第3章 ドラゴン退治

(01/0x) 赤帽卿の娘

 べルーンという街に向かう道中であった。


 天気は悪い。雨が降っていたし、雲の流れが早い。

 領主成敗の件から、数日後、馬車で街路を行く一行は、空に鯨の飛んでいるのを目撃する。

「ものを知らねえキシ様だな。あれはイルカっていうんだよ」

「イルカなら見たことありますけど」とジェレン。

 考えてみると、彼女も彼女なりに旅をしてきているのだ。その目的については聞いたことがなかった。この少女がどこから来て、どこに向かおうというのか……それもそれで気になったが、それ以上に気にする必要があるものが、やってきていた。

 そのイルカに見えるものの方だ。

 まずいことには代わりなかった。

 あの白いハンモックの腹は、魔法使いが長距離飛行をするための設備だからだ。

 遠くまで行くのに、空を使うのは、渡り鳥と魔法使いくらいのものだ。

 

 長い杖に布をぶら下げて、当の本人はそこに包まって眠る。天候が荒れれば、もちろん地上に降りざるをえない。並大抵の魔法使いであれば、そうする。しかし、この悪天候の中、気流をものともせず直進しているのだから、特別な工夫が必要なはずだった。

 そして、それができる人物に一人、心当たりがある。

 ぼくは剣の柄に手を乗せてしまった。

 本来であれば、そうしたところで別にどうということはない。今は遠い故郷に住むはずの彼女に伝わるのは、剣を鞘から抜いた時、水晶球の瞼が開いたときだけだ。

 ただし、これだけ近づかれてしまったなら、話は変わってくる。

 この剣は彼女が作ったもの。

 監視用の水晶球を埋め込むような女。

 剣の塚に触れるという些細な情報は、彼女の部屋まで届くようなものではない。しかし、今は距離が近すぎた。

 現に、ハンモックの中で動きがあった。

 ハンモックの中から、手が伸びる。箒の柄を掴み、もう片方の手で布の留め金を外す。布は速やかにかつコンパクトに畳まれて、宝玉の下の小箱に収まる。箒の穂先も同様に収納される。誰の目にも箒に見えていたそれは、本来の姿――魔法の杖――を表す。

 彼女は魔法の杖からぶら下がる格好で、降りてくる。

 風を意に介さず、マイペースな調子で。

 彼女は馬の前に降り立つ。

 馬も立ち止まった。


 馬車が止まってしまったのであれば、下りるしかなかった。

 

「ご無沙汰じゃの、我があるじ


 そう言って、彼女は赤いフードを脱ぐ。

 赤錆びた髪。

 眠そうな目。

「クーヴェル族だ……」とジェレンは小声で言う。

 頭の上の三角耳には張りがなく、彼女が半分くらい寝ていることを示している。

 青い目の下には、隈が残っている。彼女はいつでも寝不足なのだ。


 この世界には、クーヴェルと呼ばれる種族がいる。”覆われた”という意味で、これは彼女らの本性を表してもいる。その気になれば、全身が体毛で覆われる。ぼくらやジェレン――対照的にぼくらはヌゥ(はだかの)とか横耳とか言われる――より、もっとケモノに近い存在。

 今日の彼女はほとんどぼくらと見分けがつかなかった。

 それでも、三角耳は頭の上にあって、ローブのスリットから豊かな尻尾がふさりと広がる。

 クーヴェルとヌゥのどちらが先か。これは議論の分かれるところだ。ぼくらヌゥ族に呪いをかけられた姿がクーヴェルとも言われているし、その逆にクーヴェルが劣化したのがぼくらとも言われている。正しいところは、歴史の忘却の彼方だ。

 現実的な違いといえば、彼女らの方が寿命が長く、力も強い。現役時代も長く、生涯をかけて蓄積できる経験値の総量が多い。どういう道を進むにしても、熟練させるだけの余裕があるのだ。余裕――これこそ、クーヴェルにとって何よりも重要なものだ。彼ら彼女らは、矜持というのを大事にする。

「これがお前の嫁か」とブラン。

「嫁じゃない」とぼくは言う。

「嫁じゃが?」

「ぼくは承諾してないだろ」

「”ぼく”?」

 彼女は復唱し、吸血鬼と浄解士の両方を見る。匂いを嗅ぐように鼻を鳴らす。今はヒトのように見える鼻でも、気分次第ではもっとこう犬みたいになるのをぼくは知っている。

「――そこな吸血鬼」

 自分より二百歳以上歳上の吸血鬼にそう呼びかけるのだから、やはり度胸がある。

「天上キュートな吸血鬼だが、名前はブランシェスカと言う」

「〈失恋卿〉じゃな」

 理解が早い。彼女はぼくらよりもだいぶ年上だ。知っていてもおかしくはない。

「ふうむ……何故なにゆえ、妾の旦那の一人称が”ぼく”なんて弱いものに変わっているかと思いきや、じゃな」

 今度はぼくの方に目を向けてくる彼女。睨んできた、といった方が正確だったが、半分寝ながらの長距離飛行明けということもあり、あまり覇気はない。

「主様、この吸血鬼の中身を見たじゃろ」

「中身って」

「頭の中身じゃ」と彼女は言う。「この吸血鬼の髪の伸び方を見ればそれくらいはわかる。さしずめ、弾丸で自殺しようとしたところ、失敗し、そこに主様が出会でくわしたと言ったところじゃろ」

 見てきたように語る彼女。

「主様には教えなかったかの? 吸血鬼の中身を見た者は秘密を共有する。|魅了〈チャーム〉ほどの拘束力はないとはいえ、思ったことが漏洩することは起こる」

「何が言いたい」

「主様とこやつに心の回線が繋がっている――それが妾の気に食わない」

 彼女がそう言うと、吸血鬼はにやりと笑う。

「面白いじゃねぇか。で、お嬢ちゃんよ、だからってどうするんだ? 見られちまったものは仕方ないだろ。繋がっちまったもんも仕方がない。あんたの”旦那”の窃視癖と不運を恨むんだな」

「妾が主様を恨むわけなかろう。どういう性癖があっても構わん。どれだけ侍らせても――嫉妬はするが――構わん。ヌゥの寿命は短いからの。最終的に妾のものになれば良いのじゃ」

 これだ。

 この束縛する傾向。確かに彼女に恩義は感じている。しかし、人生の最後まで拘束されてはたまらないのだ。

「見上げた心構えだ。で、その気に食わないポイントを、アンタはどう解消するつもりなんだ?」

「簡単じゃ」と彼女は言う。「おぬしが死ねば良い」

 空気が冷えた。

 ジェレンがぼくの背中に姿を隠したのがわかった。

「……ハハッ」

 吸血鬼は笑う。

「アンタも知らない訳じゃないんだろう、お嬢ちゃん。わたしは吸血鬼、失恋卿。不老不朽で三百年はやってきてるんだぜ? そう簡単に殺せるもんじゃないんだよ。銀の弾丸じゃなきゃ、わたしは殺せない。アンタはそれを持ってるのか?」

「まだ持っておらん。じゃが、その手伝いをしてやらんこともない」

「あのぅ」とジェレン。「いきなりバトルは困るんですけど」

 ぼくも同感だった。

 吸血鬼の力は先日よく思い知ったし、赤髪のこの子の力も知っている。

「痴情のもつれで死ぬのは流儀じゃない、心配するなよ、ジェレン」

「妾もこんなことで、伝説の吸血鬼と試合おうとも思わん」

「アンタは気に食わないかもしれないが、わたしは気に入った。手伝ってもらおうじゃないか、イェルの嫁」

 嫁じゃないって。

「申し遅れた。妾は、アウグスタ・フェリスタリア。フォン・レッドフード」

「赤帽卿の娘か」

「今はまだ、の」

 そのあたりには、彼女なりの複雑な事情がある。

 赤帽卿とは、ぼくの故郷のある土地の領主である。一定の周期で魔物の群れが押し寄せることもあり、それに乗じて隣国からも攻め入られたりする地域だ。そこを治めるには、ぼくらヌゥよりもクーヴェルの方が利がある、ということで封じられている。

 ぼくらは馬車に戻った。

 当然のごとく、アウグスタはぼくの隣に座ってくる。尻尾がぼくの腰を抱くように巻き付けられる。懐かしくなかったと言えば、嘘になる。

「まあ実はもう一つ方法があるわけじゃが」と彼女は囁いてくる。耳に息がかかってこそばゆかった。「こうして妾が近くにいれば、吸血鬼の読心能力も邪魔できる。邪魔ジャミングというわけじゃな」

「イチャつかないでくださいよ」とジェレン。

 アウグスタは、そう言われて止めるような女ではない。

 腕ががっちりホールドされる。

「ところで、この馬車はどこに向かっておるんじゃ?」

「べルーンだ」とぼくは答える。

「なんでも大層祭り好きな街らしいじゃねぇか」

 首を傾げるアウグスタ。

「べルーン=セルテン共同都市のことを言っておるのか?」

「そうですよ」

 ジェレンがそう言うと、アウグスタは驚きべきことを口にする。

 

「その街なら数年前に滅んだはずじゃが」

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