衝突(1)

 集会所は大きなホールのような構造になっていた。建物入り口の扉を開けると、学校の教室四つ分くらいのスペースの中央に、オフィスや学校の会議室のような形で長机が『ロ』の字に置いてあり、議長となる村長などが普段座っているのだろうしっかりした大きさの豪華な椅子まである。

 普段は村会議かなんかで使われている場所なのだろう。部屋の中を覗き込むと、ソラたちが先に来ていて、それぞれ椅子に座っている。


「遅い!」


 俺が集会所入ってすぐ、開口一番白石さんがきっぱりと指摘してきた。


「ごめん……!」


「良し! 許す!」


 が、謝ったらすぐに許してくれた。なんか男前だな。

 他の皆も、俺と白石さんのやり取りを見て少し笑っているくらいで、特に気にしている様子は無さそうだ。とはいえ、遅刻は遅刻だけど。


「さっきは何か急に走って行っちゃったけど、大丈夫だったの?」


 天見さんが心配そうに訊いてきた。

 この娘は他の人よりも比較的俺に優しい。ジャングルで最初に合流したというのも大きいのかもしれない。

 俺は作り笑いを浮かべながら謝った。


「ごめんごめん。ちょっとスリみたいな子供がいて、追っかけてたんだよ」


 すると天見さんではなく、白石さんがまた口を開いた。


「あ……、そうだったんだ。何も知らず、ごめん……」


「いや、良いよ、無事に丸く収まったし」


 俺は恐縮しながらも、席に座る。木製の椅子は軋むこともなく、俺の体重をしっかり支えた。

 ふと、例の豪華な椅子の後ろの壁に貼られているポスターのようなものが目に入った。古ぼけた質感の紙に、大きなシミのような模様が幾つか。……おそらくは、地図だ。

 俺の人生で見たことのない地形。


「……やっぱ、夢じゃないんだな」


 甲冑竜といった、あの鎧の怪獣も。このアクセサリーで風を操ったとも。ここが、違う世界だということも。全て、現実なんだ。

 実感する。この地図が示している。俺は本当に『異世界』とやらに来てしまったんだと。

 俺は家に帰れるのだろうか。また元の世界の人に会えるのだろうか。それともこのまま、得体の知れない土地で死んでしまうのだろうか。

 重く苦い不安が鉛のように鈍く腹にのし掛かってきて、呼吸が苦しくなるような錯覚に陥る。


「……くそ。最悪だ」


 誰にも聞こえないように小さく悪態をついた。直後に、村長のアルヴァさんが集会所に入って来た。


「申し訳ない。お待たせ致しました」


 一言謝った彼はそのままあの地図の前にある例の少し豪華な議長の椅子の横に立つ。そして何事か、いきなり頭を下げてきた。


「昨日は甲冑龍を追い払ってくれてありがとうございます」


 頭を上げてアルヴァさんが続ける。


「あれは元々この地域には居ないはずなんですが……。村の連中にも被害が相次いでいた所だったのです。皆さん、本当に助かりました」


 そう言えば、スレイの父親も甲冑竜にやられたのだったか。


「へへへ。そんなお礼をいわれるほどでもないですよお」


 ソラは笑顔で照れたように頭を掻く。ふざけているようにも見える。必死こいて戦った俺は手も足も出ず、ソラがいともたやすく追い返してしまったことを思い出した。天見さんを見捨てようとしたことも。ソラのおかげで天見さんを助けることが出来たことも。

 俺の胸にムッとしたものがこみ上げる。ソラが調子に乗るたびに、劣等感や罪悪感を始めとした悪いものがどんどんと蓄積していく。

 彼のお陰で助かったことは分かるが、愉快ではない。不愉快だ。


「追い払っただけだし……仕留めてないなら、また、戻ってくるんじゃねーの。浮かれているところ悪いけど」


 だからだろう。つい意地悪なことを俺が言ってしまったのは。


「……はぁ? 何でそんな言い方すんだよ」


 案の定、ソラが不満げな表情で突っかかってくる。いや、突っかかったのは俺の方なんだが。

 空気が悪くなるときの独特の感覚が集会所に満ちてきた。ソラが、口を開いて更に何か言ってこようとしてくる――。


「――ふたりとも、落ち着いてください。今はそういうタイミングでは無いでしょう」


 すかさず入ってきた速人がその空気を無理やり落ち着かせる。そして俺の方をその整った顔の鋭い流し目で刺す。


「輝。まだ会ってから時間が経っていないので決めつけになってしまいますが……先程の発言はあなたらしくない。まだ調子が戻っていないのでは?」


 速人のフォローに俺は即答できず、口ごもる。

 俺らしいかどうかは一旦おいておいて、ただ、さっきの言葉は得策では無かった。今俺とソラが割れたら、どう考えても俺が孤立するだけだ。

 少し、冷静になろう。

 そう思った瞬間。視界の端で、ソラの表情が怒りから哀れみへと、わずかに動いた。そして、あろうことか一つため息をつくと、ゆっくりとソラが頭を下げた。


「……ゴメン! 許してくれ! ちょっと、俺、調子乗ってたみたいだ。あんな魔法まがいの事が出来るとは思わなかったからさ」


 そう言ってソラが両手を合わせて俺に謝ってきた。

 侮辱だ。馬鹿にされている。俺はソラの行為を反射的にそう捉えてしまった。体を駆け巡る血液が瞬時に沸騰したかのような熱を持つ。

 しかし、この状況でまた逆上して啖呵切るほどのことは出来ない。単純にそれだけの度胸は、……俺にはない。

 糞。最悪だ、本当に。自分が全部悪いのがわかっている。だから余計に最悪なんだ。


「……俺も悪かった、よ」


 俺は噛み殺すように、呟くように、ぎりぎりソラに聞こえるような、小さな声で謝った。

 気まずい沈黙が流れる。居心地の悪いその沈黙を破ったのは天見さんだった。


「じ、じゃあ、これは、一旦しゅーりょー、ということで。アルヴァさんの話聞こっ? ね?」


 天見さんはぎこちない笑顔でその場を取り繕う。彼女が出来る最善の方法だったろう。

 だが、肌を刺すような少しピリピリした雰囲気は変わらず集会所に立ちこめていた。その緊張の空気を取り払おうとしたのだろうか。アルヴァさんは一つ大きな咳払いをしてから話を始めた。


「……では、話しましょう。まずはこれを見てください」


 アルヴァさんはあの豪華な議長の椅子を下げて、後ろの大きな地図が皆に見えるようにする。そして、大陸と思われるものの一つを指で差した。

 その大陸は地図の真ん中より南西に位置している、大雑把に言えば、左下がえぐれた台形の右上に角がついたような形の大きな大陸だった。


「この大陸が現在地に当たりますロック大陸です。さらに」


 アルヴァさんは大陸の左下の端を指差す。


「ここに我が村、サウルがあります」


 村を示す点のような記号のような印の周囲は緑色に塗られている。森を示しているんだろうか。確かに木々が鬱蒼としていた。サウルの近くにはもう少し大きな町があるみたいで、村と町を結ぶ直線には緑色が塗られていない。

 道がある、ってことなんだろう。

 さらにアルヴァさんは大陸の右上の方を指差した。周囲は草原、ここサウルから向かう直線上には大きな川や山のようなものも見える。これを越えていかないと行けない場所に見える。

 彼はその遠方の地点を指で指し示しながら俺たちに向き直る。


「そしてここがあなたたちが情報を求める為の目的地である、王都の」


 含みを持たせるようにたっぷりとした間を持ってアルヴァさんは続けた。


「バルクです」


 遠い。よりによって俺たちは王都と離れたところに飛ばされてしまっていたんだ。俺はまた少し不安を覚える。


「王都に向かうのならまず、シュヘルという町へ向かうといいでしょう」


 アルヴァさんが地図のサウルのすぐ近くの位置を指した。さっきのサウル近くの町だ。地図に描かれていたのはやっぱり道のようだ。よく見ると短距離直線一本道。何もなければすぐに着くのではないだろうか。縮尺は分からないが。


「わかった。とりあえずはシュヘルに向かえばいいんだな?」


「ええ。そうです。が」


 確認するソラに彼は片手を上げてみせた。そしてその手の拳を握り、上下に振り下ろす。


「見たところあなたたちは丸腰のようだ。自衛手段が必要でしょう」



「いろんな武器があるみたいだな」


 一人納得しながらソラが剣を持ち上げ、鞘からすらりと刀身を抜いている。

 剣は両手で持つような大きさの片刃剣だった。直剣で刀身は分厚く、丈夫そうだ。刃がついてなくともあんなもので殴られたら、頭が割れて死んでしまうだろう。

 剣をひとしきり眺めてからソラは鞘に納める。剣は重いのだろうが、彼は腕力があるようで片手でも悠々と扱えそうな様子だ。


 今俺たちがいるこの場所は村の武器庫。

 アルヴァさん曰く「滅多にはないが野盗が出ることもあるから、自衛のために武器を持っていった方が良い」とのことで、気前よく武器をくれるという。

 ソラはまだ剣を物色していたが、どうやら先程の重そうな直剣に決めた様だ。

 その様子を視界の端でとらえていた俺は、ソラの向かいでずらりと並ぶ武器の中から一本の槍を手にとった。ヒンヤリとした柄の感触が気持ちいい。

 槍は自分の身長と同じくらい。棒の部分は木製。切っ先は鉄製で余計な装飾もなく、大きさの割には、軽い。

 これなら、まあなんとか扱えそうだ。何より……。


「……他の武器と比べると少し重いけど、相手と距離を取るなら最適だよな……」


 大分ヘタレた理由だけど、怖いもんは仕方無い。第一、野盗って現代社会で言うなれば強盗だろう。まともに戦うこと自体無理がある。戦っても即死してしまいそうだ。


「私は弓かな。弓道やってるし……。でも流石に、和弓は無いね」


 弓が並んでる方から白石さんの苦笑い混じりの声が聞こえてくる。


「弓道やってるんだ、かっこいいなあ」


「そんなこと無いよ。舞は何にするの?」


 矢筒を背負った白石さんが天見さんに聞き返す。


「私は……。あくまでも自衛用って言ってたから、これにする」


 そう言って彼女は武器が入っている棚からナイフを取り出した。

 短い刃渡りのナイフを3本ほど懐に入れて、腰に刃渡りの長めな2本のナイフ……短刀と呼ばれるものを差していた。

 更にその後ろでは速人が蔵番の人と掛け合っている。武器のことで話しているようなのだが、俺とは距離がある上、こそこそと話しているので聞こえない。

 でも速人の満足そうな表情を見る限り心配は無さそうだ。


 思い思いの武器を手に入れた俺たちは、その後アルヴァさんと合流し、村の入口まで連れて行ってもらった。村の入口には彼以外の村人も何人か居て、俺たち用の荷物もあった。

 それぞれリュックのような背負うタイプの荷袋が一つずつ。大きさは然程大きくない。大丈夫だろうか、食料とか。

 俺が不安そうな表情をしていたからだろう。村の人が笑いながら「今から出れば、今日中に着けますよ」と言いながら荷物を渡してきた。

 アルヴァさんも気楽そうな笑顔である。


「シュヘルの町長は顔なじみでな。今後の動き方はそこでゆっくりと考えて決めると良い。それに、シュヘルまでの道で迷わぬように案内役もつけよう。……スレイ! こちらへ来なさい」


 唐突に訊いたことのある名前が聞こえてきた。追って、返事と一緒に、他の村人の後ろから帽子をかぶった少年が現れた。

 少年はアルヴァさんに背中を優しく叩かれて一歩前へ出る。


「ほれ、自己紹介しなさいな」


 少年……。いや、スレイは俺と目をあわせて何か言いたげな顔をしてから、帽子を取って頭を下げた。


「お初にお目にかかります。皆さんのシュヘルまでの案内を仰せつかりましたスレイ・アールトと申します。短い間ですが、よろしくお願いいたします」


「……アールトってことは……」


 俺が言いかけた言葉を、アルヴァさんがつなぐ。


「そうです。孫です」


「……そうか」


 そうであるならば、スレイが言っていた『甲冑竜に殺された父親』というのは、アルヴァさんにとっての息子だ。先程の集会所でのアルヴァさんの御礼の言葉が急に重みを増したように感じられて、つい、目を逸らしてしまう。


「改めて、よろしくお願いいたします」


 スレイは俺に向かって頭を下げる。年の割に、随分と丁寧な物言いで、さっきまで追いかけっこをしていた糞ガキとは似ても似つかない。早くに父親をなくしながらも村長の孫としてしっかり励んできたのだろう。

 暗い気持ちでスレイを眺めていると、俺の後ろから白石さんがさっと一歩前へ出た。何事かと思っていたら、急に帽子越しに少年の頭を撫でる。


「……こちらこそ、よろしく頼む」


「え、あ、はい……」


 戸惑うスレイ。撫で続ける白石さん。何か異様な雰囲気を感じ取った俺は白石さんの表情を覗き見る。ちらりと見えた彼女の表情は、控えめに言ってもとびっきりの笑顔だった。


「ニッコニコじゃん……」


 思わず声に出してしまう。すると、ソラが話しかけてきた。


「綾香、子供好きなんだよ、昔から。……ちょっと面白いよな」


 俺はすぐには答えられず、ソラの方を見た。ソラは照れたように頬を掻いていた。

 先程の小さな衝突からそう時間は経っていない。気まずさもある。だが、彼はそれでも話しかけてきたのだ。

 俺は少し目をそらして、それでもしっかりと頷いた。


「ああ、そうみたいだな。白石さんのあんだけの笑顔、はじめて見たよ」

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