魔法(3)
「くそ……。どこ行ったんだあのガキ」
十分も走った後、俺は汗にまみれて村の市場をさまよっていた。
俺は足が遅いわけではない。むしろ、人よりは少し自信があったのだが、あのスリの子供は市場まで来ると、その小さな体をうまく使って人混みに紛れ込んでしまった。
それで見失ってしまって、途方にくれているというわけだ。
「まあ、いいっちゃ良いんだけど……」
冷静になって考えてみれば、どうせ財布に入っているのはこの世界では使えないだろうお金が数千円。ちょっと困るのは、通学定期も入っているということぐらいか。
だからどちらかと言うと、取り逃がした悔しさで途方にくれている状態だ。
そうして力なく市場を歩いていると、店の売り子をやっている若い女性が俺に話しかけてきた。
「アンタ、やられたみたいだね」
俺が女性の方に向き直ると、彼女は更に話し続ける。
「帽子をかぶった十歳前後の子供だろう? スレイって言うんだ。もし探しているなら、集会所の裏にある墓地に行ってみな」
「……なんで、わかったんだ」
「スレイは村人を襲わないからね。ここらへんでうなだれている余所者を捕まえて話を聞いてみると、大体スレイにすられた後なんだよ」
あの子供、常習犯らしい。だがそれにしても、居場所が割れてるって、裏稼業をやるには不味すぎやしないだろうか。よく生き残ってこれたな。それに……。
「……その、あんな子供が何でこんなことを?」
俺が訊くと、その売り子の女性はため息をついた。
「そうだね……。あの子は、復讐のための金がほしいんだ。それ以上は、直接聞けばいい」
なんだか物騒な話になってきた。あまり深く関わっても、損をしてしまいそうな気がする。
「……分かりました。色々教えてくれてありがとうございます」
俺はその女性に集会所の場所を教えてもらってからお礼を言うと、村の集会所へと駆け出した。
○
漁村の集会所。その裏手にある墓場に隠れるように、幼い背中があった。幼い背中は不満を隠しもしない声色で、何事かをぶつくさと呟いている。
「……何だよこの紙。お金じゃねーのかよ。……あ、でもこの銅貨と銀貨は使えそうだな」
「残念だったな。それは銀貨じゃない。銀色だけど主成分は銅とニッケルだ」
いつだかネットで調べた知識を披露しながら俺は墓場に足を踏み入れた。
集会所の裏手にはあの市場の売り子の女性の言ったように墓場があった。手入れはされているものの、ところどころ草に覆われている。先程俺の財布を盗った少年――スレイという名前だったか――も、同じく彼女が言った通り、その墓場にいた。
スレイ少年はビクンと飛び跳ねて俺の方を振り返ると、財布を大切そうに胸に抱えて、俺から離れるように後ずさる。
大切そうにしているが、その財布は俺のものである。
「……ち。見つかったか。……何で余所者がこんな場所を知ってる」
「市場の売り子のお姉さんが教えてくれたよ、スレイ君」
「名前まで……余計なことを。糞」
悪態をつくスレイに俺は近づいていく。
……さて、どうしたものか。
この少年を探して走り回っている内に、憤りが無くなってしまったのだ。別に怒鳴る気もなければ、懲らしめようという気もない。強いて言えば、マヌケなようだが、通学定期だけは返してもらいたいものだ。
「どうしようか……」
俺を睨むスレイ。良く見れば、着ているものの状態がいい。帽子も、シャツも、汚れが殆ど無い。ズボンの裾の泥は、今さっき走っていてついたものだろう。
暮らしに困窮しているというのとは違っていそうだ。そう言えばスリの理由も、復讐、だったか。
俺はこの異世界の少年に少しだけ、妙な興味を覚えた。
「スレイ。君は、何のためにお金が必要なんだ」
「復讐のためだ」
少年は吐き捨てるように言った。この年頃の少年が話すには物騒な言葉である。聞いていた通りだ。ただ、何に対しての復讐なのかは聞いていなかったな……。
俺は少年と二メートルほど距離を開けて、止まる。
「復讐、ね。……誰に、復讐するんだ」
「お父(とう)を殺した、甲冑竜だ」
甲冑竜。彼の父親は、やつに殺されたのか。
今思い出しても身の毛がよだつ。あんなもん、俺は対峙して生き残っただけでも幸運だと今でも心から思う。一方的に命を脅かされた訳だけど、復讐しようなどとは思えない。
「君は、甲冑竜がどんなだか知っているか」
「当たり前だ。目の前で、見ていたから」
スレイが言う。あれを目にして、復讐しようと思うのか。俺は、少し呆れてから、少し尊敬した。しかし、同時に意地悪もしたくなった。
「復讐はわかったよ。で、金を集めて、どうするつもりだよ」
「魔法使いを雇うんだ」
「……魔法使い?」
俺は聞き直してから、自己解決する。
ここは地球ではない。『異世界』だ。きっとこの世界には『魔法』が存在しているのだろう。ゲームや漫画で見た世界だと割り切って考えてしまえば、理解は出来ないこともない。
スレイが考え事を続けている俺を見て、嘲るように笑った。
「そうだったな。お前ら、違う世界から来たんだろ。じゃあこっちの事情も知らないわけだ」
「……事情?」
「そう。事情。魔法使いが王国に囲われてて、貴族のいない町や村には配属されなくなっている事情さ」
なんとなく話が読めてきた。
この異世界では、魔法使いが軍隊や警察の様な役割をしているのだろう。故に、甲冑竜の様な危険な化物の被害を抑えるのも魔法使いの役目……。しかし、その肝心の魔法使いは王国とやらに接収されてしまっている。
本来は政治として行うべき安全保障が行われていない。だから、私金で魔法使いを雇おうとしている。……村の人も、このスレイというスリの子供を本気で罰することが出来ないのは、村のためを思っての行動だからかもしれない。
正直全部仮説だが、大きく外していないようにも思う。正しければ不幸な話だ。ただし――。
「――ああ。そんな事情は知らないな」
俺には関係の無いことだ。
痛ましい彼の境遇に理解を示し、この漁村に残って甲冑竜の様な化物を追い払いながら暮らすなんて絶対にやりたくないし、魔法使いとやらを独占する汚い王国のやり方に対して抗議の声を王都に届けに行くのも避けたい。話がこじれてこの国に狙われでもしたら、情報収集どころではない。
ゲームや漫画のような世界なのかもしれないが、俺はゲームや漫画の世界の人間じゃない。ジャングルで飢えれば死ぬし、甲冑竜の角に刺されれば死ぬ。リスクがあるんだ。困っている人の頼みをほいほいと聞いてやる余裕はない。
罪悪感はあるが、出来ないことは出来ない。
「お前は、知ろうともしてない……!」
スレイが俺を睨みながら呟いた。図星だ。別に隠すつもりも無いけれど。
俺は少し考えて、俺はこう返す。
「……わかったよ。じゃあ、やるよ、それ」
「へ……?」
目の前の少年が目を丸くして俺の方を見た。伝わらなかったか?
「財布をやるって言ってんだよ。めぼしいものは入ってないと思うけど」
本当に何も入ってないけど。通学定期も、良いや。俺が巻き込まれてるのはこんだけの大きい事故だ。保険とか、何かそういうの、おりるだろ。
それより俺は、この小さな子供からさっさと逃げ出したかった。彼の境遇を聞いて、話を知れば知るほど、何もしない俺は、何もしないでいることの言い訳を作り続けなきゃいけなくなりそうだから。
俺は少年に背を向ける。そろそろ集会所に行こう。遅れてしまったことで皆に怒られてしまいそうだけど、訳を話せば分かってくれるはずだ。
「……おい」
呼び止められて、振り返る。少年が未だ財布を大切そうに抱えたまま、俺を見ていた。安心すればいいのに、その財布はもう君のものなんだから。
「お前、名前言え。何かあった時は、俺が助けてやる」
「え……」
俺は目を見開いた。
財布を渡したのは、俺が逃げるための行動だ。自分でも卑怯な行動だと思う。だが、スレイはそれを親切だと受け取った。
素直な人間だ。汚いことばかり考える俺なんかとは全然違う。
本当に、これ以上ここにはいられない。スレイのその純粋な目に心が潰されてしまいそうだ。
「……俺は、久喜輝って言うんだ。助けてもらえることを期待しておく」
俺は名乗った後に再度スレイに背を向ける。もう呼び止められることは無かった。
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