湖の街(4)

 マーカスさんとユリウスさんにしごかれながら過ごしていたら、大会当日はすぐにやってきた。

 朝になって目覚めた俺は宿のベッドから這い出すようにして出てきてから、汲んでおいた水で顔を洗う。

 窓の外からは騒がしい声が聞こえて、祭の盛り上がりが最高潮になっていることが感じられた。

 そそくさと外出の準備をして、宿屋を出る。出掛けに宿屋の主人から「今日も泊まるのか?」と聞かれて、俺は宿賃と一緒に肯定の意を伝えた。

 確実にお金は減っていっている。大会が終わったら早々に旅立とう。そのためにも、槍の出来具合でも確かめに行こうか。

 いくつもの出店が並び立つ大通りを抜けて、俺がハリアに到着した当日に訪れたガルムさんの武器屋へと急いでいく。途中、出店の串焼きなどに興味がいきそうになったが、鋼の精神力で無視した。

 ガルムさんの武器屋は最初に訪れたときと違って数人の人で賑わっていた。格好や荷物の量をみるに、全員観光客の類のようだ。俺はそんな冷やかしの彼らを押しのけるようにして店内に入っていく。

 武器も売っていない武器屋に何の用があるのかと不思議に思っていたが、その疑問は店内に入って解決した。


「まさか生で武器生産がみれるとはな!」


「ここに来てよかった!」


「こうやって作られた武器が、闘士に使われるんだなあ」


 周囲の人間が口々に話している。その奥から定期的に響く金属音。音の出処を覗き込むと、槌を振るうガルムさんがいた。

 彼は俺の存在に気がつくと鉄を叩く手を止めて立ち上がった。


「よう! 輝! 小刀は慣れたか!」


 そしてカウンターまで近づきながら「見せもんじゃねーぞ! 散れ散れ!」と観光客に怒鳴りつける。一括された彼らは小さな悲鳴とともに、散り散りに去っていった。


「だから打ちたくなかったんだがな……。いっそ、見せもんとして金でも取るか、次から」


「迷惑かけたみたいで、すみません」


「ああ、いい迷惑だ。だからお詫びに今日の大会、活躍してくれよ」


 ガルムさんがカウンターに肘を乗せて豪快に笑う。俺は苦笑してしまう。


「……一応、小刀の使い方を教わりながら、練習はしてますが」


「ほお! 誰に教わってるんだ?」


「マーカスさんと、ユリウスさんという方です」


 ふたりの名前を告げるとガルムさんは「へえ」と笑った。


「あいつら、こんな小さいころからの知り合いでな。ふたりとも俺の武器を使ってくれてんのよ」


 言いながら、人差指と親指で『こんな小さい』を示すガルムさんの仕草がユリウスさんとそっくりで笑いそうになる。

 そうだ。彼らの武器を作っているのはガルムさんなんだったっけ。


「あの二人は、本当に強いですね」


 本心である。今までに数え切れないくらい練習試合を行ったが、一度たりとも俺の刃は届かなかった。


「あたりめえだろ。ま、あいつらは特別だ。おめえさんは怪我しないように頑張んな」


「ありがとうございます……。あ、それで、頼んでいた槍の具合なんですが……」


「明日だな。明日には仕上げる。明日になったら受け取りに来い」


「わかりました。それじゃあ、明日また来ます」


「ああ。いい報告を待ってるぜ」


 ガルムさんはそう言い残して再び店の奥へ……鍛冶場へと戻っていった。俺は店内に会った時計を見る。そろそろ待ち合わせの時間だ。今日はユリウスさんの家に集まってから皆で揃って闘技場まで行くことになっている。

 俺はポケットから地図を取り出してユリウスさんの家に向かった。



 ユリウスさんの家はハリア湖畔の近くにある。闘技場からは少し距離があるが、歩いて三十分もかからないレベルだ。と、地図には記されている。地図を頼りに歩いているのは何を隠そう、俺がユリウスさんの家に行くのが初めてだからだ。

 この四日五日は彼らとずっと一緒に過ごしていたものの、いつも例の湖畔の公園でしか会っていなかった。だからだろう。


「やべ、迷ったか……?」


 宿屋と公園の往復しかしておらず土地勘のなかった俺は、祭の喧騒が遠くに感じられるような住宅街を越えたあたりで早速迷子になってしまっていた。


「……何で『行ける』って言っちゃったんだろうな……」


 俺は昨日の自分の行いに後悔する。ユリウスさんは一応「一人で来れるか?」と心配してくれていたのだ。「地図があれば大丈夫。行ける」と言ってしまったあのときの自分が憎い。

 待ち合わせに対する感覚が鈍いんだと思った。

 日本にいれば、迷子になっても携帯で電話ができる。遅刻しそうでもすぐに連絡が取れる。始めていく場所でも正確な地図と、それなりに正確な現在地情報が見れるから問題ない。……そんな現代技術への甘えが、今現在の失敗を作り出しているのだと思った。


「不味いな……。ここがどこかもよくわかんない……あ」


 いくつか角を曲がったところで長髪を揺らす男と金髪の少女の後ろ姿を見つけた。マーカスさんとエリスさんだ! 奇跡的に合流できたのだろう。


「おーい!」


 俺が呼びかけると、ふたりは振り向く。「おう、いいタイミングだったな」と言うマーカスさんと「おはよー」とほわほわした挨拶をするエリスさん。

 良かった。これで待ち合わせ場所までたどり着けるぞ。


「おはようございます! ……ちょっと迷っちゃって」


「何言ってんだ。もうユリウスんちの目の前だぞ」


 マーカスさんが「寝ぼけてんのか?」と加えて言いながら右の曲がり角を指差す。視線を向けると、大きな門があった。


「え……?」


 俺は驚いて固まってしまう。門が大きかったからではない。木製の門に、乗っかっている瓦。それにその門から見える光景が、あまりにもこの異世界には似つかわしくなかったからだ。


「……これ」


 門の奥には、神社の如き日本家屋が建っていた。赤くはないが、鳥居のようなものまである。

 ……落ち着け。今までだって元の世界にあってもおかしくないような家はあった。シュヘルの町長宅なんてそうだ。文字だって、時計だって、元の世界と同じだ。同じではないとは言え、人間がいて、文化を形成している。たまたま同じ様な文化になっただけだ。魚類のサメと哺乳類のイルカの形が似ている様に。


「……ああ、そうか」


 焦った俺の横でマーカスさんが納得したような声を出した。


「輝は旅人だから、見慣れない……ってうか、知らないよな。こういう家」


「あ、えっと……はい」


 この世界でもこの形の建物は珍しいのだろうか。マーカスさんが門をくぐりながら話し続ける。


「ユリウスもだけど、俺とエリスの家もこんな感じなんだよ」


「え、そうなんですか?」


「そだよー!」


 エリスさんもマーカスさんに続いて門をくぐる。俺もそれに続いていく。踏み入れた地面に巻かれている砂利が独特の音を立てる。マーカスさんは説明を続けた。


「輝は、ハリア湖の中心に島があるのは知っているか?」


 ハリアに入る前に登った丘からの景色の記憶を辿る。確かに、あった気がする。


「はい。この街に入る前、丘の上から全景をみた時に……」


「あの島には、怪物が封印されてるって言い伝えがあってさ」


「怪物……ですか」


「そう。遥か昔。この王国の建国の時代に、イッソスという魔術師が怪物をあの島に封印したんだ。……その管理を任されたのが俺たち三人の一族の源流。この家はその伝統の証なんだってさ」


「そうなんですね……」


 どこの国にも歴史はある。そして、この国にも同じ様に歴史がある。当たり前のようで見落としてしまいがちだったそんなことを思い知りながら、俺はユリウスさんの家を目指していく。

 神社で言う本殿に近づいたあたりで、横からユリウスさんに呼びかけられた。


「おう。来たか」


 ユリウスさんは家の中からではなく、門と家屋の間にある庭で木刀を素振りしていた。マーカスさんが踵を返してユリウスさんに近づいていく。


「調整は充分みたいだな。ユリウス」


「ああ。そっちはどうだ」


「問題ない」


 なんでもない会話なのだが、ユリウスさんとマーカスさんの空気が張り詰めていた。エリスさんも口を固く結んで、きりっとした表情。そして一歩進んだ。と思ったら、彼女は思いっきり砂利に足をとられて転んだ。


「きゃあっ」


 尻もちをついて、それから照れたように「へへ……」と頭を掻く。それを見たマーカスさんとユリウスさんはさっきまでの緊張感を吹き飛ばすように笑った。

 マーカスさんが手を差し出し、エリスさんがそれを掴む。ユリウスさんがエリスさんの反対側の脇を抱えて、ふたりで彼女の身体を起こした。


「俺たちは、変わらないな」


 感慨深げに呟いたユリウスさんに、エリスさんが頷く。


「うん。……まあ、私のドジは、治ってほしいんだけど」


 ただ、マーカスさんは首を振っていた。


「……治るさ。変わらないものなんて、無いからな。……大会、お互い手加減なしだぞ。ユリウス」


「……マーカス。わかってるさ。どちらが強いのか、決めよう」


 二人は見つめ合う。俺のような部外者が横槍を入れられるような雰囲気ではなくて、正直少し俺は持て余してしまっていた。

 二人の確執も、エリスさんとの関係もどうでもいいと言えばどうでもいい。俺も、俺のためにやることをやるのみだ。勿論、面倒を見てもらって、感謝はしているけれど。


「ん?」


 俺はふと気がついた。後ろで手を組んでいるエリスさんの手のひらの底に血が滲んでいる。先程転けた拍子に傷つけてしまったのだろうか。確かに、足元の砂利には目が粗いものもある。下手に転べば出血してもおかしくない。

 俺はペンダントに触れて、力を指先に集めた。

 恩返しというわけではないけれど、このくらいやっておいたほうが良いだろう。


「エリスさん、手、見せてください」


「へ? いや、良いですよ! このくらい、ツバつけときゃ直ります!」


 ……急にワイルドなことを言う人だな。とは言え、この世界は医療が進んでいない。それはイースさんの医療知識からも明らかだった。詳しく知っているわけではないが、破傷風などになってしまったら困るだろう。


「輝、お前これから大会だぞ。魔法使って消耗しないほうが良いんじゃないのか?」


 そう言ってきたのはユリウスさんだ。あれ、どっちかというと、もっとエリスさんを心配すると思ったんだけど。

 マーカスさんの方に目をやると、同じ様にうなずいていた。


「ああ。他の人を回復する魔法は難易度が高いって聞いたこともあるしな。今はいいんじゃないか」


「……まあ、すぐですから。待っててください」


 意味もなく意固地になってしまっていた。

 俺はエリスさんの手をとって、力を集めた指先を近づける。そして、傷が治るイメージをする。


「……ぐ」


 しかし、自分の傷を治すようにスムーズに傷が塞がらない。銀色の光だけが溢れていく。

 出しゃばってしまったことを若干後悔しながら悪戦苦闘して傷を治すと、エリスさんがおずおずと頭を下げてきた。


「えと……ありがとうございます! 回復魔法も使えるんですね!」


「はい……でも、人の傷を治すのは、あんまり得意じゃないみたいです……」


 体感としては、自分の傷を治すのにかかる労力の十倍はかかった。他の人に回復魔法をかけたのは初めてだったが、マーカスさんの言う通り、難易度が高いというのは事実なのだろう。

 やはり、勝手が違うということなのだろうか。無駄な体力を消耗してしまった。……まあ、大会が始まるのは午後からだ。まだ数時間あるからさっさと闘技場に行って一休みしよう。


「んじゃ、そろそろ行くか。輝も会場についてから少し休憩したほうが良い」


 マーカスさんが言うと、ユリウスさんもうなずいた。そして、不思議そうな表情をする。


「何で、エリスが回復魔法の達人だってことを教えなかったんだ?」


「……ユー君……」


 エリスさんが呆れたように呟いた。そして、俺を振り返る。


「あ、あの、私も人を回復させるのは全然出来ないから、輝さんは凄いと思います、よ?」


 エリスさんは俺の立場のために気を使ってくれたのだろうことに気づいた。


「……あの、はい……ありがとうございます。……じゃ、闘技場いきましょうか」


 今の俺は耳まで真っ赤になっていることだろう。誰かのために出しゃばるなんて、しなきゃ良かった。慣れないことをするからこんな目にあうんだ。

 俺は恥ずかしい思いを懐きながら、一足先にユリウスさんの家の門を出た。

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