道筋(7)

「おっ! 野良魔法使いじゃん!」


 上半身裸の奴隷商の青年が俺の姿を見つけて嬉しそうに手を振ってきた。そしてその手にある剣を向けてくる。


「あん時は逃げられちまったからな。結構探してたんだぜ……へへ」


 彼は剣を上段に振りかぶり、ニヤリと笑みを浮かべた。


「ウチで働いてもらえねえかなってさあ!」


 振りかぶった剣が振り下ろされる。その剣閃は緑色の光を纏った衝撃波になる……『飛ぶ斬撃』だ!

 俺はミアとエレックに「斬撃が飛んでくる! 避けて!」と叫び、斬撃の軌道を見切って左に飛び込んでかわす。

 すぐにミアとエレックが俺の側に駆け寄ってきた。


「少年の知り合いか? 少なくとも仲良しじゃねえみたいだけど」


「事情は後で話す! 二人は逃げたほうが良い。こいつ、魔法を使ってくるんだ」


 話しかけてきたエレックにそう返すが、二人は逃げる様子を見せない。


「逃げるわけない! でも、あの子……」


 ミアが『あの子』と呼ぶのが誰かは分かっている。アークだ。彼は俺がソラと戦っていた時に、ミアに対して『殺人鬼』だと糾弾していた。どういう事情があるのかはわからないが、あまりミアに関わらせたくない。

 俺はエレックの方へ視線をやった。


「エレック、頼む。ミアを連れて逃げてくれ」


「馬鹿言え! そんなこと出来るわけねえだろ! 俺にとっちゃミアも少年も大事な友人なんだよ!」


 そう言ってエレックが飛び出していく。奴隷商は「あちゃ、縦じゃ避けられちまうか」と舌を出しながら言って、剣を横に構えた。


「おら! 喰らえ!」


 彼は横に構えた剣を振り抜く。今度は横向きの『飛ぶ斬撃』だ。俺はミアの手を掴んで一緒にしゃがみ込んで避ける。エレックはというと、逆に大きく跳んでかわしながら奴隷商に急接近した。


「隙だらけだっての!」


 そして、そう吼えるとそのまま剣を振りかぶって肩口に斬りかかる。しかし、柔らかい肉を切り裂くはずのその肩から金属音が響いた。奴隷商は肩に虫でも止まったかのように、動じていなかった。


「ほう。金髪さんは結構な剣技だな。ウチでは傭兵事業もやってるんだ。そっちで働くか?」


「こいつ……!」


 奴隷商の体に薄い緑色の光の膜がオーラのように纏わりついており、それがエレックの剣を止めている。

 奴隷商は自らの肩口に引っかかっているエレックの剣をなでた。


「だが、峰打ちってのは頂けないな。傭兵やるなら殺しも出来ねえと」


「な……めんな!」


 エレックが剣を引き、今度は奴隷商の剣に斬りかかる。つばぜり合いの形に持っていき、路地裏の壁に押し込んで動きを封じる。


「ちっ……。随分力持ちだな……。人夫の仕事もあるぜ、ウチは」


「黙れ、外道! てめえ、奴隷商だな?」


「わざわざ紹介しないとわからないかねえ、金髪さん」


 奴隷商が吐き捨てる。しかし、エレックの力で押し込まれている。『飛ぶ斬撃』も剣を振れなければ発動しない。今はチャンスだ。

 俺はエレックが奴隷商を抑えている間に、アークの方へ駆け寄っていった。


「おい、逃げ――」


「――ひっ!」


 アークの側まで来ると、彼は両腕を上げて自らを守るようにしゃがみ込み、震えた声で悲鳴を吐いた。


「何だよ! 復讐か! 殺人鬼も一緒じゃないか!」


 彼の視線を追って振り返ると、俺の後についてきていたミアがいる。彼女は強く口を結んで、今にも泣き出しそうな表情をしていた。


「おーい。殺すのはやめろよ、野良魔法使い。折角連れ戻せそうなんだ。殺るなら俺が他所に売ってからにしてくれ」


 エレックを挟んだ向こうで、奴隷商が呑気に声を上げる。エレックが「黙れ!」と一括するが、彼は怯えた様子を見せることもない。むしろ、うるさそうに顔をしかめるだけだった。


「金髪さんもウザったいなあ。ちょっと退いて貰おうか」


 奴隷商が剣を握っていない左手をズボンのポケットに突っ込む。そして光沢のある黒い小粒の石を取り出すと、右手にしている腕輪に嵌め込んだ。

 直後、奴隷商の右腕が赤色の光を纏い、優勢だったはずのエレックの剣が徐々に押し返されていく。しかし、エレックは地面を踏み締め直し、それを押しとどめる。


「何を、した……!」


「嘘だろ金髪さん……『これ』使って互角って……!」


 彼は初めて焦りにも似た表情を見せる。だが、俺も彼の腕の光を見て焦っていた。

 あの光り方、腕に纏うオーラ。色こそ金色じゃないが、ソラが使っていた『馬鹿力』を出す魔法そのものじゃないか。……常人の筋力でどうこうなる相手じゃない。今耐えられているのがおかしいくらいだ。こんな状態、長くは続かない。


 逃げないと。でも……置いてはいけないよな。


 俺はアークに向き直る。彼は未だに俺とミアにおびえている。当たり前だ。彼の中で、ミアは殺人鬼で、俺は彼を傷つけようとした人間だ。

 そこにどんな理由があっても、彼の中ではそれが真実で、現実なんだ。


「……アーク。聞いてくれ。……俺は、お前を殺すつもりも、傷つけるつもりもない。ミアだって同じだ」


「嘘だ! 信じられるか! 死ぬくらいなら奴隷のほうがいい!」


「あの時は理由があったんだ……! 今はもう、その理由もない! 頼む、信じてくれ!」


「悪人を信じろっていうのかよ!」


 怒鳴るアーク。俺は彼を説得できる言葉を探す。何だ。何を言えば信用してくれるんだ。理由を話せば分かってくれるか。俺がソラと戦った理由か。それともミアが洗脳されていたことか。いっそ、嘘をついて適当な理由をでっち上げるか。


「少年!」


 奴隷商とつばぜり合いの真っ最中のエレックが叫んだ。振り向くと、エレックがまた、圧され始めていた。


「あんまり持たねえぞ! そいつは俺が保護すっから、先にミアと逃げろ! 早く!」


「あ、ああ! わかっ……」


 俺はエレックの指示に従いかけて、それでも踏みとどまった。ここで逃げ出して、俺は『俺が俺である』と胸を張って言えるのか。そこにこだわっている場合じゃないのはわかる。でも、本当にそれで良いのか。

 何か大切な一言を忘れてはいないか。


「……アーク」


 俺は震えてしゃがみ込むアークの側で、同じくしゃがんだ。幼気な少年の怯えた眼差しが俺を見据える。俺は口を開いて、それから躊躇ってしまう。

 アークに対して『この言葉』を口にすべきなのか、迷ったからだ。


「その、えっと……」


 俺はソラに嫉妬した。シュヘルのあの時、『自分のため』という俺の生き方が『誰かのため』というソラの生き方に負けたように感じて、劣等感を覚えた。嫉妬した。それは事実だ。

 だから俺はソラと戦った時、『自分のため』という生き方に誇りを取り戻すために、あえてアークに攻撃したんだ。

 俺の『自分のため』という生き方では手に入れることができなかった仲間という力。ソラの『誰かのため』という生き方でしか手に入れることの出来なかった力(なかま)。その差を埋めるため……その差が、俺が劣っているのではなく、ソラが劣っているものだと示すため。俺はソラの仲間のようだったアークを攻撃した。


 でも、それは正しかったのだろうか。


 俺は今も奴隷商の力に耐えているエレックを見る。泣きそうな表情になっているミアを見る。……彼らは、俺の生き方でも仲間になってくれた。だとしたら、『自分のため』と『誰かのため』の間には、貴賤は存在しない。

 間違っているのは、俺の生き方を信じきれなかった俺だ。


 そして、間違っているのなら、やっぱり『この言葉』が必要だろう。


「アーク……。俺が悪かった。済まなかった。俺はお前を攻撃するべきじゃなかった。……許してほしい」


「……は?」


 目の前のアークがキョトンとした顔になる。そして、その手をミアが掴んで立ち上がらせた。頑なだったアークは驚きのままに素直に立ち上がる。


「ボクのことを許せないのなら、後でボクを罰すればいい。だから、今はついてきて……!」


 俺はミアと目を合わせる。ミアが頷いて、先にアークの腕を引いて路地裏を出るために走り出す。まるで、俺がハリアの路地裏でミアの手を引いたときの光景だと、勝手に重ねてしまう。


「ぐっ……!」


 そんな俺の回想を遮って、エレックが悲鳴を上げた。俺が振り返ると彼は奴隷商に突き飛ばされていて、地面に尻もちをついた瞬間だった。

 そのエレックを見下して、奴隷商は舌打ちをする。


「どんだけ馬鹿力なんだよ金髪! 五個も石使っちまった!」


 そして奴隷商は逃げ去ろうとするミアとアークに目を向ける。


「おめーらも勝手に逃げてんじゃ、ねえええええ!」


 そして、剣を振るう。『飛ぶ斬撃』だ。不味い。


「ミア! 避けろ!」


 叫んだ俺の声に気づいて、ミアは振り返る。しかし彼女は避けなかった。……アークがまだ斬撃に気づいていない。避けられる状況じゃない。

 きっと、ミアも同じようにそう判断したんだろう。彼女はアークを守るように抱きかかえ、斬撃にその背中を差し出す。


「うああっ!」


 悲鳴とともに、彼女はアークを抱えたまま地面に倒れ込んだ。


「ミアあああああ!」


 路地裏にエレックの叫び声が響く。エレックは立ち上がり、剣も放って一目散にミアの方まで走っていった。俺はそれを眺めて、体の芯が熱を失っていくのを感じていた。

 ミアが、倒れた。……それがどうした。ミアもエレックも、異世界の人間だ。俺が元の世界に戻ったら、二度と会うこともない。そんな人間が倒れたところで何か問題があるか。


 ……違うだろう。本当にそう思っているのなら俺は、ソラと対峙した時に、さっさと彼に二人を差し出していたはずだ。


 奴隷商が剣を構え直している。「金髪さんも狙っちゃおうかな」とほざいている。俺は、考えるよりも早くグングニルを手にして奴隷商に飛びかかっていた。


「おおっとォ……」


 グングニルの一撃は奴隷商の剣で受け止められる。だが俺はつばぜることもなく、すぐに刃を引く。そして背中に持っていた小刀を左手で引き抜いて斬りかかった。


「ちっ……めんどくせえな……」


 小刀は奴隷商の脇腹に当たるが、オーラによって阻まれる。俺はそこに更に力を込めることなく、すぐに刃を引いて、グングニルで斬りかかる。

 奴隷商は剣で迎え撃ちに来るが、俺はそれを受け流して、また一撃を与える。勿論、緑色のオーラが防ぐ。


「無駄なことを……」


 奴隷商は呆れたようにため息をついていた。冷静だ。だが、彼の冷静さと比べても遜色が無いくらいに……俺も何故か冷静だった。いや、頭が真っ白になっていて、戦うことしか考えられなかった。

 奴隷商が剣を振るう。俺はそれを見切ってかわす。何度か彼が剣を振るうのを見ていたが、彼の剣の扱いは素人にも劣っていた。まるで闘技大会の最初に戦った度胸試しの少年のようだった。

 足の運びも、力の乗せ方もなっちゃいない。ユリウスさんやエレックの剣と比べたら天と地だ。でも、それは彼が守りを蔑ろにしているからだ。


 俺は奴隷商の剣を紙一重でかわしながら次々に右手のグングニルと左手の小刀で攻撃を与えていく。


 何故、剣を鋭く振るう必要があるのか。そんなことをハリアでユリウスさんに聞いたことがある。その質問にユリウスさんは「相手を倒すため」と当たり前のことを言いつつ、「もう一つは守るため」と言っていた。

 攻撃をしたら隙ができる。だからその隙を少しでも少なくするために剣は鋭く振るわなきゃいけない。

 ……奴隷商の剣技にはそれがない。守る必要など無いのだから。だからこそ、その意識が剣に表れている。剣閃に鋭さを感じない。

 それも良いのだろう。無敵ならば。でも、……この青年の守りは無敵じゃない。俺には、確信があった。


「何度やっても……」


 奴隷商がうんざりしたような表情で呟いて、なにかに気づいてその目の色を変えた。どうやらようやく、俺の狙いに気づいたらしい。


「削り取る気か……!」


 俺は更に一撃を小刀で打ち込む。そしてすぐに引く。一瞥しただけではわからないが、徐々にオーラの色が薄くなってきていた。

 一撃を与えた時の手応えも以前ほど硬くない。


「今更気づいたところで……!」


 俺は更に小刀で斬りかかる。奴隷商は剣を掲げて守ろうとするのを見て、逆にグングニルで腹部を突く。硬質なオーラにグングニルの刃が立って、軋む音が聞こえた。


「まじかよ、やべえって……」


 奴隷商が使う魔法を見ていて俺は気がついたことがあった。彼は俺が王都初日に出会った際に『飛ぶ斬撃』を使った時も、先程エレックを押しのけるために『腕力強化』を使った時も、黒い石を剣や装身具に嵌め込んでいた。そして、エレックを倒した時、『五個も石使っちまった』と言っていた。

 図書館で俺は学んだ。魔法は魔法陣と魔力で発動する。決して、無限のエネルギーを持った夢の技術じゃない。ならば、終わりはある。

 恐らく彼が持っている剣も装身具も、魔法陣が刻まれたものなのだろう。そして、そのエネルギー源……魔力をあの黒い石で補っている。さらに、エレックを押しのけるのに石を五個使ったと言っていたということは、あの石に含まれる魔力は有限だということだ。


「や、やべっ……」


 あれだけ避けることに無頓着だった奴隷商が、俺の攻撃を避けようと必死になってくる。それに構わず、俺は両手の武器を次から次へと打ち込んでいく。

 緑色のオーラが柔らかくなっていき、ついにはその裸の上半身の脇腹の薄皮一枚を切り裂いた。


「痛ってえええ!」


 奴隷商が悲鳴を上げて剣を取り落とした。そして、俺から離れるように、後ずさっていく。


「ちょ、ちょっと待て! 降参だ! これ以上は俺ももうやらねえ! あんたの仲間にも手を出さねえ! マジで頼むって!」


 俺はその言葉を無視し、彼が離れた分近づいていく。間合いからは逃さない。頭はすっきりしている。

 彼がポケットに手を入れようとしているのを見て、俺はその手を素早く小刀で斬りつける。最早緑のオーラは鎧の体を成しておらず、彼の手の甲をしっかりと傷つけた。


「ぎゃあああ! 手! くっそ! 痛ええ!」


「石は使わせない」


「わ、わかったから!」


 悲痛な叫びを上げる奴隷商。俺は地面に転がる彼の剣も蹴り飛ばす。一つ一つ、彼の反撃の芽を潰していく。追い詰めていく。

 俺は嫌に、冷静だった。


「ど、どうすればいい。どうすれば気が済む! 金か! ウチの商品でも良いぞ! 可愛い子もいるんだってえ……!」


 奴隷商の声は震えていた。命乞いだ。


「要らないよ」


 俺はグングニルを振り上げる。金も『商品』も要らない。今は、こいつの命を貰いたい。いや、そうしなければならないんだ、と酷く自然に思っている。

 心の何処かで、ソラたちを殺す練習にもなるな、とすら、思っていた。それほどに俺は、冷静だった。

 目の前で惨めに震えて這いつくばる奴隷商。俺は呑気にも、どんな言葉をかけてやろうか迷っている。俺は振り上げたグングニルに、力を込めた。


「さよなら」


 言葉は適当でも良いか。どうせこいつはもう死ぬんだから。

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