銀のペンダント(4)

 天見さんと合流してから、俺を先頭にしてまた再びジャングルを歩き始めた。

 数十分は歩いているはずなのだが、やっぱりというかさっぱりというか、終わりは全然見えてこない。初対面ではあるものの二人きりだ。気がつけば俺と天見さんは気まずさを打ち消すように世間話を始めていた。


「天見さんは、いつからここにいるの?」


「ええと……、気がつくまでどのくらい寝てたのかわからないけど、今日だと思う。起きた時、お腹もあんまり空いてなかったし……」


「あはは。俺はちょっとお腹空いたかなー」


 思わず笑ってしまう。先程呑気にお昼寝しけこんでいたのも併せて考えると、やっぱり少し天然だ。


「久喜くんは、いつから?」


「多分同じくらいだと思う。まだこの場所に来てから六時間も経っていないはず。……携帯逝っちゃって時間確かめられないから、正確なところはわかんないけど」


 道なき道を歩みながら、邪魔になりそうな大きい枝を折りながら進む。こうしておいたほうが後ろをついてくる天見さんも歩きやすいだろう。


「そっか……。本当に、どこなんだろう。ここ」


 天見さんの声色に不安の表情が混じる。

 気持ちはわかる。俺だって不安でいっぱいだ。でもあまり考え込みすぎると動けなくなる。考えるのは何かこの状況に対する解決の糸口が見えてからでも遅くないだろう。

 そこまで思ってから、ふと思いつく。解決の糸口なら、見つけられるかもしれない。

 俺は視線を下にやり、自らの胸元に図々しくも居座っているペンダントを一瞥した。


「あの……さ。天見さんはこの場所に来るまで、変なこととか無かった?」


「変なこと?」


「俺は、不審なお爺さんに銀色のペンダントを渡されたんだ。ここに来る前の最後の記憶も、このペンダントが光っていって、眩しくて目を閉ざした瞬間まで。だから、それがきっかけだと思う。……天見さんは?」


「あ、……私も、同じ感じ。でも、お爺さんには会わなかったかな。何日か前に木の箱に入ったブレスレットが家の郵便箱に届いていて、でも家族は誰も心当たりがなかったから送り間違いだろうって話になって……」


 彼女は話しながら、その先を言うのを少しためらうような間を置いた。言いにくいことなんだろうか。


「差出人もかいてなかったから今日、警察に持っていくつもりだったんだ。でも、いけないことなんだけど、つい好奇心で嵌めちゃって、その時に光が……」


 つい微笑んでしまいそうになって、こらえた。

 いや、実際天見さんからしたらたまったものではないだろう。ちょっとした好奇心のせいで、こんなよくわからない場所に来てしまったんだ。


「……うん。成る程。多分俺たちは同じような原因でここにいるみたいだってことはわかったな。……ちなみに、どこに住んでるんだ?」


 訊いたのは別に、彼女と懇ろになりたいからではない。気になるのは場所だ。俺も一樹もあの老紳士には峰尾町周辺で出会った。であれば、天見さんも近い場所に住んでいるかと思ったのだが……。


「私? 新潟の中央区……ってわかる?」


 どうやら、俺の読みは全然機能していなかったようだ。俺や一樹のいる峰尾町は東京の西の方。新潟県まで新幹線があるとはいえ、そう気軽に行ける距離ではない。


「あー。ごめん、ちょっとわからないや……」


「だ、だよね……。君はどこに住んでるの?」


「東京の西側にある峰尾町ってところなんだけど……。まあ、特に有名なものも無いし、わかんないと思う」


「うん……ごめん、知らない……」


 バツの悪そうな声が聞こえてきて、俺は無理やり笑った。


「いやなに、お互い様だよ。……しかし、そんな距離が離れてる俺と天見さんが一緒に遭難できる場所なんて、本当にここはどこなんだろうな……?」


 再び時空の歪みという言葉が脳裏をよぎる。やはりここは日本ではないかもしれない。そう思っていたら、後ろをついてきていた天見さんが突然足をとめた。

 俺は振り返る。彼女は真剣な表情で目を細めて、立ち尽くしていた。

 ペースが早かったかもしれない。スカートにローファーの女の子が歩くにはここは険しすぎる。


「どうした? ちょっと休むか?」


「ううん」


 しかし天見さんは首を横にふる。疲れたわけではないようだ。だとしたら、どうしたのだろう?

 疑問に思っていると、彼女は顔を上げて、それから耳に手を当てる。


「ねぇ。人の声みたいなの聞こえない?」


「マジか?」


 俺も天見さんに倣って耳に手を当てて、澄ましてみた。

 すると遠くの方から「他にも人間は居ないのか?」という人の声や、草を踏みしめて小枝を折る複数の足音が聴こえてきた。

 俺は音を立てないように天見さんに近づく。そして、小声で話しかけた。


「確かに人の声だ。……でも、一応警戒したい。なるべく静かについてきてくれないか?」


 天見さんは無言でうなずく。それを確認し、俺は人の声がした方へ進み始める。数十メートルも忍び寄ると、三人の人間が歩いているのが見えた。

 俺は草陰からそれを覗き、観察する。

 男が二人、茶髪の男と背の高い男。そして、ポニーテールの女が一人。見た目と先程の声から察するに日本人で間違いないが、草木が邪魔で表情などの細部まではよく見えない。


「声、かけないの?」


 背後から小声で天見さんが訊いてくる。俺は片手でそれを制して、考える。

 姿をはっきりとは捉えられないが、恐らくは同じ立場の人間だ。ただ、善良な人間とは限らない。警察の目も届かないようなこんな場所で危険人物に会ってしまったらと思うと、恐怖が勝る。

 俺は後ろを振り返る。天見さんが不安そうに俺を見ている。

 でも、人里の場所を知っているかもしれない。このチャンスを見逃すのも避けたいのは事実だ。


「……わかった、行こう」


 もしかしたら危険もあるかもしれないが、最悪、自分ひとりで逃げればいいさ。

 走って逃げれば体力に劣る女性の天見さんの方が先に捕まるだろう。これだけ見通しの悪いジャングルなら、その隙に逃げることだって不可能ではない。

 自分で自分を嫌なやつだなとは思いつつも、自分の安全が一番大事だ。


「あの! 済みません!」


 俺は意を決して声を上げる。すると前方の三人組が足を止めた。


「今の! 皆! あっちに人がいるぞ! ……おーい! 大丈夫ですかー!」


 声を上げたのは茶髪の男。足早にこちらへ近づいてくる。残りの男女二人も後を追って向かってくる。


「大丈夫です! こっちです!」


 天見さんが俺を抜いて、歩いて出迎えに行く。俺はそれに続いていった。



「そうだな……とりあえず、自己紹介から始めようか」


 茶髪の男はそう言って、笑顔で笑いかけてきた。


 結論から言うと、『この三人組が危険人物かもしれない』というのは俺の杞憂だった。

 三人組と合流した俺と天見さんだったが、特に危険な目に遭うこともなく、情報交換をしたいと話す茶髪の男に連れられてジャングルを流れる沢の近くにきた。

 そして、俺たちがそれぞれ手頃な大きさの岩に座り込んだところで、茶髪の男が先程の言葉を放ったのだった。


「じゃ、言い出しっぺの俺から。俺は、狛江(こまえ)ソラ。高校二年生。趣味はサッカーで特技はバック宙。好きな食べ物は肉。よろしくな!」


 初っ端から気の抜けるような自己紹介をかましてきた彼、狛江さんはそう言って笑顔で締めくくる。表情がくるくると動いていて感情表現が豊かな人間に見える。

 俺がこの三人組を危険人物ではない、と判断したのは彼によるところが大きい。この沢まで連れてこられる途中も「怪我とかないか?」「結構歩いて疲れたりしてる?」「ここマジで暑いよな!」など、俺たちを気遣って色々発言をしていた。

 ただ、本当に暑かったのだろう。服装はシャツ一枚とジーンズ。ここに来る途中に彼が話すことには、上着も着てたんだけど、暑かったからそこらへんに捨ててきたとのことだ。天晴。慎重派な俺とは正反対の考え方をしている。

 若干押され気味になりながら天見さんが挨拶を返すと、その隣にいたポニーテールの女性が狛江さんの脇を軽く小突いた。


「ちょっと、怯えさせてるって……」


 彼女は上下スポーツウェア姿だった。レギンスにハーフパンツ、上は長袖のTシャツで腰に上着を巻いている。運動中だったのだろうか。

 そしてそのはっきりした顔立ちに気の強さを滲ませながらぺこりと一礼してきた。


「この馬鹿がごめんね! あたしは白石(しらいし)綾香(あやか)。ソラの同級生」


「白石さんと狛江さんは、もともと知り合いなんですか?」


 俺が質問を挟むと、白石さんと狛江さんはお互いに目を合わせてから二人同時に呆れた表情をしてみせた。


「知り合いっていうか……」


 白石さんがため息混じりで言い。


「一応幼馴染だけどね。一応」


 その続きを狛江さんが締めくくる。

 見事に息が合っているのでコントでも見せられているのかと思った。


「つーかさ、敬語、やめてくれよ。多分俺たち歳近いだろ? 俺のこともソラって呼んでいいし」


 狛江さんが屈託なく笑いながら注文してくる。俺はたじろぎながら、勢いに押されて頷いた。


「あ、はい、わかりまし……うん。わかったよ、ソラ」


 そして、視線が時計回りに移っていく。狛江さん改め、ソラ、白石さん、と来て、三人組の最後の一人の番になった。

 彼は神経質そうに眼鏡の位置を直してから、ため息をつく。ソラとは真逆の冷たい印象のある人だ。長い前髪と眼鏡によって分かりづらいが、かなりの美形。


「初めまして。私は成瀬(なるせ)速人(はやと)と申します。しがない大学生です。……私は、敬語のままでいさせてもらいますね。残念ながら歳も三つ四つほど離れたオジサンですので」


 冗談めいた雰囲気でソラに対する皮肉たっぷりに自己紹介をする。

 冷たい印象があるかと思ったが、意外と気さくそうに見えた。

 彼は「いや、さっきのはそういう意味じゃなくて……!」と慌てるソラに「いやー仲間はずれは悲しいですねぇー」と棒読みで寂しがってみせる。みせるのみで全く寂しそうには見えない。ソラをからかって遊んでいるのが楽しくて仕方ないという風だ。


「えっと……。ソラと、成瀬さん……は、知り合いなのか、ですか?」


 ついうっかり中途半端な敬語になってしまい、恥ずかしく思っていると、成瀬さんは「速人と呼んでいただければ大丈夫ですよ。敬語も崩してくださって結構です」と微笑みながら答えた。

 そして「残念ながら知り合いではありません。ここで合流しました」と続ける。


「あなた方お二人は知り合いですか?」


 質問を投げかけられて、俺は首を振った。


「いや、俺は……と。自己紹介がまだだった。俺は久喜輝。高校一年生。天見さんとはさっき会ったばっかだよ」


 視線を天見さんに向ける。彼女もうなずく。


「うん。私は天見舞っていいます。高校一年生……。久喜くんの言った通り、元々の知り合いじゃないよ」


「そうでしたか。これは失礼」


 速人は軽く頭を下げてから、ずれた眼鏡を元の位置に戻す。


「……となると、あなた達も『気がついたらここにいた』というクチですか」


 俺は頷く。


「ああ。じゃあ、皆もこういうの持ってるってことだよな?」


 胸元にある銀色のペンダントをつまんで見せる。応えるようにして、ソラは金色のペンダントを、白石さんは髪を上げて緑色の宝石があしらわれたイヤリングを、速人は一樹の持っているのによく似た黄色い宝石がはめ込まれている指輪を見せてくれた。

 ソラは忌々しそうにペンダントをぶら下げながら言う。


「これ、なんだろうな。なんか、心当たりあるか?」


「ううん。私も久喜くんもわからなくって」


 天見さんの答えにソラが残念そうな顔をする。


「やっぱそうだよな……。何をするにももっと情報があると良いんだけどな。……俺たち三人も昼にここに来たばっかりで状況がわかんねぇんだよ」


「ああ。さっぱりだ」


 俺はため息をついた。ここがどこで、どの様にたどり着いてしまったのかなんて想像もつかない。


「日本じゃないとは、思うんだけどさ。日本には三月でこの気温になる場所なんて、無いだろ」


 腕を組んだソラが納得するように「ああ」と短く言う。


「でも、これから行動していくためにも大まかな目的だけでも決めておこう。良いよな?」


 問いかけるソラに全員がうなずいた。

 それから、俺たちはソラを中心として話し合いを進めていく。結論としては、『ジャングルからの脱出』『人里におりる』という二つが当面の目的となった。

 それ自体は一人でさまよっているときからさして変わらない目的ではあるが、はっきりと言葉にするとシンプルに理解できていい。


「よし! それじゃあ目的も決まったし、取り合えずジャングルを抜けるために進もう!」


 覇気のある声でソラは皆を励ます。前向きなソラの姿勢にも励まされ皆は少し微笑む。

 まだ、一時間やそこらしか過ごしていないが、ソラは不思議な人物であると、俺の目には映った。彼が働きかけると皆が動く。彼が笑顔を見せると皆が笑う。例えるのならば太陽。普段の生活でも、彼についていく人間は多いのだろう。


「……よく似てる。……藤谷に」


 目を閉じた俺は、脳裏にどうでもいい回想を零してから自嘲気味に微笑んだ。こんなジャングルくんだりまで来て学校のことを考えるなんて、俺は狂ってる。


「輝ぁ! 行くぞ!」


 ソラの声だ。いつのまにか出発し始めていたみたいだ。俺はソラに苦笑いを返しながら謝る。


「……悪い、ボーッとしてた! すぐ行く!」


 謝った俺は、一人置いていかれないようにソラ達を追い掛けた。


 先程までくだらない回想を流していたせいで、彼らが一緒の学校にいたら、などと意味のない夢想をしてしまいそうになった。

 そんなことをしている場合じゃないな。


 今は前に、進まないと。

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