追跡(5)

 柔らかな夕陽が遠くの丘陵越しに赤い光を送り込んでくる。自然が豊かだったハリアを離れ、草木の乏しくなった荒涼とした大地のわずかな凹凸が長い影を落とす。どうやらハリアより西に行くに連れて、植生がガラリと変わっていくらしい。植物は草原や森林を形作るようなものではなく、岩や乾いた大地に蔓延る苔のようなものが主だ。

 ハリアを経った翌日の夕方。この日の行軍は終わり、義勇軍の戦士たちはそれぞれ数人で固まって夕食の準備を始める。


 そんな中、俺は刃に布を巻いたグングニルと鞘に収めたままの小刀を、ミアは普段扱っている短刀と変わらない長さの木の棒を手に、互いに向き合って対峙していた。


 張り詰めた空気。瞬間、ミアの目から光が消える。


「行くよ」


 彼女はそう言い放つと、その小さな身体を更に小さくさせるような低い姿勢で駆け出して俺との距離を詰めてくる。


「来い……!」


 俺が答える頃にはミアが俺に木の棒の切っ先を突き出してきていた。よく見てから、左手の小刀でいなすように木の棒を弾く。そして、右手のグングニルで横薙ぎに斬りかかる。


「はあっ!」


 羽のように軽いグングニルの刃がミアに迫る。しかし、しゃがみこんだ彼女によって易易とかわされてしまう。

 俺の身長にも足りないほどの長さで普通の槍よりも短いとはいえ、グングニルは槍だ。懐に潜られた状態ではどうしても大ぶりになってしまい、当てられない。


「まだ、だよ」


 大きく空振った俺を目の前にして、ミアが木の棒の切っ先を再度俺に向ける。苦しい体勢だが、まだ防ぎきれないわけじゃない。俺は木の棒を小刀で受け止めてから後ずさる。

 なんとか下がって立て直さないと……!


「ぐっ……」


 呼吸を止めて、足を後ろに逃していく。だが、ミアの追撃が即座にやってくる。俺は小回りの効く小刀で彼女の猛追を五回、六回と受け流しながら更に後ろへ下がっていく。そして、十回の攻撃を凌ぎきってミアも攻撃の手を止めて距離を取る。


「あぶね……」


 止めていた息を吐き出して、構え直す。相対しているミアもたった数瞬で呼吸の乱れを整える。彼女は武器を構える俺を見てから口を開く。


「……輝が使うのは小刀ばっかだね。その槍は飾りなの?」


 ため息混じりにそう言った彼女は、有ろう事か、木の棒を地面に捨てた。


「右手に重い荷物を持ったままの輝が相手だったらボクも、本気出さなくて大丈夫かも」


「……くそ!」


 舐められてたまるか!

 俺は無手のミアへ向けてグングニルで思い切り突きを放つ。見切られているのか、紙一重で避けながらミアが再び懐へ突っ込んでくる。俺は小刀で迎え撃とうと左手も突き出すが、彼女は小刀を持つ俺の左手首を払い退けて視界から消えた。


「何……!」


 消えた。否、おそらく俺の背後に回り込んだんだ!

 慌てて振り向く。同時に彼女の手が伸びてきて、俺の首元に触れた。


「あ……」


「死んだよ、今」


「……降参……」


 白い指先が俺の首から離れて、ミアは微笑んだ。疑う余地は無い。……俺の、負けだ。


「――二人とも、お疲れさん」


 ねぎらう声が横から聞こえた。声の方を見ると、ゆるいウェーブのかかった金髪をなびかせた青年、エレックが冗談交じりの拍手をしながら近づいてきていた。


「エレック」


「それでも、組打ちのたびにその変則二刀流も良くなってきてると思うぞ」


 俺は昨夜、ミアから戦い方を教えて貰うことになった。その後夜警から戻ってきたエレックも協力してくれることになり、行軍の合間に訓練を繰り返している。

 折角グングニルという軽い武器を手に入れたので槍の練習をするべきかとも考えていたが、三人で相談した結果、右手に槍と左手に小刀という変則二刀流を身につけることにした。

 今は二人に協力してもらいながら、この変則二刀流での立ち回りを完成させるために試行錯誤しているところだ。


 俺は上がった息を整えるために小刀を鞘に収めて地面に槍を突き刺した。


「それにしても、ミアは強いな……全然歯が立たなかったよ」


「間合いの管理ではまだまだミアに分があるから仕方ない。少年はもっと槍を短く持ったり長く持ったりして、状況に対応しないと」


 エレックに指摘されて俺は再度槍を手に取った。

 槍の端の方を持って長さを活かす。槍の真ん中あたりを持って、剣のように細かく振るう。エレックにはこの切り替えを早く身につけるように言われていた。

 ……そういえばさっきのミアとの組打ちでは、一度も出来ていない。勢いだけで体を動かしてしまっていた。


「……むむ」


 片手で槍を扱っているのでそう簡単には切り替えは出来ない。戦っている途中に手の中で槍の柄を滑らせたりするのは結構難しいのだ。下手をするとすっぽ抜けてしまう。

 手の中で槍の柄を滑らせる練習をしていたら、目の前のミアも口を開いた。


「ムキになるのも……あんまり良くない」


「う……」


 彼女の言う通りだ。先程の組打ちではミアが得物をわざと取り落とす形で挑発してきた。俺はそれにまんまと引っかかって、不用心な突きを放ってしまった。


「……返す言葉もない。反省するよ……」


「冷静にいられるようになれば、『嘘』も織り交ぜられるようになるよ」


「『嘘』か……なるほど」


 彼女の言う『嘘』というのはフェイントのことだろう。そういえば闘技大会のときもそのフェイントにしてやられた。

 あえて武器を手放すというのはやりすぎだと思うけれど、そういった挑発も相手がよく見えているからこそ出来る芸当なのかもしれない。

 ……『間合いの管理』。『ムキになるな』。二人の指摘をまとめると、俺には技術以前に冷静さが足りないんだろうな。それに気づけただけでも一歩前進か。


「……そろそろ、ご飯の準備、しよっか」


 ミアの言葉に顔をあげると、太陽が光を差し込ませる角度を大きくしていた。東の空は深い青色になってきている。元の世界と変わらない、薄暮の空。このくらいの時間を逢魔が時というのだと、中学生の頃に一樹に教えてもらったっけな。


「今日は当番、ボクだよね。食材もらってくる」


「俺も食材取りに行くの手伝うかな。少年はちょっと休んでな。疲れただろ?」


 ミアとエレックに言われてから、右手に持っている槍を見た。組打ちの時に怪我を負わせないように布でぐるぐるに巻かれている穂先と、銀色の持ち手が目に入った。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな……」


 俺がそう答えるとエレックは「おう、そうしろ」とただ一言。ミアと連れ立って食糧を積んでいる馬車へ向かって歩いていく。

 二人を見送って俺は槍と小刀を構えた。時間をくれるというのなら、少しでも練習しておこう。組打ちが出来ないから動きの確認と素振り程度だが、何もしないよりは良いはずだ。


「……ふっ! ……たあっ!」


 声を出しながら槍を振り下ろし、小刀で突く。

 こうして身体を動かしていると、元の世界で部活動に勤しんでいたときのことを思い出す。色々あって夏前にはやめてしまったが、競技自体は嫌いじゃなかった。もちろん、元の世界に戻ったとしても、部活動に戻ることはないだろう。戻れない理由がある。

 それどころか、元の世界にはミアやエレックのように俺のことを大切にしてくれる人自体そう多くいるわけではない。元の世界に戻ろうが、あの教室に居場所があるわけではない。強いて言えば、傷んだ俺の机と、弱音を吐けない我が家があるくらいだ。

 ……考え方によっては、このまま異世界にいたほうが幸せなのかもしれない。


「……はっ! ……とうっ!」


 それでも、人を殺してでも元の世界に帰りたいのは、まだ喧嘩が終わっていないからだ。『藤谷カズト』との、くだらない喧嘩だ。

 逃げてしまったら俺の負けだ。だからこうやって俺は、槍を振るい続けているんだ。



 ハリアを出立してから四日目になった。だだっ広い荒野が続いていたのは三日目の昼までで、そこからは起伏に富んだ山道へとなっていった。

 この行軍の目的地であるヤマトは貿易の中継地点として栄えている港湾都市だ。他の戦士に聞いた話によると、都市の周囲には緑色の丘陵地帯と深い森が点在する豊かな場所らしい。異国のものも溢れており、彼の町で年中出店されている屋台料理は筆舌に尽くしがたいのだそうだ。

 しかし、海路ではなく陸路でそこへ向かうとなると一つの難所があるという。それは『ヒュルー山岳地帯』と呼ばれる一帯だ。魔導石を産出する『フラルダリル鉱山』と、その鉱山労働者の多く住む村である『ヒュルー』を中心とした山岳地帯で、乾いた岩肌ばかりが続いている。

 まさに義勇軍はこのヒュルー山岳地帯に足を踏み入れていた。


「明後日にはフラルダリル鉱山の麓のヒュルーまで到着する見通しみたいだぞ」


 左右を高い崖に挟まれた峡谷の底を進みながら、エレックが地面に転がる小石を蹴飛ばして言う。彼の言葉の裏には、『遅くとも明後日には戦闘がある』という意味が含まれている。

 ヒュルーは今、ラルガ率いる反乱軍によって制圧されているらしいのだ。

 そして義勇軍はヤマトに向かう前に、魔導石の産出場所でもあるフラルダリル鉱山を取り戻すつもりである。


 この行軍が始まってから、魔導石を積んだ馬車や商人などとはすれ違わなかった。ハリア……ひいては王都方面への魔導石の供給が絶たれているということは、反体制側に鉱山が抑えられているという情報が正しいことを示している。


「戦いか……。少しはマシになったかな……」


 急に不安が心の中に滑り込んできた。あれからミアとエレックに色々と戦い方を教わった。元々、ラーズやマーカスさんたちにも基本的な部分は叩き込まれていたので、きっと訓練を受けていない普通の人間よりは戦えるのだろう。

 ……それでも、これから相手にする兵隊はプロだ。反体制側でおそらく統治機構もないだろう彼ら反乱軍が、農民を徴兵しているというのは考えにくい。職業軍人と戦わざるを得ないのは確定だろう。

 それに、俺が『カデルの坂』を越えて『フォリア大河川』を渡る前に出会った『ラルガ・エイク』という男がほいほいと軟弱な人間を徴兵するとも思えない。


「輝」


 後ろ向きなことを考えていたら、ミアが俺の服の裾を引っ張ってきていた。


「輝は強くなってるよ。無理をしないで立ち回れれば、きっと死なない。……ボクもいる」


「……ミア。……そうだな。ありがとう。ちょっと、弱気になってたよ」


 そうだ。励まされている場合じゃない。元々は俺が俺の目的のためにここまで来たんだ。そのたびについてきてくれている二人に心配させて、これ以上の迷惑をかけたくはない。

 大丈夫。切り抜けられる。フルの力なんてなくても……。


「……フルの力か……」


 王都からハリア、そしてこのヒュルー山岳地帯までの旅で、魔法がどれだけ便利なものだったのかがわかった。

 使いすぎると眠くなってしまうのは困ったものだが、身体能力は向上させられるし、筋肉痛や肉体的な疲労も癒やすことが出来る。風の刃は……戦わない限り使うことは無いけれど、火を起こしたりする時に風を吹かせられるのは便利だったな。無くなってようやく分かった。


「なあ、エレック」


 俺はミアではなく、エレックに声をかける。おそらくミアよりもこの世界について詳しそうだと思ったからだ。


「……ん? どうした?」


 金髪を揺らして振り向くエレック。その横で、ミアもこっちを不思議そうに見ている。

 俺が声をかけた理由は一つ。少し知りたいことがあった。


「あのさ、『魔法』って、あるだろ?」


 周りに聞こえないようにある程度声のトーンを落とす。


「俺のいた『元の世界』では、その存在を信じられてないんだ」


 そう言うとエレックは明らかな疑問符を頭の上に浮かべたように眉をひそめた。


「そんなはずは……。第一、『狛江ソラ』たち異世界の一行は皆魔法を使用してた。それに現に少年だって、精霊を……確か、『フル』を身に宿してただろ? 魔法が信じられてないだなんて――」


 俺はエレックの話を遮って銀のペンダントを懐から取り出す。


「――全部、この『魔法の装飾品』のせいなんだ。……こんなものがあるなんて知ってるやつ、俺のいた世界にはいないと思う」


 少しだけ嘘だ。俺にこのペンダントを渡してきた初老の男性。彼は例外だ。何者なのかもわからないが、異なる世界に来てしまった今、それを知るすべはない。

 俺は銀のペンダントを固く握った。


「『これ』は俺たちのいた世界では異質な存在だ。ちょっと前までの俺を含め、ソラたちも『これ』のお陰で魔法を使えていた。精霊フルも『これ』の中にいた存在だ」


「……成る程ね。眉唾ではあるが、信じるよ。少年の言ってることだしな」


 エレックは柔和に笑ってうなずいた。俺はペンダントを握る力を弱めた。手のひらの中で銀色が光っている。


「ありがとう。……そんなわけで、俺は全然魔法について知らないんだ。だから、ちょっと詳しく教えて欲しいことがあるんだけど……」


「魔法ね。何について訊きたいんだ?」


 うなずきながらエレックが促す。俺はペンダントをしまいながら質問を投げかけた。


「魔力がない人が魔法を使うためには、やっぱり『魔法武器』を『魔導石』で動かす以外に方法は無いのかな?」


 王都で奴隷商が使ってきた『飛ぶ斬撃』を放つ剣や、リザさんが使ってくれた回復魔法の出てくる腕輪。あれらは魔導石をエネルギー源として魔法を発動させていた。

 ……そう。俺はまだ魔法という力を諦めきれていない。生き残るための力はミアの言う通り、身についてきているのかもしれない。でも、『狛江ソラを殺すための力』は魔法なしではたどり着けない境地にあると思った。

 エレックは俺を一瞥してから、うなずく。


「まあ、そうだな。少しでも素養があれば鍛えられるが、魔力がない人間には無理だ。例えば俺は、生まれた時に魔力をちょっとだけ持ってたから、それを鍛えて少しだけ魔法を使えるようになった」


 話を聞く限り、元手がないとどうしようも無いみたいだ。でも、わずかにでもあれば鍛え上げられると。

 ……と、いうか。


「魔法、使えるのか?」


「貴族だから、一応な。まあ、尋常じゃなく疲れるからほとんど使えないに等しいけど」


「そうなんだ……。ん、貴族だからってことは、ミアも?」


 視線をミアに向ける。彼女は首を横に振る。そりゃそうか。彼女が魔法を使うところを見たことがない。

 しかし、エレックは違った。


「ミアも使えるだろうな。魔力は遺伝だ。ミアの父親も、……魔法は使える」


 ミアの父親……サターン、か。連想するのは彼の異常なまでの強さ。覇気を纏った強い目。……そして、服従の魔法。

 エレックの言うように魔法が遺伝だと言うなら、ミアもまた魔法を使う素養はあるのだろう。ただ、鍛えられていなかっただけで。

 ……『羨ましい』と思いそうになる自分を急いで殺し、頭を振る。その揺れる視界の中でミアが足を止めるのが見えた。不躾な話題になってしまったからだろうか。俺は申し訳ない気持ちになりながら、ミアにあわせて立ち止まった。


「……ミア。あの――」


「――静かにして」


 ミアが真剣な顔で俺を制する。怒っているのかと思ってから、すぐに認識を改めた。エレックも何かに気づいてミアと同じように周囲に視線を飛ばしていた。


 どうしたんだ……?


 俺も二人に倣って周囲を見回してみる。既に、何人もの他の義勇兵たちも足を止めて武器を抜き、警戒態勢に切り替わっていた。

 急にやってきた緊張感に、俺は胃が狭まるのを感じる。戦いが始まる時と同じ、迫り圧す空気。


 峡谷と、底を進んでいた義勇軍。それ以外に何も見当たらない。


 目を凝らすだけではなく耳も澄ましてみる。乾いた風が谷底を吹き抜ける独特な音がする。そこに少しの違和感。鎧や武器などの金属が軋む音が、横ではなく、上から聞こえてきた。

 俺は顔をあげる。陽光が一瞬俺の目を眩ませて、それから崖に並び立つ人の影を捉えた。


「……敵襲だ! 矢が来るぞ!」


 義勇兵の誰かがそう叫んだ。同時に、崖上の影が弓矢をつがえる。


「盾を構えろ! 持ってないやつは崖下に張り付け!」


 その声が響いた直後、谷底を吹き抜ける風音に、大量の矢が空を切る音が加わった。

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