衝突(2)

「村の皆さん。本当に助かりました。旅支度まで手伝ってもらえて、ありがたい限りです!」


 ソラが俺たちの代表として村の人に御礼の挨拶をしている。スレイはなぜか、白石さんに手をつながれていた。たまに俺の方を見て助けを求めるように視線で訴えてくるが、そのたびに俺は天見さんに話しかけたりしてごまかしていた。


「私共も、あなた方が元の世界に帰れることを祈ってますよ」


 挨拶に答えたアルヴァさんがふと真剣な面持ちになってソラの首にかかっている金色のペンダントに視線をずらした。そして、重々しく口を開く。


「あなたたちが持っているアクセサリーには強い力があります。特にソラさん」


 彼は強い目でソラを見すえる。ソラも身構えた。


「あなたの金色のペンダントの『光』の力はとても強い。そして何より特別だ。どうか安易に使わないよう」


「……はい。分かりました」


 ソラはペンダントを握りアルヴァさんの言葉に頷いた。そのやり取りを端で見ながら甲冑竜と戦ったときのことを思い出す。

 俺があの戦いの最中に使えるようになった風の魔法。それと比べると、ソラが放った光の弾丸は破格の威力だったように見えた。それがアルヴァさんの言う『特別』の理由だろう。ただ、そもそも、このペンダントについてもあの魔法のような不思議な現象についても全くわからないままだ。……これについても他の事柄と同じく、どこかで調べないといけないな。

 そして俺たちは再びアルヴァさんや村の人にお礼を言いつつ、スレイ、そして彼と手を繋いでいる白石さんを先頭にしてシュヘルへの道を歩きだした。


 道中は終始穏やかなものだった。


 アルヴァさんの言っていた通り、野盗が出る気配も、ましてや甲冑竜のような凶暴な怪物が出てくる雰囲気も無い。武器を貰ったのは、本当に『念の為』レベルなのだろう。先導するスレイの腰にも短い剣が帯びられているが、彼が武器を使いこなせるとも思えない。

 道の脇にはあまり深くない森が控えているが、歩く道自体はしっかり整備されていた。ジャングルを歩いていた時のように、木の根が邪魔で歩きづらい、なんてこともない。案内役のスレイいわく、この道は行商人も通ることが多いらしく、本当に安全な道なのだという。

 俺は安全な道に大満足なのであったが、逆に不満そうなのは、ソラだった。持て余したように腰に下げた大きい剣の柄をいじりながら呟く。


「折角武器貰ったのに、使う機会なんてねーんだもんなー」


「ソラ。武器なんて、なるべく使わずに済む方が良いでしょう?」


「わかってるけどさ。こんな世界に来たらちょっとくらい憧れるところもあるっつーか……」


「憧れと現実は違いますよ。どの世界でも」


 速人が不満気なソラを諌めて続ける。


「それより、日が沈むまでには町につきたいですね」


 その言葉を聞いてふと気付く。道の左右に見慣れたものが……街灯がない。当たり前といえば当たり前なのだが、街灯などの据え付けの明かりがない場所は夜になる前に抜けないと、暗くなったら危ない。

 今は携帯も無ければ、ライターやマッチだって持っていない。もし野営するなんてことになったらどうしよう。食料はサウルの人たちから持たせてもらってるけど、火は起こさないと、明かりがないと危険だ。もちろん俺は枝をぐるぐると錐揉み回転させながら火を起こす方法なんて知らない。検索もできない。

 こんなことになるんだったら、サバイバル教室でも通っておけば良かったのかなあ。

 自分の知識の無さに後悔していると、スレイが速人を振り返りながら微笑んできた。


「大丈夫ですよ。責任を持って日没までには案内いたします」


「やるなあ! 君がいるおかげでお姉ちゃんたちも百人力だよ!」


 列の先頭から白石さんの腑抜けた声が聞こえてくる。スレイは「え、ええ」と、やや引き気味の声で返事を返していた。

 そんな様子で戸惑いを顕にしていたスレイだが、彼の歩くペースを見ていると遅いわけではない。むしろ、高校生の俺からしれも少し早めだと感じる。流石、小さいながらもスリ師といったところだろうか。褒められたものでは無いだろうけれど。


「そろそろ、夕暮れ時かな」


 俺は槍を肩に担ぎながら赤くなってきた空を見上げた。黄昏時の太陽のその色味、煌めきは元の世界で何度も感じたものと同じものだ。

 ……俺が『あの時』高校の屋上で『藤谷カズト』と話した時と、一緒だ。何も、変わらない。

 薄目で太陽の高さを図っていると、ふと隣を歩く天見さんの視線を感じた。彼女の方を向き直り、目が合うと、彼女は微笑みかけてきた。その色素の薄い髪が日に透けて、きれいだと思った。


「夕日、すごく綺麗だね」


「うん。それに、この世界でも、太陽は太陽で変わらないなって」


「確かに! 違う世界だって言われて驚いたけど、結構似てるのかもしれないね」


「似てる……そうだな。うん、似てると思う」


 似ているんだ。

 太陽がある。いま、呼吸ができるから大気の組成も恐らく地球と近しいはず。地面には土があって、そこからは緑色の植物が生えている。木々だって、似たようなものだ。地球には同じ様なものがあってもおかしくはない。やはり俺は地球のどこかにいて、壮大なドッキリでも仕掛けられているのではないだろうか?

 そこまで思ってから、思い直す。

 それだけでは説明がつかないこともあった。一つは甲冑竜の存在。あんな生物がこの世に存在するはずもない。そして、もう一つは魔法だ。

 俺は胸元のペンダントに触れ、それから少しだけ力を引き出して、右手の人差指に集めた。極小の銀色の竜巻が現れた。


「それ、一体なんだろうね」


 天見さんが俺の右手に顔を近づけて、呟いた。

 俺が竜巻を解放するイメージをすると、竜巻は回転数を減らしていって立ち消え、人差し指から竜巻の残骸のようなそよ風が吹いてくる。


「わかんない。アルヴァさんの言うには、魔法なんだろうけど……」


「そうだよね……あ、そういえば、私、まだ久喜くんにお礼言ってなかった」


 思い出したように天見さんが顔をあげる。何のことかわからず、俺は眉をひそめる。


「お礼言われるようなこと、なんかあったっけ……」


「……甲冑竜に襲われた時、久喜くんが助けてくれたから」


 俺は苦い気持ちになった。あの時俺は、本当は我が身可愛さに天見さんを見捨てようとしていた。

 それでも彼女は頭を下げてくる。


「本当に、ありがとう」


「あ、いや……でも、あれは」


 お礼を言われる資格は無い。むしろ、責め立てられたっておかしくはないのに。

 どう応えるのが正しいのかがわからず戸惑っていると、前方からソラの元気な声が飛び込んできた。


「おっ! 見えてきた! あれがシュヘルか!」


 声に気をとられて視線を道の向こうの方へ移す。大きな門と見張り櫓。更に向こう側には建造物の屋根が見える。

 スレイが白石さんの手を引いて少し駆け出す。


「はい! あれがシュヘルです! もう少しで到着ですよ!」


 はしゃいでいる様子に子供らしさが垣間見える。俺の財布を握って甲冑竜への復讐を訴えていたときとは全然違う姿だ。

 隣で、天見さんが小さく笑っていた。


「久喜くん、行こ。もう少しで到着だって」


「あ……ああ。うん。いこう」


 結局、天見さんのお礼に対してどう応えるべきか、答えを出すことは出来なかった。……いや、シュヘルに到着したという話題に乗っかって有耶無耶のまま答えを出さなかったのだ。

 答えを出さずに逃げる。そんな自分のことが、どんどん嫌いになりそうだった。



 シュヘルという町の門のすぐ近くまで来る頃には、空が赤を通り越して濃い青色へと移り変わり、もう夜へと向かってしまうところであった。


「野宿はしなくて済みそうだな」


 俺は安堵のため息をついてから、門を見上げる。

 シュヘルの入り口だと思われる門は木製だった。しかし、いくつも柵が建てられており、堀の様な壕もある。近くには見張り櫓が立っていて、櫓の上には簡素な鎧を身にまとい、弓を背負った人影が見える。

 随分と物々しい。甲冑竜の様なモンスターに対抗するためのものかと思ったが、堀の大きさや柵を見ていると、もしかしたら人間との戦いに備えているのではないかとも感じた。

 スレイの先導で門の下まで来る。開け放たれた門の横に控えていた兵士が「待て!」と俺たちに声をかけてきた。

 立ち止まる俺たちに兵士が近づいてくる。


「……君たちはサウルから来たのか?」


 ソラが答えようとするのを制して、スレイが前に出る。


「ええ、そうです。祖父――サウル村長のアルヴァ・アールトより申し送りさせていただいているかと」


 兵士はスレイに気がつくとその頭をぽんと叩いてすぐにうなずいた。


「んあ、スレイじゃないか。ご苦労さま。……っていうと彼らが『そう』なのか。わかった。町長の邸宅に行ってほしい」


 彼はスレイの頭から手を話しながら言う。ソラが一歩前へ出て、軽く頭を下げた。


「わかりました。それで、町長の家はどっちにあるんですか」


 すると兵士はしゃがんでから、スレイの両肩に手を乗せる。


「それはこのスレイが案内してくれる。……大丈夫だよな?」


 言われたスレイは大きく頷いた。よっぽど色々な人にかわいがってもらっているらしい。彼のスリによる被害者でもある俺は複雑な心境だ。

 俺たちはそれぞれ兵士にお礼を行って門をくぐる。彼は敬礼をしてまた町の入り口の門から町の外を見張り始めた。

 それから、俺は薄暗くなってきた町を見渡す。


「……中世から近世、かな」


 異世界であり、元の世界の常識など通用しないとわかってはいるものの、俺は無い知識で街の景色を分析してみる。

 シュヘルの建物の大部分は木製や石、レンガ製で、ゲームや漫画でイメージするようなヨーロッパの中世から近世ぐらいにかけての田舎町に見えた。少なくとも日本や中国を始めとした東・東南アジア圏の作りには見えない。……かと思えばかなりしっかりと窓ガラスがはめられたコンクリート製のような家がひょっこりと現れる。

 木造に白い塗料で統一されていたサウルとは違って、文化がバラバラに見えた。別に、建築に見識があるわけじゃないけれど。

 道にはいたるところに松明が設置されている。薄暮の時間故にすでに煌々と焚かれていたが、とはいえやっぱり元いた世界とは違って薄暗い。電気というものがどれだけ優秀だったのかということに気づく。

 サウルからの道中と同じくスレイの案内で町中の道を行くと、町にある他の建物よりも大きな家が現れた。ただ大きいだけではない。装飾もあれば、塀と門扉が揃っている。わかりやすく、町長の家なんだろう。


「シュヘル町長の家はこちらになります」


 俺の想像したとおりにスレイは紹介すると、俺たちに背を向けて通りの方へ少し歩いてから振り返った。白石さんが名残惜しそうに手を離す。


「僕は別の場所に泊まって、明日の朝サウルへ戻ります。皆様、短いお時間でしたが、ありがとうございました」


 案内はここまで、ということなのだろう。俺たちがそれぞれお礼の言葉を言うと、スレイはそのままどこかへと去っていった。

 その背中を見送ってから、速人が一足先に町長の家の扉の前へ立つ。


「それでは、行きましょうか」


 彼は一度こっちを振り返り、ソラがうなずくとゆっくりと右手を上げて、木製のドアをノックした。木の扉を叩くと乾いた音が辺りに響く。静かで薄暗い町並みに反響する。

 そもそも、ノックが訪問の合図であるのは元の世界の習慣だ。この世界でもそれが正しく伝わるかどうかがわからないな……。

 速人も同じことを考えたのだろうか、今度は扉の中に向けて呼びかけ始めた。


「……サウル村長、アルヴァ・アールト様よりご紹介いただき、この町へ参りました。お話をお伺いできますか」


 若干の沈黙の後にその木製の扉がゆっくりと開いた。扉から出てきたのは、町長の婦人かと思われる中年の女性。どことなく上品な雰囲気を醸し出している。

 その女性ははじめ訝しげだったが、速人や俺たちの様子を暫く見てから、目を丸くした。


「あなたたちが例の……! ようこそ、シュヘルへ。お疲れでしょう? 中に入ってください」


 そう言うと彼女は柔らかく微笑んで、俺たちを屋内へ招いた。

 俺たちは婦人に案内されて、邸宅に入る。その後、テーブルとソファが置いてある部屋に通された。クリーム色の壁が穏やかで優しい。置いてある年季の入っていそうな木製の家具はシンプルかつ格調高い。生活感は感じられない。元の世界で平々凡々な家に育った俺にはわからないのだが、所謂応接室ってやつか。


「こちらでお待ちくださいませ。只今主人を呼んで参ります」


「分かりました」


「お座りになって寛いでくださいね」


 婦人に言われてソファに座ってみる。ふかふかで、びっくりしてしまった。体が自然と沈み込んで、座席と背もたれに包まれているかのような錯覚を覚える。……部屋に欲しいな。などと、呑気なことを考えてしまう。


「……何か、凄いな」


 俺は今や完全に邪魔な存在となった槍をもて余しながら呟いた。道中も思っていたのだが、槍は重いし場所を取る。もっとよく考えて武器選べばよかった……。


「ふふ。そうだね。こんな柔らかいソファ、はじめて」


 隣に座る天見さんが目を細めて軽く笑う。そして急に真剣な表情になり腰のナイフを外した。座る上で引っかかって、邪魔だったのだろう。


「武器……このまま使わずに済めばいいな」


「……そうだな」


 彼女の言う通りだ。武器を使うような機会に……命のやり取りをする機会になんて、遭遇したくはない。甲冑竜だけでもう、充分だ。

 そんなことを考えていると、短く刈った金髪が印象的な四十代くらいの男が応接室に入ってきた。


「申し訳有りません。お待たせ致しました」


 落ち着いた声が部屋に響く。白いシャツに黒いベスト。きちんとした身なりをしている。彼は一礼して、俺たちと向かい合うようにソファに座った。所作が綺麗でスムーズだ。部屋に入ってきてソファに座るまでのほんのわずかな立ち居振舞いしか見ていないが、彼が上流の人間なのだろうということは伝わる。きっと彼がシュヘルの町長なんだ。


「町長のニーグ・ケイロスと言います。この度はお立ち寄り頂きありがとうございます」


 思ったとおりだった。俺たちも各々頭を下げる。そんな中で、すぐさま口を開いたのは速人だった。


「早速ですが、我々をこちらへご案内頂いた意図は何でしょう? 私たちはこの町での宿をまだ決めていないので、手短にお願いできればありがたいのですが……」


 速人が手早く訪ねる。しかもズルい訪ね方だ。客人であることを改めて伝えた上で、自分たちが宿を抑えていなくて困っていることを併せて伝えている。こう言われてしまったら、宿の手配についても相手は触れざるを得ない。

 なんだか厭らしいな、と思いつつ、俺は窓から外を見て別のことが気になった。

 ……今、何時なんだろう? 外はもう暗くなってきたよな。俺は携帯が壊れていたのを思い出して、何となく部屋の時計を探してしまう。

 あれ、そもそもこの世界の時間って、どうなってるんだろう。仮にも『異世界』だぞ。色々と違っていてもおかしくはない。一日が二十四時間とも限らない。

 そして部屋を見渡していた俺はあるものを見つける。壁にアナログ時計がかかっていた。六時二分を指していた。

 背筋が、凍りついた。……アラビア数字が使われている。どうなっている。

 いや、それだけじゃない。良く考えたら、何故言葉が通じるんだ。眼の前に居る金髪のニーグとかいう町長さんが日本語を話している。サウルのアルヴァさんも、スレイとも日本語で話した記憶がある。そういえば何度か日本語の文章も見た気がする。

 別に、ソラが言っていた『ここは異世界である』というのを疑う気はない。魔法だって使えたんだ。元の世界の常識が通じる場所じゃないのは理解できる。だけど、本当にここが『異世界』だというのだとしても、それにしては現代日本との共通点が多すぎる。はっきり行って、不気味だ。

 唐突に天見さんが顔を覗き込んできた。


「久喜くん、どうしたの?」


 かなりの至近距離だ、俺は思わず赤面しそうになって顔を逸らした。


「! ……ん、いや。大丈夫」


「そう……?」


 天見さんは置いといて……この『異世界』というのは謎が多い。でも、その謎に迫るにはあまりにも手がかりがなさすぎる。現状の情報だけでは、俺の軽い頭では仮説すらたてられない。落ち着いてから考えよう。それより今のことだ。

 俺は半ば諦めた気持ちで改めて時計を見る。

 六時三分。

 何だっけ。宿の話だったか。……確かに今から宿を探せるかは不安だった。そんな俺たちの様子を見たニーグさんは「宿の心配なら大丈夫ですよ。うちに泊まっていってください」と言った。速人の狙い通りだろう。もともと止めてくれるつもりだったかもしれないけど。

 ニーグさんは続けて話す。


「後、気になっていらっしゃったのは、皆様にこちらまで来ていただいた意図、ですね。それにつきましては……明日話しましょう。その『アクセサリー』についてのこともあるので長くなりそうですし、今日はお疲れでしょう?」


 町長は俺たちに柔らかく微笑みかける。

 速人が振り返ってそれとなく全員の表情を見る。俺たちは皆で縦に首をふった。歩き続けて俺ももう疲れきっているし、ニーグさんの提案に乗ることがベストに思えた。

 速人は丁寧に頭を下げる。


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせていただきます」


「ご遠慮無く。部屋は二階です。どうぞくつろいでください」

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