銀のペンダント(3)

 まず感じたのは、背中、服越しの柔らかい土の感触だった。その次に、瞼を透過する光。そっと目を開くと、鬱蒼としげる木々の隙間から光が射し込んでいるのが見えた。

 そして最後に気がついたのが――。


「うう……暑い……」


 ――うだるような蒸し暑さだった。


 俺は唸るような声を上げる。徐々に意識がハッキリしてきた。ゆっくりと上体を起こして周りを見渡す。


「……え?」


 今度は驚きで素っ頓狂な声が出た。


 ……どういうことだ?


 俺の周りには、青々と生い茂った草木が鬱蒼と生い茂り、見渡す限りの自然がある。文明の欠片も見当たらない。

 極めつけには頭上からよく解らない鳥獣のやかましい鳴き声すらする始末。


「は? は? は?」


 俺は無駄に「は?」を連発しながら立ち上がって辺りをもっとよく見回す。明らかに日本と植生の違う植物。高い湿度。額に滲む汗。

 三月だったよな。冬だったよな。川があったよな。


「何だよこれ……!」


 唐突だが、認めざるを得ない。現実として俺は、絵に描いたようなジャングルにいた。

 恐怖と焦りと意味不明によって汗ばんだ脳が必死に今の状況を整理しようともがき始める。

 老紳士を探して河原にいたんだ。そしたら急に胸元が痛くなって、ペンダントが銀色に発光して、それで……。

 ふと思い出した。


「……あっ、そうだ、一樹は? さっきまで一緒にいたんだ。……まずは一樹を探すぞ」


 俺は声を出して状況を整理する。混乱した時には敢えて声を出すようにしている。一樹が昔、パニックを避ける方法として教えてくれた。


「大丈夫だ。大丈夫だ。命の危険はない。体調も悪くない。五体満足」


 言いながら俺はそばに落ちていた自分のリュックを拾って、真昼のジャングルを一樹を探して周囲を散策する。


「一樹ぃー! 誰かぁー! いないのかよぉー!」


 俺の声はジャングルにこだまして響いては消える。

 たまに聞こえる物音は鳥の羽音や草の葉が擦れる音ばっかりだ。


「くそ……!」


 人がいる気配がない。先程俺が寝ていた場所を中心にうずまきを描くようにして歩き回ってみたものの、俺の呼びかけに応える声は無い。

 何が起こったんだ……?


「あ、携帯……」


 俺は今更のように携帯の存在に思い当たり、ポケットから取り出す。しかし、画面が真っ暗になっていて反応しない。電源を入れ直そうとしてみるものの、うんともすんとも言わない。

 故障か、電池切れか。……困った。時間すらわからない。


「なんだよ……これ……」


 元の場所に戻り、俺は全身が焦燥に包まれていくのを感じていた。

 何者かに拉致されたのか? いや、違うだろう。拉致だとしたら拐った人間が近くにいるはずだ。それに、俺は縛られているわけでもない。拐かした人間を縛りもせず放置するなんて、誘拐犯のすることではない。

 やはり、何かの怪異に巻き込まれてしまったと見るほうが良さそうだ。あの老紳士が黒幕なのかもしれないが、その真相を知る方法もわからない。

 ふと、一樹から聞いたことのある話を思い出す。彼は中学時代、オカルト話を色々俺に教えてくれた。その無数の話の中に一つ、似たような話があった。


「時空の歪み……だったっけ」


 世の中にはいたるところに時空の歪んだポイントが有るのだという。イメージとして近いのはワームホールや、ゲームで描かれるワープゾーンだろう。

 俺たち人間には認識できないが、そういったものに巻き込まれると、一瞬で数万キロもの距離を移動したり、過去や未来にワープしてしまうという話だ。

 有名なのはバミューダトライアングルだ。あの海域で消えた飛行機や船の中には、地球の裏側でその残骸が見つかったものがあるという。勿論眉唾話の範疇であることに違いはないが、絶対にありえないと否定することは出来ない。……北極や砂漠、海の上に飛ばされなかっただけマシだと考えたほうが良いだろうか。

 もし時空の歪みが本当にあるんだとしたら、一樹も俺の近くにいるとは限らない。俺のはるか数万キロ先の場所にいるかも知れないし、そもそも、あの峰川の土手に倒れているかもしれない。


「考えてても、仕方ないか……」


 現実問題、このままここに居続けるわけにもいかない。どうにかしてこのジャングルを抜け出し、人間と合流しないと。……まずは、それからだ。

 俺はリュックをおろし、何か使えるものがないか探す。見つかったのは形態と同じ様に電池の切れた音楽プレイヤーとヘッドフォン。ペットボトルの水、菓子類、ペンと紙。財布もあるが店がないんじゃ使いようがない。

 ナイフだとか、ライターだとか、サバイバルキット的なもののひとつでも入っていればと思ったが、街歩き用のリュックにそんなものを入れているわけもない。

 せめて磁石があれば、方位を頼りに歩けるのだが、無いものは無い。諦めるしかない。


「叫ぶのはやめて、ここを抜け出すことを優先しよう」


 俺は財布の中から家の鍵を取り出した。そして近くにあった手頃な大きさの樹を引っ掻いて、傷をつけた。

 この傷をつけながら進んでいこう。人間がいたらこれを見て追いかけてくれるはずだ。

 俺は天を仰ぐ。太陽の位置はそこまで高くない。それが沈んでいく途中なのか、登っていく途中なのかはわからないが、とりあえず今の位置を覚えておこう。時間が経ったあとでもう一度太陽を見て位置を比べれば、大雑把な方角がわかるかもしれない。


 俺は意を決して歩き始めた。


 スニーカーが地面を踏みしめていく。ジーンズを履いてきたのは幸運だった。木々の葉で切れてしまうのを心配しなくても済む。不運だったのは上着として羽織っているのがパーカーだけであることだった。

 どうせコートを着てきたとしてもこの暑さの中では脱いでしまうだろうが、例えば地面に座るときの敷物として、怪我をしたときの応急手当用の布として、布があればあるだけ出来ることは多い。

 悔いても仕方ないが。


「どれだけ広いんだ……」


 進んでも進んでも辺りの景色が全くかわりばえしない。


「しっかし、きついな。……少し休むか」


 二時間ほど歩いた辺りで俺はバテてしまった。慣れない悪路に、歩いても変わらない景色、ジャングル特有の蒸し暑さ。今は全て俺の敵だ。

 俺は腰掛けるのに丁度良さそうな木の根っこを見繕い、ゆっくりと腰を下ろす。


「まじかよこれ……」


 天を仰ぐ。直射日光が葉っぱで削がれている。その透けた向こうにある太陽の位置は、先程よりも真上に近づいてきていた。


「昇ってきているってことは午前だったってことか。夕暮れじゃなくてよかった」


 夕暮れだったと考えると恐ろしい。ジャングルを抜け出ないまま夜になってしまったら野宿が必要になるからだ。

 昔見たテレビ番組で、ジャングルの生き物は夜行性が多いと言っていた。まだ、空を時折飛んでいる鳥や虫以外には生き物の気配を感じてはいないが、こうやってジャングルが保たれているということは草食動物を狩る捕食者もいると見て間違いないだろう。そうでなければ増えすぎた草食動物によって森は枯れてしまうはずだ。

 息を整えて、立ち上がる。夜になる前に少しでも距離を稼がないと。


「……ん?」


 視界に、違和感を感じた。これから進んでいこうとしていた方角の草や枝が折れている。俺がつけたものではない。つまり、誰かがここを通ったということだ。

 ……人がいるかも知れない!

 思わず叫びそうになる。しかし、ぐっとこらえて抜き足差し足でその痕跡を辿る。人がいたとして、敵対してくる可能性もある。それに、ジャングルの捕食者たる大型獣であったら刺激したくはない。


「はあ……行くぞ」


 俺は呼吸も最小限、息を潜めてジャングルを進んでいく。地面に落ちた枝を踏まないように細心の注意を払いながら歩いていくと、視界が急に開けた場所に出た。


「あれは……!」


 そこにいたのはジャングルに似つかわしくない存在だった。

 大きな木の根に座り、寄り掛かるようにして動かない黒い髪の少女。日本の高校の制服と思しき服装を着ている。

 女子高校生? ということはここは日本なのか? ……いや、直接確かめたほうが早いか……。

 俺は逸る気持ちを抑えながらそっと忍び寄り、少女の前まで来てからしゃがんだ。


「生きてるよな……」


 まつげが長い。綺麗な顔立ちをしている。日本人の様にみえる。少なくとも東アジア人だろう。俺はその口元に手を持っていき、息があるのを確かめた。

 肩まであるセミロングの髪が呼吸にあわせて揺れている。俺は彼女の肩を叩いた。


「起きて。目を覚まして」


「ん、うう……」


 少女はゆっくりと目を開ける。そして目の前にいる俺に気がつくと、跳ねるように立ち上がって、俺と距離を置いた。


「へっ! あっ! 誰! もしかして、あなたが誘拐犯……!」


「大丈夫! 何もしてないし、敵意はない! ちょっと聞きたいことがあって」


 敵意がないことを示すために両手を上げる。ようやく会えた人間だ。誤解を受けたくはない。……ただ、先程よりも俺は残念な気持ちになっていた。


「今、俺のこと、誘拐犯って言ってたけど。この場所がどこか、知らないってこと?」


 先程の言葉はどう考えても被害者の発言だ。つまるところ、この場所を脱出する方法はわからないまま。

 案の定頷いた少女を前に、俺は小さくため息をついてしまった。


「あなたはこの場所、知ってるの……?」


「いいや。全然知らない。……気がついたらこんな場所にいたんだ。君も同じか?」


「そう、なんだ……」


 少女も残念そうな表情になる。俺と同じことを考えているんだろう。


「うん。私も同じ。しばらく歩いてここまで来たんだけど、疲れちゃって……」


「それで、寝てたの……?」


「……うん」


 呑気にお昼寝していた、と。もしかしたらこの少女はちょっと天然なのかもしれない。

 ……まあ、いい。どっちにしろ、何をするにも一人じゃ限界がある。ここでこの子を仲間に出来たら心強い。


「あ……。とりあえず、自己紹介させてくれ。俺は、久喜。久喜輝だ。高校一年生。君は?」


「あ、えっと……。私は天見(あまみ)舞(まい)っていいます。私も、高校一年生……」


 そこでお互い目を合わせて、少し可笑しくなった。こんなところで制服を着た女の子と自己紹介をしているのがシュールだったからだ。

 本当に笑ってしまわないように、頬の内側を噛む。それから、なるべく天見さんに警戒心を抱かせないように柔らかく微笑んだ。


「こんなところで同学年の人と会えるだなんて思ってなかったな……よろしく、天見さん」


 俺は右手を出す。眼の前の彼女はぎこちなく頷いてから、そっと俺の手を握り返してきた。小さくてやわらかい手の感触だった。


「私も、やっと誰かと会えて嬉しい……。こちらこそよろしく、久喜くん」

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