魔法(1)

 清流がどこかに向かって流れ続けている。深さもなさそうだし、川幅も狭い。濡れることすら厭わなければ歩いて渡れてしまうほどの川がジャングルの中を流れている。

 ソラたちと合流した俺や天見さんは、そんな水の流れと同じ方向に進んでいた。

 川沿いを歩くのは普通にジャングルを歩いていくよりも全然快適だ。眼の前を邪魔する植物の枝や根が少なく、足元に張り出してくる大きな根に足を取られる頻度も大きく下がった。

 今は、赤や黄色の原色的な色味の奇抜な花を咲かせる植物に見とれて、そこに集まる見たことも無いような蝶に目を奪われる余裕すら出来ている。

 それに、余裕があるのにはもう一つ大きな理由がある。やはり、同行者の人数だ。先程まで一人で、天見さんが合流してからは二人という少人数で道なき道を歩んでいたので大きな不安をいだきながらの道中であったが、ここにきて更に三人もの人間と合流できたことで少し落ち着いていた。

 もし今日中に人里に出ることが出来なくてサバイバルをする事態となっても、これだけの人数がいればなんとかなるだろう……。これも、余裕の根拠だった。


「このまま、海を目指すのか?」


 俺は隣を歩いていた速人に小声で話しかけた。すかさず彼は「そうですね」と答えた。


「今は川沿いに下流を目指しています。日本の山地であれば川の側を避けつつ上流の方へ……山の尾根を目指して歩くのが正解ですが、ここは山ではないですし、それどころか日本では無いように見える。故に、下流へ下りて人里を探す方が得策かと」


「……日本ではない、って。はっきり言うんだな」


 だが、可能性が大きいことは俺もわかっていた。気温が季節外れすぎるし、植物も虫も見たことがない種類ばかり。日本ではないと考えるには充分すぎる材料だ。


「輝。君も薄々気付いているのでしょう?」


「……確証はないけど、そう考える理由は揃ってる」


「君は冷静ですね。……慣れている、ともとれますが」


「そんな事無い」


 ただ、中学時代。一樹や柏崎さんとの関わりの中で異常な事態に出会うことが多かっただけだ。速人から見た俺が落ち着いているように見えるのであれば、そういう経験の部分だろう。

 速人は前方を指差す。ソラと綾香が何やら騒いでいた。「実はこういう冒険に憧れていた」と言うソラに、「冒険じゃなくて遭難なんだけど!」と訴える白石さん。その二人のやり取りを聞いている天見さんは苦笑いを浮かべている。


「ソラと綾香はこの状況を楽しんでいる部分があります。舞は隠しきれない不安に時折苛まれては表情を曇らせていますね。……そうなると、ほぼ同い年のあなた達四人で比べれば、一番輝が冷静ですよ」


 そして速人が俺の方を振り向いた。


「ただし、冷静ではあっても、まともではないですね。こんな状況にあって、そこまで冷静でいられるのは、おかしい」


「その言葉、そのまま返すけど」


「これはこれは。ははは。一本取られましたね」


 棒読みのような笑い声。本当に、この状況にあって一番心を動かしていないのは彼だろう。

 うんざりするような気持ちになりつつ、俺は何の気なくまた前方の三人を見る。そこで俺は、最前線を進むソラの足元に何か赤いものが転がっているのに気がついた。

 前の三人は気が付かない。俺は彼らを追って、その赤いものに近づいていく。「何かありましたか?」と訊いてくる速人が後ろからついてくるのを感じながら、俺は血の気が引くのを感じた。


 落ちていたのは、動物の死体だった。


 大きさは馬と同程度。四本脚で焦げ茶色の皮膚には毛が生えている。恐らく哺乳類だろう。角の無い巨大鹿のような生き物。今までに見たこと無い生き物だった驚きもあるが、それ以上に気になったのはその生き物の首の付根にあった大きな傷だ。何かに貫かれたかのような大きな穴が空いている。


「皆さん、止まってください!」


 俺の後ろからその動物の死体を見たのだろう速人が大声で、前方をぐいぐいと進んでいたソラたちを呼び止める。彼らは俺と速人を振り返ると、「何かあったのか?」と不思議そうな表情をして戻ってくる。


「ええ。少し警戒したほうが良いかもしれません」


「少し……じゃないかも」


 俺は速人の言葉を否定しつつ、その動物の死体の周囲を見渡す。いくつか、植物が生えておらず、土がひっくり返されている場所がある。何者かが荒らした……違う。これは足跡だ。巨大な足跡。

 俺は地面から顔を上げた。このジャングルに捕食者がいる。荒らされた後、植物が生えてきていない場所があることからも、この動物の死体がほとんど腐敗していないことからも、そいつはそう遠くにはいないことが推測される。

 むしろ、すぐ近くにいる可能性だって……。


 唐突に、遠くの地面が揺れた。


 始めは耳を澄ませて、スニーカーを通した足の裏に神経を集中しないと感じ取れないような微かなものだったが、それは次第に、しかも加速度的に大きくなっていっていた。つまり……近づいてきている。


「やべ……」


 俺は四人を一瞥する。彼らも気がついているのか、周囲を探っている。地面の揺れは次第に大きくなっていく。深い木々でその姿は見えないが、振動の……足音の主は、すぐそこまで来ている!


「なんか……! なんか来るよ!」


 白石さんが悲鳴に近いような声で訴えた。直後、俺と速人の背後で雷が鳴るような大きな音。太い木が無理やり折られて、倒される時の音。天見さんか、白石さんかわからないが、女性の悲鳴が上がる。

 俺は即座に振り返る。そこには、トラックほどの大きさの黒い異物があった。


「あ……え……?」


 俺は情けない声を出しながら後ずさった。

 黒い異物……よく見ると、頭もあれば脚もある。昔恐竜の図鑑で見たことがあるトリケラトプスの想像図の様な姿。違うのは全身を覆うのは鱗の生えた皮膚ではなく、黒くて金属光沢のあるような……まるで、鎧のような甲殻を身にまとった生き物だった。


「化物……」


 化物だ。その鎧トリケラトプスは全身を震わせて、先程倒したのであろう木々の破片をふるい落とす。太い脚を踏み鳴らし、天に向かって口を開いた。


「オオオオオオオ!」


 文字にすればそんなところだろう。木が倒されるときの音とは比較にならないくらいの異様な大きさの鳴き声。俺は耳の奥にある鼓膜が震えるのを感じながら、呆然としていた。

 トリケラトプス? いや、黒い鎧がついているから別だ。あれは金属に見える。でも、人為的なものには見えない。鼻先にこれまた黒い角が一本生えている。さっき見た動物の死体の傷は、あれでつけられたものに違いない――化物が向き直り、その鼻先を、俺に向けている。そして、走ってくる。

 ……突進が来る。


「輝、避けろ!」


 ソラの声が後ろから聞こえた。俺はハッとして、流れる清流の方に飛んだ。全身水浸しになりながら、受け身を取って振り返る。鎧トリケラトプスは先程まで俺が呆然としていた場所をその鋭い角で穿ちながら突き進み、別の大木にぶつかった。

 ……皆は、どうなった! 生きてるのか?

 すぐさま立ち上がった俺は周囲を見渡す。川沿いで比較的視界がクリアだったのですぐに見つけられた。皆、散り散りになりながらも無事のようだ。


「一旦逃げるぞ! 後で合流しよう!」


 ソラが叫ぶ。彼は白石さんをかばいながら走り出し、速人も早々に身をジャングルの中へと隠した。しかし、天見さんは尻もちをついたままで、動き出す様子が見えない。


「ま、待って……! 足が……!」


 彼女は恐怖に引きつった顔で、口をぱくぱくと動かしている。怪我をしているようには見えない。腰が抜けてしまったのかもしれない。助けなくちゃ!


「天見さん……!」


 俺は一歩踏み出して、しかし、それから足を止めた。頭の中でもう一人の自分が俺に語りかけたからだ。……『助ける義理はあるのか』と。

 あの鎧トリケラトプスは今、ぶつかった大木に引っかかった角を外すのに手こずっている。だが、それを外したらまた俺たちを狙って突進してくるのだろう。ただし、突進という攻撃の性質上、一度に狙えるターゲットは一人。であれば、天見さんをあえて『置き去り』にして、逃げおおせたほうがいいんじゃないか?

 こんな状況下だし、ソラたちも逃げてしまった。誰も俺のことを咎める人間などいない。……誰かのために何かをしたって、それで自分が死んでしまっては意味がない。

 両足を突っ込んでいる川の水の冷たさが全身に昇ってくる。それと同時に、俺自身の血の温度も下がってくる。冷血だ。自分のためなら、他者がどうなろうと構わない。ましてや、今日初めて会っただけの他人。


 逡巡していると、天見さんと目があった。


「た、助けて、久喜くん……!」


 天見さんが俺に向かって手を伸ばす。俺は拳を握りしめた。天見さんの背後では、鎧トリケラトプスが大木から角を抜き去り、身体を震わせて体中についた木の破片を吹き飛ばしている。もう次の攻撃まで時間はない。

 自分の命を危険に晒すか、見殺しにするか。……選べない。だけど、選ばなくちゃ……。


「……ごめん」


 俺は小さく呟く。そして、一歩後ずさった。

 その時、鎧トリケラトプスに向かって、石がいくつか飛んできた。


「化物! こっちだ!」


 声の方を向くと、ソラの姿。白石さんはいない。いくつか石を抱えた彼は、またその右手の石を化物に向かって投げつける。そして俺の方を見た。


「輝、こいつは俺が引き付ける! だから今のうちに舞を!」


「あ、ああ……! わかった!」


 俺は引いていた足を前に踏み出し、一気に天見さんの元まで走り抜ける。そして彼女の片腕を取って立たせ、肩を貸して鎧トリケラトプスから距離を稼ぐように反対方向へ。

 背後からは引き続き注意を引くためにソラが叫ぶ声。

 彼は大丈夫だろうか――。そう思って一度振り向いた。それがいけなかった。


「きゃっ!」


「うわっ!」


 振り向いた瞬間にバランスを崩し、天見さんと俺は二人揃って転ぶ。すぐに起き上がったが、悲鳴で注意が逸れたのだろう。鎧トリケラトプスはその鋭く黒い角の切っ先を、俺たちに向けていた。


「そっちじゃねえ! こっち向け!」


 ソラが石を投げ続ける。しかし、鎧トリケラトプスは気にも留めない。完全に矛先をこちらに据えて、突進の構えをとっている。

 背筋に冷たいものが走った。全身がずぶ濡れだからではない。緩やかに、身体が死を受け入れようとしているのが感覚でわかる。


「こんな場所で……俺は……まだ……」


 脳裏にやり残したことが雑多に浮かぶ。あれがしたかった。これをしたかった。食べたかったもの。やりたかったゲーム。友人、家族、片想いしていたクラスメイト。嫉妬。ぐちゃぐちゃに汚された俺の机。ひとりぼっちの学生生活。まだ続いている、クラスメイトの『藤谷カズト』との喧嘩。

 全部、こんなところで終わる。こんなペンダントのせいで!


 ――まだ眠いのに……世話が焼ける。


 声だ。頭の中に響いている。


 ――ほら、手を前に出せ。


 この声は、俺が『この場所』に来る前に、川沿いで聞いたものと同じ。


 ――早く! 死にたいのか!


「わ、わかったよ!」


 誰の声だ。何の声だ。……わからない。でも俺はその声のままに、両腕を前に出した。

 胸元から銀色の光が溢れ出し、視界に映り込む。その向こうで鎧トリケラトプスは俺に狙いを定めて走り出す。


 ――さあ。見せるのは一度だけだ。感覚を覚えろ。


 胸元を中心に、全身にじわりと暖かいものが広がっていった。疲労で怠かった身体が急に軽くなる。そして、俺を真ん中に空気が渦を巻き始める。風には銀色の色がついていた。帯のような細い銀色の筋が幾重にも折り重なり、突き出していた右手の手のひらに集まっていく。

 その『風』は手のひらで握りこぶし大の大きさにまとまっていき、小さな竜巻のようになった。


 ――放つぞ。まだ目覚めてないからこの程度だが……『風の刃』だ。


 軽い反動。同時に竜巻が手のひらを離れて、突進してくる怪物の方へと向かっていく。放たれた竜巻は空気を切るように進み、その過程でどんどんと薄く、そして鋭くなって一枚の銀色の刃と化す。

 刃は怪物の脚にぶつかる。金属音とともに、その黒い鎧に弾かれながらも、化物は突進のバランスを崩して突き進む方向をわずかに変えた。

 たった少し。それだけだったが、化物はその突進の向きを戻しきれず俺と天見さんのすぐ横を通り抜けていく。


「……助かっ、た……!」


 俺は通り過ぎた鎧トリケラトプスの方を振り向く。やつはブレーキをかけるように身体を倒し、それからもう一度こちらに鼻先を向けている。

 また、来る!

 俺は突き出したままだった手のひらを、再度化物にかざした。

 ……あの声は『見せるのは一度だけだ』と言った。『感覚を覚えろ』とも言った。

 先程の『魔法』とでも言うべき力を使った時を思い出す。胸元の……銀色のペンダントから暖かい力を引っ張り出して、全身に巡らせる。そして、周囲にまとわる銀色の風を右手のひらに集める……!

 さっきと同じ様に、小さな竜巻が手のひらに生成された。


「……くらえっ!」


 そして、射出する。一枚の銀色の刃が……『風の刃』が放たれて飛んでいく。そして、鎧トリケラトプスの鼻先にある角に当たり、甲高い金属音とともに弾かれた。化物は警戒しているのか、脚を止める。


「……くそ」


 弾かれてしまったが、でも、撃てる! 謎の声に頼らなくても、自分の意思で!

 俺は再び『風の刃』を撃とうと手のひらを突き出した。だが、同時に全身を倦怠感が襲う。疲労だ。この力は体力を奪うんだろうか。だとしたら何度も撃てるものじゃない。

 それに、威力が足りない。少なくとも、俺一人の威力では。

 俺は未だに地面に座り込んでいる天見さんに目を向けた。彼女は俺を見上げて驚いたように目を見開いていた。


「天見さん! 声! 聞こえただろ! 天見さんも撃って!」


「こ、え……?」


「ほら! その『アクセサリー』からの!」


 天見さんは焦りながら自らの腕輪を耳元に持っていって、首を振る。


「聞こえないよ! 全然!」


「そんな……!」


「あ! 久喜くん、前!」


 言われて前を見ると、鎧トリケラトプスが突進してきていた。

 俺は慌てて『風の刃』を放つ。全身から力が抜けるような感覚とともに撃ち出されるが、またその黒い鎧に弾かれる。しかも今度は脚を止めてはくれない。

 この『風の刃』に警戒するほどの威力がないと、気がついたんだ。


「くそ! さっきの声! 助けてくれ! どっかにいるんだろ!」


 俺は叫ぶ。しかし声は聞こえない。確かにあの声は『一度だけだ』と言っていた。

 助かったと、思ったのに!

 迫る黒い角。死を覚悟した瞬間、どこかから光の弾丸のようなものが飛んできて、鎧トリケラトプスに当たり、その巨体を吹き飛ばした。


「……聞こえたぜ、声」


 振り返ると、ソラが手のひらを前に突き出していた。

 彼はそのままの姿勢で、気合を込めた表情をする。すると徐々に手のひらの前に金色の光が集まっていき、エネルギーの塊のような球体が生成される。


「もういっちょ! 吹き飛べっ!」


 彼の声にあわせて、光る球体が真っ直ぐに飛んでいく。派手な音を出して化物に当たると、爆発。鎧トリケラトプスのその黒い甲殻に凹みが出来ていた。


「オオオオオオオ!」


 はじめに聞いたような攻撃的意思のある鳴き声ではない。苦痛に叫ぶ化物の悲鳴だ。

 鎧トリケラトプスは立ち上がると、俺たちに背を向けて木々を薙ぎ倒しながらジャングルへと戻っていく。……今度こそ、助かった!


「よかっ……た……あれ……?」


 気を抜いた瞬間、全身から力が抜けていく。胸元のペンダントも光を失っていく。


「う……あ……」


 立っていることすらままならない。俺は力の抜けるまま、地面に倒れこんだ。


「久喜くん!」


 天見さんの声がする。追って、「輝! 大丈夫か!」というソラの声もする。誰かが俺の身体を揺すっている。しかし、返事をする余力もない。

 次第に視界がぼやけていき、俺は――。

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