうが良かったが、四の五の言っている場合でもない。取りに行かなくちゃ。
「な――」
だが、武器を取るために立ち上がろうとした俺は上手く地面を踏みしめることも出来ずに、再び倒れてしまった。
「――んだこれ」
地面が揺れている。いや、違う。カイルの突きによる衝撃波で、右耳の三半規管にまで影響が出ているんだ。
必死に地面を這う。口の中に入る土の苦味を感じながら横目でカイルの様子を探る。彼はすでに立ち上がっていた。
右腕がだらりと下がっているが、棍棒をしっかりと握っている。そしてその左手のひらは俺を捉えていた。
「ハッ、立てもしねえか。ならもう良い。記念に武器は貰っといてやるよ」
身体の芯から温度が抜けていく。手足からは感覚が薄れていく。視界の揺れで、全身が震えているのがわかった。死の恐怖。ここまでか。
「いやだ、帰るんだ、俺は。助けてくれ……エレック……ミア……」
突然、金属が軋む音。音のした方を見ると、俺がこの部屋に入ってきた扉とは別の扉が開いていくところだった。
そしてそこから一人の男が滑り込むように部屋に入ってきた。真っ白な刀身の長剣を手に携えた、短髪の青年。あれは――ユリウスさん。
「この部屋は……。あ……輝!」
ユリウスさんが俺を見つけて駆け寄ってくる。カイルに背を向けて。……気づいていないのか!
「ハッハア! 割り込み禁止だ!」
カイルはユリウスさんに手のひらを向けている。すでに手のひらには青白い光がまとわりついている。不味い、『氷の刃』が来る。
「ユリウスさん! 後ろだ! 避けて!」
言い終わるや否や、カイルの手から一個の氷柱が生成され、勢いよく飛び出していく。もう避けることは能わないと目を瞑りかけた俺が目にしたのは、立ち止まったユリウスさんの面倒くさそうな表情。
「邪魔だ」
彼は一声、後ろを振り向くことすらせずに剣を振るう。直後二つの乾いた音。壁に二つの氷柱が突き刺さっていた。
……二つ?
カイルが射出した『氷の刃』は一つだけだ。不思議に思って壁をよく見ると、刺さっている氷柱は綺麗に縦半分に割れていた。
「馬鹿な……鉄を貫く『氷の刃』を……!」
カイルが動揺の表情を見せる。ユリウスさんは俺を一瞥し、「少し待っていろ」と言ってカイルに向き直った。
「今、ユリウスって言ったか。まさかてめェが、『唯剣』のユリウス……!」
「さあな」
「……いいや、その手の甲の紋章。剣の腕。『唯剣』で間違いねえ!」
「だとしたら、何だ」
冷たく返答するユリウスさんに向けて、カイルは棍棒を構え直す。
「一度、戦(や)ってみたかったんだ……。この世界の最強を賭けて!」
さっきまで乱暴な戦い方をしていたカイルがしっかりと構えている。中段で正眼。やや棍棒を体に引き付ける。その巨体が肩をすくめて小さくなり、狙いづらくなっている。『待ち』の構えだ。
だが、ユリウスさんは動かず、剣も構えない。
「こねぇなら、こっちからいってやるぜェ!」
その堅牢な構えのままカイルが爆発的な速度でユリウスさんに突っ込んでいく。突進の威力と巨体の重量をのせて棍棒をマーカスに打ち込む。
ユリウスさんは剣で受け止めることもなく、二度、三度と体捌きのみで棍棒をかわしていく。
「凄え……」
痛みも忘れて俺はユリウスさんの動きに見惚れてしまう。素早いわけではない。ただ流れるような動きで、まるでカイルがどこを狙っているかをわかっているような動きで避けている。
「最強を賭けて戦うには、足りないんじゃないか」
ユリウスさんは息一つ乱さず、掠らせもしない。それどころかあのカイルを煽っている。煽られたカイルはというと、顔を真っ赤にしてユリウスさんを睨みつけた。
「てめェえええ! ちゃんと戦えやあああああ!」
カイルの腕に青白い光。……来る! 『爆発』だ!
「ユリウスさん! あいつから離れて!」
「……必要ない」
カイルの棍棒が振り下ろされる。その時になって、ユリウスさんは初めて剣を構えて……目にも留まらぬ速度で振り抜いた。
一瞬の後、カイルが棍棒を振り下ろした格好のままで止まっていた。だが、危惧していた『爆発』は起こらず、静寂は守られたまま。
「ハッハア……?」
カイルはぽかんとした様子で固まっていた。それもその筈だ。彼が振り下ろした棍棒が下半分を残して消えてしまったからだ。
「見えもしなかったか」
憐れむようなユリウスさんの声。その右手には長剣と……左手には棍棒の上半分があった。
カイルはその手から、持ちてだけになってしまった棍棒を取り落し、後ずさる。
「斬りとったのか……芯まで鉄の棍棒だぞ……嘘だろ……」
ここにきて初めて恐れの表情を見せた彼に剣を向けて、ユリウスさんは棍棒の先端を地面に捨てた。
「嘘なものか。先の『氷の刃』は鉄を貫くのだろう。それを斬れる俺が、鉄の塊を斬れぬ道理はない」
「化け物が……! ぐっ?」
カイルは呻き声を上げる。右の脇から再び血が吹き出してきていた。『爆発』の動きで凍らせた傷が開いたんだ。
彼は左手で再び右脇を押さえて凍らせる。そしてそのまま更に後退していき、部屋の壁際まで後ろ向きに歩む。
「……ここで死んでも構わねえが、俺もラルガさんのお使いの途中だ。……退かせてもらうぜ」
暗くてよくわからなかったが、気づくとカイルは部屋の隅にある、また別の扉の近くまで来ていた。扉はすでに開かれており、その奥に坑道が続いているのが見える。
ユリウスさんが一歩前へ進んだ。
「逃すと思うか?」
「逃すんだよ! ……喰らえ!」
カイルが青白い光を纏わせ、手のひらをユリウスさんではなく俺に向けた。
「ハッハア! あばよ!」
俺を目掛けて『氷の刃』が撃ち出される。今の俺の状況では避けるなんてとても無理だ。そう思ったのも束の間、すぐさまユリウスさんが俺の前まで戻ってきて、『氷の刃』を切り裂いて防いでくれた。
俺は目の前のユリウスさんにお礼を言う。
「あ、ありがとう、ございます」
「いい。当たらなかったか?」
「はい、今のは何とか――」
九死に一生を得た俺が安心しかけると、そんな俺の言葉を遮って爆発音が響く。カイルのいた方向。
何事かと目を向けると、扉の先に続いていた坑道が瓦礫によって埋められていた。空いた隙間もご丁寧に透明な氷で埋められている。
「ち。逃げられたか……」
ユリウスさんが面倒そうにため息をついた。
カイルは俺を狙って『氷の刃』を放った。それをユリウスさんが防いでいるうちに坑道へ入り込み、例の『爆発』を使って入り口を落盤させたんだ。
ユリウスさんは塞がれた坑道から俺に視線を戻し、手を差し出してくる。
「輝、立てるか」
「……ちょっと、難しいかもしれないです」
依然として眩暈が収まらない。全身の打撲も痛み続けている。
するとユリウスさんは懐に手を入れてから、何かを取り出して差し出してきた。
「拾いもんだが、使え」
その手にあるのは、爪の大きさほどの光沢のある黒い石。……王都で奴隷商が使っていた、『魔導石』だ。
「あ、これは……」
「理由はわからないが、魔法が使えなくなっているんだろう」
「何故、それを……」
問うと、ユリウスさんは「魔法が使えるなら、『そんな』状況にはなっていないだろう」と答えた。
確かに、その通りだと思った。
「ありがとうございます」
俺はユリウスさんの手から魔導石を受け取り、胸元の銀のペンダントを取り出して、重ねるように一緒に握り込んだ。
目を閉じる。エレックから魔力を受け取ってミアを治癒した時を思い出しながら、全身の傷が治癒していくイメージをする。魔導石から染み出した魔力がアクセサリーを通し、全身に広がっていく。
痛みが薄れていき、平衡感覚が取り戻されていく。治癒が終わったことを感じてから目を開いて魔導石を見ると、鏡のように綺麗だった表面が少しくすんでいた。
「……助かりました。本当に、ありがとうございます」
全快した俺は立ち上がってユリウスさんに再びお礼を言う。彼は「気にするな」と微笑んでから、「でも、『それ』を使ったのは内緒にしといてくれ」と言った。
「鉱山の『魔導石』はほとんど持ち去られていた。そんな貴重なものをくすねたとなったら俺は処断されてしまう」
俺は無言でうなずいた。
持ち去られていた、というのは『反乱軍によって』ということだろう。残った魔導石も義勇軍が接収する。そうなると俺の予定が崩れる。ソラたちと相まみえる前に、魔導石を手に入れなきゃいけなかったのに。
……いや、待てよ。
ソラたちと戦う必要はないかもしれない。カイルという『所持者』がいたのだ。彼のアクセサリーを奪えば良いのではないか。独力で彼を見つけて殺すのは難儀かもしれないが、反乱軍と戦っているソラたちであれば協力してくれるかもしれない。
「……輝」
不意に呼びかけられて、ユリウスさんに目を向ける。彼は俺の手にあるくすんだ『魔導石』を指差した。
「それは輝に渡す。どう使うかは任せるよ」
「良いんですか……?」
「ああ。俺には必要ないし、かといって義勇軍に渡してマーカスに勝手に石を使ったのがバレるのもな。だから輝が使ってくれ」
うまい話に思えたが、ユリウスさんが言うのなら嘘ではないのだろう。それに、俺にとっても損なことではない。あまりに都合がいいので少し気にかかるが、気にしないようにしよう。俺は手を閉じ、しっかりと魔導石を握り込んだ。
「……わかりました。使わせてもらいます」
「よし。それじゃあ、さっさと出るか。鉱山内の主だった場所は制圧済みだ」
ユリウスさんはそう言うと剣を鞘に収めて歩き出した。それを追って俺も一歩足を踏み出して、止める。
……やはり、気になるものは気になるな。
「……ユリウスさん」
俺は彼の名をつぶやき、呼び止める。ユリウスさんは立ち止まって振り返った。訝しげな表情の彼に向かって俺は問いかける。
「何故、ここまで良くしてくれるんですか」
ユリウスさんは驚いた表情をしてから小さく笑うと、俺に背を向けてしまった。
「さあな。理由は色々だ。……まあ、落ち着いたら話すさ」
彼はそう言って再び歩き始める。
俺もそれ以上深く尋ねる気にはなれず、彼の後について薄暗い坑道に入っていった。
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