湖の街(5)

 数日前に選手登録のために訪れたときと比べると、闘技場は遥かに派手な装飾がなされていた。色とりどりの垂れ幕やモールなどが石の建築物に掛かっている。人の数も多い。まだ戦いは始まっていないというのに、どこかから歓声も聞こえてくる。

 闘技場内に入っていくと、だだっ広い広場があった。地面には細かな砂が敷き詰められていて、転んでも怪我はしなさそうだ。……ユリウスさんの家の庭の砂利とは違って。

 勝手なイメージではあったが、試合はこの闘技場内の広場を全て使って行うものだと思っていた。しかしそれは俺の見当違いだったようで、広場の中にいくつもの柱とロープが張られている。それぞれ二十メートル四方くらいの四角で区切られたスペースとなっていて、それがいくつも並んでいる。大きな体育館にあるコートのイメージが近いかもしれない。

 複数の試合場があるということは、戦いは一戦一戦順番に行うのではなくて、同時並行で進行していくのだろう。

 ただ、広場の中央には一際大きな試合場もあった。あれは決勝などの大きな戦いで使われるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、先頭を歩いていたマーカスさんが振り向いて、俺たちに向き直った。


「じゃあ、一旦解散するか。それぞれ控室もバラバラだろうしな」


「バラバラっていうと……、そんなに大勢参加してるんですか?」


 俺は質問を挟む。マーカスさんはうなずいた。


「ああ。今回は百人以上の参加だったかな。王宮から回復魔法の使い手もたくさん来ていて安全だってんで、遊び半分で参加するやつも多いんだよ。……今日は十六人一組のブロックでトーナメントがそれぞれあって、明日はそのブロック優勝者による決勝トーナメントだ」


 そういえば、闘技大会は二日間開催だって聞いたことがある。それだけの数の参加者がいるのなら、二日間かかっても確かにおかしくはない。

 今日は同じブロックの中で戦えば良いのだろう。十六人と言っていたから、順当に勝ち進めば四回試合をすることになる。


「ちなみに、ブロックはいくつあるんですか?」


「八ブロックだ。……なんだ、もう決勝トーナメントの心配か?」


「いや、そういうわけじゃ!」


 慌てて否定する。勝ち上がれるつもりなんて無い。……でも、自分がどこまで進めるのかには興味がある。短い日数だが、結構、練習もしたし。


「俺もユリウスも輝とは別のブロックだ。明日戦えることを楽しみにしているよ」


 マーカスさんはそう言うと、俺に手を振って去っていく。控室に向かったのだろうか。ユリウスさんは「控室の場所はわかるか?」と聞いてきた。首を振ると「係員に聞いといたほうが良いぞ」と言って、彼も去っていく。

 残された俺は早速係員を探そうと周囲を見渡す。闘技場の入り口にそれらしき人を見つけた。もうひとり残されていたエリスさんに別れを告げ、俺もその場を去った。エリスさんは観客席へ向かうらしい。

 係員から控室の場所を聞き出した俺は、闘技場の内壁にあたる場所にあった扉から、建物の内部に入っていった。石と木で組まれた内部は風通しがよく、涼しい。屋内なので薄暗くはあるのだが、通路脇には松明が焚かれていて、それが周囲を照らしている。

 闘技場内部は長い廊下が緩やかにカーブしながら続いていた。参戦する戦士専用の場所だからか、屈強な男が何人も歩いていた。俺はそんな厳しい人たちとは目を合わせないように進んで、廊下脇にある扉の一つに『第七控室』と書いてあるのを見かけてそこに入っていく。

 俺のいる第七ブロックの参加者のための控室だ。


「……失礼します……」


 小声で言いながら入っていく。だが、俺以外にはまだ誰も来ていないようだった。

 控室は学校の教室くらいのサイズで、いくつものベンチと広いテーブルが置かれている。テーブルの上には果物や軽食と水差しが用意されており、試合と試合の間につまめるようになっていた。

 俺は水差しを手に、空いているコップに水を注ぎ、一気に飲み干してからベンチにどっかりと座り込む。


「はあ、緊張するな……」


 死人がめったに出ないという話とはいえ、これから命のやり取りをするのだ。緊張しないほうがおかしい。

 この場に来てしまったことをすでに後悔しながら俺は目を閉じる。寝てしまうつもりは無いが、そのまま心を穏やかな方へ持っていく。深呼吸をして、できるだけ心を荒らげないようにする。

 魔法を使いすぎたとき、こうしていると少しずつ精神的な疲労が消えていくのだ。これも、この異世界の旅の中で自然と身につけたことである。

 この世界に来てから、沢山のことを経験した。学んだこともある。旅の技術や、武器の扱い方。でも、それだけじゃない。

 ……『覚悟』。ラーズに教わった覚悟だ。自分のために、自分の身を危険に晒す覚悟。それはある意味、自分のためなら何でもやる、ということでもあるのではないだろうか。

 俺は胸元のあたりで拳を握る。ペンダントを握り込む。光は溢れさせない。その分力は落ちるが、それでも全身が軽くなるのを感じる。


「大丈夫だ……いける」


 俺がハリアに着いてからマーカスさん達の訓練の隙を見てこっそり練習していたことだ。光を出さないで魔法を使う。魔法を使っているとバレないように、魔法を使う技術。

 目を開いた。ペンダントからは微塵も光が溢れてこない。これならバレないだろう。いざというときにはこの技術で身体強化の魔法を使う。これが俺のやり方だ。

 ……この世の中は、最後まで生きていた方の、勝ちだから。



「紳士淑女の皆様! 遂にこの時が来ました! 今回の戦士達はどのような戦いを我々に見せてくれるのでしょうか! ……いえ、熱い戦いに長い挨拶は要りませんね。では、ハリア闘技大会! 始め!」


 テンションの高い正装の男の大会開始の挨拶が終わると同時に、打楽器の騒がしい音楽が闘技場内に鳴り響いた。


「試合、始め!」


 俺のいる試合場についている審判が試合の開始を宣言する。

 周りの他の試合場でも戦いが始まっている様で、剣戟がぶつかる鋭い音や一撃に気合いを入れるための掛け声なんかも響き始めた。

 その沢山ある試合場の一つで、俺は一回戦の相手を見つめる。

 オーソドックスな剣を逆手に持ち、俺を見据えている革鎧の少年。俺よりも年下だろうか。緊張しているみたいで、構えが硬い。


「い、いくぞ……!」


 彼は言葉とは裏腹に身動き一つとらない。

 俺以上に緊張しているその様子を見ていたら、先程まで自分の中ではち切れんばかりに張っていた気が程よく緩むのを感じた。

 多分、俺と同じで戦い慣れしていない。闘技大会といえどお祭だ。マーカスさんが言っていたように、ノリかなんかで参加してしまうようなやつもいるのだろう。

 この少年も友達に良いところを見せようとしたのか、それとも罰ゲームで参加しているのかは知らないが、マーカスさんやユリウスさんとは戦いにおける意気込みが違うように見て取れる。


「容赦は、しないけどな……」


 小刀を抜き、一直線に構えた。

 俺だって彼と立場は同じようなものだ。小刀を握ったのは五日前。初心者も良いところである。ゆえに、容赦するような余裕はない。

 剣を構えたまま身動きをとらない少年に向かって俺は走り出す。先手必勝だ。

 少年の構える剣が視界に入って恐怖で足を止めそうになるが、それはラーズに教わった覚悟で乗り越える。小刀を構え、胴を狙って一文字に斬りつける。


「うわ!」


 悲鳴に近い声を上げながら少年は俺の小刀を剣で受け止めた。鍔迫り合いになるが、腰が引けている少年は懐に大きな隙を作っている。

 俺は隙の出来た少年の腹を右足で跳ね上げる様に思い切り蹴り上げた。


「げほっ」


 咳き込むような声を漏らした少年は、その剣を持つ右手に力を込める。俺はそれを見てから少年の動きを予想し、一歩退いた。少年の剣は予想通りのコースを通って俺の目の前を素通りしていく。

 ……うん。思った以上にしっかりと見える。これならある程度はどうにかなるかもしれない。


「く、くっそお!」


 乱暴に剣を振り回す少年。俺は身体を慣らすためにも、あえて反撃せずに一つ一つの動きを見切って躱していく。

 俺がマーカスさんに教わったのは、この『見切り』だった。

 ……彼は、初日の練習中に、俺は物覚えが良いと言ってくれた。それはひとえに、相手の動きをよく観察しているからだという。だからこの『見切り』という技術が俺にぴったりなんだと言っていた。

 俺自身の認識としては人の動きをそんなに観察しているつもりはないし、物覚えが良いとも思っていない。それでもこの数日間みっちりと、マーカスさんとユリウスさんのとんでもないスピードの攻撃に対して『見切り』を練習し続けたんだ。魔法で体力を回復することが出来るから、ほとんど休憩もとらずに練り上げた。


 かなりしんどい思いをして身につけた技術だけに、その苦労に対する信頼はある。


 乱暴な攻撃を見切って、俺はもう一度少年の脇腹に蹴りを入れた。さっきと同じ場所に蹴ったのだから痛かったのだろう。少年の動きが止まる。

 俺は小刀の柄を思い切り少年の手首に叩きつけて、少年が剣を取り落とした所に足払いを入れた。


「う、うわああ!」


 案外簡単に地面に倒れた少年の喉元に小刀を突き付ける。


「降参してください」


 そう告げると少年はコクコクと首を縦に振り、降参の意思を表した。審判が覗き込んできて、手に持っている鐘のようなものを振る。甲高い金属音が鳴り響くなか、審判のコールが聞こえてきた。


「勝者! 久喜輝!」


「……やった」


 俺は少年の喉元から小刀を離し、鞘に納める。苦労が報われたような気がして嬉しい気持ちが溢れてきた。

 ……自分でも単純な人間だとは思う。それでも、努力が報われた瞬間というのは――例えそれがどのようなものでも――嬉しいものだ。

 胸をなでおろし、ロープをくぐって試合場を抜ける。俺が先ほど倒した少年は自力で起き上がってロープから外に出て、観客席に手を振っていた。友達が見に来てるんだろう。

 俺もエリスさんを探そうと観客席を見上げたものの、姿は見つからなかった。

 どのへんにいるとか、聞いておけばよかったかな……。そう思いながら観客席を眺めていたら、一部の観客が驚いた顔をしながらどこかを指さしていた。

 何の気なしに俺もその指差す方を向く。すると、その試合場に人だかりができていた。

 ……何かあったのか?

 俺は興味本位で向かっていく。人混みをかき分けて行くと、視界には痛ましい光景が広がっていた。


「う……」


 試合場には四人の人間がいる。一人は倒れており、地面に血を流し続けている。一人はその倒れた男を魔法で必死に治そうと試みている。一人は鐘を手に呆然とした表情の審判。そして、残る一人は……。


「……デミアン……?」


 返り血を物ともしない様子で短剣を手に立っていた。表情に変化はない。選手登録のときと同じ、冷たい無表情。

 しばらく緊迫した雰囲気で回復魔法がかけられ続けていたものの、治療に当たっていた魔法使いが立ち上がって首を振る。魔法使いは「死んでしまった」と審判に告げた。

 人混みがどよめく。


「おいおい死んじまったぞ」


「ダグラスの御曹司が殺した」


「死人が出るなんて何年ぶりだ」


 数々の言葉にざわつく中で、俺は群衆の中に見たことのある顔を見つけた。

 金髪の青年……俺がこの街に、ハリアに来たばかりの時に道でぶつかった青年だ。声をかけようかと思ったが、やめた。彼は悲しみとも、怒りとも取れるような複雑な表情をしている。そんな人間にどうやって声をかければ良いのかわからなかったからだ。

 また、周囲が騒ぎ始めた。俺は我に返って試合場の方に視線を戻す。すると、デミアンがその血塗れた短剣を審判に突きつけていた。その小さな口で何事か言っているが、周りがうるさくて聞こえない。

 審判は怯えた顔で慌ててその手の鐘を鳴らす。


「し、勝者! デミアン・ダグラス!」


 デミアンはその言葉を聞いて満足したのか腰の鞘に短剣を納めると、さっさとロープをくぐって試合場を出ていく。彼が進むと人混みが割れて、返り血まみれの少年は去っていった。


「え……これ、続行すんのか」


「や、わからないな……。昔死人が出たときは、大会は中止になったけど……」


 再びどよめく観衆。どうやら死人が出たらもう闘技大会をやめてしまうのが慣習らしい。死んでしまった人には申し訳ないが、俺としてはありがたい。中止ならやむを得ない。ガルムさんも了承してくれるだろう。

 ……俺の力を試せなくなってしまうのは、少し残念だけど。


「貴様ら、散れ!」


 今度は野太い男の声が聞こえてきた。声の方を見ると、全身を豪奢な鎧で包んだ兵士がいた。


「我は、近衛隊長ジャックス・レクリューズ! 王の言葉を伝えに参った!」


 中止の連絡だろうか。ジャックスという兵士は手に持っていた巻物を広げると、高らかに読み上げる。


「今大会は、武を競うものである! 外患を打ち砕く武を養う場である! 真のいくさでは命がやりとりされる! 故に、命のやりとりが為されるは、この場において正義である! 故に、今大会は、続行となる! そして、この真のいくさにて勝利をもたらしたものには今まで以上のさらなる褒美があることも、また自明である!」


 俺は言葉を失った。

 中止どころか『もっとやれ』と言っているのだろうか。俺は観客席を見上げた。観客席の中でも目立つ屋根付きの席。その中央にある大きな椅子に座っている男が目に入った。彼は虫眼鏡のようなものを手にして、俺たちのいる試合場を見下ろしている。

 距離もあるので表情までは見えないが、見なくてもわかる。見世物になっているんだ。だけど俺の周囲では鬨の声が上がっている。皆、褒美につられて喜んでいる。


「こんなの、おかしいだろ」


 吐き捨てるような声が後ろの方からかすかに聞こえた。反射的に振り向くも、声の主は特定できない。

 ……でも、俺と同じようなことを思っている声だった。


「……そろそろ、戻んないとな」


 俺は呟き、暗い気持ちでその場をあとにした。

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