湖の街(1)

 日は高く上がり、流れる穏やかな雲が柔らかな影を落とす。草原の中に細々と作られていた道は徐々に幅が広くなり、石畳や縁石による舗装がなされてくる。一面の緑の絨毯だった道の脇にも時折耕地や人家が現れてくる。


「そろそろ、着くはずなんだけどな……」


 俺はフォルからハリアまでの地図を広げて、大体の現在地と照らし合わせる。フォリア橋から道沿いに二日。もう着いてもおかしくはない。疑問を覚えて周囲を見渡すと、わずかな傾斜になっている小さな丘があった。


「登ってみるかな」


 今どこらへんまで来ているのか、確認出来るかもしれない。

 俺は丘を登りきって、眼下を覗く。すると、街が広がっているのが見えた。


「おお……」


 なだらかで超巨大なすり鉢状の地形。いくつもの坂道が街の中心へと向かって下っている。そして、その中心には巨大な湖があった。陽光をきらきらと反射して輝いている。流れ込んでいる川はフォリア大河川の水系だろうか。湖の中央には小ぢんまりとした島があり、そこには遺跡のような石建築があるのも見える。

 湖を囲むように広がっている街並みの円周部分に当たる端の方には立派な城壁がある。しかし、城壁の外にも寄り添うようにいくつもの家々が建っていて、壁の内外に大きな差異はない。


 ここが『ハリア』。湖の街。ここから王都である『バルク』へは整備された一本道があるのみ。距離はフォルからハリアまでの距離よりも長いけれど、ようやくゴールが近づいてきた。

 ここに来るまで、もう半月以上も経っている。気持ちは逸るが、まずはハリアから王都までの地図と食料を手に入れなければならない。何より深刻なのは――。

 俺は空の両手を握りしめた。

 ――武器が無いことだろう。ここに来るまで幾度も危険に瀕してきた。その時に頼りになったのはやはり槍だ。ドラゴンとの戦いで失ってしまった後は常に不安を抱えながらの旅だった。


「まずは、武器かな……」


 俺は丘を駆け下りていく。それから一時間も歩かないうちに街へとたどり着いた俺は、その活気に圧されていた。

 フォルの市場も活気はあった。だが、ハリアはそれを超える。何よりまず、人の数が多い。フォルでもシュヘルでも、勿論サウルでも見たことのないような数の人間が往来を行き来している。東京都市部の煩雑さには流石に負けるが、それでも充分すぎる人混み。それに東京と違うのは、みんな、目が活き活きしているところだ。

 建物もそうだ。石と木で作られた建築物が主だが、味気ないようなシンプルさはない。色とりどりの垂れ布が外壁を覆っていたり、凝っている家屋だと石像が飾ってあったりする。


「凄いな……」


 人々は楽しそうに騒いでいる。あまりの活気にうろたえながら歩いていると、人にぶつかってしまった。


「おっと、悪いな」


「あ、すみません」


 ぶつかったのは金髪の青年だった。腰には剣を下げていて、大きな荷袋を持っている。服や靴の汚れをみるに、この街で暮らしている人というよりは、旅人や商人の装いのように感じた。

 彼は柔和そうな笑みを見せて、「ハリアは初めてか?」と聞いてきた。

 頷く。が、どこでわかったのだろう。……いや、俺がこの金髪の服装を観察したように、彼も俺の服装を見ていたのか。

 冷静になってみると、今の俺の服装はひどいものだろう。川や泉には二日に一度は寄って汚れを落としてはいたものの、ところどころに当て布はしているし、背中に至ってはドラゴンの火によって焦げてしまったので、持っていた包帯で無理くり修繕したような状態だ。荷袋を背負っているから隠れているかと思ったけど、他の人からみたら見えているのかもしれない。

 ……急に恥ずかしくなってきた。さっさと武器屋に行って、服屋にもいかないと……。


「あの……、ここらへんに武器屋ってありませんか?」


「武器屋か? ……あー、確か、あの曲がり角を曲がったところにあったような……。でも今は――」


「――ありがとうございます!」


 金髪の青年はなにか言いかけていたようであったが、俺はそれよりも早くお礼を言ってその場を去った。急ごう。

 彼が教えてくれた武器屋はすぐに見つかった。武器屋であることを示しているような剣と盾の交差したマークの描かれた立て看板の脇をすり抜けて入店する。狭い店で、肉屋のようなショウウィンドウと一体化したカウンターがあるのみ。しかし、ショウウィンドウは空っぽだ。カウンターの奥には炉とハンマーのような鍛冶道具が転がっている。店内には他の客はおらず、カウンター越しに強面の男が一人いる。

 彼は太い腕を組んで椅子に座ってどこか遠くを見ていたが、俺に気がつくと気だるそうに立ち上がってカウンターの近くまでやってきた。


「悪いな兄ちゃん。もう武具は品切れだよ」


「品切れ……ですか」


 確かにショウウィンドウは空っぽだし、棚や壁にも武器の類はない。人気店なのだろうか。


「じゃあ、他を当たります……」


「待て待て」


 強面の男は鼻で笑いながら制止する。俺は返しかけた踵をもとに戻して彼に向き直った。彼は、「あんた旅人だな」と納得しながら話を続ける。


「今の時期、どこ行っても売り切れだぞ。闘技大会だからな」


「……闘技大会?」


 聞き慣れない単語に首を傾げると、強面の男はため息をついた。


「何だ、田舎から出てきたのか? ハリアの闘技大会つったら、王様も見に来るようなでっけえお祭りじゃねえか」


「あ、ああ……そうなんですね。……すみません、遠くから来たもので、知りませんでした」


 闘技大会という語感から考えるに、良く少年誌の漫画なんかで見るような大会なのだろう。その参加者や、参加者のファンが武器を買い求めた結果、街中の武器がない状態だと。そういえば街中騒がしかったが、あれはお祭り期間だからか。

 推察だけど、多分そんなところだろう。

 でも大会が終わって職人たちが武器を作り始めるのを呑気に待っているのも嫌だ。この世界に来てから半月以上。もうここまで時間が経っていると一日二日の違いに大きな意味を感じなくなってきてはいるが、それでも急げるものなら急ぎたい。

 俺は少し、粘ってみることにした。


「あの、じゃあ、武器を作り始めるのはいつからですか?」


「あ? そうだなあ。二週間くらいはどこも休んでるかな」


 思ったより長い。そんなに長いと路銀も心配だ。……駄目で元々。勇気を出して聞くだけ聞いてみよう。


「……今から武器を作ってもらうことって、出来ますか?」


 強面の男はじろりと睨みつけてきた。やばい。怒られるか。

 ……と、不安に思ったのも束の間、彼はにやりと不敵に口角を吊り上げた。


「ほう。休みの期間に働けと。いい度胸だ。……だったら一つ、条件がある」


「条件次第では、作ってくれるってことですね」


「いいねえ、気に入ったよ。……ちょっと待ってろ」


 そう言い残すと男はカウンターの奥の作業スペースの方へと消えていく。しばらくして戻ってきた彼はその手に一枚の紙と、長さ一メートルも無いような剣を持ってきた。


「今ある唯一の武器だ。この小刀で、闘技大会に参加しろ。エントリーは今日まで受け付けてる。旅人でも登録できるはずだ」


「……どういう意味ですか」


「闘技大会は使用武器の作者も登録する。てめえが良い成績を収められたら、俺の店も儲かんだよ」


 広告塔というわけだ。スポーツと同じ。活躍した選手の使用しているグッズが売れるのと似ている。……とはいえ、自ら危険に踏み入れる気もない。ここは上手いこと言って丁重に断ろう……。

 何と言おうかなどと考えていたら、男が急に笑いだした。


「ビビってんのか? 心配すんな! この大会で死んだりする人間はいねえよ! 俺としても、職人として有名になれるチャンスを増やしたい。お互い良いことしか無い」


「……ううん……」


 迷う。今までの旅からして、武器がないのは心細い。でも、リスクが少ないとはいえ、武器を振り回す以上不慮の事故も無いとは限らないから戦うのも好ましくない。


「んで坊主、ちなみに、作って欲しい武器ってのはなんなんだ?」


 答えあぐねているとどんどん話を進めてきた。面倒になってきて、条件を飲んだと見せかけて小刀を手に逃げてしまえばいいか、などと考えた俺は、適当に「槍が欲しくて……」と答える。

 すると、男は大きく頷いた。


「わかった。闘技大会は五日後に二日間かけて開催だ。終わる頃には何とか俺も槍を拵えておこう。良い成績残してくれれば代金もいらねえ。……そんなに悪くねえ話だろ?」


「……ええ、まあ」


 俺は考える。

 どちらにせよ普通に槍を手に入れるまでには二週間かかるんだ。

 それだったら、今から作り始めてもらうためにも一応大会に参加して、本当に危険だったらさっさと辞退してしまうのは有りな気がしてきた。


「……わかりました。それではお言葉に甘えて、お借りします」


 俺は男から小刀と申請書らしき紙を受け取った。申請書には武器の作成者欄にすでに『ガルム・ヨーク』と記載されていた。この人の名前はガルムさんというらしい。


「じゃあ、また来ますね……えーと、ガルムさん」


「おう、で、てめえの名前は?」


 俺はカウンターに転がっていた羽ペンをとって、目の前で申請書に記入した。久喜、輝。日本語での記載だが、読めるだろうか。


「へえ……。久喜、輝ね。変わった名前だな。まあいい。じゃあ頼んだぜ、輝さんよ」


「あ、はい」


 この人には読めたんだ。日本語なのに。

 同じ様な疑問を感じたことがあった。それはシュヘルで初めて町長のニーグさんと話したときだ。あの時も日本語が通じることや、時計が元の世界と同じだったことに違和感を覚えた。

 ……何故なんだろう。異世界だというのに、ところどころ共通の文化が見え隠れするのは。

 俺はカウンターに転がっていた紙の束を見つけて、それを手に取る。文字がびっしり書かれていた。質の悪い紙に、掠れの多い文字。写真ではなく挿絵が多く使われている。それも全て、日本語で表記されているように見える。


「ん、読んでくか? 今日の新聞だぜ」


 ガルムさんは俺の視線に気が付き、その新聞を手渡してきた。俺は受け取り、一面に当たる記事を目で舐めていく。


「チルで……竜?」


 どうやらチルという名前の街で、竜が三匹現れて大暴れしたそうだ。

 竜というと、俺がフォリア橋を渡った後に出会った怪物だろうか。いや、ラーズもラルガという将軍も、子竜と言っていたっけ。そうなると、成体はもっと大きいのだろうか。

 そのまま読み進めていくと、目を疑うような文章が視界に飛び込んできた。


「え……?」


「ああ、びっくりだよな。竜だよ竜。三匹も出てきたんだとさ。チルってのはチル大山脈の向こう側港町なんだが、流石にそれくらいは知ってるか?」


 そうじゃない。俺が驚いているのはそこじゃない。竜三匹を倒したという五人組の魔法使いについてだ。

 光の魔法と剣を操る少年。植物の魔法と弓術を組み合わせて戦う少女。雷を呼び出し、的確な指示を出す青年。そして、水と回復魔法の使い手の少女。最後に、炎魔法と二刀流の少年剣士。

 最後の一人はわからないが、他の四人については心当たりがあった。特に、光の魔法と剣を操る少年には。


「ソラたちなのか……?」


 五人組は竜を倒すと、客船に乗って去っていったという。彼らは一人ひとりが強力な魔法を扱い、多くの人間を救った英雄だとも書かれている。

 次に俺は挿絵を見た。巨大な竜に立ち向かう五人組の絵。美術で見るような上手い絵ではないから断言は出来ない。しかしよく見ると、剣を持ち、光の光線を放っている少年が描かれている。他にいるのはポニーテールの少女、黒い髪の少女、眼鏡をかけた青年。あとは、もうひとり少年の姿。

 ソラたちだ。そうに違いない。彼らは俺と別れた後、旅を続けているんだ。それに新たな仲間も作っている。……逃げ出した俺の、代わりのように。


「……チルって、どこらへんなんですか」


 俺は新聞から手を離し、ガルムさんに聞いた。彼は「やっぱ知らねえのか」と言ってから店内の壁を指差す。壁には大陸全体の地図が張ってあった。


「ハリアはわかるだろ。東側に、南北に広がるデカい山脈がある。これがチル大山脈だ」


 そういえば、カデルの坂から一帯を見渡した時、向かって右側に大きな山が壁のごとくいくつも連なっているのが見えた。あれはチル大山脈だったのかもしれない。

 彼は話を続ける。


「それを超えた東。そこにあるのがチルだ。山と海に挟まれた港町だが、海産物が旨くていい街だよ。……まさか、竜が現れるとはなあ」


 俺はソラたちと別れたシュヘルの位置を探す。省略されているのか記載されていなかったが、大体の位置は覚えている。チルという街まではかなりの距離がある。俺が進んできたペースよりもずいぶん早い。


「……そうか。船か」


 港町なら船が出ているだろう。風さえ吹けば、船の速度は徒歩の移動速度を悠々と超える。その上昼夜問わずに移動し続けられるんだ。俺のように泥臭く歩き続けるよりも、ずっと速く。

 不意に嫉妬心の様なものが芽生えてきて、俺は思わず拳を握る。彼らが快適に旅をしているとしたら……それが許せない。俺はあんなにも、辛い日々を過ごしながらやっとの思いで進んでいるのに。


「おい、輝」


「あ、はい」


 呼びかけられて俺はガルムさんに視線を戻す。彼はちらちらと店内の時計を見ていた。


「さっきも言ったがエントリーは今日までだ。日が落ちるまで受付はやっているが、一応早めに申請しに行ってくれ。会場は坂を下った湖の畔にある。大きな闘技場だから、わかると思うが……」


 俺は「すみません。……じゃあ、急いで行ってきます」と返して店を出た。ガルムさんとの交換条件だ。エントリーは早めにやっておこう。

 気乗りしないことに変わりはないが、小刀を手に坂を下る。


「……違う。まだ『過程』だ。俺の正しさは、『結果』が出るまでわからない」


 俺はソラたちの旅の速度に不安になった自分に言い聞かせる。俺は正しいのだ。誰かのためではなく、自分のために戦うことに、間違いはないのだ、と。

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