追跡(4)
明朝。ハリア西部、郊外に広がる草原に数多の戦士たちが集まっていた。物資を積んだ馬車の御者や荷持の人などの非戦闘員を含めれば数は千を超えているだろう。昨日の集会にいた人数よりも多い上、皆が武装も旅支度も済ませているので物々しく感じる。
俺はミアとエレックの二人と一緒にこの義勇軍の隊列の中に混じりこんでいた。
義勇軍に誘ってくれたマーカスさんに一声かけるべきかと思ったが、俺たちが居るのは隊列の後方だ。周囲の戦士に聞いた話だと、マーカスさん含め義勇軍の主要人物は彼らの私兵とともに前方にいるらしい。
将棋やチェスのイメージでしかないが、大将は後方に陣取っているものと思っていたのだけど、今回の義勇軍はそうではないのだろう。……別に軍略や戦術に詳しいわけでもないので、この采配が正しいのかどうなのかは俺もよくわからないところではあるのだが。
「思っていたより数は集まってる、か……」
顔をしかめたエレックが周囲の様子を見渡して一言。彼は周囲の戦士たちとは違い、軽装だった。兜はかぶらず弛いパーマの金髪はそのまま風に流れている。右腕にはわずかに板金をあしらった革手袋。足は動きやすそうなブーツ。
「ヤマトまでは距離があるからな……。指揮が通じる私兵を前方に置いて、行軍速度の統制と斥候をまとめて行うつもりなんだろう」
「エレック、こういうの、わかるのか?」
解説をしてくれたっぽい彼に訊くと、口元を緩めて「当てずっぽうだよ」と肩を竦めた。
「でかい戦争なんて経験したことないからな。昔、家の騎士団を率いて盗賊退治はやったことがあるけど、精々数十人程度。この規模になるとチンプンカンプンだ」
「そっか、そういえば、エレックも貴族なんだよね」
「下級のね。だから、まともな用兵は学んじゃいない。……ミアも同じか?」
エレックがうつむいて小さくなっているミアに目を向ける。彼女はピクリと反応したあと、頷いた。
「……うん。ボクも全然……」
控えめに答えるミア。周囲を警戒している。……将軍ラルガの後援者にはサターンがいる。その子供である彼女の存在は、下手をすれば内通者の疑いを持たれる可能性がある。警戒は、それが理由だろう。
でも、個人的にはその心配をする必要はない、と俺は思っている。……それはミアの格好が女性のものだからだ。
ハリア闘技大会でデミアンとして出場したときは男として出場していたし、周囲もそう思っていただろう。今のミアの服装は、流石に昨日のスカートでは無いものの、女性物の旅装だ。気づく人間は居まい。
彼女もエレックと同じく、鎧兜の類は身につけていない。精々胸当て程度のものである。それは、実は俺も同様である。これには理由があった。
昨日宿屋でミアとエレックに軍に参加する話をしたあと、装備を買いに行こうと提案したのだが、エレックに却下されてしまった。
「少年の目的は敵を倒すことじゃない。橋山一樹たちの居場所を突き止めることだ。だから積極的に戦闘に参加するよりも上手く戦場で立ち回るほうが重要だ。身軽な方が良い」
……と、そう言っていた。
確かに、ミアやエレックのような強い戦士であればそれで良いのだろうが、魔法の使えなくなった俺は一般人である。鎧兜を身にまとったほうが安心できるのだけど……。
「……いや、難しいか……」
俺は自分の背中にかかる旅の荷物の重みに小さくため息をついた。
今背負っているこれだけでも結構しんどい。これに加えて鎧を着こんで自由に動けるとも思えない。
それだったらまだ、いざという時に走って逃げ回れるくらいの格好でいたほうがマシだ。そういう意味では昨日のエレックの判断は正しかったのだろう。
考え込んでいると、遠くから太鼓の音が響いてきた。音に合わせて、周囲の戦士たちが歩み始める。
「……進軍開始、だな」
エレックが俺とミアを振り返って呟いた。俺も、隣にいるミアも無言でうなずく。
じわじわと湧いてくる恐怖と興奮。これから殺し合いの中に身を投じる事になる。少し吐きそうになって、俺はハリアを振り返る。
すり鉢状の街は郊外からでもよく見える。相変わらず湖が陽光を反射してきらめいており、俺はその光に向かって逃げ出したくなる。
それでも俺は逃げ出さない。ここで逃げ出してしまったら、元の世界に帰るのはいつになる。俺は、こんなよくわからない異世界にいつまでも居るつもりはない。
自分のために、自分の身を危険に晒す覚悟なんて、とうに出来ている。
「輝、どうしたの?」
ミアが小声で聞いてくる。俺は「なんでもない。行こう」とだけ返して、周囲の戦士たちの行軍に飲み込まれていった。
○
朝から夕まで歩き詰めた義勇軍は、川沿いにある見通しが良い平地に陣取って野営の準備に入った。簡素なテントを張る者や、寝袋のみを準備して火を焚き始める者もいる。
俺がいる隊列の後方にはマーカスさんたちの私兵がほぼおらず、従って軍規というものもない。各自思い思いの過ごし方をしていた。
目的地のヤマトまでは徒歩で十日ほどかかる。まだ将軍ラルガ率いる反乱軍の影響力の強い地域までは遠いので、夜襲への警戒も最低限。義勇軍全体にもどこか緩んだ空気が流れていた。
夜の帳が落ち、念の為の夜警に向かったミアとエレックを待ちながら、俺は焚き火で夕食のスープを温め直していた。
サターンの蜂起が比較的すぐに鎮圧されて、被害を最小限に抑えられたことと、ハリア自体が裕福な街であることから、食糧は十二分に持ち出せたらしい。ありがたいことに、今俺がかき混ぜている鍋の中身も全て義勇軍から配給してもらったものだ。
「しばらくは戦いもなさそうだな……」
行軍中や休憩の間に周囲の戦士や見回っている私兵から色々な情報を聞いた。
まっすぐヤマトに行くのではなく、途中でヒュルーという鉱山の街に寄って、先遣隊である第一陣と合流する予定であること。ヒュルーまでは五日ほどかかること。今は草木のある平原だが、ヒュルー周辺は荒れた山岳地帯となっていて、歩くと疲れるらしいこと。
……疲れてしまうのは勘弁だ。今までの旅で鍛えられたおかげで現状疲弊はしていないが、今の俺には回復魔法が無い。疲れた状態で戦うなんてことになったら、俺は生き残れるだろうか。
「……フル」
小さな声でつぶやく。
鍋をかき混ぜる木べらを置き、そのまま右手で自らの胸元を弄る。取り出した銀色のペンダントは、相変わらず光を失っていた。
結局、王宮にあった『イッソスの部屋』での一件を最後にこのアクセサリーが力を取り戻すことはなかった。いくらイメージをしようが覚悟を込めようが、うんともすんとも反応しない。
……一度、ソラたちや『藤谷カズト』を思い出して、嫉妬の想いを込めようとしたこともあったが、それは実行に移さなかった。
王宮で俺の体を奪ったフルにイッソスと呼ばれていたあの青い光が『嫉妬に、心を許すな。遠ざけるのだ、嫉妬を』と言っていたのを思い出したからだ。それは裏を返せば『嫉妬に心を許せばまた体を奪われてしまう』ということ。
「気をつけないとな……」
それでなくとも俺は気がつけば人を羨ましがってしまう。自分が嫉妬しているのを感じるたびに、考えを頭から追い出す。ここ数日はそんなことばかりしている。
「でも……」
これから、戦いが始まって、力が必要になることもあるだろう。逃げ回れなくなってしまったとき、命を脅かされたとき、……ソラたちのうちの誰かの命を奪うために、争いになってしまったとき。
そのとき俺は、どうすればいい。そのときですら、俺はミアとエレックの力をあてにし続けるのか?
俺は、右手で銀のペンダントを握りつぶして、目をつぶって、自らに問いかける。
「……どうすればいい……。どうするつもりなんだ……」
「……大丈夫?」
自分への問いのはずが、返事が戻ってきた。不意に後ろからかけられた声に俺は振り返る。焚き火の光に照らされて、背の低い少女の姿があった。
「あ、……ミアか。見張りは、どうしたんだ?」
「……時間だから交代したんだけど、エレックが他の人と話し込んじゃったから、先に戻ってきた」
彼女は火にかけられている鍋を挟んで俺の向かいに座りこむ。そして、俺の顔を覗き込んできた。
「輝、悩んでるの……?」
「いや……そんなこと……」
そこまで言ってから、目の前のミアが悲しそうな顔をしたので、諦めることにした。そもそも俺が『どうするつもりなんだ』だの何だの言っているのを聞かれている。誤魔化せるわけもないし、隠し立てするのも失礼だ。
「……そんなこと、少しだけ、あるかな……」
目の前で独特の音をたてながら薪が爆ぜた。
ミアの視線を受けて、俺は話を続ける。
「知っての通り、今の俺は魔法も使えなくなって、はっきり言って弱い人間だ。これから先、こんな様で大丈夫なのか、って、不安でさ」
「……そっか」
彼女はただ相槌を打つ。なんて返せば良いのか迷っているようにも見えた。仕方ないと思う。自分でも、なんて言ってほしいのかわからないから。
無言になる。静寂が降りてきて、それでも抵抗するように薪が再び爆ぜる。
「あっ」
火の粉がミアの方へ飛んでいく。彼女はそれを造作もなく避ける。……彼女の反射神経は神がかり的だ。闘技大会で相対したからわかる。あの戦いも、魔法がなきゃどうにもならなかったな……。
ふつふつと、彼女のその強さが羨ましくなってくる。ミアが過去、凄惨な仕打ちを受けたことはわかっている。その力を手にするために大きすぎる代償を払っていることもわかっている。それでも嫉妬してしまう。
「……く」
考えないように、考えないように。
醜い感情を追い出してから、ふと気づいた。
「ミア、……頼みがあるんだけど」
「えっと、……なに?」
ミアは魔法使いではないはずだ。それでも訓練によってここまでの強さを得ることが出来ている。それはつまり、魔法が使えない俺にも可能性があるかもしれないということ。
羨ましく思っているだけで足を止めているくらいであれば、少しでも足りないものを埋めるために足掻いたほうがマシだ。
「俺に、戦い方を教えてくれないか」
「……え」
ミアは驚いた顔をしていた。でも、次第に頬をほころばせていく。
「もちろん。ボクが、輝の力になれるなら、……嬉しい」
笑顔の彼女を前にして、俺は拳を握る。
時間があるわけじゃない。ヒュルーまで五日ほどだ。だけど、何もしないでウジウジ考え込んでいるよりは良い。可能性を信じて粘る。これもまた、覚悟があるからこそ出来ることだ。
握った拳を開いて、俺は立ち上がる。
「ありがとう、ミア」
無駄な足掻きと言われてもいい。今までの旅路だって、そんなもんだった。ラーズに槍を教わったときも、マーカスさんとユリウスさんに小刀を教えてもらったときも、その付け焼き刃でやってきたんだ。
嫉妬(フル)になんて頼らなくたって、やれるはずだ。……やるしかないんだ。
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