医者(2)

 独特の匂いと全身の痛みが俺を襲った。


「ぐ……」


 目を開く。横たえられている。板張りの天井が見える。視線を横に向けると、背の高い茶髪の青年が大きなタライから銀色のボウルのようなものに水を汲んでいるのがぼんやりと見えた。

 霞む目を擦ろうと腕を動かすと激痛が走る。


「が、あ……!」


 うなりながら自分の右腕を見ると、真紅に染まった布で幾重にも巻かれていた。


「起きたか! 落ち着け! 動かないほうが良い!」


 青年が俺に気づき、ボウルを放って駆け寄ってきた。彼は俺の腕をとり「もう鎮静薬が切れたのか……」と呟いてから、またボウルの方へと戻っていった。


「痛え……! あああ……」


 俺はうめきながら、何とか痛みに耐えつつ、胸元に手をやった。銀色の光が弱々しく輝き、暖かい力が全身に流れ込んでくる。何度も何度もやってきたように俺はその力を体中の痛む箇所に集中させていく。

 右腕、左肩、背中、後頭部、右足首……。すべての場所を完治させるには至らない。それでもしばらくすると、痛みで身動き一つとれないような状態から回復していった。


「く……」


 代償として、強烈な眠気と倦怠感。一気に魔法を使いすぎた。俺は再び目を閉じて、それから一息つく。

 ここはどこだろうか。あの青年は、恐らく手当をしてくれたのだろう。それに、人がいるということは……俺は助かったんだ。


「凄い……これが魔法使いの、回復魔法……」


 まぶたの落ちた、この世で最も暗い暗闇の中。先程の青年が話している声が聞こえた。俺は眠気を振り払い、口を開く。


「あなたが……助けて……くれたんですよね……」


 口が回らない。魔法の使いすぎだ。


「……そうだ。薬草を探しに行った町の近くの森で、血と泥だらけで倒れていた君を見つけた。死んでるかと思ったんだが、『ライツ』の臭腺の匂いがする割に、肉が残ってるから生きてるんだって気づいて、ね……」


「ここは……」


「『フォル』という町の外れだ。……聞いたことがある。魔法使いは魔法を使いすぎると消耗するんだろう。危害は加えないから、このまま少し休むと良い」


「良かった……ありがとう……ございます……」


 俺は口を閉める気力もなく、半開きのまま全身の力を抜いた。体中、直しきれていない生傷が残っていて痛みはあるが、先程の激痛は去った。青年の言葉に甘えて少し休もう。


 ――俺は、無事に生き延びることが出来たのだから。


 シュヘルから伸びる道を逸れた森の中で、俺はバケネズミと戦った。魔法には風の刃や竜巻を起こすこと以外の使い方があって、身体能力を向上させたり、傷を直したりすることが出来た。

 多分、俺はそれで勘違いしてしまったのだろう。襲い来る数十匹のバケネズミを相手に、戦いを挑んでしまったのだ。

 最初のうちは良かった。遠くのバケネズミを風の刃で切り裂き、近づいてきたものは槍で叩く。身体が疲労で重くなってきたら回復する。これを繰り返して何匹も倒していった。

 しかし、魔法を使い続けたことによる倦怠感や眠気が大きくなっていき、注意力を失ったところで一匹のバケネズミが俺の左肩を食い破ったんだ。

 そこからはもう必死だった。

 痛みに怯めば更に大きな隙ができる。回復をしている間にも隙ができる。その隙めがけて噛みつかれ、噛みつかれては槍で引き剥がし、回復しようとしても治り切る前に新たなバケネズミが飛びかかってくる。埒が明かずに逃げようとすると、追いかけてくる。……延々と戦い詰めて、俺は激痛の中で移動と戦闘を繰り返しながら森をさまよった。

 そうやって、最後のバケネズミを倒した頃には魔法の使いすぎによる倦怠感と眠気で意識は朦朧としていた。

 それからどうやって進んできたのかは、正直なところ覚えていない。泥と血、バケネズミが死に際に放つ悪臭に塗れて這うように進んだ。


 そして気がつけば、今ここに至る。


 俺は目を閉じて一眠りした。再び目を開くころには倦怠感も眠気も無くなっていた。


「いつつ……」


 身体を起こす。窓からは陽光が差し込んでいる。白い光だ。鳥の鳴き声を聞いて、部屋を見渡す。目に入った時計は朝の時間を指し示していた。

 そして、部屋の隅には椅子に座って眠っている青年がいた。恐らくは俺を手当してくれた者だろう。……命の恩人だ。感謝しなくてばならない。

 全身の生傷が痛んだが、また魔法を使って昏睡するのも青年に迷惑をかけてしまいそうなので我慢することにした。ベッドから降りると自分が上半身裸で包帯ぐるぐる巻きになっていることに気がつく。あと、ちょっと臭い。あのバケネズミの死に際の悪臭が残っている。包帯は赤黒く、俺から流れ出たであろう血液があちこち固まっていた。


「……ん……」


 バケネズミの匂い以外も漂っているような気がして鼻をひくつかせる。匂いのもとをたどっていくと包帯だった。消毒液のような薬臭さ。この世界の薬品だろうか。


「あの……」


 俺は未だに椅子に座って寝ている青年に近づいて声をかけた。気持ちよく眠っているようだったが、青年はすぐに目を覚まして飛び起きた。


「……おお! 起きたみたいだね! 良かった……」


 青年は椅子から立ち上がり、俺の身体をまじまじと見てくる。そして微笑みながら、「包帯を変えようか」と一言。

 流石に悪い気がして、俺は首を振る。


「あ、いや、もう大丈夫です……。ここまでしてもらったので、充分ですよ。感謝します」


「いや、駄目だ」


 しかし、青年は引かない。


「見たところ、大きな傷は塞いでるみたいだが小さい傷が沢山残ってる。傷口を不潔にしたままにすると治りが遅くなってしまうんだ。……僕の持論だが、間違いないはずだ。まずは椅子に座ってくれ」


「は、はい。わかりました……すみません」


 俺は青年に言われるがままに椅子に座らされた。彼は俺の全身に巻き付いている包帯を丁寧に解いていく。されるがままの俺は沈黙に耐えきれずに口を開いた。


「あの、あなたは……?」


「ああ、自己紹介がまだだったね。僕の名前はイース。イース・ツナシだ。いろんな町を渡りながら医者をやっている。……魔法が使えないから、治療術師では無いけどね。……君は?」


「あ、久喜、輝です。えっと……」


 自分の立場のことを何と呼べば良いのだろう。異世界人? 少し困って、俺は銀のペンダントを摘んで見せた。確かこのペンダントが身分証明の代わりになると、シュヘルのニーグさんが言っていたはずだ。


「……ん? 綺麗なペンダントだね……?」


 しかし、イースさんは首をかしげる。

 そう言えば、ニーグさんはこうも言っていた。身分証明になるのは、それを知るものだけだ、と。

 意外と、異世界人という存在はこの世界で皆が知っているものではないのかもしれない。それに、シュヘルを出た後、黒いマントの集団は俺を異世界人であると知った後でも危害を加えようとしてきていた。

 サウルやシュヘルが寛大だっただけで、この世界では異世界人を歓迎しないような人もいるのかもしれない。

 ……こういう『文化』を知らない状態で、軽率に名乗るのはやめたほうがいいかな。日本では誰も気にしないジェスチャーやマークが、海外の一部では争いの火種になる事例も聞いたことがある。


「や、えーと。その……旅人でして」


「そう、か。そうだね。それなら理解できる。地元の人間なら『ライツ』に手を出したりしないからね」


 その名前に反応する。『ライツ』。俺が大きな傷を治して再び眠る前にも、その名前を青年は口にしていた。


「『ライツ』っていうのは……?」


「ん、ああ。多分君は、大きな鼠の獣に襲われたんじゃないかな。殺すとひどい悪臭を出す、腹まで口が裂けてるような」


 イースさんが語る生物の外見に心当たりがある。例のバケネズミだ。


「あれ、ライツっていうんですね」


「そう。一匹殺すとその時の匂いにつられて群れが集まってくるんだ。――ちょっと左腕を上げてくれ――。噛まれたら耳を引っ張ると簡単に外れる。だから殺さずに耳を引っ張って逃げるのがここらへんでは常識だ」


 そんな簡単なことで済んだのか……。それでは、俺の必死の戦いは一体……。

 げんなりしていると、イースさんは俺の身体から包帯の最後の一巻きを取り除き、小さなため息をついた。


「それにしても、やはり回復魔法は凄いな……。あれだけの大怪我が、綺麗に治ってる。……君は旅人と言っていたが、どこかの貴族か?」


「貴族? いやいや、普通の……えっと、旅人です」


 そんな大層な地位や権力など持っていない。元の世界に変えれば普通の高校生だ。

 だが、イースさんは訳知り顔で頷いた。


「……人には話せない事情のようだね。もしかするとラクールから来たのかな。国内を色々旅してきたけど、君の着ていたような服は見たことがないからね」


 何を言っているのかよくわからないが、何やら勝手に納得してくれたようで助かった。助けてくれたんだし、悪い人では無いのだろう。

 俺はふと思いつく。

 イースさんは医者だ。知識層だろう。それも、各所を渡り歩いているという。いろんな情報を持っているかもしれない。

 この世界のわからないことについて聞くにはピッタリの人間では無いだろうか。


「あの……俺、ここのこと、全然知らなくて……」


 みなまで言わない。しかし、彼はそれでも勝手に察してくれた。多分彼の中で勝手に俺の事情を推察してくれているんだろう。


「ああ、わかってるよ。とりあえず包帯を変えたら……そうだね。買い物にでも行こうか。僕の持ってる治療器具や薬も、ちょうど切れるところだったんだ」



 包帯を交換した俺はボロボロでドロドロになったシャツをパーカーを着込み、イースさんに案内されながらフォルの町を歩いていた。

 町には木製の建築物が多く建っており、畑や畜舎のようなものも時折見かける。道はシュヘルと違い、石の舗装はされていない。街灯も見当たらず、代わりに篝火を焚くための松明が多くある。とはいっても昼前なので、火はついていないが。


「この町はバルク王国南部の盟主になっている町なんだ。周囲は森林に囲まれていて、良質な木材がとれる。北に行ってフォリア大河川を渡ったところにある『ハリア』という街との交易が主になってるね。町長の家系は貴族で魔法使い。そのお付きで何人か駐在の魔法使いもいる。大きな町だよ」


「へえ……」


 イースさんの紹介でいくつかのことがわかる。

 俺が今いるこの国の名前はバルク王国ということ。北には川と、ハリアという街があること。この王国は貴族制をとっているということ。魔法使いは人口に対して数が少ないということ。

 魔法使いの人数が少ないことは、サウルでのスレイの話とも関係があるのだろう。人数が少ない希少性から、国に召し抱えられる仕組みができているんだ。


「魔法使い、ですか……」


「……君は魔法を使えるんだろう? それも、珍しい回復魔法使いだ」


「あ、ええ。……そうですね」


 曖昧にうなずきながら道を進んでいく。時折木材を荷車で牽いた町民や、元気に走り回る子供たちとすれ違う。

 イースさんはそれを眺めながら呟くように言った。


「僕はね、魔法なしでも人々の治療ができる方法を探してるんだ」


「……それは」


「回復魔法を使える人間からすると、馬鹿みたいだって、思うだろ? でも、この国には回復魔法を使える人間は少ないし、その殆どが王宮や軍隊に籍をおいている。だから、魔法なしで治療をできるようになるのが重要なんだ」


 彼は誇らしげにそう言うと、照れたよう笑う。「まだまだ、完成には程遠い」と。俺は馬鹿にする気持ちなど全く覚えなかった。それどころか、感心していた。

 彼がやろうとしているのは、まさしく医療だ。


「そう言えば、傷の消毒……えっと、傷を不潔にすると治りが遅いっていうのは、イースさんの持論だって言ってましたけど」


「! そうなんだよ! 民間レベルでは迷信のように言われているけど、僕は何度も治療と実験を繰り返して確信を得ることに成功したんだ。他にも、出血したときの血の止め方とか、色々ね!」


 イースさんは嬉しそうに言った。

 この世界ではあまり医療が発達していないのかもしれない。元の世界であれば傷の消毒なんて子供でも知っていることだ。

 でも、俺が持っているような薄っぺらい医療知識を話す気にもなれずに、俺は「そうなんですね」と相づちを打つのみで黙した。


 しばらく通りを進んでいくと、大きな市場に出た。

 露天が立ち並び、見慣れない果物や見慣れたような硬そうなパンなどが店に出ている。まだ昼前だと言うのに活気があって、町の人々が買い物や仕入れに精を出していた。


「君、仲間は?」


 唐突なイースさんの質問に俺は答えあぐねる。

 仲間と思っていた人間はもういない。むしろ、俺は裏切った側の人間だ。荷物や金を奪い逃げてきたのだから。

 ……今の俺はひとりきりだ。


「いない、です」


「……そこも、訳ありか。……でも、旅は不慣れなんだろう?」


「……はい」


 正直に頷いた。イースさんは笑う。


「だろうな。一人で旅をするには、荷物も装備も中途半端だ。……お金はあるのかい?」


「えっと、多分」


 俺は荷袋の中から革袋を取り出す。サウルで持たされたものだ。全員分のお金をまとめていたのでそれなりの重さ。開けると、中には金貨が十数枚。


「旅立ちの時に持たされたのですが、この国の貨幣、わかんなくて」


 持たされたのではなく、奪ったのだけど――。

 そんな俺の罪悪感を知ってか知らずか、イースさんは「大金持ちだな」と目を丸くする。


「君はどこまで行くんだい? 金貨二枚もあれば……そうだな、ハリアまでたどり着けるくらいの準備はできるんじゃないか?」


「俺は、王都を目指してます。ハリアっていうのは、ここの北にある街でしたっけ?」


「そう。しかし、王都か……。だったらハリアまで行って、そこで補給してから王都を目指すと良い。ハリアから王都までは道も整備されてるから楽に進めるはずだ。距離があるから時間はかかるけど」


 希望が見えてきた。

 地図は奪われてしまったが、王都に行くまでの道はちゃんとつながっているみたいだ。シュヘルから来た時のように森を突っ切ったりしなくても良いかもしれない。


「よし」


 イースさんは俺の持っていた革袋をつまみ上げると、金貨を三枚抜き出してから革袋を返してくる。


「旅慣れしている僕が金貨二枚分で君の装備を見繕ってあげよう。一枚は……スマン、医療費として貰ってもいいかな。包帯も薬も、結構使っちゃったから」


「ええ、大丈夫です。むしろ、助かりました。……装備も、お願いします」


 俺はお礼を言って革袋をしまう。そして、イースさんの先導で旅の装備を整えることにした。



 正午を過ぎた頃になり、俺はイースさんとフォルの北門まで来ていた。

 背負っている荷袋は食料や旅のための道具で膨らんでいる。着ている服も仕立て屋で修繕して貰った。転んでも良いように肘や膝の部分にはキルトのような厚い保護布であて布をしてもらっている。


「本当に、もう町を出るのか? まだ傷も治りきってはいないだろう」


 イースさんが最終確認のように訊いてくるが、俺は頷くのみ。


「一晩くらいなら、僕が今泊まっている宿の部屋にいても良いんだけど」


「大丈夫です。包帯も買って、巻き方も教えてもらったので定期的に巻き直しますし、やっぱり、急ぎたいので……」


「そこまで言うなら、引き止めはしないが……」


 彼はため息をついて引き下がる。

 急ぎたいのは本音だ。怪我や気絶で寝込んでしまっている時間も長いが、この世界に来てからすでに四日から五日ほど経っている。このままだとずるずるとこの世界に長居してしまいそうだ。

 元の世界に戻りたい。

 学校にも早く戻らなければならない。ひとりぼっちの戦いが……『藤谷カズト』との意地の張り合いが残っている。

 俺は槍を手にしたまま、イースさんに頭を下げる。


「……色々と、ありがとうございました」


「いや、それは構わないよ。治療費だってしっかり貰ってるからね。当然のことをしたまでだ。……本当はついていってやりたいんだけどね。君、なんか危なっかしいし。ただ、僕もまだこの町での患者を何人か抱えてる。いきなりすぐ町を出るわけにはいかないから……」


「そんな。ここまでしてもらったので……じゃあ、そろそろ行きます」


 俺はイースさんに背を向けて、町の北門をくぐり抜ける。「輝くん」と呼ぶ声が聞こえて首から上だけ振り返ると、イースさんが小さく手を振っていた。


「僕もそのうちまた流れる。またどこかで会おう」


「……ええ。また、その時に」


 俺も小さく手を振り返して、道を進んでいく。

 ……『またどこかで会おう』、か。そうならないことを祈る。王都で元の世界に帰る方法が分かって、すぐに帰れればいい。

 流れの医者である彼とまた偶然出会ってしまうほどに時間がかからないことを、今は祈りたい。

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