道筋(2)
まぶたを透過して赤黒い光が視界に充満する。寝る前までは鼻腔を満たしていた夜の匂いも今や朝の風となって部屋に充ちている。
「ふあ……」
俺はあくびを噛み殺しながらそっと目を開けて上半身を起こした。ベッドのすぐ横、昨夜から開けっぱなしの窓から涼しい風が吹いてきて俺の長い前髪を揺らす。
白いベッドは朝の光を照り返して清潔な印象を部屋に与えている。そのふかふかの布団にくるまっていると起きられなくなりそうで、俺はとりあえず布団を跳ね上げた。
体調は悪くない。もう、普通に活動開始できそうだ。でも、活動内容については少し考えないといけないな。
そして、やることが決まったら……ここまで良くしてもらっているんだし、エレックとミアにも伝えないと。
部屋を出て廊下を進んでいく。幾つか部屋があったが入る勇気はない。とりあえずエレックたちを探そうと考えながら引き続き廊下を歩いていくと、食卓テーブルがある広い部屋に行き着いた。
テーブル以外にも暖炉や椅子が揃っている。リビングだろうか。てっきり宿屋の一室に泊まっているのかと思っていたが、宿屋の従業員を見つけることもない。……どうやらこの場所は誰かの家のようだ。
背後、俺が通り過ぎた廊下の扉の一つから、木が軋む音が聞こえる。誰か起きてきたんだ。
「あ、おはよ。輝」
振り返るとミアがいた。俺も「おはよう」と朝の挨拶を返しつつ、リビングに入ってきたミアについていく。彼女は寝ぼけ眼をこすりながらテーブルに備え付けられている椅子に座って水差しからコップに水を注ぐ。
所在ない俺もミアの向かいに座ると、ミアは水を注いだばかりのコップを差し出してきた。
「飲む?」
「あ、ああ。うん。ありがと……」
ミアにコップを手渡されて、常温の水を喉に流し込んでいく。乾燥している王都の空気のせいか、乾きは存在していたのでありがたかった。
俺が喉を潤しているのを何故か微笑みながらじっと見てくるミアの視線を気にしないようにしていると、エレックも起き出してきて同じテーブルに座った。先程ミアに行ったのと同じく朝の挨拶をする。エレック曰くここに泊まっているのはこの三人で全員らしい。
「さ、揃ったことだし、朝飯でもつまみながら今後の話、していくか」
エレックがテーブルの上に乗っていたカゴ――パンや果物が入っている――の中からオーソドックスな堅焼きパンを取り出して手でちぎる。
彼が「少年は、体調平気か」と確認してきたので、俺は頷いて返す。
「ありがとう。一晩ゆっくりさせて貰ったおかげで、俺も、もう動けるよ。……それで『これからどうするか』の話の前に、ここがどこなのか教えてもらっても良い?」
「ああ、そう言えば伝えてなかったか」
エレックは小さなあくびをかましてから説明する。彼も回復魔法で治してもらったとはいえ昨日は重傷をその体に受けていたんだ。疲労は溜まっているのだろう。
「ここは、俺の一族が持ってる別荘だよ。王都の東西に流れてるオーレン川沿い東の方。南岸だ。なーんて言っても、少年にはわからんか」
「いや、ありがとう。何度か地図は見てるから大体の場所は想像つくよ」
俺は王立図書館で見かけた王都内の地図を思い出した。バルクの入り口は南東。そこから北西に向かって行くに連れて高台になっていき、最端には王城がある。
そして、オーレン川というのは王都を大雑把に分断するような大きな川だ。川を境に南側の人間は主に庶民や俺のような余所者が多くいて、路地裏の治安も良くない。逆に北の方は金持ちが多いのか比較的治安が良い。
エレックが言うにはこの場所は南岸だ。治安が悪い代わりに路地が入り組んでいるので、身を潜めるには丁度いい場所かもしれない。
などと他のことに意識を集中していたら、エレックが「それで、どうするんだ?」と切り出して話を元に戻しにかかってくる。
俺が、やるべきこと。
それはソラたちと一緒に将軍のラルガさんを倒すことではないし、逆に、勝てなかった悔しさを胸に抱いて修行して、ソラたちにリベンジマッチを挑む……なんてことでもない。
俺がやる必要あるのは……。やっぱり、元の世界へ帰る方法について情報を集めること。そこに変わりはない。
「図書館に行って調べ物、かな」
「調べ物……?」
ミアが首をかしげる。俺はそんな彼女にうなずきかけて、胸元のペンダントに触れた。
「ああ。このペンダントについて調べたくて」
そう。俺のやることに変わりはない。引き続き元の世界に帰る方法について探るために図書館で調査だ。地道な作業ではあるが、どうにかこうにか読み進めないと。
勿論、図書館には情報がないかもしれない。その場合は、実は次に調査する『アタリ』はついている。それは……『フル』だ。
やつが俺の体を乗っ取っていた時、ソラたちを倒した後には元の世界に戻って『藤谷カズト』をどうこうすることも考えていたようだった。元の世界に戻るということを、まるで当たり前のように言っていた。恐らく方法を知っていると見て間違いない。
まあ、すでに俺が倒してしまった今、どうやってフルについて調べれば良いのかもわからない。あくまでも図書館での調査結果が振るわなかった時の最終手段だ。
「通うつもりだ。王立図書館は結構蔵書量も凄くて……。まだしばらくは王都、かな」
そう話すと、エレックとミアがお互い顔を見合わせる。そして頷き合い、エレックが話し始めた。
「提案なんだが、ここから通わないか?」
「ここ、から?」
「ああ、そうだ」
俺を止まらせることに何のメリットがあるのか。俺は腕を組んで考えてみるが何も思いつかない。
「ありがたいんだけど……。なんで、そんな優しくしてくれるんだ? 俺に手を貸したって、良いことなんかない」
「ミアを助けるのに協力してくれた、恩がある」
エレックが微笑む。
しかし、協力したとはいっても、俺はサターンには勝てなかったし、ソラだって……フルのおかげで何とかなったんだ。
「そんな、恩を感じられるようなことは……してない。出来てないよ」
そう答えると、彼は微笑みを苦笑に変えて「少年も難儀だな。理由が必要か」と言って考える素振りを見せる。
「……そうだな……うん。じゃあ、こういう理由はどうだ? ……俺もミアも、また狙われてもおかしくない立場。あの魔法使いの一団もその一つ。だから、事情を知ってて戦える人間が多いほうが嬉しい」
そこにミアも加わってくる。
「そんなに危なくないよ! 輝には手を出させないように頑張る。ボクも、体には技術が染み付いてるから、普通に戦うことは出来る。危険になったら逃げたって良い!」
ミアは必死だったが、エレックの説得とは真逆の言葉だった。
ミアが戦えるのなら、ますます俺なんていらないじゃないか。……なんて、言ってしまうことはできなかった。
俺だって、エレックが理由を作ってくれたことがわからないほどの馬鹿なつもりはない。恩を感じてくれているというのが本音なんだろう。それを俺が信用できていないだけ。
「……そう、だな」
いいじゃないか。どうせ、ずっと一緒にいるわけじゃない。彼らが迷惑に思ったタイミングで自分から消えればいいだけだ。最初から俺もその気なら、袂を分かつことになったとしても、少なくともシュヘルでのあの時のような惨めな気持ちにはならなくて済むだろう。
……こんな風に考えるなんて、俺も少し、変わったのかな。
テーブルの下で固く手を握り、俺はエレックとミアの顔を見てからゆっくり頷く。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
俺の言葉を受けて、正面にいる二人の顔が笑顔になった。
「ああ! そうしろ! そうしろ! 俺もミアも、嬉しいよ。……な? ミア!」
「うん! ……ありがとう!」
こんなに喜んでもらえるなんて、本当に人のいい。『誰かのために』って、そんなに簡単に人を信用して、裏切られたらしんどくなるだけだぞ。
そんな風に心の中で小馬鹿にしたようなことを無理に思ってみても、それでも嫌いになれない。
「こちらこそ、助かるよ。……あ、でも、荷物は回収してこなきゃ」
思い出して口に出した。元々借りている部屋に荷物を置きっぱなしだ。お金もしっかり払っているし、もう一週間近く泊まっているから宿屋の主人とは顔なじみだ。勝手に荷物を捨てられたりするなんてことは無いと思うけど……早めに回収しないと。
すると、エレックとミアは早速とばかりに席を立つ。
「そうか。じゃ、買い出しついでに俺たちも行くか」
「そうだね。ボクもミルクが飲みたいって思ってたところなんだ」
「……ありがとう」
本当に、この二人はお人好しだ。
○
そんなこんながあり、宿屋へはエレックとミアも同行することになった。勿論、帰りに買い出しの手伝いをすることにもなりそうだが。
外出の準備を整えた俺は、二人とともにオーレン川沿いの道を進んでいって表通りに出た。
王都のきれいな街並みを進んでいく。ヨーロッパの古い建築物のような建物が並んでいたと思えば、中近東にありそうなものもある。かつ、所々にアジアンチックな木造家屋も現れる。
俺のいた世界からすると滅茶苦茶な街並みだ。でもきっとこの世界にはこの世界の歴史があって文化がある。ただ滅茶苦茶だと否定するなんてことは出来ない。むしろ、どんな流れがあってこんな風になっているのか、興味深いとさえ思った。
早く元の世界に帰りたいという気持ちに嘘はないけれど、もう少しいても良いと思い始めているのは事実だった。
それらの建物を抜けて俺の泊まっていた宿屋に行く途中、俺がソラたちと戦った場所に差し掛かった。
石畳の舗装は剥がれて、地面が割れている。綾香が生成したのだろう樹木の破片が無残に飛び散っていた。その周辺で鎧を着た衛兵が被害状況を検分していた。
俺は思わず足を止めて荒れ放題の表通りを眺める。ついてきていたエレックとミアも立ち止まる。
「犯人は見つかっていない。目撃者もいるが、情報が錯綜していて曖昧。魔法使いである、くらいしか犯人の目星は立っていないらしいな。衛兵の中では」
エレックは俺に並んでそう言った。
「へえ……あれだけ派手にやったのに……。ちなみにそれは、どこで仕入れた情報なんだ?」
「王都に馴染みの情報屋がいるんだ。その人から手紙を貰ってな」
「そっか……」
これだけのことをしでかしたんだ。最悪、衛兵から隠れて行動しなきゃいけなくなるとは思っていたが、今の所は問題なさそうだ。
改めて俺は遠くから被害状況を確認する。本当に、王都の綺麗な街並みに急に現れた破壊の跡といった様相だ。
俺は胸元のペンダントを握り込んだ。
「これが、俺の『嫉妬』が引き起こした結果」
言い知れない不安を感じた。
操られてしまったら、俺はこうなってしまう。最初の『精神世界』……コロッセウムでフルに手をかざされた時のことを思い出す。
あの時の俺が洗脳されていたとは言わない。確かに俺の意思はそこにあった。それでも、あの浮ついて地に足のついていないような心持ちを思い出すと身震いしてしまう。
「……大丈夫だ、大丈夫なはずなんだ……」
不安で乱れた呼吸を整える。自分を安心させるためにひとつ息をついてみる。
あれから俺は二度目の『精神世界』とやらで、屋上でフルを倒してみせた。今さら怯える必要は無いのかもしれないけど……。
俺はペンダントから手を離した。
「どうしたの」
ミアが俺の服の裾を引っ張ってきていた。俺は「なんでもない」と笑いをこぼしながら返す。
しかしながら完全に安心しきることはできなかった。
学校の屋上から落ちてゆくフルがいやらしい笑みを浮かべて俺に言い放った一言。それが俺の体に残ったわずかな不安を繋ぎ止めていた。
――一度溺れた人間が、逃れられると思うなよ。
彼の言葉を思い出す度に首にかけている銀のペンダントに新たな重みが加わるようだった。
「……さあ、もう少し先なんだ。行こう」
俺は二人を促し、割れた地面を抜けてその場所を後にした。
宿屋までたどり着くと、エレックとミアには外で待ってもらい、中に入った。今日で部屋を引き取ることを伝えると宿屋の主人は残念そうにしていたが、丁寧にお礼を伝え、荷物を受け取った。
「まあ、また気が向いたらご贔屓に、な」
宿屋の主人はそう言って俺を送り出してくれた。
彼にも感謝しないといけない。客の支払いを滞らせない為とはいえ、金策に走らざるを得なかった俺に船の荷降ろしの仕事まで斡旋してくれたのだ。本当に、いろいろな縁と運のおかげで俺は生かされていると思う。
もしかしたらエレックとミアも、そうなのかもしれない。
「……買い出しで、御礼の品でも買おうかな」
口の中で呟きながら宿屋を出る。二人が待っていると思って笑顔で外に出たのだが、しかし、二人の他にも全身鎧という怪しい風体の人間が馬車を携えて待ち構えていた。
「何だ……?」
豪奢な甲冑を身に纏った人だ。多分兵士なんだろう。ただ、気になるのはその鎧。衛兵が身にまとっているものとは違う。
……衛兵よりも偉い存在か? 軍隊かもしれないな。だとしたら、エレックとミアを巻き込むわけにはいかない。
「あ」
俺が宿屋から出てきたことに気がついたエレックがミアを引き連れて近づいてくる。眉間に皺(しわ)を寄せていて、何か異常な事態なんだと察した。
「……少年」
エレックがいつになく真剣な声色と表情で呼び掛けてきた。俺はエレックに耳を貸す。
「……どうした?」
「この国が王政を敷いているのはわかってるよな?」
「ああ。……闘技大会にも、来てたからな」
闘技大会には現バルク王がいて、一際大きな観客席で観覧していたことを覚えている。その後の闘技大会の進行を考えてみても、王の権力が強い……いわゆる絶対王政に近しい政治形態だというのは理解していた。
軽くうなずくとエレックがミアと俺に顔を少し近づけてきた。
「あの鎧。その王様の直轄の召喚特務兵だ。このままだと少年、あいつらに連れていかれるぞ」
小さな声でそう言うと視線で鎧の人間を示す。嫌な予感がして俺は眉をひそめる。
「召喚特務兵って、何の仕事してんの? 名前の通り、召喚術?」
俺はエレックに訊いた。もし特務とやらの仕事がきな臭いものだったら洒落にならない。エレックは「いや」と否定する。
「少年の言う『ショーカンジュツ』ってのは知らないが。彼らは基本的に王命で人を呼びつける仕事をしている。……闘技大会で知っていると思うけど、今の王様は武術が好きだからな。入賞した少年を王宮に呼びつける気だろう。なんか、居場所バレるようなこととかしなかったか?」
「あ……」
そう言えば門番には賞状を見せたし、王立図書館では身分証も作った。絶対にそれが原因だ……。一体、王宮に呼び出されて何をさせられるんだろう。
「行かないと、不味いかな?」
「まあ、だろうな。……王に嫌われるのは、普通なら避けるべきだ」
そりゃそうだ。更に言うなら、権力者にはなるべく媚は売っておくべきだと思う。それに、初代バルク王はアクセサリーの持ち主だ。上手く行けば詳しい話も聞けるかもしれない。加えて、こんなところで国の権力者に悪印象を持たれたら王立図書館での情報集めも滞ってしまう。
「……行くしかない、か」
他の選択肢はないと考えて、俺は小さく息を吐いた。
エレック曰く、王宮内に堂々と武器や大荷物を持って行くのはマズイらしい。俺は貴重品袋だけ身につけて、さっき宿屋で回収したばかりの荷物と、槍と小刀をエレックに預ける。
俺は鎧の男の前に出ていこうと一歩踏み出す。背後から俺の服の裾を引っ張られる。ミアかな、と思って振り返ると、正解だった。
「ボクたちは輝のこと、待ってるから、絶対、帰ってきてね」
「……うん、もちろん」
ミアの小さな頭に手を載せて、俺は鎧の男たちに声をかけた。
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