衝突(3)

 その日は、シュヘルで町長の邸宅に宿泊させてもらった翌朝だった。――この日は、俺のこれからを左右する分岐点だったんだ。


 慣れない旅で疲れていたのかもしれない。甲冑竜との戦いの後に気絶してから半日以上寝ていたはずなのに、しっかりぐっすりと眠れてしまった。俺は朝の身支度を軽く済ませて二階の寝室から階段で下に降りていく。するといい香りが漂ってきた。

 既にソラたちは階下に降りていた。どうやら俺が一番の寝坊助だったようだ。……昨日の気絶も入れれば、誰よりも沢山寝ているはずなのに……。


「お、うまそー!」


 朝っぱらから元気な声に俺は顔をしかめた。階段の途中で足を止めて声の方を向くと、ソラがはしゃいでいるのが見えた。

 昨日のこともある。仲直りしたと言えばしたのだが、やはりソラに対する苦手感は払拭できないものがあった。昨夜、町長宅で夕食を頂いて、湯浴みをした後に眠くなるまで皆と雑談をしていたのだが、そもそもの性格が苦手なのかもしれない。あまり会話が楽しくなかった。

 いけないな。自分で壁を作っては。

 俺は軽くかぶりを振ってネガティブな感情を頭から追い出そうとしてみる。追い出しきれたかはわからないが、そのまま階段を下りてすぐの部屋へと入る。部屋には大きめのテーブルや家具があった。人が快適に生きていくための暖かい空間、居間だ。昨日もここで夕食を頂いた。

 テーブルの上には美味しそうな朝食が七人分置かれている。テーブルには既にシュヘルの町長であるニーグさんが座っていた。

 彼は俺に気がつくと微笑んで挨拶をしてきた。


「おはようごさいます。ゆっくりお休み頂けたようですね。まずは朝食を召し上がって下さい。お話はその後で」


 台所から出てきた町長の婦人も俺の姿を見つけると軽く頭を下げ、そしてにこやかに笑う。


「腕によりをかけて作りましたよ」


「んじゃ早速いただこうかな!」


 そう言うと間発入れずソラがテーブルについてパンにかじりついた。遠慮も何もねぇな……。

 余程腹が減っていたのだろう。片手にパンを、もう片手ではフォークを握って朝食をむさぼっている。


「ほうひあ? いんわうわあいほ?」


 頬に食べ物を詰めながらソラは茫然としている俺たちにむがもごと問いかける。おそらく『どうした? 皆食わないの?』と言っているんだと思う。


「はぁー……」


 そんなソラの様子を見た白石さんがため息混じりの呆れた声で言う。


「ソラ。少しは遠慮を……」


 言葉の途中で誰かの腹が鳴った。とりあえず俺のじゃない。音の方向からすると白石さんのだ。その場にいた皆も同じ様に思ったのか、視線が彼女に集まっていく。徐々に、白石さんの顔が見てて面白い位にみるみる赤くなっていった。


「ま、まあ? 人間生きてるだけでおなかすいちゃうから! 生理現象だから! 仕方ないよね!」


 彼女は慌ててそう言って取り繕う。うーん。年頃の女の子がそんなんでいいのだろうか。まあ、健康的なだけ、いいのかなあ。


「ははは。元気な音ですねぇ」


 速人が白石さんに笑顔でさらっとしれっと毒を吐いた。彼はデリカシーを母親の胎内においてきてしまったのだろうか。もしくは、分かっててからかっているのかもしれない。……彼の性格を思うと、なんだかそんな気がしてきた。


「う、うるさい! 早くご飯食べよ!」


 そう言って白石さんもソラのいる朝食のもとへ急ぐ。白石さんとソラは元々知り合いだったと言っていたが、何というか。


「似た者同士……だな」


「あはは。お腹すくのは仕方ないよ」


 相変わらずのまったりとした声色で話す天見さん。その横で速人がほくそ笑む。


「いやー。からかいがいのある人です」


 やっぱり分かっててからかっていたのだ。この人にはロックオンされたくないな……。

 とはいえ、俺も腹が減っている。俺はソラと白石さんに続いて朝食の待っているテーブルについた。



「あー、満腹だぁ!」


 ソラが満足そうにお腹をさすっている。


「美味しかったねー!」


 天見さんも満足げだ。確かにとても美味しい朝食だった。昨夜の夕食も美味しかったので、町長婦人は料理が得意なのだろう。きっと元の世界のレストランで出されても違和感を感じないだろうな。


「……ふう」


 ひとしきり舌鼓をうち、腹も膨れた俺は一杯水を飲んで一息つくと、周りの様子を見渡した。

 皆、朝食を摂り終わっているようだ。だったら、そろそろ切り出すべきだろう。


「あの……そういえば話って何ですか?」


 俺はニーグさんに向かって問いかけた。昨日からずっと引っ張られている。正直なところ、気にしないほうが難しい。


「……そうですね。それでは、話しましょうか」


 彼は今までの朝食の和やかな雰囲気とは違う真剣な面持ちになって話し始めた。


「あなたたちに話したい事は二つあります。まずはその『アクセサリー』の事です」


「アクセサリーって……これについて、だよな」


 ソラは胸元の金色のペンダントを弄りながら答えた。言葉にあわせ、速人は黄色の宝石が嵌まった指輪を、天見さんは水色の宝石が嵌まった腕輪を、白石さんは緑色の宝石が嵌まったイヤリングを、俺は胸元で怪しく煌めく銀色のペンダントを、それぞれ見る。

 ニーグさんは、小さく頷いた。


「はい。……これは、数十年前に先代の町長から伝え聞いた話になります」


 前置きを話してから一息つき、話を続ける。


「我々の生きる世界へは、異世界から人が渡ってくることがあります。十数年に一度の頻度で来ることもあれば、千年以上の間が空くこともある。ただ、彼らは皆、そのアクセサリーを持っているのです。形は様々ですが……そのアクセサリーは、持ち主に魔法を使う力を与えます。あなたたちも心当たりがあるかもしれません」


 俺の脳裏に甲冑竜との戦いの記憶が蘇った。あの時の風を集める感覚も蘇る。そしてまた、思い出す。無力感と劣等感と罪悪感。脳とみぞおちの辺りが、ぐらぐらと揺れる。


「あの」


 ニーグさんの説明の途中で速人が口を開いた。


「すみません。質問ですが、魔法とはこの世界において普通に使われているのでしょうか」


 速人の質問は俺も気になっていたことの一つだった。ここまでファンタジーな世界を歩いてきたが、今の所、それらしきものは見たことがない。俺はニーグさんに視線を送る。彼は深刻な表情で話し始めた。


「魔法はあります。ただし、誰もが使えるものではありません。……魔法を使うには一種の才能が必要なのです。しかし、まれに産まれてくる魔法の才能のあるものは王宮へ連れていかれて、兵士となるべく育てられるのです。村や町には魔法使いは存在しません。産まれた赤子の才能の判別をするための力の弱い魔法使いが二人、三人送られてくるのみです」


 更に続けて彼は言う。


「そのアクセサリーは魔法の才能のない人に魔法を使わせることが出来るのです。便利な道具ですが、我々にはそれを造る技術はありません。サウルの村長が、あなたたちが他の世界の住人だと判別したのは、それを見たからでしょう。……こちらからの質問になりますが、あなた達の世界にはそういった技術があるのですか?」


「そんなものはありません」


 速人が即答した。


「そもそも、我々の世界には魔法というものは存在していない。もちろん、科学が証明出来ないこともあるとは……失敬。我々も、我々の世界を隅から隅まで調べたわけでは無いので、絶対とは言いませんが」


 厭らしい言い方をする。

 悪魔の証明を前提とすれば、宇宙のどこかには魔法のようなものがあるかもしれない、というような言い方だ。彼の目はそういったオカルトめいた存在を否定しているのと同じだ。

 中学生の頃に、俺は一樹や『柏崎さん』とともに怪奇現象の類に遭遇したこともある。地球の中にも、まだ科学が解明しきれていないことがあると思っている。……だからといって、ここで速人と言い争いをしようというつもりもないのだけど。


「成る程。そちらにも、このアクセサリーを作る技術が無いことは理解しました」


 ニーグさんは冷静に、要点を摘み取る。お返しのように速人が「こちらも理解しました」と返す。


「貴方のおっしゃるとおりであれば、このアクセサリーで異世界の住人であることを証明できるということですね?」


 速人がニーグさんに確認すると、彼は複雑そうな顔で軽く頷いて「知っている人間は、少ないですが」と付け加える。


「……なあ」


 今までおとなしかったソラが、口を開いた。


「よくわかんねーけど、これってつまりはアクセサリーがあれば魔法を使えるってことだよな!」


 彼は目を輝かせてはしゃぎ始めた。楽しそうな声が俺には少し耳障りに感じる。状況、わかってるんだろうか。


「魔法、前に一回だけ使えたんだけど、それから全然使えなくってさ……! なあ、魔法を自在に使うにはどうすりゃいいんだ?」


「簡単ですよ。強く念じるだけです。慣れればそこまで意識しなくても使えるようになりますよ。後ほど、教えましょう」


 ニーグさんがソラの質問に簡潔に答えた。さらに続けて。


「アクセサリーで魔法を使う場合、基盤が固定されてしまうと聞いています。例えば、ソラさんのアクセサリーは確か光でしたよね、サウルの村長から聞いています。だとすると、基本的にソラさんは光を主体にした魔法しか使えません」


「へええ」


 わかったのかわかってないのか、金色のペンダントを見つめながらソラはしきりにうなずいている。もう何がしか、念じ始めてそうな表情だ。こんなところであの光の弾丸を撃ち出されても困るんだけどな。


「もう一つ、いいでしょうか?」


 感心するソラの隣の速人がもう一度訊いた。


「先程、魔法の才能のあるものは兵士になるために王宮へ、と話していましたが、この国は戦争中なのでしょうか?」


 戦争、という現代日本においては非日常の言葉が飛び出してきて、速人以外の体がこわばる。俺も身構えてしまう。急に物騒な話になってきた。


「速人さん、鋭いですね。私が話したかったもう一つのこととは、その『戦争』についてです」


 ニーグさんは、ふ、と溜め息をついてまた語り始める。


「正確にはまだ戦争中では無いのですが、その機運が王宮で高まっています。魔法の才能を持つ子供達を国にとられた国民は国に度々反乱をしているのですが、その反乱軍を僅か一部隊で鎮圧して回り、功績を挙げている将軍がいます。……彼は軍備を揃えてここロック大陸から北西にあるラクール大陸に侵攻しようとしているらしい」


 ここで彼は一息ついた。俺たちにあらためて向き直る。そしていきなり頭を下げた。


「お願いがあります、どうか彼を倒して欲しい」


 頭を下げたニーグさんの声は悲痛な訴えとなる。


「彼は類稀な軍才だけでなく強力な魔法も使います。そして……その力の源はあなたたちが持っているのと同じアクセサリーの力によるものなのです。国の政策のせいでこちらに魔法使いが居ない今、頼れるのはあなたたちだけなのです!」


 戦争、軍才、魔法……。慣れない言葉が口と脳の動きを一瞬止めた。

 嫌な話になってきた、と思った。何も返せないでいるが、他の四人も言葉を発せないでいる。あの、無邪気にはしゃいでいたソラでさえも。

 少し間をあけてから、俺は沈黙を破って声を発した。


「それって、戦いに参加しろってことか。……悪いけど俺は、一刻も早く元の世界に帰りたいんだ。何より、死にたくないし」


 死ぬのは怖いに決まってる。こんな得体のしれないとこで死ぬなんて絶対嫌だ。

 俺の言葉を受けてニーグさんがゆっくり頭を上げる。落胆した表情をしていた。申し訳ないが、でも、仕方ないだろう。


「やはり、そうですよね。この世界に来たばかりの人にこんなことを頼むのが間違いでした……。この世界の事は私たちで何とかし――」


「――俺は」


 今まで黙っていたソラが顔をあげてニーグさんの言葉を遮った。不穏な空気に俺は眉をひそめる。後に続く言葉に、俺は警戒した。

 彼の言葉は、強い。もしかしたら、この場で一番冷静な速人よりも。

 ソラの一言で場の空気が変わることがある。たまにいるのだ、そういうカリスマのようなものを持った人間が。

 ソラは、ゆっくりと俺たちの目を順に回し見ながら話す。


「俺は、見捨てられない。話を聞く限り、悪いのは、戦争を起こそうとしているこの国の、その将軍なんだろ。だったら、戦うべきなんじゃないのか」


 ソラが悲しそうな表情のニーグさんに向けて凛と言う。その言葉にニーグさんは驚いて顔をソラへと向ける。

 俺も、彼の方を見ながら、目を丸くした。

 こいつ、とんでもないことを言い放ちやがった。

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