湖の街(3)

 日が変わり、俺はハリア湖畔の公園でマーカスさんとユリウスさんに付き合ってもらい、小刀の練習をしていた。

 ラーズに教わっていた槍の使い方とは違うものの、彼が叩き込んでくれていた基本的な身体の動き方のおかげで、初めて槍を扱ったときよりは上手く立ち回れていると思う。

 とはいえ、マーカスさんやユリウスさんを相手に試合形式の練習をすると、すぐに打ち負かされてしまうのだが。

 今もまた、マーカスさんの持っていた木の棒が俺の喉元に当てられたところで、練習試合が終わった。


「こ、降参です……」


 俺がギブアップすると、マーカスさんは「こんなところか」と笑いながら短い木の棒を引いた。


「とりあえず、実力は大体見えてきたかな」


「強すぎませんか、ふたりとも……」


 俺は手に持っていた小刀を鞘に納めてから、地面に座り込んだ。上がった息を整えるためだ。

 基本的な小刀の振り方を教わってから、ぶっつけ本番のように何度か練習試合をした。ユリウスさん曰く、才能のある人間は馴染みのない武器を手にしてもそれなりに扱えることが多いらしい。弘法筆を選ばず、というものだろうか。

 しかし、この有様では、少なくとも俺は天才ではなかったみたいだ。

 俺は剥き身の小刀を使っていたものの、マーカスさんとユリウスさんは木の棒で戦ってくれた。それでも全くかなわない。それほどに力の差があるということでもありそうだ。


「バテたか? まあ、何時間もぶっ通しだったしな」


 マーカスさんは短い木の棒をくるくる回しながら言う。先程の練習試合を見ていたユリウスさんは「俺らは交代で休んでたからな。そろそろ休憩にするか?」と聞いてきた。

 俺は頷きかけてから、首を振った。

 本番までそこまで時間があるわけではない。今日を入れてもあと四日間。それまでには強くなれなくとも、大会で怪我をしない程度の実力をつけなくてばならない。だとしたら休んでる暇は無いはずだ。

 俺は胸元のアクセサリーに手を触れる。折角の能力なのだから惜しんでも仕方ない。使っていこう。

 銀色の光が淡く滲んできたのを確認して、全身に行き渡らせる。肉体的な疲労が和らいでいった。体力の回復だ。少し前であればこの魔法を使うと精神的な疲労感に苛まれたものだが、今は無茶な使い方をしなければ疲れることはない。俺の身体が魔法に慣れてきたのだろうか。

 軽くなった身体を確かめるように立ち上がって軽くジャンプする。それから再度抜刀した。


「大丈夫です。まだまだ、動けます」


「……輝、今の」


「え?」


 マーカスさんが驚いた表情をしている。ユリウスさんはしかめっ面だ。なにか不味いことをしてしまったのだろうか。もしかして、魔法自体が忌避されるものなのか。

 マーカスさんが詰め寄ってきて、俺の胸元にぶら下がってるペンダントを掴む。


「……これは、銀の首飾り、か?」


 訊かれる。しかし、俺はどう答えれば良いのか迷ってしまった。

 見た目だけでいえば銀の首飾りであるのは明白だ。明白だからこそ、わざわざ『銀の首飾りか?』と訊いてくるのには他の意味がある。『銀の首飾り』という言葉には、別の意味が……固有名詞としての意味があるはずだ。

 だったら、俺の答えは。


「いや、わからない。……これを持っていると、魔法が使えるんだ」


 少し離れた位置にいたユリウスさんが近づいてくる。彼は「マーカス、本物なら――」と呼びかけるものの、マーカスさんが首を横に振る。


「――ユリウス。それは、後で話そう。それよりも……輝」


「は、はい」


「闘技大会では魔法の使用は禁止されている。破ったら国に目をつけられてしまうからな。……気をつけたほうが良いぞ」


「わ、わかりました……」


 先程までのマーカスさんの柔らかい雰囲気からは想像もつかない厳しい表情だ。ここはもう、変なことは聞かずに従っておいたほうが良いだろう。マーカスさんもユリウスさんもびっくりするほど強いんだ。敵に回したくない。


「あ! ふたりともー!」


 女性の声が飛んできた。マーカスさんはそれに反応して、銀のペンダントから手をパッと離す。そして声の方を向いて、大きく手を振った。


「エリス! こっちだ!」


 つられて俺も視線を移す。金髪の長い髪を揺らした女性が駆けてきていた。年頃は俺と同じか少し上くらい。優しい顔つきをしている。手には籠を持っていて、彼女が走るたびに揺れていた。

 マーカスさんは彼女を迎えに行ってしまう。残された俺は呆然としていると、ユリウスさんが手に持っていた木の棒をそこらの地面に放り、それから俺に声をかけてきた。


「どっちにしろ、一度休憩だ。体力があっても腹は減るだろ。メシにしよう」


「あ、はい、でもさっきの……」


「まあ、気にするな。……魔法禁止も含めて、輝はルールを知らないみたいだからな。メシ食ったらそこらへんも説明する」


 そう言うと、ユリウスさんもエリスと呼ばれた女性の元へと歩いていった。

 俺も抜刀したまま行き場を失っていた小刀を鞘に納め直して、彼らの元へと向かっていくのであった。



「初めまして。私はエリス・ジュエルと申します」


 エリスさんは金色の髪を靡かせながら名乗る。ふわりと花の匂いの香料が漂ってきて、華やかな印象を与えてくる。

 俺はマーカスさん、ユリウスさんと一緒に、エリスさんが持ってきた昼食を囲んでいた。背の低い草の広がる公園の隅でレジャーシートを敷き、彼女がこしらえてきたというサンドイッチをごちそうになっている。


「んぐ……。あ、俺は久喜輝です」


 食べかけのサンドイッチを飲み込みながら会釈を返し、俺も名乗る。横からマーカスさんが俺の肩に手を置いてきた。


「輝も闘技大会に出るんだ。小刀を使うのが初めてだって言うから、俺とユリウスで教えてんのさ。結構筋はいい感じだぜ。な、ユリウス?」


 同意を求められたユリウスさんは「ああ」と一言だけ短く返す。筋が良いと言われて嬉しく思った自分もいたが、ユリウスさんはどちらかというと目の前のサンドイッチを頬張る方に忙しそうだ。

 エリスさんが、俺の方を物珍しそうに見ながら口を開く。


「へえ……輝さんは、何故、闘技大会に参加されるんですか?」


「ガルムさんという方に武器を作ってもらう代わりに、参加しろと言われまして……」


「そうなんですね! てっきり、貴族階級を狙っているのかと」


「貴族階級……?」


 俺は首をかしげた。王政なのだからそういったものもあるとは理解していたが、その貴族を狙うというのがよくわからなかった。クエスチョンマークを脳内に浮かべていると、マーカスさんが「そういや、全然知らないんだよな……」と零す。


「この大会で上位に入賞すると、貴族階級に上がることが出来るんだ。王様も見に来るし、優勝者は王様への謁見も出来るんだよ。そこで王様に望みを言えば、ある程度のことなら叶えてもらえるんだ」


 全く聞いていなかった。ガルムさんは全然教えてくれなかった……。

 王様に謁見が出来るのなら、そこで元の世界に戻る方法を聞くのも有りなのかもしれない。と、そこまで考えてからマーカスさんとユリウスさんの方を見て、考えを改める。ライバルには彼らのような強者がいるんだった。魔法も使えないとなると、勝てる可能性は殆ど無いだろう。

 もっと冷静に考えて……王都を目指して情報を集めるほうが良さそうだ。


「逆に、マーカスさんとユリウスさんは何故、闘技大会に出るんですか? 貴族になるため?」


 素直な質問だったのだが、マーカスさんとユリウスさんは困った表情になり、その横でエリスさんは驚いた表情をした。


「ええっ! マー君とユー君のこと、知らないんですかっ!」


 そもそも、マー君とユー君というのは何者だ。

 ……大方、いま照れたような顔をしているマーカスさんとユリウスさんのことなのだろうけど。

 ユリウスさんがため息とともに説明を始める。


「輝、言い忘れていたが、俺達はハリアの貴族なんだ」


 続けてマーカスさんが話す。


「言う必要もなかったしな。……俺はソード家の家督で、ユリウスはミラー家の長男。エリスはジュエル家の長女だ」


 などと言われても、全くピンとこない。家柄がどうのというのは、貴族制度のない日本育ちの俺からすると感覚が湧きにくいことでもある。


「そう、なんですか……」


 とりあえず無難そうな反応だけしておいて、俺は話を元に戻すことにした。


「じゃあ、貴族になるという目的も無いんですね」


 マーカスが頷く。


「ん、まあな。……ああ、貴族っていえば、ダグラスの箱入り息子もエントリーしてたな」


「へえ! 懐かしい! お元気そうでしたか!」


 エリスさんが急に目をキラキラさせて食いつく。マーカスさんは驚いて少しビクつきながらも咳払いを一つかまし、話を続けた。


「どうだったかな。相変わらず小さくて細っこい感じだったけど。……闘技大会に出てくるってことは、それなりに鍛えてんだろうな」


 ダグラスという言葉はどこかで聞いた。……そうだ、闘技大会の登録のときだ。あの時もマーカスさんが『ダグラスの箱入り息子』みたいなことを言っていた気がする。


「その……ダグラスってのはなんですか?」


「俺達と同じ、ハリアの貴族だよ」


 サンドイッチを食べ尽くして満足したような様子のユリウスさんが答える。


「ただ、ダグラス家は俺たちと違ってあまり表には出てこない。むしろ裏稼業を取り仕切っている一族だ。俺も、十年以上前に一度顔合わせで会って以来会ってないな。あの時は俺もデミアンも、こんな小さい頃だった」


 彼は言いながら人差指と親指で『こんな小さい』というジェスチャーをする。そんな小さいことは無いだろうとは思いつつ、相づちを打った俺は話を促す。


「その……デミアンってのが、あいつの名前ですか」


「……そう言えば、輝はエントリーのときに会ったらしいな。絡んだとも聞いたが」


「いや、絡まれたのは俺の方です。……でも、あの少年が裏稼業を取り仕切るなんて、思えませんでしたけどね……」


 確かに冷たいような無表情の少年だった。しかし、見た目で言えば細く小さい体躯で肌も白く、ひ弱にしか見えなかった。俺でも勝てるのではと思ってしまうほどだ。

 どっちかというと、その少年と一緒にいたスキンヘッドの大男の方がはるかに怖かった。


「俺も戦ったことはないが……短剣術における天稟の持ち主だと聞いている」


「俺たちの小刀と似たような武器か。それじゃあ、負けらんねえな、輝」


 ユリウスさんの言葉を受けて、マーカスさんが勢いよく立ち上がった。


「そろそろ練習を再開しよう。ここまでで輝の力は大体わかってるから、それを活かした戦い方の訓練をするぞ」


「はい、わかりました」


 でも、練習に進む前にちょっと気になることがある。上手いこと誤魔化されてしまったが、気になった状態では練習に身も入らない。


「最後に一つだけ聞かせてください……。それで、マーカスさんとユリウスさんが闘技大会に出る理由って、なんですか?」


「輝さん、よくぞ聞いてくれました! 私もそれ、気になってたんです!」


 エリスさんがバッと身を起こして食いつく。さっきのデミアンとやらの話に反応したときもそうだったが、まるで犬のように素直な行動だ。可愛いらしいなと思いつつも、視線は二人の方へ向ける。


「あー、えっとだな……」


 言いづらいことなのだろうか。マーカスさんはバツの悪そうな表情で自らの頬を掻き、苦笑している。すると、ユリウスさんが代わりに口を開いた。


「ん、俺から言えば良いのか? 俺とマーカスはな――」


「――ああっ! 待て待て。俺から言うよ」


 慌てた様子のマーカスさんはユリウスさんの口を塞いで彼の言葉を止めると、エリスさんに向き直り、ちょっと考える素振りを見せてから話し始める。


「俺とユリウスは……どっちが強いのかをはっきりさせるために参加したんだよ」


 嘘だ。と思った。ただし、どんな嘘なのかは察せられるところもあった。

 多分。エリスさんに関する嘘だ。特段俺は洞察力があるわけでも無いし、観察眼が優れているわけでもない。しかし、ここまであからさまだと分かってしまう部分もある。

 ただ、エリスさんは察しが悪いようで、「そうなんだー」と呑気に納得している。俺も彼女に続いて相槌をうった。

 ここで嘘を暴いたところでなにか楽しいわけでもない。彼らの問題は彼らのみで解決するべきだ。俺のような余所者が口を出して良いことはない。

 俺がやるべきことは、少しでも強くなること。そのために、ふたりに教えてもらうこと。

 俺は小刀を握って立ち上がった。


「そんな二人の自主練の邪魔をしてしまうのは申し訳ないんですが、引き続き俺の練習も、お願いします」


 遅れてユリウスさんも立つ。彼は腹をさすりながら一つあくびを噛んだ。


「……問題ないさ。これでもお互い、誰かに教えるってのはいい練習になってるんだ。大会まで時間は無いが、ビシバシいくぞ」

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