道筋(6)

 俺、ミア、エレックの三人は衛兵隊長を脅して馬を拝借し、無事に衛兵を撒いて隠れ家であるオーレン川沿いにあるエレックの隠れ家へと逃げ切った。

 俺は馬に乗るのが初めてだったのでエレックの後ろに乗せてもらってしがみついているだけではあったのだが、非常に疲れた。慣れない内は仕方ない、と言うエレックだったが、慣れられるような気はしない。……振動で股ぐらが痛かった……。

 隠れ家に入り込み、リビングの椅子を見つけて俺は座り込む。


「……疲れた……」


 いや、それ以上に色々あったのだが、今の俺の感想として口に出せるのはそんなものだ。

 本当に色々あった。今後衛兵に狙われるかもしれない。しかも、魔法が使えなくなった。でも、元の世界に帰るための手がかりを得ることは出来た。

 ポケットに異物感が有り、手を突っ込む。中で手紙と王宮の地図、そしてイッソスの部屋の本から破り取った魔力増強の魔法陣の設計図の感触がある。


 元の世界に戻るためには、誰かを殺す必要がある。


「……くそ」


 考えなきゃいけないことが多い。俺は自分の為に人を殺せるのか。仮にそう決心したとして、誰を殺せばいいのだろう。そもそもソラたちに勝つことが出来るのだろうか。こんな話、ソラなら怒って耳を貸してもくれなさそうだ。

 ……あいつらは、どこにいるんだろう。


 腕で目元を覆い、天を仰ぐ形で座っていると、服の袖を引っ張られた。覆っていた腕をどかして目を開くと、ミアだった。


「……大丈夫?」


「ああ……。うん。大丈夫。ふたりとも、本当に助かった。ありがとう」


 俺はミアと、馬を庭先に繋いでからリビングに遅れて入ってきたエレックにお礼を言う。二人は安心した表情になる。


「これで恩は返せたかな、少年」


「……うん。貰い過ぎなくらい、だよ」


 エレックにうなずき返しながら、俺はそのままポケットに入っているリザさんの手紙と地図を取り出してテーブルの上に置いた。


「それにしても、ふたりが迎えに来てくれるなんて、思っていなかった」


 噛みしめるように言うと、エレックが俺の向かいに座る。


「俺も迎えに行くことになるとは思ってなかったよ。でも、頼まれたんだ」


「リザさんに?」


「いや、……この前の魔法使いの一団の構成員だ。橋山一樹と天見舞って名前の、男の子と女の子だよ」


「……それは」


 落ち着いたばかりの俺の心臓が再び跳ね上がるのを感じた。一樹はわかる。リザさんに依頼して、俺を助けるために動いてくれたのは彼だ。でも、天見さんがそこにいるのが上手くイメージできない。

 最後に俺が俺として会った時は、……俺がアークに攻撃したのを彼女が庇ったタイミングだ。その時はあんなに、俺のことを憐れみを帯びた目で見ていたのに。

 なんでそんなに、してくれるのだろう。これから俺は彼女を殺すかもしれないのに。


「……そうか」


「因縁がありそうだな。深くは聞かないけど」


 エレックは水差しからコップに水を注ぎ、飲む。ミアは俺の服の裾を掴んだまま沈黙していた。

 俺は「いつか話すよ」とだけ言って、ミアに「ミアも座りなよ」と笑いかけた。彼女は頷くと、俺の隣の席につく。それからエレックが再び口を開いた。


「で、だ。……少年はこれから、どうする? 少なくとも俺もミアも、あまり王都に長居するつもりはないんだが」


「う……。それって」


「まあ、王宮にカチコミかましちゃったからな。……気にすんな。元々俺もミアも、少年が図書館の捜し物を終えたらまた違う街に行こうとは思ってたんだ」


「……ごめん」


 二人に向かって頭を下げる。本当に申し訳ないと思った。特にミアなんて、この歳でハリアにも王都にも居場所が無くなってしまったんだ。嫌な思いをさせてしまった。

 ……こんな俺のために、二人を巻き込んでしまうなんて。いっそ二人も俺と同じ様に、『自分のため』だけに生きていてくれたら……俺のことを責めてくれたら気持ちも楽なのに、と、思ってしまった。

 下げていた俺の頭に小さい手が触れる。ゆっくり顔をあげると、ミアが微笑んでいた。


「気にしないで、輝。ボクはそんなことより、輝が無事で良かったから」


「……ミア」


 その名前を呟く。俺がつけた名前だったか、と思っていたらエレックが耐えきれないように含み笑いをした。


「くく……。ミアの言葉は嘘じゃないぜ、少年。今回も、橋山一樹と天見舞に頼まれた時、『すぐに輝の場所を教えて!』ってすごい剣幕で二人に詰め寄ってたからな、ミアは本当に――」


「――ちょっと、エレック!」


 ミアが遮るように椅子を引いて立ち上がる。エレックはふざけて大袈裟に驚いたフリをしてみせた。


「おお、怖い怖い。……ま、そんなわけで、俺とミアは全く後悔なんてしてないんだよ。むしろ、それで後悔するような人間だったら、俺がミアのことを怒る。命も助けてもらって、名前も貰って、そんな恩人を助けることを悔いるんじゃねえ、って」


 したり顔のエレック。何だか俺のほうが恥ずかしくなってきた。でも、ミアも「当たり前」と言って同意する。

 俺は再び心の中で感謝する。ここまで恩に感じてくれる人がいるのは、運がいいと思った。


「……で、話を戻すんだが」


 エレックは再び、俺に真剣な眼差しを向ける。


「俺とミアのことは一旦良いとして、少年はどうするんだ? まさか、まだ王立図書館に通おうなんて考えてるわけじゃないよな?」


 それは俺も思っていない。バルク王の前でああまで暴れて――暴れたのはフルだけど――、のこのこと公的な図書館に行けるほど俺の肝は座っていないし、そこまでの馬鹿ではないつもりだ。

 そもそも図書館へ行く目的……元の世界への帰還方法についてはイッソスの部屋で見つけることが出来た。怪我の功名も良いところだが。

 そうなると行き先は決まっている。まだ腹をくくれてはいないけど、他の異世界からの旅人たち……ソラたちの行方は知っておきたい。いつ俺が、人を殺す決意を抱けても良いように。

 俺はテーブルの上の手紙を指さした。


「まずはこの手紙の差出人に会ってみようと思う。無事に抜け出せたら『グリフォンの羽根』まで来いって言われてるんだ」


「リザのところだな。……まあ、異論はない。で、その後は?」


 鋭い。エレックはとりあえずの目的じゃなくて、もっと大きな目的について訊いてきているんだ。俺は少し考えてから答える。


「俺は一度、一樹に……橋山一樹に会いに行きたい。アクセサリーについて調べててわかったことがあるから、情報交換をしに行きたい。リザさんは情報屋だ。一樹の場所も握っているはず」


 半分本当で半分嘘だ。一樹に帰還方法を伝えるつもりなのは間違いないが、一樹とともに行動しているソラたちの居場所を掴むべきだと思った。

 エレックは俺をじっと見ている。見透かされたような気持ちになって、焦りかけるが、それよりも早くエレックは笑った。


「よし。じゃあ俺たちも行くか、ミア」


「うん、そうだね」


「ついてくるのか? 今外に出るのは危ないと思う。……それに、これは俺のことだし、もう恩も充分に返してもらった。ここからは一人で大丈夫だよ」


 俺が訴えると、エレックは席を立ってその手をひらひらと振る。


「ついでだよ、ついで。俺とミアも次に行く街を探そうと思ってたからさ。安全な街の情報を聞きに行くだけ」


 そうか。二人はサターン率いるダグラス家だけじゃなくて王国にも狙われてしまっているんだ。迂闊に次の街を決めるわけにはいかない。

 ……本当に、申し訳ないことをした。


「おら、何やってんだ少年。そんなところでぼうっとしてたら日が暮れるぞ」


 エレックが呼びかけてくる。俺の隣に腰掛けていたミアも立ち上がって俺に目配せしてきた。


「……だって。行こ、輝」


 俺は目を閉じて、小さくため息をつく。

 何を罪悪感にとらわれているんだ。俺は俺のためになんでも利用してきたじゃないか。彼と彼女もそうだ。今更こんなところで遠慮するなんて俺らしくない。

 目を開いて、笑顔を作る。


「そうだな。行こう。リザさんのところへ」



 衛兵を警戒しながらオーレン川沿いに進んでいき、路地裏に入っていく。馬は隠れ家に置いてきた。路地裏で馬になんて乗っていたら目立ってしまうからだ。俺は先日図書館の女性司書に教えてもらったグリフォンの羽根までの道を脳裏に思い浮かべながら路地裏を進んでいく。

 後ろにはエレックとミア。ミアは相変わらずキャスケット帽を深く被っていて顔をあまり見せないようにしているが、エレックは特に変装もせずそのまんまの格好。ただし、いつもと違って槍を持っている。

 王宮から持ってきたグングニルという槍に加え、元々持っていた槍と小刀も有り、普通に歩くと俺は随分目立ってしまう重装備になっていた。そこで軽いグングニルをエレックに持ってもらおうとしたのだが、彼は「重くて持ち運べねえ」と言って、俺が元々持っていた槍を手にとった。

 しかし、グングニルは急に重さの変わる子泣き爺のような存在なのかと疑ってみるが相変わらず俺にとっては軽い武器だった。なので、俺は今、小刀とグングニルを背中にしょって路地裏を進んでいる。


「俺も歳なのかなあ……少年がそんなに軽そうに持ってるもん、持てないなんて」


 エレックは悲しそうにぼやく。俺は「王宮で拾ってきたものだから、魔法でもかかってるのかもね」と返して苦笑。それから「エレックって何歳なの?」と訊いた。

 彼の見た目は随分若くも見えるし、落ち着いている部分もあるから年老いているようにも見える。正直、検討もついていなかった。


「俺? 俺は今年で二十二歳だな」


「そっか……俺、十六だから、六歳違うんだな」


「げ、そんなに違うのかよ」


 エレックは嫌そうな顔をする。その反応がすでにおじさんっぽくて、俺は内心笑ってしまった。

 そのままミアにも視線を向ける。


「ミアは、十五、だったよね」


「うん。……ボク、一個しか違わないんだね、輝と」


 ミアはなんとも言えない表情をしていた。身長のことでも考えているのだろうか。確かに彼女は背が小さいし、体も大きくない。最初俺は小学生とか中学生成り立てくらいなんじゃないかと見誤ってしまった。

 彼女が複雑な表情をしているのを見かねてか、エレックが別の話に転換する。


「そんな若いうちから異世界に来るなんて苦労人だねえ、少年も。……そういえば橋山一樹と天見舞もそうなんだよな。彼らは幾つくらいなんだ?」


「え、ああ。ふたりとも、俺と同い年だったと思う」


「……同い年ってことはボクの一つ上……あれが……」


 またミアが愕然とした表情になる。彼女は自らの胸元に手を触れて、更に愕然とした表情になる。

 ……一瞬、俺の中の男子高校生の部分が『天見さんは同世代と比べても大きめだから気にしないほうが良いよ』とか言ってみようかと考えてしまったが、すぐにやめる。王宮を脱出する時の、衛兵隊長を脅すミアの恐ろしさを思い出してしまったからだ。

 彼女に対してあんまり変な軽口は叩かないほうが良いと思った。


「あ、グリフォンの羽根、もうちょいで着くかな、確か。あはは」


「……一つ上……」


 ミアの呟く声を聞かないふりをしながら、路地裏を歩いていく。

 ミアはずっと洗脳されていた。それに、この小さい体であの戦闘能力。きっと毎日想像を絶するトレーニングを積んでいたのだろう。

 本当に、俺の元いた世界の人と比べるべきじゃない。食べ物だって環境だって、全然違うんだ。彼女の洗脳されていた期間というのは、一種、彼女にとっては『無かったこと』に近いのかもしれない。

 ……でも、現実はそうはいかない。ミアが洗脳されて奪われた時間というのは、彼女の体に如実に現れていると感じた。


「……うん……」


 不意に厭なことに思い当たる。彼女は人を殺しているということに。それは洗脳されていたからだ。でも、現実はそうじゃないのかもしれない。だからこそあの理想主義者のソラは、ミアに対してあんなに辛く接していた。あの態度は罪人に接しているのと同じだった。


 ……理由は、こちらにもある。だけど、……その行動に理由があっても、他の人にはどんな風に受け止められているんだろう。


「うわあああ!」


 取り留めることの出来ない考え事に深く入っていきながら歩いていたら、突如として悲鳴が聞こえてきた。まだ若い声だ。少女……いや、少年の声。

 俺は反射的にその声の主を探す。今歩いている路地を折れたところから聞こえてきていた。


「エレック! ミア!」


「ああ……! 聞こえた。この先だな」


 エレックが剣を抜いている。ミアも腰の短刀に手を触れていた。俺は背中のグングニルに手をかけて、走り出そうとする。

 そこで一歩踏み出す瞬間に、刹那、足を止める。


 ……お前はそんな、誰かを助ける人間か? 誰かのために動く人間なのか?


 脳内に問いかけてくる自分自身。でも、俺はそれを無視して一歩を踏み込み、走り出す。路地の先の曲がり角に向かっていく。


 俺は自分のために生きている人間だ。その自分が、勝手に誰かを助けようとしたんだ。きっとそれは、俺がやりたいと思ったことだから。ならば俺は、俺が俺であるためならば誰かを助けることもするさ。

 誰かのためなんて考えられない。だから俺は俺のために、誰かを助けに行くんだ。


「おい、大丈夫か……!」


 俺が先頭に立って、路地を曲がる。そこにいたのは見覚えのある二人だった。

 上半身裸の青年……いつかの奴隷商。そして、赤髪の少年、……アーク。

 奴隷商は「何だ何だ?」と面倒そうに俺たちを振り返り、アークは俺に対して恐怖の表情を見せていた。


 先程、ミアについて考えていた取り留めのない考え事。『その行動に理由があっても、他の人にはどんな風に受け止められているんだろう』。

 俺が『風の刃』で傷つけようとした赤髪の少年を前にして、俺は、俺自身にもその刃が突きつけられていることに気がついた。

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