銀のペンダント(2)

 自宅に帰って部屋のベッドに寝転んだ俺は、先程の出来事を反芻する。

 怪しい老人と謎の銀色のペンダント。

 おそらく俺の予想通りただの狂人の類なのだろうけど、どうしても気になってしまう。


 きっと普通の人であればこんな事があっても翌日の友人との会話のネタにするだけなのだろう。俺がここまで気にしているのは、他の人より少しだけ奇妙な経験に出くわしたことが多いからだ。

 それは、俺が中学二年生だった頃に遡る。

 当時の俺は二人の友人と一緒に、怪談や都市伝説などのオカルトにまつわる出来事に何度も遭遇していた。今ではすっかりそんなこともなくなってしまったのだが、今日の老紳士の出来事はあの頃出会った怪異に触れたときと感覚が似ている。

 平凡な日常が非日常に滲出していくような薄ら寒さだ。


「……そうだ」


 俺はふと思いたち、ベッドから起き上がった。

 携帯を取り出して連絡先を探してみる。『は』行の一番上に見慣れた名前が出てくる。

 橋山(はしやま)一樹(いつき)。例の中学生の頃の友人の片方だ。今は俺とは違う都心の方の高校に通っている。


「一樹、アドレス一緒のまんまかな……」


 俺は恐る恐るメールを作り始める。内容は勿論、今日あった出来事について。と言いたいところだけれど、久しぶりの連絡でいきなり意味のわからない出来事について話すのも気が引ける。

 今日のところはとりあえず、『久しぶりに遊びに行こう』という文面にしておこう。


「連絡するの、久しぶりだな……」


 最後に一樹と会ったのは中学の卒業式の時だ。高校に上がってからは一度も会っていない。別に、喧嘩などで仲が悪くなったわけじゃない。ただ、少し気まずくなってしまったのだ。

 中学時代を振り返る上で欠かせない人間がもうひとりいる。俺と一樹と一緒に怪異に遭遇したりしていた少女。名前は柏崎(かしわざき)燕(つばめ)。彼女の連絡先もちゃんと携帯に入っているが、送ったところで今はメーラーデーモンからの返信しか来ないだろう。

 ……柏崎さんは二年前の夏、死んでしまった。


「よし、こんなもんか」


 俺はメールの内容をざっと見返し、送信ボタンを押す。しばらくしてもメーラーデーモンからの返信は来ない。アドレスは活きているようだ。

 しばらく返信を待っていると、『いいぜ。じゃあ早速明日でどうだ?』というメールが一樹から送られてきていた。

 明日は土曜日だ。特に予定もなく、空いている。即座にそれで問題ない旨を連絡し、その日は夕飯を食べてすぐに寝た。


 翌日。普段休日は昼前まで寝ている俺は朝から着替えを済ませて出かける準備をしていた。

 普段嫌という程着ている制服ではなく、ジーンズにTシャツとその上に少し厚めのパーカーを羽織る。街歩き用のバッグに音楽プレイヤーやヘッドフォン、その他ペットボトルの水やらお菓子やらを放り込み、ポケットに財布と携帯を突っ込んで自室を出る。

 一樹との待ち合わせの時間は十時。今から家を出れば待ち合わせ場所の公園まで余裕を持ってたどり着ける。

 昼食は外で食おう。一応父さんと母さんに伝えておこうと思い、居間に顔を出したがまだ誰もいない。休日の久喜家は朝が遅い。普段の俺と同じく昼前頃になってからようやく起きてくるのだ。

 起こすのも忍びない。

 俺は『夕飯までに帰ります』という書き置きを残し、起こしてしまわないように静かに自宅を出た。


「結構暑いな……」


 三月にしては珍しいくらいに暖かくてうららかな陽気で、パーカーを羽織っていると少し暑かった。とは言え、Tシャツ一枚では寒いだろう。


「微妙な気温だ……」


 俺は公園に向かって歩き始める。

 このくらいの季節にもなると外に出る人も増えてくる。ましてや今日は暖かい。俺と同じく公園を目指している人も何人かいた。

 公園についた俺は早速集合場所の噴水近くまできてから辺りを見回して一樹を探す。

 ほぼ一年ぶりだ。見た目も大きく変わっているかもしれない。男子三日会わざれば……なんて故事成語もある。

 だが、そもそもそれらしき人間はいなかった。少し遅刻しているのかもしれない。

 そう言えば、一樹は昔から若干だらしないところがあった。三日どころか一年の期間を与えても変われない人間は変われないのかもしれない。

 俺は噴水の近くにあったベンチに座って待ち続ける。と同時に、何の気なしに再度周りを見わたした。

 暖かくなってきたからだろう。子どもたちが追いかけっこをしていたり、親子連れがキャッチボールしたりしている。微笑ましい光景だ。

 視線を正面に戻すと、俺の座っている向かいのベンチでは高校生くらいのカップルがいちゃついてた。何も考えずについ、睦まじくしている様子を眺めていたら、カップルの男の方と目が合い、指をさされた。


「はは……」


 苦笑いで会釈をしてベンチから立ち上がる俺。昨日不躾な視線が原因で嫌な思いをしたというのに、俺も懲りない人間だ。

 さて、居場所を変えるにしても待ち合わせ場所である噴水からはあまり離れられない。


「どうすっかな……」


 独りごちていると、背後の方からコンクリートの地面を叩いて近づいてくる足音が聞こえてきた。振り返ると、短い髪を暗い茶色に染めた男が駆け足で寄ってきていた。

 この陽気の中で走って暑くなってしまったのだろうか、シャツの袖をまくっていた。彼は俺の直ぐ側まで来ると立ち止まって頭を下げてくる。軽く息を乱しているが、言葉ははっきりしていた。


「スマン。ちょっと寝坊しちまった」


 そして頭を上げてにっこりと笑う。


「久しぶりだな、輝」


「ああ。久しぶり……一樹」



 俺と一樹は駅前にあるカラオケボックスに来ていた。

 体裁上とは言え、一応今日は遊びに誘ったのだ。いきなり昨日の老紳士について話し始めるのも失礼だろう。

 個室に入って予め受付で頼んでいたワンドリンクが届けられた後、一樹は「さて、と」とソファから立ち上がり、カラオケの機材が置いてあるテレビの方へ近づいていく。


「積もる話のほうが先かな?」


 そして、マイクやデンモクを取るのではなく、彼はモニターの入力端子を突然引っこ抜いた。

 先程まで騒がしくインタビューをうけていた若手アーティストがブツリと消えて黒色の画面になる。急に静かになる空間。遠くから他の部屋の人がアイドルソングを歌っているのが聞こえてきて、ひどく滑稽だった。


「いや、積もると言うか、怪異の話か。だろ。輝」


 お見通しというわけか。俺は観念して首肯した。


「流石一樹。……そう。久しぶりに遊びたかったというのも嘘じゃないけど、今日の本題は、別にある」


「……わかった。話してみろよ」


 一樹はソファに再び座り込み、俺の言葉を待つ。俺は昨夜のことを思い出しながら、不気味な老紳士の話をした。一樹はひとしきり聞き終えると、無言でポケットを弄り、何かを取り出して差し出してきた。


「これを見てくれ」


 手のひらの上には赤い宝石が嵌められた指輪。赤銅色の留め金が宝石の赤色と相まって、情熱的な色合いを演出している。

 ……これが、どうしたというのだろうか。


「びっくりしたよ。今日、俺が話そうと思っていたネタ、お前の方から話はじめんだもんな」


「俺の方から……って、え! まさか、一樹、これ……」


「ああ。そのまさかだ。さっき輝が話した老紳士に俺も会っているんだと思う。桐の箱の中の宝飾品を渡してくる老紳士に、な」


「……一樹、受け取ったのか。それ……」


 俺は呆れて口をあんぐりさせてしまう。

 そうだった。彼はそういう男だ。こと怪異に関しては危機回避よりも好奇心が先に出てしまう人間なんだった。

 良くも悪くも感心していると、一樹が少し不満そうな表情を見せた。


「いやいや、お前も受け取ってんでしょうよ、それ。俺だけ変人みたいな言い方しないでくれ」


「え? いや、俺はさっき話した通り受け取ってないけど……」


「じゃあ、それ、なんだよ」


 一樹が俺の胸元を指さしている。

 嫌な予感がして俺は自分の胸に手を当てた。なにか硬いものがある。そいつを摘んで、視線を向けた。


 昨日老紳士に渡された銀色のペンダントだった。


 ありえない。俺は昨日確かに老紳士に桐の箱ごとペンダントを突き返したんだ。しっかりと記憶にある。無意識の内に持っていっていたとは考えられない。それともあの老紳士が俺の家を突き止めて、こっそり置いていったのか?

 いや、だとしてもおかしい。俺はペンダントを付ける動作をした覚えがない。


「……『縁』が出来たってやつか……」


 手のひらの上で一樹は指輪を転がしながら呟く。そう言えば、老紳士がそういうことを言っていたということも先程一樹には伝えた。


「……『縁』って、どういうことだ」


「そのまんまだよ。輝は銀色のペンダントに触れた。その瞬間からそれはただの銀色のペンダントでは無くなった……『久喜輝に触れられた銀色のペンダント』になったんだ」


 俺は気味が悪くなり、ペンダントを無理やり首から外した。そして握りしめて立ち上がる。一樹に「どこへ行く気だ?」と問われ、「トイレに流す」と答えると、「やめておけ」と返された。


「そう言った類のものが、物理的な処置ではどうにもならないと、俺達はわかっているだろ?」


「……じゃあ、どうしろってんだよ」


「老紳士に会おう」


 一樹はそう言って、赤色宝石の指輪を右手の人差指に嵌めた。


「どうやって。俺が会った場所は電車だ。この街にいるかどうかすら怪しい」


「いや、おそらくあの老紳士はこの街にいたはずだ。なぜなら俺が指輪を受け取ったのが、駅近くの川沿いの土手だからね」


 そして一樹は立ち上がる。


「行くぞ、輝。それと、そのペンダントはしっかり身につけな。目には目を、『縁』には『縁』を、だ。俺の指輪もお前のペンダントも、『老紳士に渡された』ものだ。ある意味手がかりなんだから失くさないようにしとけ」


「わ、わかった……」


 俺はペンダントを再び身につけた。今度は自分の意思で、だ。

 目には目を、『縁』には『縁』を。無茶苦茶なようだが、一樹の言葉は信用できる。中学生のころも、このオカルトの知識と、曖昧な仮説と、根拠のない自信に救われてきたんだ。


 俺たちはカラオケ屋を去り、土手に向かって歩く。

 駅近くに流れている川は『峰川』と呼ばれている川で、広い河原もあり、夏場にはバーベキューが催されたり、花火で遊んでいる人が現れたりしている。

 冬になると流石に近づく人の数は少ないが、それでもたまに釣りびとがいたり、土手を近所の中学生が部活動でランニングしていたりと、地元の人には愛されている川だ。


 俺は一樹に連れられて峰川までたどり着いた。

 控え目な川の音が聞こえる。今日は風が弱いから強く波打つこともなく、ただ上から下へ流れている。水の音は心地よくて癒される音だ。

 俺たちは水の流れと一緒に川を土手沿いにくだりながら歩いていた。


「どこらへんなんだ?」


 聞くと、一樹は「もうちょいだ」と答える。


「あの老紳士、ベンチに座ってたんだよ」


「成る程、だいたいわかった」


 一樹の言うように、この土手沿いにはいくつかベンチが置いてあり休憩できる場所がある。

 その中でも一番駅に近い場所。一樹の目指している場所は恐らくそこだろう。


 ――へえ。次は君か。


「え……?」


 突然、声が聞こえた。高いとも低いとも、男とも女ともつかない声。

 立ち止まって振り返り、周囲を見てみるものの人影一つ見当たらない。


「今の、一樹か?」


「はあ? 何が?」


「いや、さっきの、『次は君』がどうたらって――ぐうっ!」


 急に、胸元に激痛が走った。

 あまりの痛みに思わず膝をついてしまい、胸を抑えてしゃがみ込む。


「おい! どうした! あき――痛え!」


 俺の目の前で、一樹も痛みを訴え始める。しかし、俺と違って抑えているのは胸元ではない、例の指輪がはまった指。

 何だ? 何が起こっている? これも多分、この『アクセサリー』のせいなんだろうが、意図がわからない。


「おい……一樹……これ……外すぞ……!」


 痛みに苦しみながら俺はペンダントを握る。そして外そうとした時、ペンダントトップのリングがにわかに輝き始めた。

 強い銀色の光。時間が経つのに比例してどんどんと強く光が溢れてくる。見ていたら目が焼かれて何も見えなくなってしまいそうだ。


「地面だ、輝……!」


 光の洪水に溺れかけながら、俺の耳は一樹の声を捉える。

 地面を見ると、俗に言う魔法陣のような円形の文様が現れ、銀色に輝いていた。


「こっから出ないと不味い! なんかヤバイぞこれ!」


 魔法陣を型どる図形や線は時間が経つほどにどんどん増えて、複雑なものになっていっている。

 だが、俺はもうすでに身動きが取れなくなってきていた。胸元の指すような強い痛みに加え、視界もすべて銀色の光に覆われてしまい機能していない。挙げ句、大きな耳鳴りまで響いてきた。ジェット機が通り過ぎるような甲高いキンとした音が俺の鼓膜から周囲の音すら奪っていく。


 最早、一樹の存在すら感じない。


 音と光の洪水の中で俺は溺れていった。

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