槍使い(2)
ラーズという兵士に案内されて『カデルの坂』を降りていく。道中俺の素性などを訊かれると思ったがそんなことはなく、逆に彼は自分の素性をぺらぺらと話してくれた。
ラーズ・ガルシア。歳は二十五。ラルガという将軍が率いる軍に所属していて、これから西の貿易都市である『ヤマト』という街へ向かうのだとか。しかし、彼の軍団もフォリア大河川を渡れずに足止めを食らっているらしく、暇つぶしに周囲を散策していたところ、眠くなったので昼寝をしていたそうだ。
ライツが現れるような場所で昼寝をするなど不用心だと思った。しかし、そのライツを仕留めた槍捌きであったり、気づかぬうちに俺の背後に忍び寄って槍を突きつけてきたりと、恐らく強い人間だ。
軍人というものを知らない俺ですらそう思える。
「それで、ラーズは、なんでここで足止めされてたんだ?」
「ん。そりゃ説明するより見たほうが早い。ほら、ここを抜ければわかる」
彼の後をついていくと、坂が終わりを迎え、目の前には大きな川が流れているのが見えた。流れはそこまで早くないように見えるものの川幅が酷く広い。百メートル二百メートルなどはゆうに超えているのではないだろうか。海のようにすら見える。
そして、こちらの岸と向こう岸をつなぐように大きな橋がかかっている、と思ったのもつかの間。橋を視線でたどっていくと、途中で途切れている箇所があった。
「今、工事中でさ。あれが直るまではここ、渡れねえんだよ」
「それが、あと少しで直るってことか」
そうなると、しばらくはここに逗留しなくてばならない。
橋の入口の周囲には鎧を着た兵士や馬が休んでいる。その数は数えきれない。行軍中なのだろう。規則正しくテントのようなものが設営されていて、水辺では槍を持った兵士がきれいに並び太鼓の音にあわせて振り下ろしている。訓練だろうか。
確かに、この規模の人数で、馬もいるとなると橋を直してから進むほかは無いのだろう。
しかし俺は身一つだ。川も穏やかだし、船さえあれば渡れるような気もする。
「渡し守とか、船とかってのはないのか?」
ラーズは「残念ながらね」と肩をすくめた。
「ここらへんは『ホノアイナ』っていう化物がウジャウジャ川に住んでてな。食われてもいいってなら泳いでいくのはありだと思うぞ」
名前から姿は想像できないが、ライツのようなこともある。なるべくそう言った危険は避けておきたい。
それにそんなものがいなくとも、そもそもこの川を泳いで渡る気にはならない。
「ううん。やめとく」
「賢明だな。ま、暇つぶしくらいなら俺が付き合ってやるからよ。酒もあるし、輝の話でも聞かせてくれよ」
そう言ってラーズはがしりと肩を組んできた。俺は苦笑する。
酒か。この世界にもあるんだな。……飲んだこと無いから興味はあるけれど、まだ未成年の自分としては、あまり気が進まない。
……いや、でもこっちの世界では子供でも普通に飲んでるのだろうか。国どころか世界が違うんだ。ありえないことじゃない。
そのまま肩を組まれたままで、「酒はあっちだ」とはしゃぐラーズに拉致されようとしていたら、一人の大男が現れてその道を塞いできた。
「げ、閣下……」
ラーズは大男の姿を確認するやいなや、すぐに肩を組んでいた手を外して、バツの悪そうな表情を浮かべた。
「ラーズ、何をやっている。見張りはどうした」
閣下と呼ばれていた大男が厳しい声で咎める。大男は声に見合ったいかつい顔立ちをしていた。真っ黒いあごひげを蓄えているので年齢が高く見えるが、よく見ると肌に皺が少なく、思ったよりも若そうに見える。三十半ばくらいだろうか。
彼は他の兵士たちとは違い、黒く染め上げられた革鎧を身にまとっている。鎧の形も違うようだ。ところどころに金属の板が編み込まれた鎧で、頑丈そうである。
しかし、何より気になったのはその腰に下げている武器の形状だった。漆塗りのような艶のある黒い鞘。川の流れのようななだらかな湾曲。豪奢な鍔に、黒色の紐が巻かれた柄。日本人なら誰でも知っている。テレビやゲームで何度も見たことがある。
「……日本刀……」
俺はぼそりと呟いた。大男の視線を感じ、彼の腰から目に視界の中心を移す。
「あ……」
強い目だ、と思った。その目の圧力だけで、子供一人なら圧し殺せてしまいそうなほどの。
蛇に睨まれた蛙とは今の俺のことだろう。身動き一つとれない威圧感。口をぱくぱくさせて次の言葉を探すものの、何も見つからない。
呼吸の仕方すら忘れそうになった時、肩をゆすられた。ラーズだった。
「そう! 見張りをしてまして、鼠の化物に襲われたところでこいつに助けられたんですよ! で、見込みあるかなあって思って連れてきた次第で」
「……見込み?」
大男の視線が俺の隣にいるラーズに移る。大男は鼻で笑ってみせた。
「私には、そうは見えぬがな」
「閣下からみりゃ、そうでしょう。でも、こいつ、魔法も使えるんだ」
「ほう……? それは本当か?」
大男が再び視線をこちらに向けた。
俺は隣のラーズをちらりと見る。ウインクしてきた。やれ。ということなのだろう。
「じゃあ、少し……」
俺は右手でペンダントに触れ、右腕に風をまとわせる。そして風の刃で二メートルくらい先の地面を穿った。
大男の方を伺い見ると、彼はえぐれた地面ではなく俺の胸元を見ていた。
「……『所有者』か。興味はあるが、……まだ弱いな。これでは身動きせずに屠られる草木の如し、だ」
再び俺を冷たい目で一瞥した後、彼は悠々と歩いてどこかへと去ってしまう。内心ホッとした俺は胸をなでおろすと同時に、ラーズの方へ向き直った。
「今のひと、何者なんだ?」
「閣下のことか? あの方はこの軍を率いている将軍だ。ラルガ・エイクって言えば、わかるだろ?」
聞いたこともない。だが、将軍だということはわかった。それも、名の通っている人物だ。よっぽど色々な実績を積んでいるのだろう。
「それより、輝、良いのかよ」
ラーズは不満そうに声を上げた。
「あそこまで言われて。ありゃ馬鹿にしてるぜ。悔しくねえのか。男だったら悔しいだろ」
「まあ……」
でも、俺があの目に圧されたことは事実だ。悔しさ云々の前に、恐怖が勝ってしまった。それほど圧倒的だった。
出来うることならああいう人間とは関わらないで生きていきたいものだと思う。
「うーん。目にびびったんだろ?」
「えっ。ああ。そうだけど……」
話は続いていたようだ。素直に怯えていたことを認めると、ラーズは「良いこと思いついた」といたずらっぽく笑う。
「酒も良いけど、閣下を見返すのも面白そうだ。……輝、これから三日、橋が直って軍が進軍を始めるまで、俺がつきっきりで鍛えてやる。ついて来れたら、あの目に負けない様にしてやるよ」
「いや……」
そんな強さ、必要ない。言いかけてから、考えた。
この世界には甲冑竜もいればライツもいる。まだ見ぬホノアイナとかいう化物もいるようだ。それだけじゃなくて野盗もいるし、シュヘルのニーグさんの言うことには戦争の機運も高まっているらしい。どうせここで橋が直るまで動けないのなら、少しでも生きる力を付けておいたほうが良いんじゃないだろうか。それに……。
俺は槍を握り込む。
あの目の圧力は、ソラの持つカリスマにも似ているように感じた。シュヘルで決別したあのときも、俺に跳ね除ける力があればこうはならなかったんだ。
「……じゃあ」
俺はラーズに頭を下げた。
「頼む。鍛えてくれ」
○
俺は普通の高校生だ。だから、槍の使い方なんてものは全くもって知らない。まだ教室の掃除をするモップの扱いのほうが慣れているくらいだ。
そんな俺が兵士という、言わば戦いのプロに鍛えてもらう。メジャーリーガーが小学生相手に野球を教えるようなものである。そこに気づいていれば、もしかしたらラーズの訓練を受けるだなんて無茶なことは言わなかったかもしれない。
「おら! 立て! もう二日やってんのに一回も当たってねえぞ!」
「ちょ、待って……」
俺とラーズは訓練用の棒を振り回し、ひたすら試合をしていた。場所は川沿いの空き地。訓練している他の兵士とは離れた場所だ。
息を切らせては魔法で体力を回復し、更に自分の身体能力も底上げしてラーズに挑む。
「よし、次、行くぞ輝!」
「よ、よし!」
ラーズに向かって棒を振り下ろす。彼は軽々と避けると、俺の棒を振り下ろした棒で上から押さえつける。
「動け動け!」
そのまま棒を滑らせて俺の首を狙ってくる。俺は身体を捻って避けて、身体が流れるままに回転し、下段を棒で払う。しかしラーズは跳んでそれを躱し、顔面めがけて突いてきた。
「うわっ」
すんでのところで首を曲げる。俺はこっそり魔法を使い、身体能力を強化させて無理な体勢から立ち上がり、ラーズの棒を打ち上げる。
身体がガラ空き……今だ!
すぐに棒を引いて、渾身の突きを繰り出そうとする。しかしそれよりも早くラーズの棒の先端が俺のすぐ近くまで迫っていた。
「うわあああ!」
棒から手を離して転がるようにして逃げた。直後、背中に一撃。軽く小突かれた程度だったが俺はバランスを崩して転倒する。口に砂が入る。
「またそれか……」
呆れたようなラーズの声を聞いて、俺は申し訳ない気持ちで振り向いた。すると目の前に棒の先端を突きつけられていた。まるで最初に彼にあったときのようだと思って、自分の無力さに呆れる。
「武器から手を離すなと言っただろう」
「いや、だって……。ごめん」
ラーズはため息をついてから、俺の隣に座り込んだ。「ちょっと休憩だ」と言った後で、仰向けに寝転がった。
教えてもらっているのに、まだ一度もラーズに攻撃を当てられていない。多分、ラーズも手加減をしてくれているんだと思う。それでも全く届かない。この訓練ももう二日目だ。明日には橋が直って軍も進み始める。それなのに成長が見られなくて、気持ちが沈む。
「お前さ」
仰向けのままでラーズが口を開いた。
「動きは悪くないよ。思ったとおりだ。物覚えも良いし、他の兵士に見習わせてやりたいくらい。それに、時折こっそり使ってる魔法で動きを素早くしたときなんか、ちょっと危ないことも一杯あった」
慰めの言葉だろうか。座り込んだままの俺は膝を抱えるようにしてそれを聞いている。
「でも、なんだろうな。技術の問題じゃないところで、踏み込みが足りてない。……自分の身を護ることに精一杯になりすぎだ」
ラーズの言葉には心当たりがあった。
俺は身を護るために精一杯なんだ。それは、そうだろう。それが生き物の本音だ。そう思って、そうだったから俺は今ひとりきりでここにいる。
自分の醜いところを揶揄されたような気持ちになり、俺は拳を握る。
「……自分の事を護るのが、一番大事だろ」
甲冑竜に襲われた時、天見さんを見捨てた。あれは自分が大事だったから。
「……自分が死んだら何の意味もない」
スレイが魔法使いの徴用を行うこの王国に憎しみを抱いていた時も、俺は見ないふりをした。関わったら自分の安全が脅かされそうだったから。
「……誰だって自分の安全のために行動する」
シュヘルで、この世界を守りたいと訴えるソラに対して、俺はその考えを否定した。自分が元の世界に戻れればどうでもいい。それ以外のところにリスクを持ちたくなかったから。
他にも、自分の安全のために動いてきたことが沢山ある。
「……そんな考え、普通だろ。間違ってるかよ」
俺は隣で寝っ転がっているラーズを見下ろす。彼と最初に出会った時も、ライツに襲われる彼を見殺しにしようとした。そうだ。それが本質だ。俺だけじゃない。生き物全体の。
「そーだなあ。そりゃ正しい考え方だわ」
ラーズは全身のバネを使って、一気に跳ね起きる。そして転がっている棒を足で器用に蹴り上げ、その手で掴んだ。
「俺も同じだ。自分のために、自分が良いと思うことのために行動してるんだ。輝の考えは間違ったことじゃない。……でも、だからこそ、強くなってくれよ、輝」
ラーズは振り返って笑う。
「まだわからなくっても良い。いつか自分のために、自分を危険に晒してでも戦う必要が出てくる日が来る。それは十年後かもしれないし、明日かもしれない。だから、そういう『覚悟』を持ったときのための技を教えてやる」
「……技?」
「ああ。とりあえず立てよ。休憩は終わりだ。技術としては簡単な技だから、お前ならすぐ覚えられる」
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