月の精霊(1)

 王都の表通り。正午過ぎの日差しの中。俺は槍を手にソラと対峙していた。

 茶色い髪。半袖の白いTシャツ。健康的な体躯。人懐っこそうな笑みを浮かべていた表情は、驚きで覆い尽くされている。

 ソラは口をぱくつかせた後、気をとりなしたように俺を睨みつけた。


「先に、答えろよ、輝。どうしてここに、お前がいるんだ」


「言っただろう、『あの時』。俺は、帰るための情報を集めるために『王都に行くべきだ』って。だからここまで歩いてきたんだよ。少しずつ、時間をかけて」


「『奪った荷物と金を使って』、だろ」


 ソラの目が更に鋭くなる。俺は退かずに睨み返した。


「『進んで人を暗殺しに行くような馬鹿げた奴らから』、な」


 お互いに言葉をぶつけ合い、顔をしかめる。彼我の間には大きな溝があると思った。相互理解なんて程遠いと思わせられる。

 俺もソラも、手に握る武器に力がこもる。強く握ったものは、そんなにすぐには離せない。振り上げた拳は、そう簡単には下ろせない。


 睨み合ったまま硬直していると服の裾を引っ張られた。後ろを向くと、ミア。彼女の綺麗な目の瞳孔が大きく開いているのが見て取れる。


「輝……。エレックが……。ボクのせいで……」


 絶望して、地面に膝をついたままのミアの側にはエレックがうつ伏せで倒れ込んでいた。……血が流れている。このままにしておいたら、失血死してしまうかもしれない。

 俺は「ミアのせいじゃない」と伝えてから、ペンダントから魔力を取り出し、左手に集める。槍を置いて慎重にエレックを仰向けにすると、腹部に火傷とも裂傷ともつかない傷口があった。……多分、魔法が原因の傷だ。

 ソラの使っていた『光の弾丸』。この異世界に来てすぐに遭遇した『甲冑竜』相手に放たれていたのを見たことがある。真っ直ぐに金色の光の軌跡を残しながら宙を切り裂き、ターゲットに着弾した瞬間に爆発していた。

 俺の『風の刃』ではびくともしなかった甲冑竜の甲殻をいとも容易く砕いていたことから、その威力は折り紙付き。エレックの傷も、その『光の弾丸』によってつけられたものだろう。


「待ってろ、エレック……」


 俺は銀色の風を纏わせている左手を傷口にかざした。元通りとは行かないが、次第に出血が止まっていく。

 これはあくまで応急処置だ。傷をすべて治すことも出来るかもしれないが、そこまでのことをしてしまうと消耗が激しい。それでは困る。俺のこの『煮えたぎる気持ち』をぶつけられなくなってしまう。


「……ミア。エレックを任せていいか?」


「……うん」


 ミアは頷いて、未だ意識の戻らないエレックの上体を抱え、引きずりながらこの場を離れ始める。


「回復魔法だと! ……逃がすか!」


 俺の背後からソラの声が聞こえた。槍を拾った俺は即座に振り向き、魔力で強化した脚力で一気にソラに飛びかかる。そして、振り上げた槍を叩きつけるようにして思い切り打ち下ろした。


「くっ!」


 ソラは鋼鉄の剣を横に構えて、俺の槍を受け止める。


「どけ、輝! 今あいつを逃がすわけには――」


「――黙れ、この野郎」


 遮って、怒りをぶつける。つばぜり合いになり、剣と槍が軋む音がする。


 エレックも、ミアも、俺にとっては象徴なんだ。

 ずっと自分の命のためだけに逃げ惑って『迷子』のようになっていた俺が、『自分が自分であるために、自分の身を危険に晒す』という『覚悟』を得た。

 あの二人が生きているということが、俺の、小さな成長の、証なんだ。それを脅かしたこの男に、……俺は怒っている!


「何の理由があって、あの二人を……エレックとミアを攻撃した……!」


「……ああ、もう! わかった! 話してやるから、武器を引け!」


 話してやる、だと……! どこまでも上から目線で……!


「このまま話せよ……! 納得できなかったら、すぐにお前を倒す……!」


「このっ……! 頭、冷やせ!」


 ソラが叫ぶと、彼の胸元のペンダントが金色に強く光りだして、ソラの両腕がにわかに金の光を帯び始める。

 直後、信じられない様な馬鹿力で押し返されたと思ったら、そのまま突き飛ばされて俺は尻もちをつく。


「ぐっ!」


 慌てて地面を転がり、ソラから距離を開けて立ち上がる。

 今の馬鹿力は何だ? 俺だって魔法で肉体強化はしている。それなのにこんなに簡単に弾き飛ばされてしまった。

 槍を構えて、腰を低くする。ラーズに習った構え方のうちの一つ。敵の出方を伺い、その動きを観察するためのものだ。


「落ち着いたか? 輝」


 ソラの言葉。引き続き、上から見下ろしてくるような言い方で、不愉快な気持ちになる。


「良いから、話せよ」


「わかってるよ。……俺は、俺たちはラルガという将軍を倒すために旅している」


 ラルガ。聞いたことがある。確か、ラーズのいた軍隊の将軍だ。異様な覇気を纏っていて、昔の俺ではその視線を受け止めることすらできなかった男。

 シュヘルで町長が語っていた『戦争を起こそうとしている将軍』というのは、彼のことだったのか。

 ……だけれど、それがどうしてミアとエレックを攻撃することにつながるのかが不明瞭だ。


「それと、何の関係がある」


 俺が問うと、ソラは話を続けた。


「将軍ラルガの後援者は、サターン・ダグラスというハリアの貴族だ。だから俺たちはサターンを通じて、ラルガを追い詰めることにした。サターンとの交渉のために、ダグラス家であり、サターンの子であるデミアン・ダグラスに協力してもらいたいだけだ。それを……」


 ソラは視線を俺の後ろに移す。その先で、きっとミアがエレックを運んでいるんだろう。


「それを、あの金髪の男が邪魔をしてきた。だから……」


「攻撃した。そう言いたいんだな」


「……そうだ。俺たちには時間がない。ラルガはこうしている間にも力をつけている。このままじゃあ戦争が起きて、沢山の人が死んでしまう。……多少力づくでもしょうがない。人々を救うためだ」


 俺は胸糞の悪い思いで歯を食いしばった。


 戦争を止めるために協力を求めることに対して否定はしない。だけど、目的のために手段を選ばないような……嫌がっている人間に無理矢理協力を求めるようなやり方が気に食わない。

 それに、エレックがミアとサターンを関わらせたくない気持ちが強いことも理解できる。あの男のゾッとするような威圧感に、彼女を二度と触れさせたくはない。俺だってそう思う。エレックも、同じ思いでソラに歯向かったんだろう。


「ミアは、ダグラス家でひどい扱いを受けていたんだ。被害者なんだ。これ以上苦しませるわけにはいかない。お前が言うような交渉の材料になんて、させるわけには――」


「――ふざけたことを言うな!」


 俺の言葉を遮って、子供の声が聞こえた。声の方に視線を向けると、赤髪の少年がソラのいる向こう側……通りの建物の影から現れた。


「デミアン・ダグラスは被害者なんかじゃない! ……加害者だ!」


 昨日着ていた汚れた服はどうしたのだろうか。新品のような綺麗な服を着た少年は、それでも俺には見覚えのある人間だった。

 俺が王都に来た初日、奴隷商から逃げ出したあの赤髪の少年。昨日、俺が屋台の並ぶ噴水広場で見かけて……見て見ぬふりをした、あの奴隷の少年だ。

 ソラも声の主である少年を振り返る。


「アーク! 危ないから出てくるなって……」


 アークと呼ばれた赤髪の少年は、たしなめるソラの言葉を無視して一歩、二歩と歩んで立ち止まった。彼は幼い顔に憎しみを精一杯貼り付けて話を続ける。


「ソラさん! その男の言葉に騙されるな! デミアン・ダグラスは、人殺しだ! 俺の父さんを殺し、罪も償わずに今ものうのうと生きている……。あんな悪人に遠慮する必要なんて……無い!」


 ソラは、アークの言葉を受けて、もう一度俺の方に向き直った。


「……そういうことだ。俺は、俺の正義のためにここで退くことはできない。だから、お前が退かないのならば、叩き斬る!」


 鋼鉄の剣、その切っ先が一直線に俺の方へ。刃の鋭さに一瞬戦慄し、それでも俺はその場を動かない。


 あの『ミア』が、好んで人を殺すなんて思わない。でも、『デミアン』だった時のミアだったら……アークの言うように、誰かを殺してしまっているのかもしれない。現に闘技大会では対峙した参加者を殺していた。

 でもそれは、ダグラス家による洗脳の結果だ。服従の魔法の結果だ。ミアに罪があるとは、俺には思えない。


 ……ソラ、お前の言う『人々を救うため』の人々の中に、どうしてミアを入れてやってくれないんだ。


「……何が正義だ。わかったようなことを言いやがって。……だから俺は、お前の様な人間が嫌いなんだよ、狛江ソラ!」


 言い返した瞬間に、ソラはその手の剣をゆっくりと真上に振りかぶった。


「警告は、したからな――」


 ソラが俺に向かって走り出してきた。


「――退かないのなら、叩っ斬るって!」


 ラルガさんやサターンの放つそれにも似た覇気をほとばしらせて、まっすぐに向かってくる。彼の放つ覇気と死の恐怖が俺の足をすくませる。俺は左手で今にも逃げ出そうとするような足を叩いて恐怖を振り払う。


「くそ! 退くかよ! 退いてたまるか!」


 眼の前まで来たソラの剣が斜めから斬りおろされる。鋼鉄の冷たい剣。今まで見かけた衛兵が身につけているものよりも一回りから二回りほど大きい。きっと、かなりの重量だ。

 だけど、ハリアでマーカスさんに叩き込まれ、戦いの中で身につけた俺の眼が、彼の剣筋を見切る。


 剣閃が明らかに浅い。当たったとしても即死するほどでは無いだろう。

 俺は彼の意図に気がつく。……ソラは、こいつは俺を殺さずに制圧する気だ。


「……舐めやがって」


 そういう心遣いが、優しさとやらが気に食わない。


 思えば元々、気に食わないやつだった。

 甲冑龍に襲われた時も、俺が見捨てようとした天見さんを危険を顧みず助けに来た。必死こいて『風の刃』を何度も撃ったのを嘲笑うように『光の弾丸』閃光一発で追い払った。シュヘルでも綺麗事ばかりで、将軍を倒すと息巻いていた。


 その『誰かのために』という考え方が、俺の『自分のために』という考え方と正反対のそれが気に食わない。

 確かに、そのせいで俺が『あの時』他の皆に選ばれなかったのかもしれない。だけど、選ばれなかったからと言って、俺の考え方が間違っているとは思わない。


 ……それをこの戦いで、証明してやる!


 斜めから迫り来るソラの剣。俺は既に見切っているソラの太刀筋から外れるように、身体をひねり剣を避ける。


「お……らッ!」


 身体をひねった勢いに遠心力を加えて槍を打ち付ける。距離が詰まっているので刃の部分は当てられなかったが、柄の部分が剣を空振って隙だらけのソラの肩にしっかり入った。


「ぐっ」


 ソラは小さく悲鳴をあげる。俺がそのまま槍を振り抜くと、彼は衝撃で三メートル程吹っ飛ぶ。だが、上手に足から着地してすぐに向かってきた。


「まだ、だ!」


「……来い!」


 クリーンヒットしたのにびくともしていない様に見える。信じられないタフさだ。やはり分かりやすく相手の生命を削れる切り傷を与えなければ、こいつは止まらないだろう。

 ソラは剣を振るってくる。先程よりは深く切り込んできている。俺の実力にあわせて調整しているのだとしたら、器用なことだ。それでもまだ、俺には届かないけどな。

 俺は再び剣を見切ってかわす。


「ちょこまかと……!」


 悪態をついたソラは、二度、三度と連続で切りかかってくる。魔法で身体能力を強化しているからか、凄まじい速さで連撃が襲ってくる。

 ……でも、ラーズの槍捌きやマーカスさんの小刀のスピード、ユリウスさんの正確無比な剣撃と比べると見劣りする。


 俺はすべての攻撃をかわして、もう一度同じ場所を……ソラの肩を狙って槍を打ち付けた。上手く間合いを離せず打撃になってはしまったが、ソラは二度目の直撃に呻きながら吹っ飛び、今度は着地に失敗して地面に転がった。


 ……チャンスだ。魔法で強化した脚力で近づいて、槍を突き立てれば俺は勝てる。あの、狛江ソラに勝てる!


「うおお!」


 追撃を狙って俺は倒れているソラの方へ走り出した。しかし、同時に厭な予感がした。実際にされた経験は無いけれど、銃口を突きつけられているかのような感覚というのは、こういうものだろうか。

 倒れているソラから、金色の光が一瞬輝く。よく見ると、倒れながらもソラの左手は俺を狙っていた。……『光の弾丸』を保持したまま。


「当たれッ!」


「くそっ――」


 俺は咄嗟に体を捻って半身になる。しかし『光の弾丸』のスピードは凄まじく、回避が遅れた右足の爪先に引っかかってしまい、小さな爆発による衝撃が俺の体を駆け抜けた。


「――ぐあああああ!」


 地面に転がり、右の爪先を確認する。元々長旅でボロボロになっていたスニーカーが破壊され、中から火傷と裂傷の混じった血まみれの足が飛び出してきていた。

 痛みに耐え、急いで回復魔法を右足に流し込む。血が止まり、痛みが和らいでいく。


 ……油断した。ソラも魔法使いだ。単純な武器での戦いだけで完結するわけがない。


 俺は立ち上がってソラの姿を探す。彼は既に立ち上がっており、再び金色の光を纏った左手を俺に向けてきていた。


「降参しろ、輝。別に俺はお前を殺すつもりはない」


 人間は弱いものだ。一度はっきりとした痛みを感じさせられると、簡単に恐怖に飲み込まれてしまう。一度痛みを感じてしまうと、その痛みから逃げるために何でもしてしまいそうになる。


 でも、そんな弱い人間だから、意志の力で叩いて叩いて、強くなるしかない。その為の『覚悟』だ。


「……自分が自分であるために、自分の身を危険に晒す覚悟、だ」


 俺は背中に持っていた小刀を左手で抜きさった。そしてそれぞれ武器を掴んでいる両手の拳の前に、銀色の小さな竜巻を……風の塊を保持した。


「まだ、俺は負けていない。狛江、ソラ。お前がこの場を諦めるまで、俺はここを退くことはない!」

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