槍使い(1)

 やんわりとまぶたを透過した光で目を覚ました。昇ってきた陽が地上の木々に差し込み、木々の葉を通った光は優しい緑色になっている。


「んー……」


 フォルで購入した簡素な寝袋から這い出した俺は、枕代わりにしていた自分の荷物を漁り、無事であることを確認する。

 昨晩、篝火を焚くかどうかに迷った俺は、結局暗闇を選んだ。ライツのような獣は怖いが、今いるのは街道沿いだ。人の痕跡がたくさんある場所にあんな危険な獣はそうそう出ないだろう、という判断のもとだった。

 むしろ、火の光に惹かれて野盗が現れることのほうが心配だった。だから俺は焚き木もせずに、寝袋にくるまって芋虫のように隠れて寝ていたのだ。


「元気溌剌、五体満足、平穏無事……」


 寝袋を畳みながら俺は自分の身体の状態を確かめる。フォルを出てから毎晩寝る前に魔法で傷を癒やしている。ライツとの戦いでついたものは勿論、肉体的な疲労も含めて少しずつ直してきた。寝る前に魔法を使っているのは、やはり魔法の使いすぎによる昏睡を警戒してだった。

 いつ寝ても良いような状況で魔法を使う。とはいえ、俺の体が慣れてきたのか、はたまた筋力トレーニングと同じ様に使えば使うだけ鍛えられるものなのかはわからないが、少しの魔法では眠くはならなくなってきていた。

 そうやって少しずつ治してきていた怪我だが、昨日の夜にようやく全てが完治した。フォルを出発してから六日が経った頃だった。


 俺は荷袋から食料を取り出して口に放る。ライ麦のような風味の固いパンと、干し肉。野草のような謎の緑色の草。この草は非常に苦くて不味いのだが、イースさん曰く、保存も効く上、一日一回これを食えば歯崩れ病と呼ばれる病を始めに、風邪などにもかかりにくくなる素晴らしい食べ物なのだという。

 ……歯崩れ病とは、危険な名前の病が流行っているようで恐ろしい。


「旅慣れしている医者に会えたのは良かったのかな……」


 旅の知識も、食べ物の知識も、イースさん教えてもらわなければ王都に向かうことすら難しかっただろう。もし彼がいなければ歯崩れ病とやらになって野垂れ死んでいたかもしれない。

 そうなると逆に気になるのは、ソラたちの方だ。

 彼らが王都を目指しているのか、それとも王国の将軍を倒すために活動しているのかは知らないが、いずれにせよ移動のために旅をする必要がある。

 現代日本と比べて遥かに過酷なこの世界で、彼らは無事に生きていけるのだろうか。……今も変わらず、青臭いことを言い続けられているのだろうか。もしかしたら、楽しく旅を続けているのかもしれない。シュヘルも、彼らのためなら金額的な援助を含め、物資は惜しまないだろうし、案外快適に過ごしている可能性はある。

 ……そうだとしたら羨ましいが、どちらにせよ、そこは俺の居場所じゃない。一人で惨めに旅を続けてでも、元の世界に帰るために戦うこの場所。この場所こそが俺の居場所だ。


「ごちそうさま」


 俺は苦い草を飲み込んで荷物をまとめ直し、道を進む。

 今日は『フォリア大河川』にかかっているという『フォリア橋』に向かうための難所を一つ越えなくてばならない。

 俺は地図を開いた。そして『カデルの坂』という地名が書かれている場所を眺めた。

 フォルのある地方は標高が高く、フォリア大河川の流れる川沿いはかなり急な下り坂になっているというのだ。イースさんに聞いた話では、ここはフォルの木材を扱う商人が一番苦労する難所なのだとか。

 ただ、別の側面もあるという。


「もう少しで『坂』だな……ここか」


 俺は歩き始めてから数時間で例の難所の近くまで来ていた。

 今まで続いていた道が突然切れたように無くなっている。いや、無くなっているように見えるほど、急激な坂道ということだろう。


「うわ……」


 しかし、俺の興味はその落ち込んだ道ではなく、その向こう。ずっと遠くの光景に向かっていた。


「……すげえ」


 フォルの地方は標高が高い。だから降りるために坂がある。そしてその坂道は急な傾斜がついていることで有名だった。


 それはつまり、この坂道の入り口から、広がる大地を一望できるということでもあった。


 手前側には大きな川が右から左へと流れていっている。その向こうには広い草原地帯。右奥の方に、大きな湖を中心とした街のようなものが薄っすらと見える。さらに右の方には壁のような急峻がそびえ立っており、その向こう側をうかがい知ることは出来ない。左手には荒野が広がっていた。遠くには大きな山も見える。そして、電線も、看板も、飛び去る飛行機すらない、抜けたような青空――。

 これがイースさんの言っていた『別の側面』。この景色を見た旅人はその光景を胸に焼き付けて、この国の広大さに想いを馳せるのだという。

 俺は携帯に手を伸ばしかけてから、悔しくなる。そうだ。携帯は壊れているんだ。この絶景を写真に残すことは出来ない。目に焼き付けるのが精一杯だ。


「もったいねえな……」


 そして、俺はひとしきり残念がってから今度は下を見た。スキージャンプ台のような一直線の坂道ではない。つづら折りになっていて思ったより傾斜による負担は少なそうだが、距離は長い。苦労しそうな坂道である。

 幻想的な景色とは打って変わった現実感に目眩がした。


「……さて、行くか」


 俺はため息とともに、目下の道を歩み始めた。



 何度くらいつづら折れただろう。一時間ほど歩いては休憩、というサイクルを繰り返して坂を下っていた。

 地図によると、この坂を下ってすぐのところにフォリア橋がある。それは先程坂の上で、この目で確かめたから間違いは無いはずだ。何度も何度も降りていくだけの変わりない景色は日光のいろは坂を思い出させる。

 それでもいろは坂はまだマシだ。道は舗装されているし、つづら折りの折返しから折り返しまでの距離が短い。この『カデルの坂』はその距離すら長いのだ。


「難所って言っていたのもわかるな……」


 それに、ひと気が無い。

 フォルとハリアとの交易路になっているという話の割にはすれ違う商人が一人もいなかった。


「この道、あってんだよな……」


 不安を押し殺しながら進んでいく。

 この目で見たんだ。地図は合ってる。方位磁石で念入りに確かめたし、太陽の位置から見ても方角だって正しい。道を間違える要素は無いはずだ。


 でも……そうなると、商人を見かけない理由がわからない。


 歩いている間は暇なので、色々と考える。

 一つは、この時期は木材を運んだりしない、など、この世界の商慣習の問題があるから。これは俺には知るすべはないし、確かめようもない。それにもしそうだとしたら旅人の俺にとっては問題ない。周りに人がいなかろうが、目的地にたどり着ければ良いのだから。

 次に考えたのは、他に便利な道が出来た、という仮説。難所と呼ばれるくらいの場所なんだ。商人たちが利便性を求めて別の便利な道を作っててもおかしなことはない。これも、結果的に目的地たどり着けるのであれば、問題はない。……しなくていい苦労をしているのは悔しいし、楽な道を歩いている商人が羨ましいけど。

 最後に考えたのが一番いやな理由だ。それは、この道が何らかの理由で通行不能となっている場合。落石だったり洪水だったり、あと、この国には軍隊や野盗と言った武力もある。それらが通行止めの役割を果たしていたとしたら、俺も被害を被ってしまう。

 ここに来るまでの街道沿いでは宿屋がいくつもあった。俺はお金を節約するために野宿を決め込んでいたのだが、もしかしたら宿屋ではそういった交通情報などを持っていたのかもしれない。だとすれば、適当に寄っておけば良かった。


「後悔しても仕方ない、か」


 自分で選んだ道だ。それに杞憂かもしれない。行ってみないとわからない。


「さっさと進もう」


 意を決して歩むスピードを上げる。またいくつもつづらを折れて進んでいくと、道の端に何かが転がっているのが見えた。


「何だ……?」


 俺は充分に距離をとった上で、遠くからその転がっている物体が何なのかを観察する。動きを止めているように見えてよく見るとゆっくり上下している……寝転がっている人間だった。

 布地のズボンを履いていて、上半身には革の鎧のようなものをまとっている。仰向けで眠っており、枕にしているのは……ヘルメットの様な……兜か。大口を開いていびきをかいている若い男だ。よく見ると、近くには槍を転がしている。俺の持っているものと違って柄まで鉄製。重たそうだ。

 野盗か、軍隊か。いずれにせよ、武装している人間と関わるのは不味い。俺は見なかったことにしようと、抜き足差し足静かに後ずさる。……その時、がさりと音がして、草むらから何かが飛び出してきた。


「う……!」


 俺は叫びそうになった言葉を無理やり押さえつけた。見覚えのあるその姿。草むらから飛び出してきたのはバケネズミのライツだった。

 ライツは周囲の匂いを嗅ぎながら、先程の若い兵士に近づいていく。しかし、若い兵士は相変わらず眠りこけている。まずい。このままだとあの男、食われちまうぞ。


「……!」


 俺は声を出さずに胸元のペンダントに触れて、風を呼び出す。そして右掌に竜巻を集めた状態で固まった。

 どうするべきだ。助けるべきか。今はライツも俺の存在に気がついていない。風の刃で狙い撃てば確実に仕留められるだろう。それだけの自身を持てるほど、以前のライツとの戦いでは魔法を沢山放った。でもそれは逆に言うと、もう一度ライツとあれだけの死闘をする覚悟があるか、という自らへの問いでもあった。


「……あっちいけ、あっちいけ……!」


 俺は小声で念じる。ライツがあの眠っている兵士に興味を示さなければ、俺もここを素直に去れる。

 しかしあのバケネズミは兵士に一目散に近づいていき、そして、あのグロテスクな口を思い切り開いてしまった。


「く……!」


 俺は右掌をライツに向ける。しかし、撃ち出せない。手のひらの前で小さな銀色の竜巻が虚しく空を切り続けている。

 ライツは兵士の頭に覆いかぶさるようにして、飛びついた。もう遅い。彼は、助からない――。


「うう……!」


 ――そう思った瞬間、ライツの喉に槍が突き立てられ、貫かれた。


「へ……?」


 一瞬の出来事だった。目にも留まらぬ速度で若い兵士が槍を掴んで刺した。あまりのスピードに、ライツは死に際の絶叫も起こさない。すでに絶命している。

 兵士は槍で貫いているライツの死体を見ると、気だるそうに立ち上がりながら槍を死体から抜いて悪態をついた。


「げ、くっそ。またこいつかよ……臭くて食えねえし一匹殺すといっぱい出てくんだよなあ……」


 兵士のその言葉で思い出す。そうだ。イースさんも言っていた。ライツの恐ろしさはあのグロテスクな口と牙ではない。数だ。死に際に出す臭いに釣られて大量のライツが来てしまう。

 早速、俺の場所にも臭いが届いてくる。硫黄と糞尿の混ざったような最悪の臭い。……しかし俺はあまり慌ててはいなかった。予め対策を考えていたからだ。

 俺は思い切り地面に向けて右手に集めていた風を放る。そしてそこから起きた突風で、ライツの死体ごと悪臭を道の脇の森の奥の方へと運んでいく。

 周囲から臭いが消えた。恐らく、これでライツはここには来ない。一安心だ。


「へーえ。そういう対処の仕方もあるのか……」


 背後から声。振り返ると、首筋に槍の穂先が突きつけられていた。

 いつの間にか、先程の兵士が俺の近くまで来ていたんだ。


「あの鼠と戦うの、すげえ面倒だったからさ。助かったよ。……で、何者だ? あんた。今の、魔法だろ?」


「あ、え。えっと」


「なーんてな」


 震えていたのもつかの間で、兵士はにかりと笑うとすんなりと槍を引いた。そして手を差し出してくる。


「あんた、悪い人じゃなさそうだ。驚かせて済まなかったな。握手しようぜ。俺はラーズ・ガルシアだ。あんたは?」


「……久喜輝です」


 握手をしようと手を握った瞬間、思い切り引っ張られるように握り込まれる。……力が強い。


「何だ、固くなるなよ。敬語もやめだ。さっきも助けてくれようとしたんだろ、輝」


「あ、ああ。そうだけど……」


「じゃあ問題ねえよ。んで、こんなとこまでトボトボ来てるってことは、この先が通れなくなってるのを知らねえクチだな」


 ラーズの言葉を聞いて、俺は素直に落ち込んだ。嫌な予想のほうが当たってしまったようだ。

 しかし、ラーズは笑顔を崩さない。


「幸運だったな。もう二、三日で通れるようになるぞ!」


「……え、ホントですか?」


「ああ。とりあえず橋近くの野営地まで案内しよう。あんたは俺の面倒事を回避してくれた恩人だ。ついてきな!」

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