(04/06) アクト、ナハト(血の定義)

 トリケラ直の頭を壁の飾りにでもしてください、と浄解士が訪れるはずだった。ちょうど近くまで来たもので、持て余しておりました、と。対価として馬車でもください、それくらいあるんでしょう、という風に話を運ぶつもりだったのだ。

 もっとも、なんらかの移動手段についてはいずれ確保せざるを得なかった。いちいち、ミグラス砲で道をつけていたのでは、国際的な問題になりかねないし、浄解士の倫理観がそれを良しとしないからだ。だが、領主たるもの、馬の一頭や二頭は必ず持っている。政治には機動力が必要だ。

 ジェレン・ミジェルナに任されたのは、魔物の頭を持って建物の中に入り、簡単な間取りを把握することだった。

 夜の帷も落ちる頃合い。

 こういう時間を狙ったのは、ちょうど今しがた町に着きました感を出すためだった。本性的には夜行性の吸血鬼が絶好調になっているというのもある。あと、何かと紛れやすい。

 確かに、屋敷の入り口には篝火が炊かれているが、それはそれほどの明るさではなかった。サイドに元・騎士と思われる甲冑姿の者が二人。他の十人は別の入り口とか、城内にいるのだろう。全員が起きているとは思われない。ローテーションというのがあるだろうし、そもそも、こんな辺境の町の領主とはいえ、土地の守護者を襲おうという輩などいるはずもないからだ。

 基本的にザルと思って良い。

 何も起こらなければ、だ。

 そして、何かは起こった。

「ぐぉお、不信心者!」

 ジェレンが騎士を殴ってしまった。

 打ち合わせと違う!

「だってこいつ――」言い訳をする口は別の騎士に塞がれてしまう。

 そのままズルズルと屋敷内に連れて行かれてしまう浄解士であった。

 突然殴られ、地面に尻をついていた騎士が立ち上がり、籠手を耳元に当てて何事か言っているようだった。

「仲間呼んでるぞ」と吸血鬼は言う。

「仲間?」

「”事件発生につき、応援を求む”だそうだ」とのこと。よく聞こえるものだ、と思うが、よく見るとこいつ耳を出している。尖り耳。「事件って規模か?」

「なんでジェレンは殴ったの」

「いきなり”今夜のお相手は、おまえみたいなガキなんだな”とか言われたからだろ」

 女の子に言うようなセリフではない。

「それだけで殴るような女だったのか」

「で、どうする?」と呑気に構えている吸血鬼。

 ぼくは茂みを飛び出していた。

「助けなきゃだろ!」

 段取りがめちゃくちゃになってしまえば、穏便に済ませることはできなくなってしまったのだ。もっとも、その行き着く先が、内臓モツ剥しや爪剥がしの拷問、トラウマティックなものとはいえ、だ。いや、だからこそ、とも言える――とにかく、面倒ごとはごめんだ。

 ていうか、突発的に殴りかかる浄解士なら、はじめの方に教えておいて欲しかった。

「正義感あるゥ」

 吸血鬼も後ろをついてくる。

「そういうことする理由ってあるわけ?」

「そういうおまえは?」

「ジェレンは可愛いからな。わたしにはある」

 走りながら、もぐもぐと詠唱をする。

「死にたがりの元・騎士様には、あるのかって話だよ」

 どうなんだ?

 ただ、目覚めは悪いだろうなと思った。

 

 わらわらと出てくる元騎士。鎧と剣で武装している。

 当然だ、それが仕事だ。

 事件発生につき、と聞いて屋敷内からやってきたのが、五人くらいなので驚いた。想定より多い。結構、ピリピリしていたらしい。それも不思議だった。こういう事態を想定していたような、展開の速さ。領主と町民の関係は良好なはずじゃなかったのか?

「なんだおまえらは!」

「旅の者です!」

 ぼくは剣を抜きたくない。

 対人戦闘のときも、魔物相手の時も既製品で済ませてきた。

 何かを斬るということは、血なり瘴気なりを飛び散らせるということだ。それはどこに行くか? 大抵は地面に落ちるか空気に混じったりする。でも、剣だってそれを吸い込むのだ。物質的なものを切断する代わりに、恨みつらみといったものと繋がってしまう。

 ぼくは、自分の〈アウグスタ〉に、そういうことはさせたくなかった。

 しかし、そんなのはこちらの都合だ。

 相手の元・騎士はするりと剣を抜いて、斬りかかってくる。

「いきなりかよ!」

 これも妙な話なのだ。小粋なチャットでも挟むべきじゃないのか? 不審者と断定するなり斬りかかる、それは普通の判断ではない。兜の中にあって、そいつの顔は見えない。どういう表情をしているのか。ただし、殺気はわかる。戦場で感じたことのあるやつだ。


 ぼくに使える魔法は限られている。

 これでも氷雪系魔法は取得しているのだ。

「詠唱展開」

 左の籠手の表面が青く光る。薄氷の魔法。既製品でもこれくらいはできる。でなければ魔法の意味がない。

 相手の剣をエンチャントした籠手で払い除けると、相手の脇に隙ができる。ぼくの方もすでにベルトから剣は外している。そのまま振り上げる。狙うは、脇。簡単な術式であれば、剣を抜くまでもない。触れていれば良いのだ。

氷結グラッサージュ!」

 相手の肩あたりに霜柱のようなものができる。それがつっかえ棒になって、彼は――だと信じたいが――右腕をそれ以上動かせなくなる。そうなれば後はこちらのものだ。剣は使えなくした。しかし、人体というのは全身が武器になりえるので、別の角度から次の攻撃が来ないとも限らない。足とか手とか。

 だから「眠っててもらうぜ!」

 ぼくは鞘に収まったままの〈アウグスタ〉を彼の腹に思い切り振り込んだ。一級の魔法使いが作ったものだ。耐久力はとにかく高い。そんな寄せ集めの元騎士の鎧なんか凹ませられるくらいには硬い。

「ゴフッ」

 血とも泡ともつかないものを兜の中で吐いて、そいつは倒れる。

「残り、四人」とぼく。

 残り四人もですか? とぼく。

 はっきり言って、ぼくの戦い方は地味だ。

 ただ鎧の接合部を凍結させたり変形させることで、相手の動きを奪うだけなのだから。

 そう、そのせいで、ぼくは戦場でも活躍ができなかった。

 同僚の中には、相手の首をいくつ取ったとか、そういう話をするやつがよくいた。それが成果だったのだ。それに対して、ぼくは常に”ゼロ”だった。臆病者とも言われたこともある。人を殺す方がよっぽど怖かった。相手は、魔物とは違う。いかなる理由があっても、それを許容できるような変化は受けることができなかった。

「イェル、うしろ!」

 振り返ると、視界の端に、振り下ろされる剣が見えた。

 そうだ、あと四人もいるんだった。いや、いなさそうだった。吸血鬼のブランシェスカは、鎧の人間を重ねた山の上に座っている。兜が三つ。

 じゃあ、こいつがラストってこと?

 そのラストに負けてちゃ意味なかった。

 アウグスタを戻している暇なんてなかった。もちろん、詠唱を組んでいる暇もない。

 代案。

 剣滑らしの籠手を信じる。既製品への信用は、その耐久力を一時的に上げることができる。タイミングを合わせて、刃を殴るようにして払う。隙ができる。

 同時に、右手の指先に魔力をこめる。指先だけ熱することができれば良い。それくらいなら詠唱は要らない。実家は服屋だ。腐ってもそのせがれ、指先だけは器用なのだ。

「胴体がガラ空きだぜ、モン・セニュア」

 十分温まった指先に取っては、金属製の鎧なんて布とそう変わらない。

「うぉおお!」

 引き寄せて、脚を外に払い、投げ飛ばす。

 土埃。

 ぼくはアウグスタを一人目から取り外し、二人目の胸元に勢いよく振り下ろす。ごふ、とさっき聞いたのと同じ音がする。死にはしない。気絶しているだけだ。

 突然の戦闘に、アドレナリンがドバドバだった。

 しばらく格闘戦から遠ざかっていただけでこれだ。

 ぼくは元騎士の上に座っている吸血鬼に近づいた。

「これ、殺してないよな?」

「貧血でぶっ倒れてるだけだよ」と彼女は言う。手元には赤い液体が球となって浮いていた。

「貧血?」

「血ってのはさ、そいつの体の中を流れている限りそいつのものだ。傷口から溢れている時もそう。権限はそいつにある」と講釈が始まる。「地面に落ちたら、それは地面のものだ。だが、逆にだ」

 彼女は傷のついた指先で宙をなぞる。

「流れ落ちている途中ならば、権限は奪取することができる。誰のものでもないなら、わたしの血が割り込む余地はあるわけだよな」

 吸血鬼の血は強い。

 彼女は血の球を握りつぶした。それは弾け飛ぶかと思ったが、そうはならなかった。彼女の背後に集まって、大きな翼を形づくる。

「あそこに窓があるだろ?」

 指差す先には、円形の窓があった。

「多分、あれが寝室だと思うんだよな」

「かもしれないけど、それで?」

「ちょっくら脅してくるわ」

 軽く、ガラの悪い女である。赤い翼でふわりと浮く。

 その浮世離れした姿にちょっと見惚れた。

「ぼくはどうする」

「自分で決めろ。飛べなきゃ階段を使え。あとジェレンちゃんのその後も気になるしな」

 彼女はそのまま飛んで行った。

 ドラキュリア・キックという声が聞こえて、窓ガラスの割れる音がした。

 そうだ、浄解士。

 ぼくもまた、屋敷の中に侵入するのであった。

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