湖の街(6)

 闘技場内部の緩やかなカーブの廊下を歩いて俺は自分の控室に戻っていった。

 人が死ぬ瞬間というものを見るのは、厭なものだ。そんなこと、当たり前だと思っていたけれど、いざ目の前にすると実感が違う。

 俺はうつむきながら控室に入っていく。部屋には三人の戦士がいて、思い思いに過ごしていた。ひとブロック十六人だから、一回戦が終わったとしても、八人はいるはず。……試合中なのか、それとも他の試合を見に行っているのか。


「あ……」


 一番奥に座っている男を見て、俺は思わず目をそらしてしまった。

 血で赤く染まった包帯を左腕に巻いた戦士がいた。一回戦で怪我をしたのだろうか。死ぬことがなかっただけ、先程の男よりは幸運なのかもしれないが。


「おーい、お坊ちゃん」


 呼びかけられて、顔をあげる。怪我をした男と目が合った。

 髭面の彼は包帯を新しいものに巻き換えながら、俺に向かって凄みのある笑みを向けてくる。


「……お前、この大会は初めてだろ?」


「あ、ああ。初めてだ」


 動揺を隠すために、敬語を外してぶっきらぼうに返した。戦士が交換している新しい包帯が次々と血にまみれていくのを見て、不安になる。

 その戦士は俺から視線を自分の左腕に落とし、包帯を巻きながら話を続けた。


「この戦いは真剣勝負だ。俺は腕で済んだが次は命を獲られるかもしれない。さっきも一人死んだって聞いたぜ。お前も、気を付けろよ?」


 彼はそう言って、ニヤリと笑う。ゾッとするような威圧感。体が、硬くなる。


「俺の名前はゾニ、だ。次の相手はお前だろう、久喜輝」


 ゾニと名乗った男は不敵に笑う。そして、包帯を巻き直した後で、その右手で手斧を掲げた。その斧にも血が滲んでいた。


「俺の斧は、一撃でも当たれば腕の一本は持ってくぜ。自信がないならさっさと消えたほうが良いぞぉ」


 息を飲む。いや、飲まれている。ゾニの作り出す空気に。

 俺は自分の腕が無くなってしまうことを想像した。きっと、耐え難い痛みだろう。そんなの、絶対に嫌だ。


「何とか言えよお坊ちゃん。……どうした。顔が青いぜ……?」


 ああ。俺は考えが甘い。こんなところに来るべきじゃなかっ――。


「――笑わせんな。顔が青いのはオッサンも同じだろ。血、流しすぎたんじゃねえのか」


 俺の背後から声がした。同時に、金縛りのような身体の硬さが吹き飛んでいく。振り向くと、金髪の青年がいた。さっきデミアンの試合を見ながら、複雑な表情を浮かべていた、彼だ。


「自分が不利だからって盤外戦術か? それだけオッサンも必死だってことだな」


 金髪の剣士は俺の肩に手を置く。暖かい温もりに少し安心する。


「少年、ビビったら負けだぞー。お前もなにか目的があってここにいるんだろ?」


「え、あ……」


 目的は、ガルムさんに武器を作ってもらうために……。いや、それだけじゃない。この世界に来てからずっと弱かった俺が、曲がりなりにも鍛えたんだ。そして、さっきの一回戦でその成果の片鱗が見えた。それに、まだ試していないことだってある。

 ――自分のために、自分の身を危険に晒す。きっとその覚悟は、俺がこの先進んでいくためにも必要なものだ。この闘技大会でそれがもっと上手くつかめるかもしれないんだ。

 忘れるところだった。俺は今、俺のために、ここにいることを。


「……そうだ。俺はまだ、ここで退いたりはしない」


「ちっ。余計なことを」


 ゾニが悔しがる様子を見せて、立ち上がる。そして俺の目の前まで来ると「どけ」と一言言って控室から出ていってしまった。

 俺はお礼を言おうと金髪の青年を振り返る。彼はいたずらっぽい笑顔で俺の肩をぽんぽんと叩いた。


「まあ、何だ。ああは言ったが無理はするなよ、久喜輝くん」


「あ、ありがとう……。えっと……」


「ああ、俺? 俺はエレック。また控室で会おう」


 そう言うとエレックは控室の入り口を指差す。扉の前には係員がいて、ゾニと待ち構えていた。


「次の試合だ。気張ってこい」



 試合場のロープをくぐり、相対するゾニを見据える。換えたばかりの包帯はまた赤色に染まり始めていたが、滲む程度。もう血が止まり始めているんだろう。

 俺は自分の腰にある小刀の柄を握る。滑り止めのために巻いていた革のひもが手に馴染む。


「さあ、始めようじゃねえか。お坊ちゃん」


 ゾニが手斧を右手に持った。俺も小刀を抜く。

 相手はどっかりと構えている。一回戦で戦った少年とは全く違う。怪我をしているってのに、落ち着き払っていた。

 頭の中に先程の控室での彼の発言が蘇る。『一撃でも当たれば腕の一本は持ってくぜ』と言っていた。彼が大きく構えているのはその自信の現れなのかもしれない。一撃を当てれば勝てるという絶大な自信だ。


「俺はまだ、戦える」


 自分の意思を確かめるように呟いた。自分のために、自分の身を危険に晒す。その覚悟を俺のものとするためにも、ここで逃げる訳にはいかない。

 睨み合っていると、審判が一歩前に出てきて手を高く掲げる。


「双方、準備もよろしいようなので……」


 ゾニと俺の視線が交錯する。直後、審判が手を振り下ろした。


「……始め!」


 鐘の音が鳴り、俺はすぐに走り出した。

 俺の武器は小刀だ。近寄らなければ届かない。冷静に、相手の動きを良く見ながら懐に入り込むんだ。


「来いよ!」


 ゾニの手斧が振りかぶられる。俺は走り出した足を止めて身を引き、空振らせる。そして相手が手斧を返す前に、前に出た。ここだ……!


「甘え!」


 ゾニの声。直後顔面に衝撃。俺はその威力に吹き飛ばされる。


「うぐっ!」


 頭がグラグラと揺れる。鼻の奥がツンとする。慌てて退いて体勢を立て直す。

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。空振ったゾニの手斧。あそこから切り返すなんて出来ないはずだ。

 それから俺はゾニの姿勢を見て理解する。肘を突き出している。あれが俺を殴ったんだ。手斧じゃなくて、肘鉄を顔面に食らったんだ。


「痛……」


 左手で鼻を触った。鼻血が出ているが、折れてはいない。視界も揺れてはいるものの、足はしっかり地面を踏めている。派手な痛みと出血ほどのダメージはない。まだまだ戦える。

 ……少なくとも、ライツの牙に穿たれたことと比べれば、ドラゴンに背中を焼かれたことと比べれば……こんな痛み、屁でもない。


「さあ、攻めるぞ!」


 ゾニが迫ってくる。突進の勢いで振り下ろされる手斧。俺は小刀でそれをいなすように受ける。真正面からは受け止められない。小刀が折れてしまう。マーカスさんに教えてもらったことだ。


「器用だな!」


「喰らえ!」


 俺は空いている左手でゾニの顔面に拳を放つ。しかし、手応えはない。当たり前だ。利き腕でもないし、パンチの練習なんてしたこともない。むしろ俺の拳のほうが痛みを感じている。


「くそ!」


「軽いなァ……ふん!」


 遅れてゾニの蹴りが飛んできた。丸太のように太い足が俺の脇腹を叩く。


「ぐえっ」


 痛みとともに吐き気を催すが何とか踏みとどまってまた退く。

 強い……。相手は左腕を怪我してるというのに、こんなに差があるなんて。


「逃げんなよ!」


 ゾニがまた距離を詰めてくる。手斧を振りかぶっている。俺は胸元のペンダントに触れた。

 陰に隠れて訓練したとおりだ。風の刃を放つような大きな力は取り出さない。光を生じさせずに――魔法を使っていることがバレないように――全身に力を回す!

 体中が軽くなる。痛みが引いていくと同時に感覚も鋭敏になり、この数日間で鍛え上げた『見切り』の技術と併せて、今までよりも深いレベルで動きを読み始める。

 身体を低くして、ゾニの懐に飛び込んだ。大きく振るっていた手斧を掻い潜り、俺の小刀は包帯を巻かれた彼の左腕を斬りつける。


「なっ……!」


 ゾニの驚いたような表情。驚くだろう。いきなり今までとは違うレベルの速さで動いたんだ。俺はそのままもう一度左腕を斬りつけてからすれ違うようにゾニの背後に周り、小刀の刃をその背中に押し当てる。

 このまま引けば、殺せる。


「……俺の、勝ちだ」


 ゾニは首だけゆっくりと振り向いてから、髭面を歪ませて笑った。


「わかったよ。降参だ」


「……勝者! 久喜輝!」



 試合が終わった俺は再び控室に向かっていた。

 勝利だった。危うい戦いではあったが、俺の勝利だ。だけど、あまり気分のいいものではない。それはそうだろう。イカサマを使っての勝利だからだ。

 試合のあと、ゾニは回復魔法を受けるためにどこかへと去っていってしまった。その時に彼は言っていた。「あんなに動けるとは思わなかったぜ」と。

 罪悪感はある。でもバレてもいないし、勿論咎められてもいない。俺が自分の中で罪悪感を感じているだけ。


「……勝ったんだ……最後まで立ってたのは俺だ……俺の勝ちだ……」


 控室に入ると、エレックがベンチに座って待ち構えていた。他の人はいない。試合中なのか、他の試合の見物に行っているのか。


「よお、少年。快勝か?」


 俺は「辛勝だよ」と返してから彼の隣に腰掛ける。二回戦で脇腹に入れられた痛みがまだジンジンと響いている。試合中に使った魔法は身体の強化と痛み止め程度のものだ。三回戦に挑む前に、ひと気の少ないどこかで本格的に回復魔法を使っておきたい。


「そう言えば……。少年は知ってるか? デミアン・ダグラス」


 エレックが声をかけてきた。俺は「一回戦で、死人を出したって男だろ」とうなずきながら答える。彼は少しだけ切なそうな顔で「そうだ」と呟いた。


「さっき、二回戦でも対戦相手を殺したらしい」


「な……! そんな……!」


 一度ならミスだったのかもしれない。でも、二度も同じことをしたとなると、それは故意だ。明確な殺意を持ってこの大会に参加している。そんなやつと戦うなんて、絶対に嫌だ。

 俺は急に嫌な予感がして控室の壁に貼ってあるトーナメント表を見直した。俺の名前がある第七ブロックの名前一覧を舐めていくと、その中にデミアン・ダグラスの名前があった。


「同じブロックだったのか……」


「そ。少年も順当に勝ち上がれば、戦うかもな」


 冗談じゃない。殺意を持っていなかったゾニを相手にしてもあそこまで苦戦したんだ。デミアンとやらとぶつかってしまったら絶対に殺される。

 隣で笑う声があった。


「そんなにビビるこたねえだろ。……デミアンの次の対戦相手は俺だ。心配しなくても、あいつの殺しはもう終わりだ。少年は純粋にこの大会を戦い抜けばそれで良い」


 彼は笑っていた。しかし、その目が真剣なものであった。今日この大会でデミアンという存在を知ったにしては、あまりにも。


「エレックは、デミアンと知り合いなのか?」


 エレックが驚いた様子で俺の方を見て、それから遠い目をする。


「……隠すつもりもなかったけどな。俺はあの子を、救うためにこの大会に参加したんだよ」


「救う……ため? 止める、じゃなくてか?」


「ああ。そうだ。そのために親父のもとで腕を磨いた。……まあ、少年が気にすることじゃない」


 救うとは、どういうことだろうか。あの少年の無表情には、……人の死を憂うこともないような様子には、彼が救われるべき存在なのだとは感じられない。むしろ、道徳的には倒すべき敵だとも思えてしまう。

 考えていたらいきなり頭をくしゃりと撫でられた。


「うわっ」


「すまん。忘れてくれ。……それにしても、少年、優しいんだな。普通そこまで関わろうとしねえぞ」


「優しいなんて……」


 俺と正反対の言葉だ。

 俺はどこまでも自分のためにしかいられない。俺は優しさとは無縁の人間なんだ。


「からかってんのか」


「逆だよ。……少年、次も勝てよ。そしたらブロック決勝で会おうぜ」

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