湖の街(2)

 左手に持つ小刀の重さが慣れない。槍よりも遥かに軽いことには軽いのだが、収まりが悪い。俺は時折右手に持ち替えてみたり、はたまた左手に戻したりしながら持て余していた。まるで雨の日の傘のようだ、などと、呑気なことを思いながら。

 今俺は武闘大会の申請書を提出するために、闘技場の入り口まで来ていた。

 ガルムさんに聞いたとおり、闘技場はひと目で分かるような建物だった。ドームのように大きいし、闘技大会があるからなのか、色とりどりの垂れ幕も落ちている。ハリアの長い坂道を下っていった湖のほとりに鎮座していたそれは、異様なまでに存在感があったのだ。

 闘技場というと、俺は世界史の授業で出てきた古代ローマのコロッセオを思い出す。あれは、元々ああいうデザインなのか壊れているのか知らないが、半分ほど欠落したような形をしていた。

 しかし、石造り基調となっているのは同じでもハリアの闘技場は欠けたりしていない。今も使われているのが大きいのだろうが、手入れが行き届いており、綺麗な建築物だった。

 闘技場の入り口近くには簡素な日除けテントとテーブルだけの受付があった。エントリー最終日だというのに数人しか人が並んでいないのは、この街の人々が締切より早めに行動するほど存外真面目であるような証拠に見えて少し安心する。


「さっさと登録するか……」


 受付に近づいていく。二箇所にテーブルが置かれているが、そのうち片方は黒い服を着た大人と子供の二人組が手続きをしていたので、空いている方に進んでいく。

 受付の壮年男性に申請書を出すと、彼は事務的に申請書のいくつかの項目にチェックをつけていった。


「ん、ガルムさんとこの武器か」


 男は武器の作成者の欄を見てから俺に視線を寄越す。俺は無言でうなずいた。


「へえ……。早々に全部売り切れたって話だったが……。倉庫の武器でも出し忘れたのかね……」


 この受付の男はガルムさんの知り合いなのだろうか。何やら不吉なことを言っている。出し忘れの武器ってことは、あんまり質のいいものではないのか……。まあ、元々棄権も視野に入れているのだし、そこまで気にはしないけれど、やっぱり気分は良くない。

 彼はまた申請書に視線を落として最終確認をし、「はい。登録出来たよ」と言うと、申請書をテーブルの下にしまいこんだ。


「どうも……」


 お礼を言って、受付を離れる。隣の受付では大人と子供の二人組がまだ申請を行っていた。親子連れだろうか。子供の登録に親が付き添っているのか、親の登録に子供が連れられてきているのか知らないが、この闘技大会というものはファミリーが来るほどにはライトなものらしい。


「……家族か……」


 ふと、自分の家族のことを思い出して、得も言われぬ気持ちになる。父さんも母さんも、心配しているだろうな……。もう、随分時間が経っている。

 そんな事を考えていたら親子連れが登録を終えたようで、踵を返す。背中しか見えていなかった二人の正面の姿が目に入る。

 子供の方は、俺より少しだけ年下の少年……だろうか。黒い髪が結構伸びている。前髪の長さは俺といい勝負だ。華奢で背があまり高くなく、綺麗な顔つきをしていたので女性だと言われても違和感はない。もし少女だとしたら、あの髪型はショートカットになるんだろうな。

 その少年は無機質な表情を浮かべたままで、その目に活気がない。濁ったような黒い目で遠くを見ている。……あんまり、関わらないほうが良いような人間かもしれない。

 対して大人の方はスキンヘッドだった。いかめしい表情で眉間に皺を寄せており――などと観察していたら、目が合ってしまった。


「何か?」


 太く、低い声で問いかけられる。俺はその目と威圧感に、フォリア橋で出会った将軍ラルガと近しいものを感じて息を飲む。とはいえ、もう俺はそこで怯えて身動きが取れなくなってしまうようなことはない。


「……いえ。俺も闘技大会に参加するので、少し気になっただけです」


「そうか。……じゃあ、精々この方と当たらないことを祈っておくんだな」


 スキンヘッドはそう吐き捨てると少年の方を向き直り、「参りましょう」と恭しく言って少年と一緒に去っていった。

 ……どういうことだろうか。少なくとも親子連れという関係性ではなかったのかもしれないが、大人の方が子供に付き従っているような印象を受けた。


「むむ……」


 腕を組んで首をかしげてその理由に想いを巡らせようとしていたら、背後から足音。直後、肩を叩かれた。


「おい、あんた、いい度胸してんな!」


「へ……?」


 振り返る。すると、二十歳くらいの青年がにやにやと頬を緩めていた。髪型が特徴的で、長い襟足を後ろで束ねてまとめている。


「何とぼけたフリしてんだよ! ……もしかして、いや、まさかとは思うが……今の、知らないのか?」


「え、あ、まあ……」


 急に声をかけられて軽く動揺していた俺は、一息吐いて落ち着いてからしっかりと答える。


「そうですね。俺、旅の者なので、知らなかったです」


 すると、長髪の青年の後ろから、ひょっこりともうひとり男が出てきた。


「……ほう。旅人か」


 彼は顎に手を当てて微笑む。短髪の彼は長髪の青年と違って落ち着いた印象だ。

 いきなり現れた短髪の男に対して、長髪の青年が「ユリウス! お前も来てたのか」と呼びかける。ユリウスさんと呼ばれた短髪の男は「ああ、お前もご苦労なことだな、マーカス」と返答して続ける。


「で、今日のエントリーに面白そうな人間はいたのか?」


 ユリウスさんに問いかけられたマーカスと呼ばれた長髪の男は「微妙だな」と肩をすくめてみせた。


「でも、さっきダグラスのご子息が登録してたぜ。ウォレスがお付きだったから間違いない」


「へえ、今年は出るのか」


「みたいだな。そんで、そんなダグラスの箱入り息子と狂犬ウォレスに因縁つけてたのがこいつ」


 マーカスさんに指をさされて俺は首を全力で横に振った。因縁なんてつけたつもりはない。むしろ俺の認識では絡まれていたのはこっちだ。


「え? いや、そういうわけじゃ……!」


 必死に否定していると、マーカスさんとユリウスさんの二人組はくつくつ笑う。「わかってるよ、そんなこと」とユリウスさんが笑い声混じりに言ってきて、からかわれているだけだと気がついた。

 彼らが話している内容はあまり理解は出来なかったが、マーカスさんとユリウスさんというこの二人の青年も武闘大会に参加するのだろうことは察することが出来た。多分、闘技大会でライバルとなる者の姿を見に来たのだろう。大会常連の戦士なのだろうか。

 まあ、何にせよ、そろそろこの場を去って服屋と宿屋を探さないと。うだうだしていたら日も落ちてしまうし、お祭り期間なら宿屋も埋まってしまうかもしれない。


「あ……」


 そういえば、受付では闘技大会に関する詳細な情報をもらえなかった。集合時間や場所なども特に伝えられなかったのでわからないことだらけだ。もしかしたら、この世界の人には常識だから特に毎回説明を行っていないのかもしれない。

 ……話しかけられたのも何かの縁だ。この二人に色々聞いてみよう。


「あ、あの……」


「ん、どうした?」


 マーカスさんが柔和な笑みで首をかしげる。話しやすい雰囲気の人だと感じた。


「さっき言ったとおり、俺、旅のものでして……。この大会についても無理やり参加させられていて良く分かっていないんです。もし良かったら、色々教えてくれませんか……?」


「良く分かっていないって……武器は? ハリア製の武器じゃないと参加できないし、申請書もらうのと一緒に武器屋から説明とか受けてないのか?」


 俺は手に持っていた小刀をマーカスさんの前まで持ち上げて見せる。


「これ、ガルムさんという方から譲られたのですが、その条件が闘技大会に……」


 俺が言い終わらないうちに、マーカスさんは「あー、わかったわかった」と呆れたような笑みを浮かべた。


「あのおっちゃん、また無理くり参加させたのか」


「……『また』?」


 疑問符を浮かべると、マーカスさんは腰に帯びていた武器を鞘ごと取り出した。小刀だ。俺の持っているものと似ている。


「俺の武器もガルム製だよ。凄え偶然だ。お前も小刀、使うんだな」


「あ、いや。俺は元々槍を使っていたので、小刀で戦ったことも無いんです」


 事実だ。武闘大会のライバルになりえないことくらいは理解してもらえただろうか。

 マーカスさんは「あらら……」と呟き、「そりゃあ災難だったな」と笑う。俺もつられて笑っていると、その横で腕を組んでじっと沈黙を守っていたユリウスさんがとんでもないことを言い始めた。


「だったら、同じ武器の先輩として教えてやれば良いんじゃねえか? 小刀の使い方」


 マーカスさんは一瞬驚いたような表情を見せて、それから小刀を自分の腰に戻して大きくうなずいた。


「……ま、これも何かの縁だしな。ただし、ユリウスも付き合ってくれよ?」


「無論だ。俺は剣しか使えないから、勝手はわからないがな」


 ユリウスさんの腰にはオーソドックスな剣が帯びられている。剣士のようだ。彼は俺に視線を移す。


「……というわけだ。これから五日でどこまでいけるかはわからないが、どうだ?」


「えっと……」


 急な話ではあったが、ありがたいことでもあった。ラーズにもこんな感じで槍を教えてもらったんだっけか。

 その槍を手に入れるためにも、闘技大会には出ないといけない。そして、戦うのなら――回復魔法があるとはいえ――怪我をしないように、最低限自分の身は守れるくらいにはなりたい。

 それに、ガルムさんは闘技大会の開始は五日間だと言っていた。その間、特にやることがあるわけでもない。

 路銀がなくならないように宿屋で何もせずじっとしているよりは遥かに良いだろう。


「じゃあ、お願いしても良いですか?」


「もちろんだ。ええと……」


 マーカスさんが言いあぐねる。俺はハッとして頭を下げた。


「あ、ごめんなさい。名乗ってませんでしたね。輝です。久喜、輝といいます」


 名乗ったら、マーカスさんが手を差し伸べてきた。俺はそれに応えて握手する。


「輝か。改めてよろしく。……俺はマーカスだ。で、こっちの愛想悪いのが」


 マーカスさんは隣の短髪の男、ユリウスに目を向ける。彼は呆れたように小さなため息をついた。


「愛想悪いは余計だ。……ユリウスだ。宜しく、輝」



 マーカスさんとユリウスさんはこれから予定があるらしく、翌日から闘技場の隣にある公園で小刀の練習をする約束をして別れた。闘技大会のレギュレーションや詳細についてはその時に詳しく教えてくれるらしい。俺は下ってきた坂を急いで登りながらマーカスさんの別れ際の言葉を回想する。


「――それにしても、結構不思議な服だよな。なんか、輝の地元の民族衣装とかなのか?」


 思い出した俺は顔中が熱くなるような錯覚を覚えた。

 一刻も早く服屋に行かねばならない。宿屋は最悪とれなくても良い。それよりも包帯を当て布代わりに服に縫い付けている状況は早く改善したい。服屋、服屋はどこだ。


「さっき聞けばよかった……」


 街の景観を改めて見渡す。祭の活気に溢れていて、子どもたちも元気に駆け抜けていく。俺の後ろから、男二人、女一人の三人組の子供が追い抜いていった。手にはそれぞれ、屋台か何かで購入したのだろう串焼きの肉を持って走っていく。微笑ましい。


 ふと、昔の事を思い出した。

 中学生の頃、橋山一樹、柏崎燕と一緒に夏祭りに行ったときのことだ。無邪気に遊んでいたあの頃の記憶。もう戻らない光景。

 三人組の子供に過去の自分達を重ねてから、ふと思い出す。

 結局の所、一樹は今何処にいるのだろう。

 異世界に来てしまった、というこんな状況で考えても意味のないことだと思って考えないようにしていたが、あの三人組の子供を見ていたら気になってしまった。


「一樹もこっちに来てるのかな……」


 ……正直、わからない。口に出した問いに、自分で答える。

 天見さんやソラなど、俺以外にも『元の世界』からやってきた人間は、みんな一様に同じ様なアクセサリーを持っていた。こうなると、あの赤い指輪を持っていた一樹もこの世界に来ていると考えられる。だけど、今までの旅路で寄った場所では一樹の特徴を持った異世界人がいるなどといった話は聞いていない。

 元の世界で、川沿いの土手で光の濁流に飲まれたとき、魔法陣が広がっていた。そして一樹はその魔法陣から逃れるべきだと言っていた。俺は捕らわれてしまったけど、あれから抜け出すことが出来ていたら元の世界にとどまり続けることが出来たのかもしれない。


 元の世界に一樹がいてくれたらどれだけ良いだろうか。

 家族や学校への連絡は勿論、警察からも質問攻めにされて大きな負担にはなるだろう。でも、俺が失踪してしまったことは伝わるはずだ。警察をはじめとした『大人たち』が俺を助ける方法を検討してくれるかもしれない。

 それに、何より……俺は一樹のオカルト方面に対する知識と引きの強さを信じている。中学生のころに怪異に遭遇した際、彼のおかげで助かったことも多い。


 でも、もし一樹がこの世界に来ているのなら……。その時は、そうだ。彼も王都を目指すと思う。ああ見えて冷静な部分も持っているから、まずは情報を集められる場所に行くだろう。王都は多分首都だ。人も多いはず。人が集まるのならば、同じく情報も集まる。

 それに、同じアクセサリーを装備しているのだから魔法も使えるはずだ。

 今までこの世界で出会った人々をみるに、魔法使いの数はそう多くはない。魔法使いの情報は集まった情報の中でも一際目立つはずだ。


 やっぱり、王都に行かないと。

 どっちにしろ、ソラたちの寄り道に付き合っている場合じゃなかったんだ。


「あははははは!」


 甲高い笑い声に思考が邪魔される。何事かと思うと、先程の三人組が道の向こうで寄り集まって、俺の方を指さしていた。

 俺はそれに気が付き、気がついていないふりをしつつ彼らの言葉に耳を傾ける。距離があるからはっきりとは聞こえないが、断片的な単語が聞こえてきた。


「……あの人さー……服が……ぼろ……」


 そしてくすくすと笑う三人組。ほとんど聞こえていないものの、大体の意味はわかった。


「うわ、笑われてるぞ、俺……」


 先程三人組に対して感じた微笑ましい気持ちを恥ずかしい気持ちが塗り替えていくのがわかる。王都より先に服屋に急ごう……。

 俺は服屋を探して再び湖の街を進み始めた。

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