槍使い(3)

 橋が直ったと言う知らせが来たのは昼過ぎのことだった。

 俺はというと、ラーズに教えてもらった技を完成させて、全体的な仕上げのための試合を一通り終えていた。

 技の修練にはもっと時間がかかるものだと思っていたのだが、案外シンプルな技で、練習レベルではすぐに会得できた。不思議に思った俺がラーズに聞くと、この技はラルガという大男の軍隊に所属した後、新兵が最初に覚える技だという。

 道理で、簡単なわけだ。しかし、それを使うのは簡単ではない。ラーズが昨日言っていたような『覚悟』が固まっていない人間には使いこなせない技なのだろう。

 俺も、身につけた今でさえも、『その時』が来て、すぐに使える自信はない。


「輝、この三日でよくここまで練り上げたな」


 橋が直り、軍に戻らなくてばならなくなったラーズは訓練の最後にそう声をかけてきた。褒められ慣れていない俺はこそばゆくなって、わざととぼけたように返す。


「俺、そんなに、覚え良かったかな?」


「言うようになったな。……でも、そうだな。普通の新兵なら一日で音を上げて、二日三日は急速をとらなきゃいけなくなるようなメニューだったんだけど、翌日普通に起き上がってきたのには驚いたよ」


「……なるほど」


 背筋が凍る。起き上がってこれたのは回復魔法を使ったからだ。精神的な疲労は溜まってしまうが、背に腹は変えられないと思って全身の筋肉痛を癒やしてから二日目の訓練に挑んだのを思い出す。

 筋肉痛が直ると筋力が上がるという話をどこかで聞いたことがあるが、それはどうやら回復魔法でも再現されるらしい。二日目からは身体の動きが格段に良くなったのを覚えている。だとしたら、これは一つの所謂チートなのかもしれない。元の世界にいたときに見た漫画やゲームでは、もう少し待遇の良い能力が主人公に渡されていたけれど。

 ……贅沢を言っちゃいけないな。これでも充分だ。生きていくことが出来るんだから。


 一人苦笑していると、ラーズは手を差し出してきた。


「さあ。どうする? うちの隊に入ればもっと鍛えてやれる。そのうち閣下なんてメじゃないほど強くなれるかもしれないぞ」


「いや……。俺は、自分の目的があるから、王都に行くよ。強さよりも、欲しいものがある」


 やはりそれは、身の安全。ひいては元の世界へ帰ることだ。

 イースさんも、ラーズも、元の世界には居ないような良い人だった。元の世界にこんな人がいれば、俺はもっとマシな生活を出来ていたんじゃないかとすら思えてしまう。

 だけど、やっぱり違う。俺の生きる世界はここじゃない。だから折角の申し出だけど、断ることにした。


 ラーズは残念そうに腕を組む。


「ま、輝は軍人向いてなさそうだしなあ……。で、ハリアに向かうんだっけか」


「誘ってくれてありがとう。……うん。ハリアに向かうよ。橋を渡って道沿いに北へ進めば良いんだよな」


「なら、もう出るか? さっき聞いた話じゃ、うちは別働隊と合流してから出発することにしてるんだ」


 俺はラーズの問いに頷いて、訓練用の棒を返す。ラーズはそれを受け取ると満足気に微笑んだ。


「いつか、本気で戦ってみたいな。本当は俺、二槍流なんだ」


 言いながら彼は器用に二本の棒を操って、演舞を見せてくれた。その後照れたように笑いながら「かっこいいだろ」と言ってみせる。

 一本だけでも全く敵わなかったんだ。できれば戦うようなことになって欲しくはないなと再び苦笑して、俺は肩をすくめた。


 ラーズと別れ、荷物を纏めた俺は橋を直していた軍よりも一足先に『フォリア橋』を渡り始める。聞いて、見ていた通りの長い長い橋を徒歩で進みながら時折眼下のフォリア大河川を見下ろす。

 岸に近いところは穏やかな流れをしていたのだが、水の流れが早い場所もある。これでは下手なボートだと舵を取られて最悪沈んでしまうだろう。

 そして、ラーズの言っていた『ホノアイナ』らしき影も見た。

 十メートルくらいの水の影と、時折そこから覗く口元。色は黒く、水流に良く馴染む。鱗で覆われている様子を見て、大型のワニのようだと思った。まあ、口元しか見ていないのでなんとも言えないが、どちらにせよ、ボートで渡るのは無理があったのだろう。


 石と木で出来た橋を進んでいきながら、「長いなー」などと独り言ちながら歩く。それでもしばらくすると橋の終わりが見えてきた。と同時に俺は最後の数十メートルを走って駆け抜ける。


「うお……」


 長い橋を渡りきるとと目の前には一面に広がる草原。緑。静かな風。視界を遮るものは、所々申し訳程度に生えている木々だけだ。


「これは……」


 綺麗だ。『カデルの坂』から見下ろしたときとは違う。真っ直ぐに伸びた緑色の絨毯がずっと先まで続いている。風が吹く度に波打つ草はまるで海のよう。晴れ渡る空も心地よい。目一杯深呼吸してから街道を歩き出した。草の匂いが肺に広がって行く。

 一度だけ振り返ったが、ラーズのいる軍が進軍してくる様子は見えない。まだ、別働隊とやらとの合流が済んでいないのだろう。


「行くか」


 槍をしっかりと握り込み、杖のようにしながら俺は草原を進んでいった。



 もう振り返っても橋はおろか、フォリア大河川ですら見えなくなってきた。俺は確かに進んでいることに満足しながら歩みを止めずに道をゆく。

 未だに商隊や旅人とはすれ違うこともない。まだ橋が直ったという情報が広まっていないのだろう。もしハリアに着いて困っている様子の商人が居たら教えてあげよう。もしかしたらお礼に値引きでもしてくれるかもしれない。

 上空では鳥のなく声が響いている。少しうるさいが、そういう種類の鳥なのだろう。道の脇には緑の絨毯にくっきりとした鳥の大きな影が落ちていた。


「あれ……?」


 違和感を感じて俺は立ち止まる。いやに影がくっきりとしている。結構地表近くまで降りてきているのか? でも、大きさは翼長十メートルはあるだろう。そんな大きさの鳥など、聞いたことはない。

と、そこまで考えて自分の認識の甘さに気を引き締め直す。

 何を考えているんだ、俺は。そうやって甘くみた結果、ライツに殺されかけただろう。

 俺はすぐに天を仰いだ。逆光の中、大きな影が落ちてくるのが確認出来て、すぐに地面にしゃがみ込む。


「うわ!」


 直後、地面が揺れた。すぐそこの草原からは突風が吹いてくる。すぐに立ち上がった俺は、空から降りてきたその姿を見て絶句する。

 巨大な鳥なんかじゃない。そんな、ライツと同列に考えちゃいけないような姿だった。

 鳥のような大きく逞しい翼。爬虫類のように長い尻尾に業火のように紅い鱗。大きく開いた口からは鋭く輝く白い牙がはみだす。


「そんなんありかよ……!」


 眼の前にいる以上、ありなのだろう。

 それでも言いたかった。その姿は神話や伝説、果てはゲームや漫画で何度も見たことのあるような姿だったから。


「……ドラゴン……!」


 眼の前で赤色のドラゴンが何かを食らっている。肉だ。羽毛のようなものが散っている。よく見ると二メートルはあろう大きさの巨大な鳥を食い殺していた。

 しばらく呼吸も忘れて身動きをとれずに固まってから、我に返った俺はゆっくり後ずさる。


「どうする……どうする……」


 どうするもこうするも、『どうやって逃げよう』ということしか考えていない。バケネズミでもあれだけ苦戦したんだ。ドラゴン相手なんて五秒も持たない。混乱してしまったせいか、注意力の欠けていた俺は後ろに踏み出した足で、地面に落ちていた石を蹴飛ばしてしまった。


「あっ」


 乾いた音と、間抜けな俺の声が草原に響く。顔をあげると、ドラゴンは音のした方向を……つまるところ、俺の方を睨みつけていた。

 まずい、まずい、まずい!


「やべ――」


 言いかけた瞬間。ドラゴンがその顎を大きく開いた。そして、咆哮。周囲の空気を震わせて、音が空間を揺らしていく。その震えは鼓膜だけではなく、肌でも感じられる。音が振動であると、嫌でも意識させられる。


 そしてドラゴンはひるんでしまっている俺をめがけ、翼を再度広げて羽ばたかせながら突進してきた!


「うっおお!」


 俺は必死の思いで横に飛び、ドラゴンの突進を避ける。俺の飛んだすぐ横をドラゴンが駆けていく。速い。甲冑流の突進の速度の比ではない。……こんなもの、避けられない。

 それはつまり、逃げられないということ。


「こんな、すぐに来るなんて……」


 俺は昨日の訓練中に、ラーズから言われた言葉を思い出していた。

 ――いつか自分のために、自分を危険に晒してでも戦う必要が出てくる日が来る。それは十年後かもしれないし、明日かもしれない。

 ……本当に『明日』だったよ。

 即座に立ち上がった俺は身体を軽くするために荷袋をそこら辺に投げ捨てた。


「やるしかない……」


 声が震えていた。足はさらに震えていた。だけど俺は槍をしっかりと構え、胸元のペンダントに触れる。銀色の風が俺の周囲を漂い、身体が軽くなっていく。

 冷静になるんだ。パニック状態で前も後ろもわからなくなったら、ここで死んでしまう。


「……敵はドラゴン。動きが早い。俺は今一人だから助けは呼べない。武器は槍。魔法が使える。即死じゃなければ回復も出来る……」


 ぶつぶつと自分の状況を声に出して確認していく。震えが収まってくる。頭も少し、クリアになった。

 突進が空振り、崩した体勢を立て直してドラゴンが俺を睨む。距離が近い。

 目測だが、ドラゴンの体高は俺のもつ槍一本分、約二メートルの大きさ。ゲームや漫画で描かれているような巨大なとは違って、思ったより小さい。腕は無い。翼と一体化してるんだ。コウモリに近い。だが、その翼の関節に着いている爪は鋭い。牙だけじゃなくて、爪にも気をつけないといけない。

 ドラゴンはこちらをなおも睨んでいた。そして顎を大きく開け、羽を広げる。そして、あの巨大な咆哮を響かせる。


 俺は息を飲んだ。


 思ったよりも小さい、と思っていたはずのドラゴンは、翼を広げると驚異的な大きさ。

 迫力にそのまま硬直しそうになったが、ドラゴンが翼と一体化した前足をこっちに叩きつけて攻撃しようとするのを見て、また横に飛び退いた。


「あぶねえ!」


 先ほどと同じくすぐに体勢を立て直し、槍を構えなおす。前足の爪は近くで見るとより鋭く見えた。触れただけでも肉を削ぎ落とされそうだ。

 反射的に後ろに下がりそうになって、踏みとどまる。ここで退いたら、俺の槍も届かない。


 今度は俺から動いた。


 右手で槍を持ち、空いている左手をドラゴンに向けて、風の刃を撃ち出す。それと同時にドラゴンに向かって走った。

 風の刃はいとも簡単に翼で弾かれてしまう。だが、その隙に幸運にも上手く懐まで入った俺は槍を強くドラゴンの鱗のない白い腹部に突き出した。


「おおおおお!」


 堅い!

 槍は何とか刺さったものの、傷が浅い。堅すぎて槍の刃が進まない。


「くそ!」


 俺は急いで槍を引き抜き、また間合いをとる。

 ……どうする。鱗のない腹ですらあんなに堅いのなら、鱗に覆われている他の場所に刃が通るとは思えない!


「うわっ」


 ドラゴンが翼と一体化した前足で薙ぎ払ってきた。

 俺は後ろ向きに跳んでそれを避ける。ラーズの槍よりは遅い。だけど、彼我にこれだけの差があったら、絶対にいつか殺されてしまう。

 今度はドラゴンが大きく翼を広げた。そして、羽ばたき始める。でもこれは飛翔じゃない。風を俺に向かって送り出している……? それに、風に乗って小さな飛沫のようなものも飛んできている。

 俺は顔にかかった飛沫を拭う。水のようにさらさらしているが、ぬめり気がある……油、みたいな。


「まさか……!」


 ドラゴンは口から火を吹いた。その火が飛沫に引火して勢いを増し、火が炎になった。

 眼前に広がる炎から逃れるように、俺は後ろを向いて、地面に飛び込んで突っ伏した。


「あああああ!」


 熱い!

 背中を舐めるような炎に悶え、俺は地面を転がる。


「痛い! 熱い!」


 こらえようのない涙が溢れる。助けてくれ、誰か、誰か!

 ……そんなことを願ったって、ここには誰もいないだろう! 俺は焼ける痛みに耐えながら、胸元のペンダントに触れる。背中を焼く痛みが消えていき、数秒で俺は起き上がれるようになった。

 槍を杖にして立ち上がる。周囲の草は燃えていない。見かけほどの温度では無かったらしい。ただ、それでも恐怖を覚えるには充分すぎるほどの熱さと痛みだった。


「はあ、はあ」


 火炎ブレスだ。ドラゴンの見た目を裏切らない、有名で強力な攻撃だ。


「はああ、はああ」


 ……駄目だ。

 全身が堅い。風の刃も槍も効かない。動きも速い。飛ぶことも出来る。逃げられない。その上、炎まで吹いてくる。


「イヤだ……やめてくれ……」


 涙で霞む視界の中で、ドラゴンがこちらに向き直る。次は何だ。突進か。前足の爪か。火炎ブレスか。火炎ブレスは嫌だ、死ぬなら一思いに死にたい。熱さでのたうち回るなんて……。


 ――いつか自分のために、自分を危険に晒してでも戦う必要が出てくる日が来る。


「うう……」


 ――だから、そういう『覚悟』を持ったときのための技を教えてやる


 俺は、杖にしていた槍を構え直した。


「……死にたくない……まだ……!」


 ドラゴンが突っ込んでくる。俺は頭を下げて、姿勢を低く保った。

 脳裏に、ラーズとの訓練が浮かぶ。


 ――自分の身を護るのは本能だ。それは否定しない。だけど、それだけで生きていけるほど、人間という生き物の力は強くない。背中を見せれば敵の動きが見えなくて簡単に殺される。だから。


 俺は低い姿勢のまま、前に向かって走り出した。


「うおおおお!」


 ――突っ込むんだ。姿勢は低く、槍と一心同体になれ。


 穂先がドラゴンの頭部を逸れ、その腹部にぶつかる。両腕に衝撃が走る。しかし、その衝撃は向こうにも伝わっている。さっきの突きよりも深く、ドラゴンの腹部に刃先がめり込んでいく。


 ――相手に刺さったら、後は武器から手を離すな。……お前はすぐに武器を放って逃げる癖があるからな。


「ぐううううう!」


 ペンダントから引き出した魔力を腕と脚に集中させていく。低くした姿勢のおかげで、地面への踏ん張りが効く。

 怖い。逃げたい。でも、それ以上に死にたくない。自分のために、自分を危険に晒してでも、戦わなくちゃいけないんだ!

 ドラゴンが悲鳴のような唸り声を上げた。槍の穂先は更に刺さっていき、そして――。


「うあっ」


 ――折れた。

 突っかかっていた槍が折れ、俺は地面にそのまま転がり、すれ違うようにしてドラゴンも俺の後ろの方で倒れた音がした。

 掛かる力に耐えきれなかった槍は下半分を残して真っ二つに折れてしまった。


「はあー、はあー」


 それでも立ち上がり、振り返る。ドラゴンは倒れている。……倒した。

 だが、つかの間の、喜びが脳までたどり着く前のその瞬間、ドラゴンが再び起き上がる。


「そ、そんな……」


 俺に向き直って咆哮。腹部には砕けた槍の一部が刺さっている。そこから赤い血液も流しているが、まだ動いている。動けるんだ。


「はは……」


 手の力が抜けた。折れた槍が滑り落ちそうになる。しかし、落とす前にもう一度掴んだ。持っていたって、もうどうしようもないけれど。

 打つ手がない。風の刃だけでも撃とうと、右手を上げる。こんな、こんなところで終わるなんて。目を閉じて、震える手で胸元のペンダントを掴んだ――。


「――よー! 頑張ったじゃん」


 背後から声が聞こえた。ここのところずっと聞いていた声。……ラーズの声だ。

 目を開くと、俺の後ろから槍を二本持って馬に乗った青年が飛び出してきて、その勢いのまま馬から飛び降りると、その右手の槍をドラゴンの喉に突き刺した。

 そして、突き刺した槍を掴んでそれを足がかりにし、ドラゴンの頭部に駆け上る。


「子竜か。――悪いな」


 頭部に乗っかった青年はその左手に持っていたもう一本の槍を、思い切り突きおろした。あんなに堅かった鱗も、皮膚も、きっとあったであろう頭蓋も貫いて、脳天から顎下までを串刺しにする。

 ドラゴンは断末魔を上げることすらなく、その体躯を地面に倒した。


 た、助かったんだ。


「……助かった。はは。生きてる」


 安心で、乾いた笑いが出てきた。

 ラーズは慣れた手付きでドラゴンから二本の槍を引き抜き、その槍に付いた血を払って飛ばした。そして俺の姿を見つけ、いたずらっぽく笑った後で何かを思いついたのかドラゴンの頭部を弄る。

 放心状態だった俺は、助けてもらったお礼を言おうとラーズに近づいていった。


「あの、ありがとう。死なないで済んだ……!」


「ん。そうだな。妙な咆哮が聞こえたから、急いで来てみて良かったよ」


 ラーズは何でも無いことのようにそう言うと、何かを投げ渡してきた。俺は右手でそれを受け取って確かめた。ずしりと思いそれは、先程まで戦っていたドラゴンの白い牙だった。


「それで飾りでも作れよ。……英雄の誕生を祝して」


「英、雄……?」


 意図がつかめないでいると、ラーズは笑顔で俺の左手を指さした。


「よくぞ離さなかった」


「え、あ……」


 俺が手に持っていたのは折れた槍の下半分だった。


「……人間は生き物としては弱いからな。意志の力で叩いて叩いて、強くなるしかない。お前のその折れた槍は、そんな道の……『覚悟』の一歩目だよ」


「覚悟の……一歩目」


 俺は木の棒を眺める。ここに来るまでの旅で手垢のついたボロッ切れだ。それでも何故か、俺はその木の棒をとても大切なものだと思った。


「……あっ、ヤバイ。閣下追いついてきちゃった」


 ラーズはバツの悪そうな表情を見せて、慌てて自分が先程乗り捨てた馬にまたがる。遠くから騎馬のかける音が聞こえて、近づいてくる。その馬にはラルガという大男が乗っていた。


「……子竜か。それに……」


 ラルガが俺を一瞥する。その目は以前と同じく威圧的ではあったが、以前ほど恐ろしいとは思わなかった。

 彼は「ラーズ、行くぞ」と短く命令を出した後、静かに笑う。


「草木を食む虫程度には成ったか」


 問いなのか、それとも独り言なのかわからず答えあぐねていると、彼は馬の首の向きを変えて、颯爽と走り去る。

 遅れてラーズも俺に背中を向けた。そして振り返りながら手を振る。


「ちゃんと練習続けろよー」


 俺が何か言うような時間も与えず、彼らは去っていってしまった。


「……生きてるんだ……。勝ったんだよな……」


 俺はさっき捨て置いてしまった荷袋を拾い上げ、折れた槍を手に持ったまま、ドラゴンの死体の前まで来た。

 雄々しい命は、首や頭から流れる血とともに崩れ去っていく。


「……俺の勝ちだ。最後まで生きてたんだから」


 答えない。それでも宣言しておきたかった。

 本来ならば俺は死んでいた。だが、運が回ってきたおかげで俺は今こうして生き延びている。それを勝ちだと確かめたかった。生きているから勝ちであると。生死が生き物の絶対の価値観であると。だから、自分のために、自分を危険に晒してでも生を勝ちとった俺は正しいのだと。

 俺は手に持っていた槍の残骸をドラゴンの前に突き立てた。

 少し感傷的になっていたのかもしれない。俺は突き立てた槍をそのままにして、街道へと戻っていった。

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