道筋(1)

「ん……」


 意識が戻ると同時に夜の匂いが鼻腔に充満した。気だるさが全身に広がる。覚醒の時の倦怠感というものは、自分がどの世界にいても変わらないものだと、ふと思った。

 そっと目を開けると暗い部屋の中で、視界の端に白いカーテンが揺らめいているのがわかった。窓が開いている。ここから夜風と僅かな月明かりが室内に入ってきているみたいだ。


「……ここは……? ……フルは……」


 倒したんだ。両の手足を順に動かしていく。ソラによって切り落とされたはずの右腕が当然のようにくっついていた。そういえば、フルが俺の体を乗っ取った時に治したんだっけ。

 俺の体は、今はそのフルのコントロール下にはない。俺が、随意に動かすことが出来る。


 そうだ。俺の体だ。戻ってきたんだ。


 上体を起こして辺りを見回す。どこかわからないが、一人で部屋の中にいる。ベッドと棚、テーブルと椅子があるだけの小さな部屋。テーブルの上には俺の愛用の小刀と財布などの貴重品、そして立てかけられるようにして槍があった。

 俺は白いベッドの上で座り直す。少し肌寒いことに気がついた。

 それもそのはずだ。俺は上半身裸だった。靴こそ履いていないが下はそのままのようで、ジーンズの感触がある。

 シャツとパーカーはソラたちと戦った事で補修不可能な程破けてしまったんだろう。右腕なんて、一度は切り落とされてしまったんだから当然といえば当然だ。服はここに運び入れてくれた人が脱がせたのか。

 髪がごわつく。戦いの中の土煙で汚れてしまったに違いない。それだけのことではあるが、あの戦いが夢や妄想なんかじゃなかったと教えてくれる。

 俺はベッドから這い出した。ジーンズは少し汚れてはいるがまだ履けそうだ。


「暗……」


 明かりは窓から差し込む月の光のみだ。荷物の中にランプを入れておいたのを思い出すがここにはなにもない。あるのは先程見つけたテーブルの上においてある小刀と貴重品、立てかけられている槍くらいのものだ。


「宿屋に、置いたままだったか」


 呟いてテーブルの上の小刀に触れる。武器があるのはありがたい。自分の身を守るものが手元にあるのは心強いし、俺をここに運んでくれた人が、俺に敵対している人間ではないとわかるから安心だ。

 例えばソラや速人だったら――あのフルの攻撃を受けて生きているのかは知らないが――俺の手元に武器など置いておかないだろう。


「……生きているだろうか」


 胸にチクリと刺さる罪悪感。俺はそれを振り払うように小刀を手に取る。……が、不注意で立てかけられていた槍に触れてしまい、槍はバランスを崩して地面に思い切り倒れてしまった。


「やべ……」


 木の床に転がる槍。同時に扉の外から足音。足音は近づいてきて、勢いよく扉が開かれる。何の前触れもノックも無しに、だ。

 扉の方を見ると、開いた張本人が俺を見て驚いた顔をしていた。いや、それは俺とて同じかもしれない。


「……少年! 目、覚めたのか!」


「エレック! ……無事で良かった!」


「そりゃ、こっちの台詞だっての!」


 苦笑しながら部屋に入ってきたのは金髪の若者剣士、エレックだった。彼は手に持っていたランプを入口近くの棚に置いて光源を確保する。

 彼とこうして面と向かって話すのはいつ以来だったか。俺とソラとの戦いが始まるときには彼はすでに傷ついて意識を失っている状態だったから、ハリア以来になるか。


 そうか……。フルから体を取り返した後に、ここまで運んできてくれたのはエレックだったんだ。正直、そのまま放置されてる可能性も考えていたから驚いたし、嬉しい。


 あの時はソラとの戦いを見据えていたから、エレックには応急処置だけでちゃんと回復魔法をかけてあげることが出来なかった。本当に、無事で良かった。と、安心してから気がつく。

 そうだ。あの時怪我をすべて治すことは出来なかった。それなのにエレックはピンピンしている。

 俺は疑問をそのままエレックに投げかける。


「エレック、怪我は?」


「ん。……あの魔法使いの一団にいた女の子が治してくれたんだ。確か、周りに『舞』とか呼ばれてた子だったかな」


「ま、い……」


 天見さんだ。彼女はフルの攻撃に耐えて生き延びていたんだ。だとすると、他の人も無事に違いない。

 あの場には一樹もいた。フルに乗っ取られている時はソラに対する嫉妬で一杯一杯だったが、彼の安否は気になっていた。図々しくも、少し安心する。そして、自分の行ったことを思い出して逆に気持ちが落ち込む。


 あの場にいた人間は皆、『嫉妬』にとらわれた俺を見ていたのだろう。一樹もそんな俺を見ていたはずだ。そして、傷つけてしまった。……絶交されてもおかしくないな。


「……ねえ、話してないで、早く、入ってっ」


 エレックの後ろから聞いたことのある小さな声。焦りが垣間見える必死な声にエレックが微笑んで扉の前から退く。そして、ずっと彼の後ろにいたんだろう人物を前へと押し出した。

 小さな背。黒い髪のショートカットを覆うようにキャスケット帽を被っている。ソラを前にして怯えていて、フルを前にして威圧感を放っていたその大きな目が、今は喜びで溢れているように見えた。


「……輝っ!」


 ミアは俺の寝起きの間抜けた顔を見るなり飛び付いてくる。俺は慌ててミアを受け止めた。走ってくる時に帽子が落ちて、ミアのさらさらな髪が俺の鼻を直にくすぐる。病み上がりだから少しふらついてしまう。まだ本調子ではないので、少し遠慮してほしい気持ちだ。


「ちょっと、ミア」


「よかった……本当に……!」


 でも、彼女の安心しきった表情を見たら、俺の調子なんてどうでも良くなってきた。落ち込んでいた気持ちも幾分楽になっていくのを感じる。

 彼女には感謝してもしきれない立場だと思い出す。フルに縛られていた俺が、自分を取り戻すことが出来たのは彼女に語りかけられたからだ。

 ちょっとだけ。ほんのちょっとだけミアを抱く腕に力を入れてみる。


 エレックは「……良かったな」と呟いて後ろ手にドアを閉める。そしてミアが落とした帽子をミアの頭に乗せて言った。


「ミア、そろそろ離してやれ。少年、病み上がりだから安静にさせないと」


「ん、うん」


 エレックが諭すとミアは素直に離れる。そしてエレックは手に持っていた紙袋をこっちに投げて寄越した。

 俺はそれを受けとり、彼の方を見た。「開けてみな」と言うエレックに頷き袋を開けると、中には服が入っていた。


「これ……」


「いつまでもその格好でいるわけにはいかないだろ。新しい服と靴だ。……買っといてよかったな、ミア」


 彼はそう言ってミアの帽子の上に手をのせる。そのまま肩にも手をのせ、ミアの体の向きを扉の方へ向ける。


「じゃ、部屋の外の廊下で待ってるから着替えたら呼んでくれ」


「わかった。……詳しい話は」


「ちゃんと話すさ、着替えた後に。喉も乾いてるだろ。ついでに水汲んでくる」


 エレックはそう言って笑うと、ミアの背中を押して部屋を出ていった。


「……ありがとう。ふたりとも」


 一人残された俺は取り合えず新しい服に着替えることにした。

 くたびれたジーンズを脱ぎ捨てて新しい服に着替えていき、最後にベルトのバックルをしっかりと留める。


「よし」


 暗い色の丈夫な布製のズボンに灰色で薄手のインナー。その上に麻のような素材だろうか、少しごわついた白いシャツ。さらに紺色のジャケットを羽織る。ジャケットは俺が今まで着ていたパーカーとは違い、所々に硬い革やキルト地の厚い布が使われていて、なまくら程度だったら通さなさそうだ。

 鎧ではないが、それに次ぐものかもしれない。パーカーより少し重みはあるが、何だかんだで戦うことも多かったここまでの俺の旅路を思うと必要なものなのだろうと感じた。

 靴も革で作られていて、履き古したスニーカーには及ばないものの、履き心地は悪くない。今まで履いていた腐りかけのスニーカーは右がソラの光の弾丸でふっとばされてたし、本当に助かった。


「終わったか、少年。入るぞ」


「いいよ」


 ノックの音と共にエレックの声がしたので、エレックとミアの二人を招き入れる。エレックが運んできたコップと水差しをテーブルの上に置くのを尻目にミアが俺の前に来て満足気に頷いた。


「うん、似合ってる」


 俺の格好を見るなり彼女は素直な声で言う。そう真っ直ぐに言われると――間抜けなようだが――少し照れてしまう。


「あ……ありがとう」


 俺は若干赤くなってるかもしれない顔を逸らしながらお礼を言った。まともにお礼も言えないなんて自分でも情けないけど、それ以上に恥ずかしいような。嬉しいような。

 逸らした視界の端にエレックの顔が目に入った。彼は悪そうな顔でにやついていたので、俺は話を本筋に戻すことにした。


「それで! あれから。……フルが暴れてから、何があったんだ?」


「フルっていうのは、何だ?」


 エレックは首をかしげた。その横からミアが話に入ってくる。


「あの時、やっぱり輝じゃなかったんだね。……フルっていうの?」


 彼女の質問に頷いてから、俺は長い話になりそうだと思って、テーブルの脇にある椅子に座る。ミアとエレックも倣って座った。

 俺はそれを確認してから話し始める。


「……どこから話そうかな。そもそもなんだけど、俺、この世界の人間じゃなくて、別の世界から来たんだ」


「ま、何となく察してはいたさ。少年の魔法は独特だったし、それに……サターンに『所有者』とも呼ばれてた。その銀色のペンダントは、魔法の装飾品なんだろ」


 エレックが俺の胸元を指さす。ミアがその顔にいっぱいの疑問符を浮かべている。それに気がついたエレックは「ミアは、知らないよな」と説明を始めた。


「事実だと知っている人はそう多いわけではないけど、この世界には時折別の世界から旅人がやってくるんだ。彼らは皆、少年のペンダントの様な魔法の装飾品を持っていて、魔法が使える。……ここからは俺の予測だけど、恐らくあの魔法使いの一団もそうなんだろう?」


 彼の言葉に俺は頷いた。ミアは「そう、なんだ」と、複雑な表情で相槌を打つ。ほとんどエレックに説明してもらった俺は、続きを引き継いで話す。


「それで、このペンダントの中には『フル』っていう精霊がいて、そいつが魔法の力を貸してくれてたんだ。俺はソラに負けたのが悔しくて、フルに協力を仰いだ。でも、弱みに付け込まれてそのままフルに体を乗っ取られてしまった」


「そっか。……でも今、意識が戻ってるってことは、フルに打ち克ったの?」


 ミアが不安そうに問いかけてくる。俺はあの屋上でフルを倒したことを思い出して、噛みしめるように首肯する。


「うん。……色々、迷惑かけた」


「いいよ。戻ってこれて、よかった。……あの時急に、その、フルが苦しみだして、倒れたんだ、輝。……戦ってたんだね」


 ミアが微笑む。その横でエレックが金髪の後ろ髪をバツが悪そうに掻く。


「そのくらいから俺も起きたんだ。通りが滅茶苦茶になってて驚いたよ」


 彼は後頭部を掻いていた手を下ろして腕を組み、目をつぶった。


「全身ズタズタだったから這って少年のところに行って、それからしばらくしてからあの魔法使いの一団が瓦礫から出てきたんだ。……それで、眼鏡の男がナイフで少年の首を掻っ切ろうとした」


 そう言って手を自らの首元にやってから、掻っ切る動作をしてみせる。

 眼鏡の男というのは恐らく速人のことだろう。当然だ。俺はあの時、彼らを傷つけることを全く厭わなかった。その報いとして命を狙われる。何らおかしくない。

 エレックは話し続ける。


「その時は俺もまともに動けなくて、ミアが防いだんだけど、結局彼ら、仲間内で割れてたみたいだった」


「うん。二刀流の人が眼鏡の男を突き飛ばして、庇ってくれたんだ」


 ミアが両手を上げて、二刀流のジェスチャーを取りながら言う。

 その男はきっと一樹だ。あんなになってしまった俺を庇ってくれるなんて、本当にお人好しで、良い奴だ。フルに感情を荒らされていたとはいえ、そんな一樹を傷つけても構わないと思っていた自分に嫌悪感を抱く。


「そっか。……一樹が」


 目を伏せて、視線をテーブルに落とす。木目がうごめいていて、まるで俺の今の気持ちのようだった。

 そんな俺の気分を知ってか知らずか、エレックは更に話を続けた。


「二刀流の男、一樹っていうのか。……そいつが眼鏡の男と言い争いをしているうちに、舞と呼ばれてた女の子が俺の傷を治してくれた。それから彼女に言われて、ミアと一緒に少年を担いで逃げたんだ」


「天見さんも……」


 自分の行ってしまったことにうんざりしつつも、俺は「逃げ切れたのか?」と聞く。

 速人は一樹が止めていた。天見さんも白石さんかソラを止めていてくれたかもしれない。でも、――実際に戦ったからわかるのだけど――ソラは簡単に止められるほど弱くはない。彼がその気だったらすぐに追いつかれて剣を向けられてしまうだろう。

 だが、エレックは首を横に振る。


「いや、向こうの光魔法使いは呆然としてたな。何か考えてるみたいだったけど、俺たちに敵意は向けてこなかった。そして、俺とミアが泊まっているこの場所に逃げ込んで今に至る、というところかな」


「……そっか」


 そうだとしたら、彼らはもうミアを使ってラルガさんを追い詰めるつもりではなくなったのだろう。そのつもりがあれば、とっくに襲ってきているはずだ。

 とりあえずミアの安全は守られたと考えてもいいのかな。


「さて」


 エレックが手を叩いた。俺は下げていた視線を戻す。


「これから、少年はどうするんだ。とは言っても」


 彼は視線を部屋の隅へ。揺れるランプの光に照らされた時計は十二時すぎを指していた。


「まだ疲れも抜けてないだろ。今日は寝たほうが良い。これからの話は明日にしよう」


 気遣ってもらったことで申し訳無さはあるが、実際俺はまだ疲弊していた。体が妙に重い。魔法を使って疲れを取ろうかとも考えたが、精神的にも疲労しているのが自分でもわかっていたので大人しくエレックの提案に乗ることにした。


「ありがとう、エレック。じゃあ、お言葉に甘えて、休むことにするよ」


「ああ、それが良い」


 エレックとミアは席を立ち、扉へ向かっていく。先にエレックが出て、ミアがその後を追う。彼女は部屋を出る前に一度俺を振り向き、微笑んで見せる。


「……おやすみ」


 言われてから、ふと気づく。そういえば、長らく聞いていなかった言葉だ、と。


「うん。……おやすみ」


 俺も久しぶりにその言葉を口にして、彼女に手を振った。

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