衝突(4)

「……冗談だろ? 何言ってんだ?」


 俺は、笑いを交えながら言った。笑いで濁すんだ。皆に、この言葉を本気だと受け取らせるのすら避けたい。


 どんな理由があろうと、軍職に就いている人を襲うということをして無事で済むはずがない。しかも相手も『アクセサリー』を持っているとニーグさんは言っていた。俺たちにあるはずのアドバンテージすら、ここには存在しないんだ。

 絶対に危険だ。絶対に戦ってはいけない。


「そうだよ! ホントに何言ってんの!」


 白石さんも俺に続いてソラに否定の意見をぶつける。しかし彼女の言葉にも挫けず、ソラは真剣な目で俺たちの方を見た。


「俺は……」


 ソラの言葉が部屋に通る。周囲を見ると、皆が自然に『聞く』姿勢になっていた。


「……俺は、短い間だけど、サウルで、シュヘルで、元の世界と同じ様に生きている人々を見てきた。彼らに危険が及ぶんだ。助けてもらった恩もある」


 ソラが俺たちに語りかける。耳障りのいい言葉がスラスラと出てくる。場の空気がソラに傾こうとしているのを感じて、俺は焦る。

 この、綺麗事野郎。ふざけるな。


「そんなお前……すげえお人好しだな」


 脳裏に、甲冑竜と対峙した時のことが浮かぶ。彼は自分の危険を顧みず、天見さんを助けるために石を手に戻ってきた。もしかしたら今も、そういう気持ちでこの戦いに参加すると言っているのかもしれない。

 俺は自分を落ち着けるようにため息をついてから、ソラの言葉をはぐらかそうと試みる。


「落ち着けよソラ……相手は軍才もあって、俺たちと同じ様にアクセサリーを持ってて……。そんなのに勝って無事で戻ってこられる保証はないだろ」


 ソラの目線が俺へと移る。普段は活発で人懐っこそうな彼から一転した、ナイフの切っ先のような鋭い視線を感じて俺は少し圧される。


「……確かに保証は無いさ。でも、ここで何食わぬ顔をして放っておくのは、間違ってるだろ。このままだと、大きな戦いが起こる。……スレイだって死ぬかもしれない。だったら、俺たちに力があるなら、……やらなきゃいけないだろ」


 ゆっくりと席から立ち上がって訴えるソラ。言葉には強い意志と覚悟が表れているのは分かる。伝わる。

 話し方だろうか、身振りだろうか。彼と相対している俺ですら、彼の主張が正しいんじゃないかと思えてくる。……冷静になれ。その主張が正しいのは、英雄譚の、物語の中だけだ。

 ソラの言葉に答えあぐねていると、白石さんが口を挟んできた。


「あたしは……怖いよ。戦うの」


 そうだ。怖い。彼女の言葉は本音だ。俺はそこに乗っかかって言葉を紡ぐ。


「そうだよな、それが普通――」


「――だけど、ソラの言い分も分かる」


 だが、俺の言葉は、他でもない白石さん自身によって遮られてしまった。


「あたしだって、短い間しか関わってないけど、この世界に生きてる人たちを……見捨てるのが正しいなんて思ってない。でも、だから、本当に、ソラが戦うって言うなら……私も、ついていくよ」


「……綾香」


 ソラが嬉しそうな顔をする。白石さんが、照れくさそうに笑う。


「それに、ソラとは腐れ縁だしね! ソラならどれだけ怖くたって、助けを求める誰かを見捨てるなんてこと、しないってわかってるし!」


 どこの少年漫画だよ。綺麗な言葉で何、飾ってんだよ!


「待てって……!」


 俺は白石さんの心変わりに動揺した。一人動き始めたら、駄目になる。皆流れていってしまう。


「いやいやちょっと待てよ! 助けてもらったとはいえ、元の世界に戻ったら関係ねえ人だぞ? 今は安全第一で、帰るのが第一だろ! そんなことのために……」


 必死に引き留める言葉を放る。だけどもう白石さんは目すら合わせてくれない。駄目だ。全然響いていない。覚悟してしまっている。

 ……分かってはいる。今の構図。恩も義も捨てて、自分の保身を最優先にしたい俺と、恩と義を重んじて、人を助けようと訴えるソラ。どっちが格好いいかなんて、俺だって分かってはいる。

 言ってしまえば、それはサウルで過ごした時間の差なのかもしれない。俺が半日寝て過ごした間に、皆はサウルの人と交流していたのだ。いや……そんな単純なことでは無いのか。

 自分の身を捨ててでも、助けを求める声を聞いて甲冑竜に挑んだソラと、助けを求める声よりも自分の身の安全を優先しようとした、俺の『差』――。その差が、この青臭い決断の分岐になっているのかもしれない。


「しかし……」


 逆接の言葉が出てきた。速人の声だ。そうだ。彼は冷静なはずだ。俺は期待とともに彼に目を向ける。


「しかしですよ、輝。私たちの持っている他にもアクセサリーがある……。これは帰るためのヒントになると思いませんか」


 この論調。速人もどうやらソラに賛成の立場らしい。


「でも、危険だろ! もっと別の方法探せばいいだろ!」


「それでは、別の方法とは?」


 速人に言われ、俺は小さい声で「王都に行って調べる、とか」と答える。「そこに、『アクセサリーを持った者と関わる』以上の情報が得られる確証は?」と追撃されて、興奮している俺は答えられなくなってしまった。

 駄目だ。考えがまとまらない。どうすれば皆に危険を理解してもらえるんだ。……誰かを助けることより、自分の命が大切なんだと理解してもらえるんだ。

 俺は最後の一人、天見さんをすがるように振り返り見た。


「天見さんは……?」


 彼女なら。誰よりも、もしかしたら俺よりも不安を感じている彼女なら、分かってくれるはず。勇者でいることで危険にさらされるよりも、人でなしと言われようが生きている方が良いんだって!


「私は……」


 天見さんは周囲を見渡した。彼女に、その場の全員の視線が刺さる。そして、彼女は震えるような声で、絞り出すように呟いた。


「えっと、私は……あの……私も……皆についていこうと思う。……久喜くん、ごめんなさい!」


 彼女は申し訳無さそうに俺に謝る。何が起こったのか、一瞬理解できなかった。

 おかしい。天見さんは俺には優しくて、不安もちゃんと抱えてて、戦争なんて言葉が出てきたときにはちゃんと怯えていた。

 だと言うのに、彼女は俺に頭を下げている。こんな状況、絶対おかしい。

 俺には、強く何かを言い返す気力もなくなっていた。


「……死ぬかも、しれないんだぞ?」


 惰性のように危険を説いたが、もう意味が無いことは俺自信よく分かっていた。


「……久喜くんも、一緒に行かない……?」


 俺は天見さんの言葉に呆然として、無言で席を立った。そしてソラたちから逃げるように距離をとり、部屋のドアの方へ歩いていく。


「おい、輝!」


 呼び止めるソラの声が背後から聞こえる。俺はドアの前で立ち止まってソラたちのいる方を振り返った。

 この場にいる俺以外の全員が俺に哀れみの混じった眼を向けている。俺はそれを見てやっと気付いた。


 分かり合えない。こいつら皆、怪物だ。正義という概念に酔って、それに身を任せて……それで、殴ってくる。

 そう思うと不意に笑みがこぼれてきた。


「はは。そうかよ。……皆、そっち側、だ」


「輝! そういうことじゃないだろ! お前だって……」


 ソラが俺を諭そうと呼び掛けてくる。このまま居たら、甘い誘いが聞こえて来る。そんなもの、聞きたくないんだ。聞いてしまったら、俺もなびいてしまうかもしれない。

 どうでもいいんだ。サウルもシュヘルもスレイだってどうでもいい。俺は自分が一番だ。だから勿論……ソラたちだってどうでもいい。天見さんだって……どうでもいいんだ。そうだろう? 俺は一度、彼女を見捨てているんだ。……どうでもいいんだ!


「うるさい……! こんなところに、いられるか!」


 俺はこっちを呆然と見てくるソラたちを睨んでからドアを蹴破るように乱暴に開ける。そして俺の荷物が置いてある二階に続く階段を登った。



「くそっ! 俺が間違ってるってのかよ」


 俺は二階の寝室で自分の荷物を抱えて座り込んだ。感情が高ぶる俺の拠り所は元の世界から持ってきた荷物だけだった。

 強く強く歯をくいしばる。そうでもしてないと落ち着いていられない。


 俺は間違っちゃいないんだ。そのはずだ。


「元の世界に戻ったら誰が死のうと関係ないじゃんか」


 呟きながら俺は、自分の荷物を抱く。滑らかな手触りが今の心境と反比例して心地よく、児戯の如く弄ぶ。


「生きて帰ることが最優先だろ?」


 わかってる。自分だけが助かりたい。そんな考えに皆はついてこない。物語では、いつだって人の心を揺さぶるのは綺麗な言葉と正義の概念だ。

 でも……!


「死にたくないだろ……! 怖いだろ……!」


 突進してくる甲冑竜に恐怖した。俺はあの時、死にたくないって本気で思ったんだ。

 やり残したこと、やりたかったこと。まだ、死にたくないんだ。


 ……でも。


 でも、そんなの、誰だって一緒だ。頭では分かっている。きっと、ソラだってそうだ。その上で、彼は甲冑竜に向かって石を投げて身体を張った。

 その上で、さっきもあんな風に言っていたんだ。


「……俺には言えないよ」


 そんな風に言えるのは、物語の主人公だけだよ。俺はそうじゃないんだ。

 手に力が入っていく。荷物を強く握る。目を固く閉じて、それから少しずつ、体の力を抜いていく。食いしばっていた歯は震えながらも離れた。


「……どうしようか……」


 ほとんど無意識に口が動く。弱々しい笑みがこぼれた。

 もう彼らを説得なんて出来ないだろう。今の俺は、わがままを言って通らなくて、すぐに逃げ出した幼稚な人間に見えているだろう。見えているだけじゃなく、本当にそうなのかもしれないけれど。どちらにせよ、そんな人間の言葉を聞いてくれるはずもない。

 それでも、一言詫びを入れて『やっぱりついていきたい』と言えば歓迎されるとも思う。それほど彼らは甘い人間だ。

 ただやっぱり、俺は死にたくないし、彼らに対して感じるこの疎外感も、違和感も、……ソラに対する劣等感も……そう簡単には捨てられないのだろう。だったら。


「……どうしようもこうしようも、もう戻れない」


 俺は、ソラたちについていく気はない。……絶対に、だ。


「戻れないなら……好きにやるだけだ」


 顔を勢い良く上げた。部屋の鏡に俺の顔が映り込む。その厭に煌々とした鋭い目はもう俺のものとは違うように見えた。

 自分の生存、安全が第一。それが生き物の本音だろう。俺はそれに従う。俺さえ良ければ、あとは知った事か。

 視界の端に、他のやつらの荷物が目に入った。さあ、行くぞ。しゃがみ込むのはおしまいだ。


 俺は立ち上がり、部屋のカーテンを開ける。まだ時刻が朝だからか、外には誰もいない。


「二階か……少し、高いな」


 一階に降りて玄関から出ていくのは無しだ。きっと彼らに引き止められる。それに俺には、彼らにバレないように動く必要がある。そんな、酷いことをしようとしている。

 俺は部屋に転がっている、他の人間の荷物をひっくり返した。

 確か、地図は速人が持っている。野営用の細々した道具は俺と白石さんが半分ずつ持っている。食料はソラが持っていた。お金は……天見さんだ。

 俺はそれらを漁って自分の荷物に詰め込むと、少しばかり重くなった荷袋を背負った。そして、カーテンを取り外してロープのように結ぶ。窓枠の手すりにきつく括りつけて、それを伝って窓から地面に降りた。

 着地のときに衝撃が膝を襲ったが、槍を杖のようにして立ち上がって走り出す。町長の邸宅は振り返らない。ここからは一分一秒が重要だ。


「はっ、はっ」


 シュヘルの、町の地理はわからない。しかし走る方向の目処はたてていた。サウルがシュヘルの南にあるのであれば、俺が目指す北は、この町に入った門の逆側。

 王都は大陸の北端だ。それに、地図にある通りであれば、北側に進めばいくつか街もあるはず。本格的な旅の準備はそこですればいい。勿論、頼りにしている地図の縮尺がわからないのは痛いし、この地図の図法や正確性もわからないが、突き進むしか無い。……戻れないのだから。

 俺は走り続ける。誰も追ってこない。多分まだ、俺が逃げたことは気づかれていない。そのまま走ると、門が見えてきた。サウル側の入り口とは違う。木製ではなく、石造りの門。


「こっから出られれば……」


 門は開いている。だが、兵士が一人、見張り櫓の上にいた。兵士は俺に気がつくと、するすると器用に見張り櫓から降りてきて、俺の前に立ちはだかった。


「異世界人か? どうした? 今は町長の家にいるはずでは……?」


 上手くやり過ごさないといけない。ここで捕まってしまえば、またソラたちの元へ戻されてしまう気がする。

 俺は息を整えて、身構えた。


「いや、それが……」


 そこまで言ってから、気がつく。兵士が明らかに俺を訝しげに見てきている。

 そうだ。俺は今、大きな荷物と槍を手に門から出ようとしている。こんなの、どんな言い訳をしたところで逃げようとしていると看破されるのが関の山だ。

 だったら、虚をつくしか無い。


「どけぇ!」


 いきなり叫んでから俺は、胸元のペンダントに触れて風を纏う。そのまま手のひらに集めて放つ……風の刃だ。

 体力を使うから避けたかったが、仕方ない。スレイも、ニーグさんも言っていた。魔法を使えるものは町や村にはいないと。だったら魔法にビビって退いてくれるはずだ。


「なっ! 乱心したか!」


 兵士は横っ飛びに倒れ込むように避ける。狙い通りだ。俺はその空いたスペースに走り込んだ。


「ぐ……待て!」


「待つかよ!」


 俺は走る。門を通り抜けた後で振り返り、もう一度風を纏う。今度は風の刃ではない。必要なのは目くらまし――。


「喰らえ!」


 ――銀色の竜巻が起こり、砂地を巻き上げて砂嵐となる。これで俺の姿は見えなくなったはずだ。少なくとも、俺から先程の兵士の姿は見えない。

 すぐに踵を返し、道をゆこうとしたところで考える。

 このまま道に沿っていけばいずれ追いつかれてしまうかもしれない。ならば、一度身を潜めよう。

 俺は道の脇を見る。この世界に来て目覚めた場所とは違ってジャングルではないが、木々が乱立している深い森だ。行方を眩ますには充分だろう。


「……付き合いきれねえよ……!」


 俺は吐き捨ててから、森の中へ身を隠した。



 シュヘルの門からだいぶ離れた。走ったせいで息は切れているし、魔法とやらを使ったせいで疲労も蓄積している。


「はあ、はあ。……何とか逃げ切れたか?」


 呟いて俺は背後を振り返った。

 門のところで兵士に見つかったのは痛いが、それでも追手が迫ってくる様子は見えない。

 まだニーグさんやソラたちには先程の兵士から、『俺が逃げた』という情報は伝わっていないのかもしれない。もしくは、そもそも俺のことを引き止めてくれるつもりもないのか。

 道から離れて森のなかの獣道を進む。道沿いに逃げて、居場所がばれるのを避けるためだ。


「……もう戻れねえぞ……」


 俺は立ち止まって荷物から地図を取り出した。ソラたちの荷物から頂いたものだ。他にパンなどの食料やお金、その他野営に使えそうな道具などを拝借させて貰っている。彼らには恨まれそうだがこの異世界で袂を別れてまた再会できるとは思わない。であれば、関係ない。


 ……もう、会えない。か。いや、もう『会わない』んだ。あんな綺麗事だらけのやつら。願い下げだ。


 ため息をひとつ吐いた俺は気をとりなして地図を広げた。地図によると、今歩いている場所を真っ直ぐに森の中を通って行けば『フォル』という町につくらしい。

 うん。お金はあるんだ。この『フォル』っていう町で王都まで行くための装備を整えよう。


「……よし」


 気合を入れ直して地図をしまったその時、がさりと音がした。

 音の正体を確かめようと耳を澄ませようと、そう思った瞬間、俺の背中に何か硬いものが押し付けられた。


「へ……?」


 振り返ろうとした俺は、遅れて背後から聞こえた「動くな」という声に固まる。全身を硬直させて両手を上げた。すると、「ハッハア、やはりか」という言葉が聞こえた。


「貴様、異世界人だろう?」


「え! あなたは――」


「――動くな、と言っている」


 背中に押し当てられている硬いものが、より強く押し付けられる。刃物かなにかかもしれない。俺は再び身体を硬直させる。


「こりゃ、ラッキーだ。隠れ里シュヘルの場所を知っているだろう? 教えてくれよ」


「……知ってるけど、何故、場所を知りたいのですか」


「シュヘルには革命軍の傘下に入ってもらいたくてな。……もちろん、逆らうつもりなら……死んでもらうが」


 背中に押し付けられている異物が、更に強く押し当てられる。鋭い切っ先が、俺の来ているパーカー越しに伝わってくる。


「ひっ」


「ハッハア……ビビんなよ……。町の場所を教えて命が助かるなんて、別に悪い話じゃないだろ? そもそも異世界人のお前には所詮関係のないことだ。……さあ、シュヘルの場所を教えてくれ」


 俺は怯えながら、「地図を渡します」と言った。確かに、嫌な話じゃない。


「成る程。わかった。それじゃあ、動いていいぜ」


 俺は荷物から地図を取り出した。先程見たからフォルの場所は分かっている。フォルから王都までの道のりは……フォルの人に聞けばいいだろう。今地図を渡してしまっても痛くはないはずだ。

 地図を渡すために振り返ると、巨躯の男がいた。

 金色の髪はニーグさんと同じだが、ニーグさんよりも彫りの深い顔立ちをしている。……白人に似ている。


「……ハッハア。お利口さんだ。本来のジャパニーズはこうじゃないとな……。さて、てめえら! 出てこい!」


「ジャパ……。うわっ!」


 ジャパニーズという言葉に引っかかっていたのもつかの間、森のそこかしこから黒いマントの集団が現れた。さっきまでこの集団が潜んでいたなんて、気付きもしなかった。


「スカウトに行くぞ! お利口さんなら仲間。……馬鹿なら資材調達の時間だ!」


 そして、鬨の声が響く。巨躯の男は黒いマントを翻すと、俺がもと来た道を進んでいく。そして、立ち尽くす俺を素通りするようにして、黒いマントの集団は去っていく。


「た、助かった……」


 黒いマントの集団がいなくなったのを音で確かめてから、腰が抜けた俺は膝をついてしゃがみこんだ。

 恐怖だった。それに、俺のことをジャパニーズと呼んでいた。そんな言い方をするのは、元の世界の人間だ。……もしかしたら、ニーグさんの家で聞いた話は……倒してほしいと言われた異世界人は、彼。あの巨躯の男だったのかもしれない。

 全身を冷や汗が覆う。しかし、俺は言い訳のように呟く。


「違う……言わなきゃ殺られてた……死んでたんだ」


 俺は今も背中に残る刃物を当てられた恐怖で喉を鳴らす。

 それに、あの男は言っていた。仲間を探すつもりだと。……シュヘルの人たちも、生きるための道はあるんだ。従わなくて殺されるのはもう、シュヘルの人の勝手だ。


「俺は悪くない……」


 森のなかで、俺は槍を杖にして立ち上がる。この世界に来てからのことがフラッシュバックする。

 天見さんを見捨てようとしたこと、スレイの悲痛な訴えをはぐらかしたこと、ニーグさんの助けを跳ね除けたこと、シュヘルの場所をあの男に伝えたこと。

 ……自分の命のために、俺は右往左往している様に感じた。


「迷子だ……俺は」


 異世界に来てしまったから。他の人間とはぐれてしまったから。それだけじゃない。

 自分の命のために道を曲げながら生きている自分が、迷子のようだと思った。

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