魔法(2)

「……う……ん」


 自分の声ががさがさとしているのを感じる。水分が足りない。喉が、乾いた。

 おもむろに目を開く。眼前には白くて清潔感のある天井が広がっていた。よく見ると、板張りに白い塗料を塗ってあるだけのようだが……。体にはふかふかな布団がかけられている。病院……?


「あ……? 俺……」


 起き上がろうとしたが、呑気にも布団の包容力に抗えず、もう一度まぶたを下ろして記憶を辿る。

 謎の老紳士。一樹との再会。謎のペンダントによって気絶した後、ジャングルにいた事。天見さんや、ソラたちとの出会い。川沿いの道。突然襲ってきたトリケラトプスのような怪物。天見さんを見捨てようとしたこと。ソラがかばってくれたこと。謎の声の導きで風を操れたこと。ただ、手も足もでなかったこと。そして、まばゆい金色の光。森へ逃げ帰る黒い鎧の化物の巨体。


 どこからが夢で、どこからが現実なのか。ただ、何故だろう。


 俺はシーツを強く握った。何もできなかった無力感。天見さんを置き去りにすることを一度は決断した罪悪感。俺が切り捨てようとしたものを易易と拾ったソラに対する劣等感。

 いくつかの感情が混ぜこぜになり、逃げ出したい感情に襲われる。それでも、俺はゆっくりと息を吐いて目を開いた。


 ……ともあれ、だ。ふて寝するより先に、自分の置かれている状況を理解しないと。


 俺は布団もろとも上体を起こす。どうやら俺は、簡素な木のベッドに寝かされていたようだ。ということはつまり、近くに人が居るということ。誰かがここまで連れてきてくれたということ。

 周囲を見渡してみる。俺のいる部屋は、壁も天井も清潔な白塗り。置いてある家具もシンプルで淡白。やっぱり病室の様に見える。まぁ、実際俺はぶっ倒れたんだし……。


「また気絶か……」


 俺は目頭を強く押さえた。きっと、銀のペンダントのせいだ。『風の刃』を使って疲弊したのが原因だろう。鎧トリケラトプスと遭遇したときのことを思い出し、どうしようもない状況だとはいえ、自分の立ち回りの軽率さにあきれる。

 あの『魔法』とも言うべき力を使うと疲労するのは途中で気付いていた。だったら無駄に撃ち込まないで、化物が警戒している隙にすぐに逃げるとか、もっと色々やりかたはあったはずなのに。


 ……後悔ばかりが巡るけれど、今更嘆いても仕方あるまい。俺はため息一つついてベッドから降りた。


「まずは誰か探さなきゃ……って、服が」


 俺は自分が身につけているものがさっきまでと違っていることに気がついた。ごわごわした肌触りの麻のような簡素なズボンとシャツを着せさせられている。ずぶ濡れだったから、誰かが脱がせたのだろうか。

 部屋を探すと、綺麗に畳まれた自分の服と荷物があったのでまずは着替えることにした。


「よし。……ん?」


 着替え終わったところで不意に遠くで足音。足音はとことこと移動していって、俺の居る部屋のドアの前で止まる。続けて軽快なノックの音。それから一呼吸置いて、きしむドアが部屋の外から開けられた。

 部屋に訪ねてきたのは天見さんだった。


「……あ、えっと。おはよう」


 何と言えば良いのかわからず適当に挨拶をする。同時に、罪悪感を思い出す。

 一度は見捨てようとした少女だ。まともに目を合わすことさえ、今の俺には耐え難い。嫌われたってしょうがないことをしてしまっているんだ。

 俺は、伺い見るように、彼女の顔を覗く。睨まれでもするのかと思っていたが、天見さんはホッとしたように一息ついてから、微笑んだ。


「みんなー、久喜くんが起きたよ!」


 天見さんがドアの向こう側に向かって声を張り上げた。彼女の呼び掛けから少し間を開けて響く複数の足音。部屋に近づいてくる。ちょっとして、他の皆も部屋に顔を覗かせて入ってきた。


「輝! 気が付いたか?」


 部屋に入ってきてすぐにソラが声をかけてきた。


「……あ、ああ。まあ、無事だ。心配かけた。この通り、無傷だよ」


「そうかい。そりゃあ良かった!」


 明るい顔で言いながら天見さんの横を通って部屋に入ってくる。天見さんも「本当、良かったよね

!」と笑った。

 その仲の良さそうな様子に、目を逸らした。つい、穿った見方をしてしまう。

 見捨てた俺と、自分を囮にしてでも庇ったソラ。あの化物を追い払えなかった俺の『風の刃』と、絶大な威力で吹き飛ばしたソラの光の弾丸。

 ……比べてしまうと、劣等感だ。


 伏せていた目を上げると、天見さんが俺に対して怪訝そうな表情を向けてくるのに気がついた。


「……久喜くん、どうしたの? どこか、痛む?」


 彼女は心配そうに訊いてくる。


「いや、さっきも言った通り、大丈夫」


 俺は必死に笑顔を作った。嘘だ。痛むことには痛む。まあ、痛むのはせいぜい俺の心くらいのものだが。

 ……この妙な劣等感は、言わないでおこう。これを話したところで、誰も幸せになれない。


「大丈夫」


 俺はもう一度呟くように言ってみた。



「そんな事が、あったのか……」


 俺はさっきまで寝かされていたベットに、今度は腰掛けていた。他の皆は部屋の椅子に座ったり、壁に寄りかかったりとそれぞれの姿勢で部屋の中にいて、意識のなかった俺に今までの状況を伝えてくれていた。


 ソラたち皆から聞いた話をまとめると、俺は半日以上意識を失っていたらしく、あの鎧を纏ったトリケラトプスのような怪物と戦ったのはもう昨日のことになってるらしい。昨日、奴との戦いのあとに気絶して倒れた俺を介抱していたら、近くの村の人間が騒ぎを聞きつけて、俺たちを見つけて来てくれて、村に案内してもらって今に至る。とのことだ。


 そして、もうひとつ。衝撃的なことを聞いた。


 ここの村民の話を聞く限り、ここは日本でないばかりか、俺たちの知っている地球ですら無いというのだ。


「マジかよ……。じゃあここは何処なんだよ、火星?」


 最初、皆が冗談を言っているのかと思って切り返した俺の一言も、その場の重たい雰囲気に流されてしまった。


「……どうやら俺たちはいわゆる『異世界』ってヤツにきちまったみたいだ……」


 ソラはただただ事実のみを告げている。それはソラの真剣そのものの表情から十二分に伺えた。

 そうだ。ソラは嘘も冗談も言ってない。俺も思わず体が硬直する。それにあわせて周りの四人も沈黙した。


「嘘だろ……!」


 確かに、ペンダントの魔法陣によってここまで来たこと。それに、あの明らかなモンスターが出てきたことを考えると、おかしくはない。おかしな状況だが。


「……これから、どうしようか」


 俺が焦りの汗でふやけた脳でやっとひねり出した言葉。視界の焦点が定まらない。飲み込みづらすぎる状況に、頭がくらくらする。イセカイ? 何だそれ。

 誰もが口を閉ざして俺の質問に答えられずにいる中、速人が「何をするにも……」と話を動かし始める。


「……ここで動くには情報が少なすぎます。まずは兎にも角にも情報収集、といった所でしょう」


「じゃあさ! ここから北にある王都がいいんじゃない? 人のいるところに情報は集まるって言うし!」


 白石さんが速人の情報を補足して続けた。俺は彼女に向き直って、首をかしげる。


「王都……? って何でそんなこと知ってるんだ?」


 俺は不思議に思って訊いた。王都。新出単語だ。


「あ、輝が寝てるときに村の人たちに聞いたんだよ」


 横にいる天見さんが白石さんの代わりに優しく答えた。俺に気を遣っているように感じた。


「そっか」


 天見さんの意思を汲み取って、俺は気にしていないような素振りで軽く口元に弧を描いてうなずいた。胸にチクリと何かが刺さる。

 俺、完全にお荷物じゃん……。

 また無力感が湧いてきた。同時に申し訳ない気持ちも。


「じゃあとりあえずその王都に行って情報を集める。ってことでいいよな?」


 ソラは確認するように、新たな目的を復唱する。本当はもっと簡単な解決方法があればいいけど……それ以外に身動きのとりようもない。


「わかった。じゃあ、早速出発するか?」


 ベットから立ち上がる。少し足元が震えたが、もう大丈夫そうだ。目ざとくその震えを見つけたソラが「大丈夫か?」と気を使ってきたが、俺は「大丈夫」と返す。


「軽い立ちくらみだ。王都、行こう」


 ソラに向かって俺が答える。その時、部屋に近づいてくる足音が聞こえて来た。


「その旅。お手伝いしましょうかな」


 足音の主だろう。ドアの向こう側からしゃがれた声が聞こえた。


「……?」


 俺は頭の上に、はてなマークを浮かべた様な顔をしてしまう。声の主は誰だ?

 直後、ドアを開いて部屋に入って来たのは、白髪で、顎に豊かな髭をたくわえた仙人のような老人だった。優しそうな顔立ちをしていて、背は小さい。構造の良くわからない洋服を着ている。ローブというやつだろうか。

 老人は笑んで、話し始めた。


「私はこの村の村長のアルヴァ・アールトというものです。甲冑龍(かっちゅうりゅう)を追い払って頂いたお礼も兼ねて旅支度は私らでしましょう」


「甲冑龍?」


「昨日のトリケラトプスみたいな怪物のことだ。この村にも被害者が居たらしいな」


 聞き返す俺にソラが簡単に説明した。ソラもあの化物をトリケラトプスっぽいと思ってたんだ。


「はい。どうでしょう? 恩返しも兼ねて」


 再び提案するアルヴァさん。

 俺は皆の顔を伺う。四人の顔を見ると、皆が「この人は信用できる」と言わんばかりに頷いてきたのでその判断をまかせることにした。

 判断をまかせる、つまりは。


「それでは、……お願いします」


 確かに初対面の人に色々頼むのは不安だ。だけど素人だけで旅支度とやらは無理な気がしたし、皆も信用してるみたいだ。きっと、俺が寝ている間に色々話したりしていたのだろう。

 村長を名乗ったその老人は満足そうに大きく頷くと、更に続けて話し始める。


「それではこちらで準備は進めておきましょう。お仲間も目覚めたようですし、皆様には改めてこの世界のことを説明しましょう。集会所までお願いします」


 そう告げて、アルヴァさんは部屋を出てどこかへと消えていく。荷造りの指示を出しにでも行ったのだろうか。

 俺は、ふと疑問に思って皆の方を振り返る。


「……そう言えば、この世界のことを説明する、って言ってたけど、俺たちが別の世界の人間だと、そんなに簡単に信じてくれたのか?」


「ああ、この世界の人にとって、異世界から人が来るっていうのは、有り得ない話じゃないらしいぜ」


 と、ソラが返してくる。俺は「そっか」と頷くと、少し考えた。

 ありえない話じゃないということは、その今まで来た異世界の人間が、どうやって帰ったのかも調べれば分かるのかもしれないな。……思ったより、楽観的になれるかもしれない。

 そこまで考えてから「それは軽率か」と俺は思い直す。

 鎧の付いたトリケラトプス……甲冑竜のような存在が居る世界なんだ。決して気楽にはいられない。気を引き締めないと、いつ死んでもおかしくない。


 一人不安になっていると、白石さんがさっと俺の横を通り過ぎて、部屋のドアを開けた。


「ここで考えててもしょうがないよ。とりあえずさ、集会所、行かない?」


「……そうだった。行こう」


 病院のような建物を出ると、教科書に出てくるような、昔の欧州の漁村のような場所に出た。ような場所、というか実際に漁村なのだろう。地理が分からない俺はソラたちに先導されながら漁村を歩く。

 磯臭い匂いに鼻をひくつかせながら、村を見渡してみる。建物は数十軒。どれも皆、石と木の住宅で、白い塗料を塗っている。パッと見た印象は『白い漁村』だ。……そのまんまだが。


「この白い塗料には、潮風による腐食を防ぐ効果があるそうですよ」


 速人だった。特に何も言っていないのに……そんなにまじまじと町並みを眺めていたのか、俺は。


「観光とかだったら、きれいな景色に感動できたかも、ね」


 天見さんが速人の言葉を受けて話す。確かに、白い建物が陽光を受けて輝く様は、広がる大海原もあわせて、絶景だと言っても間違いないだろう。

 まだ日は天まで来ていない。地球だったら午前中かな。通りを元気に子どもたちが駆けている。カモメのような海鳥の鳴き声と子どもたちの声、遠くで海の鳴る音。平和だ。

 港の方……海の方を見ると、漁から戻ってきたばかりなのだろう漁師が、今日の釣果を確認している。更に向こう、水平線の遠くには、幾つかの島が見えた。


 ぼんやりと、歩いて行く。体調も良くなってきた。だらだらと周囲を見回しながらで歩く速さが遅かったからなのか、いつの間にか、俺は集団の一番後ろにいた。

 そうやって呑気に歩いていたら、突如、衝撃。背後から誰かがぶつかってきた。


「いてっ」


 俺は慌てて振り返るも、衝撃の勢いで思わず尻もちをついてしまう。俺にぶつかってきたのは帽子を深くかぶった小学生くらいの少年だった。向こうも尻もちをついている。俺はすぐに起き上がると、少年を助け起こそうと手を差し伸べた。


「君、大丈夫か。前見ないと危ないだろ」


 すると少年は俺の手を掴み、勢い良く起き上がると、すぐに俺に背中を見せて走り去った。

 何か、無愛想な子供だな。


「……ん。あれ」


 違和感を感じて恐る恐る自分のジーンズの後ろのポケットに手をやる。財布がない。……あの子供。スリだ! やられた!


「あれ、久喜くん、どうしたの?」


 先を進んでいた天見さんが俺に呼びかけてきた。俺は一瞬振り返って彼女の方へ声を投げる。


「悪い! 先言ってて! 集会所の場所はそこら辺の人に訊いて追いつくから!」


「え? えええ!」


 そして俺は、天見さんの返事も待たずに駆け出した。

 ……あの糞ガキの場所は、まだ目で追える。五十メートルくらい先を走っている。俺は地面を蹴って加速していった。

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