道筋(8)
「待て! 少年!」
振り下ろそうとしたグングニルが、誰かに抑えられて止まる。その腕の主を辿っていくと、エレックだった。
エレックは奴隷商に目を向けると「さっさと行け」と吐き捨てた。奴隷商はその言葉を聞いて、すぐに駆け出していく。
「どうして、あんなやつを、逃がすんだ?」
俺はエレックに問う。彼の行動が心底信じられない。エレックをまじまじと見ていると、彼から意外なものが飛んできた。
……頬に、張り手。ビンタだった。
「落ち着け、冷静になれ! 普通じゃねえぞ! 今の少年は!」
肩を掴まれ揺らされて、自分の感覚が戻ってくる。すると徐々に、全身のいたるところに痛みを覚え始めた。
「あ……。い、痛い……?」
俺は自分の体を見る。腕にも足にも、腹にも、大量の傷がついていた。いつの間についていたのだろう。全て浅手ではあるが、今更の如く一気に痛み始めた。
「い、痛い! いてて……」
思わず両手の武器を取り落としてしゃがみこんでしまう。血のしずくが顎や指先から滴って落ちている。どれもこれも切り傷だ。
……原因に心当たりがある。先程奴隷商と戦っていた時、俺はすべての攻撃を避けているものと認識していた。でもそうじゃない。興奮していてかすり傷や深くない切り傷に気がついていなかっただけだ。
そして、痛みから我に返って気がつく。こんなことをしている場合じゃない、ミアはどうなったんだ。
俺は顔を上げてミアが『飛ぶ斬撃』に切りつけられて倒れた路地裏の出口の方を見た。そこには灰色の長髪を揺らしている女性……リザさんがいて、ミアに肩を貸していた。彼女はリザさんに支えてもらいながらも、しっかりと地面に立っている。……生きている!
その横には赤髪の少年アークがおり、包帯やら薬らしき瓶やらの救急道具を抱えている。
安心していたら、エレックが手を差し伸べてきた。
「ミアは助かったよ。何だかんだ言って、やっぱり凄え身のこなしだ。上手い斬られ方をしたから傷は深くない。……正直、比較したら少年の方が重傷だ」
彼の呆れたような笑い顔を見て一瞬恥ずかしくなり、それでも俺はその手をとって立ち上がろうとする。……が、うまく力が足に入らずに転びかけてしまう。エレックに脇を抱えられて、何とか踏みとどまった。
「血を流しすぎだ。早くリザのとこ行って、手当するぞ」
彼は力の入らない俺をおぶって、地面に転がる俺の武器を一瞥したのち、拾った。
「くっそ……重たすぎんだよこの槍」
グングニルの重みに文句を言うエレック。俺は彼の背中から手を伸ばしてそれを掴み、自分の背に負った。エレックは「全然重さ変わらないけど、手で持つよりマシだわ」と笑って歩き出した。
○
奴隷商と戦っていた路地裏というのは、俺たちが向かっていた酒場『グリフォンの羽根』のすぐ側だったようで、騒ぎを聞きつけてリザさんが駆けつけたのだという。
そのリザさんに道案内をお願いし、彼女を先頭に店内に入っていく。店はまだ開けていなかったのか、客は一人もいなかった。
床に毛布とシーツが敷かれ、俺とミアはその上に寝かせられる。主に体の前面に傷の多い俺は仰向け、背中に傷のあるミアはうつ伏せにされた。
「痛……」
上着とシャツを脱いで、代わりに薬くさい液体に浸した包帯がエレックによって巻き付けられていく。その頃になると、俺はちゃんした『冷静さ』を取り戻していた。
体中痛いし、傷だけじゃなくて動きも無理をしていたのか、腕や足の筋肉も悲鳴を上げている。さっきまでのはまさに火事場の馬鹿力だったというわけだ。
俺とミアの傷の処置が終わると、リザさんが俺が寝ているすぐ横にあぐらをかいて座りこんだ。アークもエレックも、その隣に座っている。
「……さて」
リザさんが腕を組む。灰色の前髪がかかっていて片目しか見えないが、彼女の目が据わっているのが見て取れた。
「エレック。簡潔に話せ」
静かな中にも怒りを孕んだリザさんの言葉がエレックに向く。言葉を向けられたエレックは、彼にしては珍しく怯えたようにびくりと反応してから頬を掻きつつ話し始める。
「そこの赤髪のガキが、奴隷商に襲われてたので助けてました」
「それは、この子たちが傷だらけになる理由になっていないな」
「う……。奴隷商は魔法使いだったみたいで、俺が守りきれなかった……です」
「良し。頭出せ」
「……はい……」
エレックが正座をしたまま土下座をするがごとく頭を差し出す。直後、リザさんが拳固を握ってエレックを殴る。良い音が響いて、見ていただけの俺も思わず顔をしかめてしまう。
「ぐう……」
「何のための『守る力』だ。ダグラス家相手なら仕方ないにしろ、それ以外に負けるなんて情けない」
「面目も無い……」
殴られた頭を擦りながら涙目になるエレック。それを一瞥した後、リザさんの視線の矛先は金髪の青年から赤髪の少年に変わる。
「次、アーク」
「は、はい!」
涙目のエレックを見て緊張した面持ちのアークが怯えながら返事をした。しかし、リザさんはその表情から幾らかの険を取り除いて目をつむった。
「……お前は何をやってるんだ。ソラたちはどうした」
「あいつらとは別れました。……ソラも、『もうデミアンを利用する気は無い』って、言ってたので」
「それで、まんまと奴隷商に捕まったわけか」
呆れたようにため息をつくリザさん。俺は別のことが気になり、話に横入りしようと上体を起こす。
「ちょっと待ってください」
「何だ。お前の番はまだ先だ。傷に響くから寝ておけ」
この先に俺の番もあるのかよ……。と、顔をしかめている場合じゃない。俺が気になるのはアークのことだ。
彼はミアを襲撃していたソラの近くにいた。ソラとの戦いの途中でアークを攻撃したら、天見さんがそれを防いだ。そして、その結果ソラは俺に対して激高した。
「アークとソラたちって、どんな関係なんですか?」
つい先日まで――あるいは今も――脱走奴隷でしか無かったアークと、ソラたちとの接点が思い浮かばない。
リザさんは何かを考えた後に頷いた。
「……そうだな。じゃあ、先にそっちを話そうか」
そして彼女は淡々と、温度を感じさせないように説明を始めた。
「アークは父親を闘技大会で殺された。そのまま人さらいにさらわれて目出度(めでた)く王都で奴隷の仲間入りをする予定だった」
言いながらアークへと指をさす。
「奴隷商の隙をついて逃げおおせたこいつは、ラルガを倒す方法を検討していたソラとばったり遭遇。父親を殺した人物に復讐したかったアークは、『デミアンを痛めつけて、ラルガの後援者のサターンを脅す』という作戦をソラに提案した。……もう分かるな。こいつの父親の仇(かたき)は、デミアン・ダグラスだ」
リザさんの示した事実に息を飲んだ。唾も飲んだ。
俺の知る限り、『デミアン』は二人の人間を殺している。闘技大会一回戦と二回戦の相手だ。三回戦のエレックは殺されてしまう前に俺とユリウスさんが止めに入ったし、四回戦の相手である俺は、幸運にも『デミアン』に勝つことが出来た。
そう。それはまだミアが洗脳されていた時の出来事だ。だけどそれでも、人の命を奪ったことに変わりはない。アークから見れば憎むべき仇だ。
俺はミアの方を振り返る。彼女は傷をおして体を起こし、アークに向き直った。
「ボク、が……」
「おい、ミア、無理をするな……! 傷に響くぞ!」
エレックがミアの身を案じて止めようとする。しかし彼女は無視するかのごとく、話を続ける。
「……アーク。君は、ボクに復讐がしたいんだね」
ミアの問いかけにアークは答えあぐねている。しばしの沈黙があった後で、その少年は頷いた。
「そう思ってたよ。……勿論、リザさんからも、あんたが洗脳されていたって話は聞いていた。だけど、そんなのは貴族が使う言い訳で、嘘だと思っていたんだ」
アークは呟き、それから首を、今度は横に振る。
「でも、あんたは身を呈して俺を庇った。そんなことが出来るあんたと、闘技場でのあんたの姿がどうしても結びつかないんだ」
そして彼は、悔しそうにミアを睨む。
「憎いんだ。憎いのに……どうしてもあんたが仇だと、俺は認識できなくなったんだよ」
アークの苦悩する表情。ミアは悲しそうな顔をする。
「……ボクは、でも。君が認識できないとしても、その本人だ。服従の魔法が解けてるからか、今は、その時の記憶も感覚もぼやけてる。でも、ボクが命を奪ってしまったのは、事実だ」
「そうだよ。そんなのはわかってる! でも……本当にそれが正しいのかわからなくなったんだよ!」
アークは赤髪を振り乱しながら小さな体を震わせて叫ぶ。ミアはただ、そんな彼を見て頭を下げる。
「……アーク。……本当に、ごめんなさい……」
「あんたに謝られても困る!」
握った拳をわなわなと震わせ、それでも視線はミアから外さなかった。その彼が、うつむき、その小さな両拳をゆっくりと開く。
「……もう、わかってる。俺は……俺の仇はもう、あんたじゃない。復讐することは出来ない」
そして、決意を秘めた強い目で開いた拳を再度握りしめてみせる。
「今は……自分の大切な人も守れなかった自分の弱さが憎い。……親父は戦いがそんなに得意なわけじゃなかったんだ。それなのに俺を食わせるため、優勝を目指した。……それを止められなかった俺の弱さが憎い。少しくらい飢えたって構わないと言えなかった、俺の弱さが憎い!」
握った拳もそのままに、訴え続ける。
「……だから俺、強くなりたいんだ。強くなって、大切な人くらい守れる人間になりたい」
それから彼は、俺の方に向き直った。一度は攻撃した罪悪感も有り、目を逸らしそうになるが、耐える。……ミアだって向き合ったんだ。俺が逃げるわけにはいかないだろう。
「久喜、輝。……あんたは、ソラと戦っていた時、本気で俺に攻撃してきてた。でも、今日は謝ってきた。驚いたけど、不思議とそれは嘘だとは思わなかったよ。……人間は変われるんだと思った。だから俺はデミアンの……いや、『ミア』の変化を信じてみることにする」
そして、彼は俯いた。目には涙が溜まっていて、その両手は震えていた。
人が変われるのか、変われないのかなんて俺にはわからない。それでも現に今、俺の目の前でアークは変わった。復讐ではなく、強くなると言っている。
……そう思えている時点で、この年端もいかない少年が、俺なんかよりももうずっと強い人間に見えた。
「……エレック、持ってもらってた槍、どこにあるかな」
俺は思いついて、エレックに問いかけた。エレックは頭を擦りながら立ち上がって、荷物を乱雑に置いてあるテーブルへ近づいていく。
「あ、ああ。それならこっちに……」
「アークに、渡してくれないか」
「……わかったよ、少年」
エレックが槍を見つけ出して、アークに持っていく。ハリアの鍛冶屋、ガルムさんが俺のために作ってくれた品だ。
「これ、は。どうして」
アークは槍を受け取って、俺に疑問を向ける。俺は彼に答えるべく口を開く。
「お詫びと、餞だよ。……君が強くなるための助けになれば嬉しい」
ハリアで作ってもらったこの槍。思えば、これを手に入れるために俺は闘技大会に出たんだった。……それを思うと惜しむ気持ちはある。だけどそれよりも強く、この赤髪の少年に対する謝罪と応援の気持ちが強かった。
それに、もう一つ。この槍を渡すことが俺の変化の証になればと思った。
俺が王都に来た当日、奴隷商から逃げ出すアークを庇おうとは思わなかった。そんな俺が、今日は彼を助けようと思った。
人は変われる。俺も変われる。そうであってほしいと思うから、その変化の証として、アークに槍を渡したいと思った。
アークは……彼にとってはまだ重いであろう槍を持ち、決意のこもった視線で俺を見る。
「……確かに受け取った。いつかこれで強くなって、俺は俺の大切なものを守れるように、なるよ」
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