月の精霊(7)

 オレンジ色の夕焼けが照らす屋上。そこで俺は突き出した拳に『想い』を込める。想いは力となり光に変わる。光は手から溢れ出して槍を形作っていく。


「よし……!」


 出来た。嫉妬に頼らずとも魔法を使える。俺の覚悟はしっかりと答えてくれる!

 ……だけど。違和感だ。光の色が違った。槍の色も違った。気にしなければわからない程度だが、いつもの光の色とは確かに違っていた。

 俺は微かに疑問をいだきながら槍を手に握る。


「この、色は……」


 いつも見ていた切り裂くように冷たい銀色じゃない。ほんの少しだけど暖かみのある白銀色。


「白銀。それが君の心の色というわけだ」


 フルは俺の手の内の槍を見て呟く。照らすオレンジの中で小さく息づく白銀。オレンジが白銀に映り込んで一部を黄金色へと変えている。

 俺は見慣れない、それでいて妙に落ち着く白銀を見て、その後にフルを睨んだ。


「俺の心の色……? どういうことだ」


「そのまんまさ。君の色。それ以上の意味はない」


 フルの手に、銀色の風が集まっていき、俺と同様に武器を型どる。光が収まるとフルの手には銀色の大きな羽根が握られていた。羽根ペンに使われるような一枚の羽根。でも、普通の羽根じゃない。その大きさはまるで剣。

 彼はその羽根を二度、三度と振り回す。普通の羽根のように揺らめきはしない。触らなくてもわかる。硬い。……武器だ。

 羽根の出来に満足したのか、フルはこちらに歩み寄ってきた。俺は思わず身構える。何をされるかわからない。どんな攻撃が飛んでくるんだ。

 俺はフルの手にある銀色の羽根を見る。俺の槍の白銀色とは違う、フルの羽根の銀色。


「……そうか。白銀は俺の色。そして銀色がお前の色……」


 不意に、少しずつ解ってきた。

 異世界に来てからずっと、俺が使った魔法には銀色が関わってきた。それは多分フルの力を借りていたからなんだ。


 でも、今は違う。


 フルは俺の体を乗っとるために、本気で俺を封じ込めようとしている。そんなフルが俺に力を貸してくれるわけがない。だから今俺が作り出した白銀色の槍はフルの力を使ったものではない。俺の本来の力だ。だから、色も違うんだ。


「俺の色……でも」


 足りない俺の頭で必死に考え出したこの答え。自分でも概ね頷ける。……ただ、一つ疑問がある。

 ……俺はいつの間に魔法を使えるようになったんだ?


「ふふ。悩んでるようだね」


 俺の思考を遮るフルの言葉。人を苛つかせる上から目線だ。それに俺の姿と声で変なしゃべり方はして欲しくない。


「黙れ!」


 俺は左の手のひらをフルにかざす。あいつを鋭く切り裂く風をイメージする。


「とにかく……体を返して貰う!」


 渦巻く白銀の風が手のひらに集まり、こぶし大の小さな竜巻をつくりだす。そしてそれを押し出すように放つ。……『風の刃』だ。

 手のひらから放たれた白銀の風はフルを刻むべく空中を駆けていく。


「へえ。ここまで使いこなせるのか」


 フルは言いながら白銀の『風の刃』を銀色の羽根で受け流す。受け流された『風の刃』が軌道をそらされて見当違いに飛んでいき、虚空に消えた。

 見切られている。それもそうか。元々『風の刃』はフルの技だ。


「驚いたよ。率直に」


 フルが薄ら寒い笑みを浮かべた。俺の顔でこんなに冷たい表情が出来るなんて知らなかった。


「君の魔法の才能は皆無だったんだ。でも、現に今――魔法の使用が容易な精神世界とはいえ――魔力も貸していないのに、君に魔法が使えるとは思わなかった。……オレが貸していた力に感化されたのかな?」


 彼は銀色の羽根を構える。


「オレの拘束を解いたのもその力かな。残念だけど、ここまでの脅威になった以上、君には拘束では甘い。……一片も残さず消えて貰うしかないね」


 言い終わったフルが一気に俺との距離を詰めてきた。構えた羽根をそのまま横へ薙いでくる。俺はそれを槍の柄で受け止めた。


「感化、だと……?」


 フルの話から想像するに、今俺が使ってる魔法もフルのお陰らしい。磁石にくっ付けた鉄屑が、磁力を帯びるようなものだとでもいうのか。


「まあ、どうでもいいさ。さっさと消えてくれないか? あの餓鬼もまだ死体を確認出来ていない。下手に『オク』と関わらせるわけにもいかないんだ」


 フルは両手の力を羽根に乗せてくる。そう言われても、俺だって退くわけにはいかない。受け止めた槍に両手の力を集中させる。

 フルも負けじと押し返してきたが、その表情は険しい。そして、意外なことに……思っていたほどの力はなかった。


「く……。思っていたよりも、不味いか……」


 そう言ってフルは舌打ちする。表情に憎悪と焦りを浮かべていた。


「大人しく『嫉妬』に溺れておけば良いものを……。本当に、面倒だな……人間!」


「面倒で結構……! 俺も自分で自分のことを、面倒なやつだと思うよ。でも、それが、俺だ! それが、人間だ!」


 俺はフルのすねを蹴る。フルが小さく呻いてバランスを崩した瞬間に、すかさず槍の刃がない方の先端、石突きをフルの鳩尾に入れてそのまま突き飛ばす。

 フルは銀色の羽根を手から取り落としながら屋上のコンクリの粗い地面を転がっていった。


「……ぐ、う。くそ……。人間程度が馬鹿にしやがって。身体があるからって見下しやがって。絶対に許さない。絶対に殺してやる」


 地面に伏せながら唸るようにフルは呪いの言葉を放っている。吹っ飛んで手から離れた羽根の代わりに新しく銀色の羽根を造り出して杖がわりに立ち上がる。そして俺を睨んだ。


「誰の力でここまで生きてこられたと思ってやがる……。オレは君が危機に陥る度に魔力を貸してやった!」


 喘ぐように息を吸うフル。昔の俺の顔を歪めて示すは憎悪だ。恐怖で俺は足を一歩引いた。


「ずるいだろう! 人間には余る力を貸してやったんだから、相応の対価を払え! 体を、寄越せ!」


「く……!」


 気圧された俺はもう一歩、後ろに下がった。

 恐怖だ。圧倒的に有利なのに足がすくむ。それは高層ビルの窓から下界を見下ろす感覚と似ている。

 俺は吐き気を抑えながら額の汗を拭った。


「力を貸してくれた事は感謝してる。けど、体は渡せない!」


 俺が訴えるとフルは歯を食い縛って地面を踏みしめる。


「くそォ! 手のひら返してんじゃねェ! 何だよ! 肉体を持つことに嫉妬するのはいけないことなのかよ!」


 叫んでからフルは咳と同時に多量の血を吐き出した。コンクリートで跳ねた血が制服の白いシャツを紅く染める。フルは流れる血もそのままに羽根を正眼に構えた。


「……もう良い。跡形も残しはしない! ……『嫉妬』を司るものとして力を行使する!」


 正眼に構えられた羽根に風が集まってゆく。何かを感じた俺の全身が総毛立つ。


「『風刀(かざがたな)・山嵐(やまあらし)』!」


 俺の対面でフルはそう叫び、銀色の羽根を天に掲げる。銀の光と共に羽根のまわりにおびただしい数の銀色の刀のようなものが生えてくる。

 その姿はまるで巨大な銀色のヤマアラシ。


 不味い。『あれ』をさせては駄目だ。


 良く解らない直感が俺の体を突き動かした。右手のひらにもう一度白銀の風が集まりだす。

 俺は恐怖で固まりそうになる右腕をあわてて動かし、『風の刃』を飛ばす。


「……止まれッ」


 しかしそれはフルから吹いてきた突風によって流されてしまった。彼は小馬鹿にしたように鼻で笑う。


「風の刃、風の刃、風の刃。馬鹿の一つ覚えだな! そんな初歩の魔法しかできないのなら……諦めろ。この刀を全方位に飛ばす! 輝、てめぇは終わりだァ!」


「くそ……!」


 全方位? あんなものを食らったらひとたまりもない。治癒魔法を使う間もなくヤマアラシの針に切り刻まれる!

 何とかしてあの技を止めないといけない……。でも、どうやって止めればいいんだ……!


 フルを中心に巻き起こっている風が強くなってきた。着ている服の裾が皮膚に打ち付けるようにはためく暴風の中、俺の思案は回り続ける。


 一つ分かっていることがある。俺の『風の刃』はこの暴風の中じゃフルまで届かないということ。


「なら……!」


 俺はフルに背を見せ後ろを振り返った。視線の先には屋上と校舎内とを繋ぐ赤い鉄製の扉がある。

 一度屋内に退避しよう。フルの喚び起こした『山嵐』とやらの威力はわからないが、ここでこうしているよりも屋内ならダメージも少なくて済むはずだ! 俺には回復魔法もある。即死さえしなければ凌げるかもしれない。

 赤い扉が手招きをしているように見えて、俺は走り出した。


「間に合え……!」


 扉に手をかける。背後から殺気を感じる。振り返ってる暇はない。早く、屋内(なか)へ!

 焦る心で腕に力を入れた。


「……え」


 動かない。馬鹿な。今度は全体重をかけて扉を引っ張る。


「……あれ? ……そんな!」


 ビクともしない。扉が開かない理由……心当たりが一つある。風だ。

 フルが使う『山嵐』。その影響で風が吹き荒れている。ただでさえ重いこの扉をさらに重くさせているのはこの風だ。だとしたら、そう――。

 俺はゆっくりと振り返る。フルが荒れ狂う風の中で意地汚い笑みを浮かべていた。

 ――あいつを止めない限り、俺が助かる事はない。けど。


「無理だ……こんなの」


 圧倒的な力だ。勝てっこない。そりゃそうだ。俺に力を与えていたのはこいつだ。幾ら磁気を帯びていたって、屑鉄は屑鉄。屑鉄が磁石に磁力で勝てる道理はない。

 フルは吹きすさぶ風の中心にいて『山嵐』を掲げている。銀色の羽根から、大量の針とみまごうほどに銀色の刀が突き出ている。見様によっては美しく、神々しくすら見える。


 精霊の力だ。人智の及ばない巨大な力だ。……俺は、ここで、死ぬのだろうか。


「いや、そうとも限らないよな」


 フルは俺を教室のモニターの前に封じ込めていた。だけど、俺はそれを打ち破ることが出来た。確かに俺だけの力じゃないかもしれない。ソラとの戦いで消耗していただけかもしれない。それでも、俺が『覚悟』を持ったことで破ることが出来た。

 だとしたら、この状況を打破できるのも、……俺の命を掛ける価値があるものも、それだ。


「何だかんだ言って、やることはかわらない、か」


 槍を構える。

 結局俺にはこれしか無い。ラーズに教えてもらった覚悟の突進。ドラゴンとの戦いやハリアの闘技大会でも何度もお世話になった技だ。


 姿勢を低くして槍と一体化し、穂先のその一点に意識を集中する……!


 必要なのは、確かな覚悟と貫くイメージ。こんな暴風の中でも前に進んで、あんな数の刃の大群ですら突き破れるようなイメージ。


「力を貸してくれ……俺の覚悟」


 自分に言い聞かせるその言葉に反応して、俺が構える槍の穂先に、嵐を一点に凝縮したような小さな塊が白銀に輝きながら現れ始めた。

 小さい。『山嵐』とは比較にならないほど小さい。それでも、俺の想いとイメージが応えた力。

 それを見たフルは嘲笑する。


「惨めだなァ? 輝ァ! 死ぬ気で想いを込めても、そんな小さい光しか出せないんだもんな!」


 風によって作られたのだろうか。無数の銀の刀がヤマアラシの針のように生えた羽根。フルはそれを俺に向かって振り下ろす。


「体はいただく!」


 振り下ろされた羽根。そこから離れた風の刀が無数に飛んでくる。刀の一つ一つは半透明だが銀色に光っている。実体をもって俺を貫こうと迫ってくる。数百の刀が俺に向かう。壮観。威圧感。

 でも。俺は逃げない。逃げる場所などない。握る槍に更に力が入る。

 自分が自分であるために、自分の身を危険に晒す覚悟。……俺の覚悟を、ぶつけるだけだ。


「うおおおお!」


 俺はフルに向けて走り出した。槍の先端に灯っている、小さい小さい点のような白銀の光に誘われるように真っ直ぐに空を切って進む。

 視界は狭い。フルと俺を結ぶ直線上しかまともに見えてはいない。でも、俺の覚悟が作ってくれた白銀の光が目印になる。暗い闇を照らす灯台になってくれる。


 貫け! 穿て!


 小さく凝縮された白銀の嵐がフルが放つ無数の風の刀を吹き飛ばす。フルに向かって突き進む脚は止まらない。止めない。

 きっとこれは誰の為でもない。エレックの為でもミアの為ですらないのだろう。……そう、俺のためだ!

 俺が俺であるために、この『嫉妬』を俺は否定する!

 俺の祈りを受けて白銀の嵐は更に光を強めていく。無数の風の刀もものともしない。俺が睨むその先で、動揺と焦燥を供としてフルは喚いた。


「オレの『山嵐』が押し負ける? 有り得ない!」


「俺は、俺の為に! ここで終わるわけにはいかない!」


 穂先に灯る光の塊は更に輝きを増す。それは嫉妬という汚い感情と反比例するように綺麗に瞬く。吹き飛ばす。突き進む。輝く。迫る。そして。


「ぐ……!」


 暴風も、幾つもの刃も乗り越えて、フルの胸元に槍の穂先がたどり着いた。

 命中の手応えを感じ、フルは悲鳴をあげながら吹き飛んでいく。屋上の高い鉄網を易々と越えていき、宙に踊る過去の俺。


「……くそ。ここまでか」


 槍を突き出した格好の俺は、フルと目が会う。憎しみや悔しさ……それらをひっくるめた『嫉妬』を感じる眼差しを俺に向けていたフルは、それでも嬉しそうにして俺に言葉を吐いた。


「一度溺れた人間が、逃れられると思うなよ。今からその時が楽しみだ……」


 俺の耳がそこまでを聞き取ると、フルは歪んだ笑顔を見せて重力に引っ張られていった。


「そんな日が来ないことを、祈ってるよ」


 俺が追いかけるように呟いたその直後。地面に打ち付けられた人体が潰れる鈍い音が響く。人が純粋な『モノ』へと還る音が聞こえて、そのまま俺の意識も途絶えた。

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