月の精霊(2)

「うおおおおお!」


 俺はソラに向かって両の拳を突き出す。俺の意思に反応するように風の塊はまっすぐ打ち出され、風の刃となって宙を切って進んでいく。

 そして、それと同時に走り出した。右手に持つ槍を脇に抱えるようにして姿勢を低くしていき、突進していく。


「くっ!」


 ソラが風の刃を避けて、俺に向かって光の弾丸を打ち出そうと俺に向けて手をかざしてくる。俺は恐怖で止まりそうになる足を無理矢理動かして突き進む。

 俺の風の刃とソラの光の弾丸の威力とスピードを比べたら、向こうのほうが上回るのは十二分にわかっている。だとしたら、距離を取られてしまっては勝ち目は無い。止まることは出来ない……突き進むのみだ!

 そして、俺は光の弾丸ではなくソラの手のひらの動きを見た。

 光の弾丸は確かにものすごいスピードだし、突進しながら避けられるものではない。だけど、何度か見ていたからわかる。


 光の弾丸はソラのかざした手のひらの方向にしか進まない。


「喰らえ!」


 ソラが、かざした手のひらを突き出そうとする。俺はその動きを見切って、そのタイミングで更に姿勢を低くし、槍と一心同体になるように小さくなった。


「何っ……!」


 エネルギーの塊の様な光の弾丸が鋭く打ち出されるも、俺の頭上をかすめるようにして飛んでいく。……足を止めることなく、かわしきった!

 だけど、これは一度きりだ。虚を突くなんて、幾ら脳内ハッピーなソラ相手だろうと二度は通用しまい。


 だから、ここで決める!


「届けっ!」


 光の弾丸を打ち出したばかりのソラへ一気に肉薄し、俺は槍を突き出した。……しかし、手応えはない。紙一重で俺の槍の穂先は、ソラのシャツの裾を切り裂いて外れてしまった。


「……まだだ!」


 俺は突き出した槍を横薙ぎに振り抜く。それをソラが、鋼鉄の剣で受け止める。


「俺だって! 退くわけにはいかないんだ!」


 ソラが叫ぶと、彼の両腕に金色の光がオーラの様に浮かび上がった。

 この光は……さっきの馬鹿力の時と同じだ!

 左手の小刀を捨てて、両腕で力比べをしてもいい。でも、おそらく押し負けてしまうだろう。それほどに、羨ましいほどにソラの力は強力だ。

 だけど、勝てないならば、別の方法で攻める!


「おおおおお!」


 俺は小刀を手放すのではなく、槍を手放す。ソラが剣を振り抜いたことで槍は吹っ飛んでしまったが、俺の武器は槍だけではない。

 左手に持っていた小刀を両手で握って、ソラに斬りかかった。


「ちいっ」


 ソラはまた体を捻ってかわそうとする。だが、剣を振り抜いて出来た隙が大きかったのだろう。完全には避けきれずに、頬に一筋の切り傷が。


「届いた……!」


 競り勝った――その一瞬の油断。脇腹に鈍い痛みを感じた。ソラの蹴りが俺を捉えていた。さっきの腕力強化と同様に魔法で強化しているのか、普通の蹴りの威力じゃない。


「ぐあっ」


 思いがけないところから飛んできた衝撃に、俺は跳ね飛ばされてしまう。上手く着地できず、地面を転がってからすぐに立ち上がる。

 ソラは追撃しては来ず、立ちすくんだままで自らの頬の傷を擦っている。赤い血液が彼の左手を彩る。


「……本気、なんだな。本気で、俺を殺すつもりなんだな」


「何を、今更。お前がミアを、エレックを傷つけるつもりである限り、……お前は俺の敵だ!」


 俺は小刀を右手に持ちなおした。視線だけ動かして槍を探したが、遠いところで転がっていた。心細いが、拾いに行く時間はないだろう。ここからは闘技大会同様に小刀一本で戦うしか無い。

 ゆっくりと、マーカスさんに教えてもらった様に、小刀を構える。

 しかし、俺と相対しているソラは剣を構える素振りを見せることは無かった。


「わかった。そこまで言うなら、俺も本気だ」


「ふん、『さっきまでは本気じゃなかった』とでも言いたそうだな」


「……ああ。そうだな」


 ソラが表情を暗くした。そして、胸元に手を持っていく。魔法だ。光の弾丸か? それともまた別の術か? どちらにしろ、俺に出来ることは距離を詰めるほかはない。

 俺もソラと同様にペンダントに触れて、全身に魔力を流し込む。精神的な疲労が蓄積すると同時に肉体的な痛みが薄れ、体が軽くなっていく。


「だったら、……見せてみろよ! 『本気』ってやつを!」


 俺は再度ソラに向かって駆け出した。胸元のペンダントに手を置いたまま動かない彼に向かって、小刀を突き出す。まずは利き手側の肩だ。そこを穿てば剣は持てないだろう。剣を持てなくなったら、きっとミアとエレックのことを諦めてくれるはず――。


「――え?」


 確実に捉えたと思った。だけど、俺の右手は手応えを受け取っていない。俺の右手の先の小刀は、先程までいたはずのソラではなく、空中を突き刺していた。


「遅いよ」


 背後からソラの声。後ろを取られたのか? そんな、馬鹿な!

 俺は振り向かずに、そのまま前方へと転がり込んだ。すぐに後ろを見ると、ソラが剣を横薙ぎに空振りしたところだった。

 しかもその剣は、よく見ると刃と峰が逆……峰打ちだ。


「ふ、ざけんなあああ!」


 今までは手を抜いていたのか? 必死で戦っている俺を見下して嘲笑っていたのか? あいつの『本気』というのは、そんなに……俺の力が全く届かないほどに、強いのか?

 ……そんなわけあるか! あいつの頬の傷がその証拠だ。俺の刃があいつに届くという、証拠だ!


 俺は胸元のペンダントに触れて銀色の風を呼び出す。そしてソラに向かって『風の刃』を何発も撃ち出す。無数の風が前方の空間を切り刻む。

 ……ここまでやれば、一発くらいは……。


「遅いって、言ってるだろ」


 また、後ろからのソラの声。背筋に冷たいものが走った。

 全く見えなかった。いつの間に後ろに回り込まれてたんだ。


「なっ……! くそ!」


 俺は振り向きながら小刀を水平に滑らせる。しかし、すでにそこにソラは居ない。


「殺す気はない。寝ててくれ」


 今度は下の方から声が聞こえた。視線を下ろすと、呆然としている俺のすぐ前で、しゃがんでいるソラが剣を構えていた。

 剣の峰が下から迫ってくるのが見えた。


「ぐ、あ」


 顎に鈍い衝撃。体が軽く浮く。鼻の奥から、つんとした感覚が来る。力が、入らない。目の前が、暗くなる。


 こんなの、おかしいだろ。

 俺だってここまで何もしてこなかったわけじゃない。むしろ、ずっとずっと戦って、無様に駆けずり回って、そのおかげで強くもなったんだ。

 それなのに何で、こんなに差がある。それなのに何で、いつも負けてしまう。


「くそ……」


 俺も欲しかった……狛江ソラのような、圧倒的な力が……。



 最初に気がついたのは、まぶたの開閉がわからなくなってしまうほどに真っ暗な場所にいるということだった。

 次に気づいたのは、耳が痛いほどに音が無い場所にいるということだった。

 そして最後に、重力。自分がどこかに立っているということだった。


「……何処だ?」


 暗闇に、俺は飲み込まれて、佇んでいる。うつむいてから両手を握ったり開いたりしてみる。しかし、そんな自分の手の動きすら視認できない。


「誰か、居ないのか?」


 呼びかける。静寂に俺の声が虚しく響く。返事はない。急に怖くなった。もしかして――。


「――俺、死んだのか?」


 つぶやいてから、必死に首を振ってその考えを打ち消した。


「ありえない。冷静になれ、久喜輝」


 俺は久喜輝。高校生。アクセサリーを拾って、異世界に来た。王都までたどり着いて、ミアとエレックに危害を加えようとするソラとさっきまで戦っていた。はっきりと覚えている。しっかりと思い出せる。記憶があるということは、少なくとも脳は無事だ。


 そこまで考えてから、自分がこの場所に来てしまう寸前のことを思い出す。


 確か、ソラに顎を剣でかち上げられた。峰打ちだった。

 打ち付けられた顎を擦ってみる。しかし痛みを感じなかった。そんなはずはない。顎が割れなかったとしても、最低でも打撲は残ってしまうような威力だったはずだ。


「は……はは」


 乾いた笑いが闇へと飲み込まれていった。

 胃のあたりに重たいものが立ち込める。痛みがないなんて、もしかしたら、これはマジかもしれない。……マジで、死んでしまったのかもしれない。


 峰打ちでも、死ぬんだな。……なんて、呑気なことを考えてる場合じゃない。


 認めたくはないけど……仮に死んでしまったとして、ここでぼうっとして立ち尽くしていても何も変わらない。ずっとこのまま暗闇の中にいるなんて耐えられない。


「……そうだ」


 俺は思いついて自らの胸元をまさぐった。例のペンダントと思しき感触がある。そういえば服も着ている感触がある。なんだったら、ソラとの戦いで破壊されたはずの右のスニーカーも、履いているような感触がある。


 過去、橋山一樹に聞いたことがあった。

 人は死した時、その時の自身のイメージを死後の世界に持っていってしまうのだと。だから人間の前に姿をあらわす亡霊というのは、最期の姿をしているのだと。


 もしかしたら、これがそうなのかもしれない。

 でも、そうだとしたら幸運だ。俺はこの暗闇を照らすためのものを持っている。


 俺は手で触れているペンダントを握り込む。ペンダントの光ならこの闇をどうにか出来るかもしれない。


「照らしてくれよ……」


 触れたペンダントから少しずつ銀色の光が溢れてきた。徐々に暗闇が照らされていく。視線を下ろすと自分の体が薄っすらと見え始めた。


 さらに足元を確認する。


 ボロボロのスニーカー。それがコンクリートの地面を踏みしめている。……あれ? コンクリート?

 疑問を感じたのもつかの間、銀色の光が強くなっていくにつれ、少しずつ周囲の景色が見えるようになってきた。

 灰色で、粗い目のコンクリートの地面。そこから生えた緑色の雑草や苔の類。地面はどんどん広がっていき、その先には緑色の錆びたフェンスが現れた。そして、その先には元の世界の街並み――。


「――ここは」


 屋上だ。俺の通っている高校の屋上だ。


 思わず歯を食いしばってしまう。きっと今の俺の表情は苦痛に歪んでいるのだろう。

 銀色の光が強くなり、青空と太陽が見えるようになると、ペンダントの銀色の光が消えて、太陽が代わりに辺りを一気に照らした。

 あらわになる、屋上の景色。蘇るのは一年弱の高校生活。


「オラァ!」


 そして声と共に、聞き慣れた鈍い音がした。

 背後をうかがい見ると、屋上の真ん中で数人の男――うちの高校の制服だ――が誰かを囲んで蹴っている。


「ああ……これは」


 腹から酸っぱいものがこみ上げてくる。吐きそうだ。その場に座り込んで、落ち着いてからもう一度顔を上げた。

 その一瞬。囲まれて蹴られている人の顔が見えた。今の俺よりも短い髪。今の俺と同じく苦痛に歪んでいる表情。


 あれは俺だ。……過去の俺だ!


「やめろ!」


 俺はリンチを続ける男子の集団に向かって走りだした。猛烈に吐きそうだ。多対一で勝てる気がしない。でも足は止められない。


「やめろよ!」


 俺の声が届いてないのか、その男子生徒達は暴行を続けている。


「この!」


 俺は拳を握って殴りかかる。しかし、渾身の一撃は男子生徒の肩をすり抜けた。


「なに……!」


 何度も殴りつけるが手応えがない。SFで出てくるホログラムみたいだ。渋々拳を崩して、リンチの現場の横で突っ立った。


「……やめて、くれよ……」


 歯がギリギリと軋む。俺の目の前では過去の俺が泣き声混じりの小さい嗚咽を発している。


「これが――」


 突然声がした。頭の中に直接響くような声だ。どこかで聞いたことのある声色だ。

 俺はすぐに辺りを見回した。声の主は何者だ。


「――輝。これがお前の忌まわしい過去で、『嫉妬』の原点だな?」


「誰だ?」


 突然ペンダントが光り出した。目が眩み、同時に目の前の忌まわしい景色が消えて、また何もない闇へと戻っていく。


「一応、初めましてと言っておこうかな。輝」


 相変わらず声だけが響く。


「誰だ! 姿を見せろ!」


 俺は何もない空間に向かって叫んだ。小さく笑い声が聞こえてくる。


「姿ねえ……」


 声と共に、今度は足音も。闇の中から誰かが歩いてきている。近づいてきている。触れてもいないのにペンダントから薄く銀色の光が溢れた。


「なっ……!」


「……驚いたかい?」


 暗闇から出てきたのは先程までリンチにあっていた過去の俺。高校の制服を着ていて、今よりわずかに髪が短く、しかし傷や汚れはない。

 高一の夏からつい二、三ヶ月前までの半年強。同級生『藤谷カズト』により終わりにされるまでずっと続いたリンチ。上級生数人の手で、傷が残らないように、服が汚れないように、他にバレないように。

 ……痛みを耐えていたあの頃の俺が、目の前にいる。


「……お前は、昔の俺なのか」


 昔の俺がにやりと笑みを見せた。自分と同じ顔に吐き気を催す。


「違う。輝、君が姿を見せろって言うんでね。君の『最高の景色』から適当に見繕ってきたんだよ」


 俺と対面している制服姿の『俺』が不敵に笑う。『適当に見繕ってきた』にしては悪意のうかがえる人選だと思った。


「じゃあ、『俺』じゃないなら……お前は誰なんだ」


 目の前の『俺』が、よくぞ訊いてくれました、とばかりに笑みを浮かべ手を大袈裟に広げる。


「名前は『フル』。『月の精霊』と呼ぶ人間もいたな。君のその――」


 フルと名乗った『俺』は、俺の胸元を指さした。


「――ペンダントに宿っている存在だよ」

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